『浦島太郎症候群』

「こんにちはー」

 重たい扉が開き、カランコロンと来店を告げるベルが鳴る。顔を覗かせた赤毛の男を見た僕は苦いものを口にした時のようにげっ、と呻いて顔を顰めた。

「おや、瀬戸セトか」

「どーもこんにちは! やー、お嬢さんは相変わらずお綺麗ですねー」

「ふふ、本当のことを言っても何も出ないぞ」

 かすりの着物と袴の下に立ち襟のシャツを着込む、昔懐かしの書生スタイルに身を包んだ小柄な男。童顔も相まってどう見ても学生だが、瀬戸は商売でゑにし堂を訪れている競取りだ。

 競取りとは、言ってしまえば転売屋だ。古書店業界では安く買いつけた本を高く売りつける業者を指して言う。瀬戸は忌書専門の競取りとしてかなり優秀らしい。何でも、大半の人間は忌書とそうでない本の区別がつかないという。瀬戸の目は特殊なようで、これまでも数多の忌書を見つけては買い取り、ゑにし堂に卸してきた。

 僕は忌書を商売道具として扱うこの男が嫌いだ。忌書とは書き手、読み手を問わず人の想いが詰まった本だ。それを金儲けのために売買するのだから、守銭奴と思われても仕方ない。

 忌書の多くは引き取り手のない遺品だ。早く手放そうと二束三文やタダ、それどころか大金を積んでまで瀬戸に押しつける遺族が多数らしい。そんな経緯で引き取った忌書を、ゆかりさんは正規の値段で買い取って店に置いている。

 競取り相手に律儀に商売をしなくてもいいのに、と常々思うのだが、ゆかりさんは瀬戸に全幅の信頼を寄せている。きちんと取り引きするのは信頼の証なのだそうだ。会話の端々から鑑みるに二人はどうやらビジネスパートナー以上の関係にありそうだが、それが何かは定かではない。少なくとも男女の関係ではなさそうだが、僕一人蚊帳の外のようで面白くない。

「バイトくんもお元気そうで何より」

 僕の尖った視線に気がついた瀬戸がにっこりと笑顔を向けた。懐柔しようというのだろう、そうはいくものか。僕は応えずにそっぽを向いた。

「あらま。つれないなぁ」

「それより瀬戸、掘り出し物はあったか?」

「勿論ですよー。由来もばっちりです。お嬢さんが気に入る子がいればいいんですが。あ、この子はどうです? これは――」

 本日二人目の来店を告げるベルが瀬戸の声をかき消した。

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