「何か気になる本でも?」

 どれくらい立ち尽くしていたのか。いつの間にか美人店主が隣に立っていた。我に返った私の心臓が跳ね上がる。こんなに近くにいたのに、全く気配を感じなかった。

 ドキドキとうるさい心音を誤魔化しながら、本を取ってもよいか許可を得る。店主は二つ返事で了承した。

 棚から本を抜き出す。薄い絵本なので重みは感じないが、鼻腔を古書特有の匂いが擽る。アロマを嗅いだ時のように、荒んだ気持ちが幾分か和らいだ気がした。

「私、子供の頃はシンデレラになりたかったんです」

 ぽつりと零れたのは、抱えていた不安。シンデレラは結婚して幸せになれたと言えるのか? 店主の返答は当たり障りのないものだった。めでたしの“その後”を考える人間は少ないだろうに、初対面の相手にいったい何を聞いているのか。誘導尋問じみた問いかけをして、慰めがほしかっただけなのではないか。急に気恥ずかしさが込み上げて、俯いた。落とした視線の先にいる表紙のシンデレラは、変わらず穏やかに微笑んでいる。

 手が、自然とページを捲る。子供向けの絵本のため、ページ数は少なくすぐに読み終えてしまった。物語の内容自体、子供の頃に読んだものと大差ないはずだ。しかし、私の心を妙に強く惹きつけた。店に立ち寄ったのは、この本に導かれたからではないか――普段ならバカなことを、と笑い飛ばすだろうが、その時の私は真剣に考えていた。

「まいど、ありがとうございます。良き縁に恵まれましたね」

 気がつけば、本を購入して店を出ていた。思ったよりも長居してしまった。早く帰って夕飯の支度をしないと、義母と義姉にまた嫌味を言われてしまう。

 でも、離婚調停が進んでいるのに何故私はあの家に帰らないといけないの? 旦那とは別れるのに、いつまで私はあの二人の奴隷でいなきゃいけないの――

「……舞踏会に行かなくちゃ」

 無意識の内に呟いていた。シンデレラだって継母達の言いつけを破って出掛けていた。だから、私だって自由にしていいはずだ。もしかしたら、新しい王子様に出会えるかもしれないし。家路を辿っていた足は、自然と繁華街へと向かっていた。

 私は夢のようなひと時を過ごした。今までの鬱憤を晴らすように踊り明かした。ああ、なんて楽しいの。まるで魔法にでもかかったみたいだ。帰宅したのは日付を跨いだ頃。義母と義姉の尖った目が私を責める。

「あなた、いったい今までどこで何をしていたの!? 自分の立場、わかってるの?」

 夢見心地が一気に醒める。魔法は解けてしまった。

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