◇ ◇ ◇


 重厚感溢れる扉を潜った先で俺を出迎えたのは、どこか浮世離れした男女だった。

「いらっしゃい」

 黒髪の女が微笑む。滅多に見ないレベルの美人だ。どこの集団に属しても男達からマドンナと持て囃されるだろう。それよりも俺の気を引いたのは、赤毛の男が持つ本だった。

「おや、この子が気になります?」

 視線に気づいた赤毛の男が柔らかく微笑む。かなり若く見えるが、俺より少し歳下の学生だろうか。随分とハイカラな装いだ。

「ご覧になっては如何?」

 黒髪の女に促され、男から本を受け取る。それは浦島太郎の絵本。確か、いじめられていた亀を助けた浦島が竜宮城に招かれてもてなしを受けるも、家に帰るとそこは見知らぬ未来になっていた、そんな話だった。子供の頃は母親にせがんで読み聞かせてもらっていたな。

 しかし浦島太郎とは……奇遇にも今の俺にお誂え向きな本だ。

「なあ、アンタらは俺が浦島太郎と同じ状況になってると聞いて信じてくれるか?」

 つい、そんなことを口走っていた。案の定、怪訝な視線が俺を刺す。

「同じ状況?」

「ああ。浦島が竜宮城から帰ってきたら自分が住んでいた町が見知らぬ世界になっていただろ。あれは竜宮城が現実の世界より時間の流れが遅いために浦島だけ歳を取らずに世界に取り残された訳だが、俺もこの頃似たような経験をしてる。いつの間にか知らない場所にいるんだ」

 こうなりゃヤケだ。見知らぬ相手にペラペラと自分の悩みを打ち明けていた。

「記憶喪失のようなものですかね? 頭を強く打ったとか、そんなことは?」

「いや、俺は至って健康そのものだ。まだまだボケる歳でもないしな。なのに、ふと気づくと周りの風景が見たことないものに変わっている」

 いつも通り出勤しているはずなのだ。なのに突然違う世界に迷い出てしまったような。知らない土地で知らない人々の中に放り込まれたみたいで、酷く心細い。家に帰ろうにも、土地勘もない見知らぬ場所からどうやって帰ればいいのか見当もつかない。

 ここに立ち寄ったのもそうだ。気づけば見知らぬ街並みにいて、道を尋ねるために目についたこの店に入った。いったい自分はどうしてしまったのだろう。知らぬ間に竜宮城に迷い込んでいて、未来の世界に取り残されたのだろうか――

「お客様は浦島太郎の物語をご存知ですよね。ならば、竜宮城から戻った浦島がどうしたかも知っているのでは?」

 勿論知っている。俺は頷いた。乙姫から土産にと手渡された玉手箱を開けた……。

「この本はお客様にとっての玉手箱です。差し上げますのでどうしても耐え切れなくなった時だけ本を開いてみてください。構わないな、瀬戸?」

 瀬戸と呼ばれた赤毛の男は頷いた。

「ええ、この子も貴方に読んでいただいた方が嬉しそうですから」

 俺を出迎えたのは絢爛なタイやヒラメの舞い踊りではなく本の壁。そして玉手箱ではなく本を手土産に帰路についた。

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