『灰かぶりの夢』

 入り口からほど近い棚の前で、じっと立ち尽くしている女性がいた。二十代から三十代くらいだろうか。化粧っ気のない顔は年齢よりも幼い印象を受けるが、どこかやつれて見えるのは気のせいではないだろう。

 女性はかなり長い時間一点を見つめている。声を掛けようか悩んでいると、僕の横をするりと通り抜ける人影が。

「何か気になる本でも?」

 ゆかりさんだ。背中まである艶やかな黒髪を靡かせ、女性に近づいた。

「あ……」

 女性はたじろいだ。無理もない、ゆかりさんは人間離れした美人だから。陶器の如き白い面は人形のよう。すらりと長い肢体をシンプルな白シャツと黒のパンツで包み、上から緋色の羽織を纏っている。黒曜石の瞳は切れ長で、眼鏡も相まって怜悧かつ鋭利な印象を受ける。

「えっと……この本、取ってもいいですか?」

「勿論。本は読むためにあるものですから」

 ゆかりさんの許可を得た彼女は棚から本を抜き出す。それは古びた子供向けの絵本だった。表紙に描かれたお姫様はガラスの靴を履いている。

 シンデレラ。あるいはサンドリヨン、灰かぶり姫。シンデレラの物語は、幾つになっても女性の憧れなのだろう。

「私、子供の頃はシンデレラになりたかったんです」

 表紙を指先で優しくなぞりながら、女性は独り言のようにぽつりと呟いた。

「ねえ店員さん。シンデレラは王子様に見染められて玉の輿になれたけれど、その結婚は本当に幸せだったと思いますか?」

「さて。幸せの感じ方は人それぞれでしょう。私一人では判じかねますが……小間使いのように虐げられてきた娘が急に何不自由ないお城暮らしをするとなれば、大変ではあるでしょうね。環境も違えば、やっかむ者も多いでしょうし」

「そう……ですよね」

 女性は悲しげに目を伏せて、絵本を見た。表紙のシンデレラはめでたしの後に待ち受けるかもしれない不幸なんて知らない顔で、穏やかに微笑んでいる。客のかさついた指先がページを捲る。しばらく経って、彼女は顔を上げた。

「あの、こちら購入します。お会計をお願いします」

 ゆかりさんはニコリと微笑んで本を受け取り、カウンターへ向かった。

「まいど、ありがとうございます。良き縁に巡り会えましたね」

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