ベントラー・ベントラー (暴力描写あり)

 今日もお父さんとお母さんがケンカしてる。怒鳴り合う声が私に向かってこないように、ご飯を食べながらできるだけ体を縮めた。始まらないでと願っても無駄なだけ。お父さんは立ち上がり、自分が飲んでたお酒の紙パックでお母さんを殴る。ボコって音がして『日本酒』の文字がへこんだ。

 私は早く食べ終わろうとご飯を口に詰め込む。慌ててたら、手がすべってお椀が倒れた。

「なにやってるっ」

 お父さんの怒鳴り声が私に向いた。動けない私の頭がテーブルに押し付けられる。こぼしたお味噌汁で顔が濡れた。

「なんか文句あんのかア?」

「……ごめんなだい」

「食いモンを無駄にすんなや」

 ぐいぐい頭を押される。怖くて怖くて早く終わってほしくて、顔を押し付けられたままお味噌汁を啜った。一生懸命啜ってたらお父さんの手が離れた。でもまだ後ろに立ってる。だから、残りのお味噌汁も全部啜った。

 ごちそうさまをしたら「汚い。ちゃんと拭いてよ」とお母さんが言った。布巾でテーブルを拭いてから、洗面所で顔を洗う。今日は叩かれなかった。こないだの痣ももう消える。髪に隠したこめかみは黄色くなってた。


 日曜はお母さんの宗教の日。今日は大会があるって大きな会館に連れてこられた。お母さんは会場に、私は子供が集められてる部屋に行く。入った私を見た人たちに、同じクラスの辻君がいてびっくりした。宗教に通ってるなんて知られたくなくて慌てて顔を逸らす。

 子供の部屋で宗教の動画を見せられた。辻君は楽しそうに、他の子と宗教を褒め合ってニコニコしてる。つまらなくて早く帰りたい私とは違う。

 帰り道、お母さんはすごく機嫌がよくて、私にもしっかり教義を学びなさいって言うから頷いた。そうしないと無視されてご飯を食べれない。


 次の日、学校で辻君と目が合った。私は目を逸らす。辻君も話しかけてこない。私と辻君は全然違うから。

 辻君は宗教のこと学校で話してるのかな。私のこと言わないでって頼もうか。悩みながら帰り道の赤信号で止まったとき、辻君に声をかけられた。

「なあ、大会の話聞いた? すごく良かったって」

 辻君は笑ってるけど私は笑えない。褒めなきゃいけないのに嘘が出てこない。

「すげー嫌そう。宗教嫌なの?」

「っ、違うっ、違うから言わないで。誰にも言わないで」

「ははは、言わねー。俺も嫌いだし」

 びっくりする私に、辻君は笑ってたくさん喋った。宗教めんどくさいって話したかったって笑った。

「辻君は信じてるかと思った」

「フリしないと、すげーお祈りさせられるから。うちの親、頭おかしいんだ」

「……うちも」

「うちはすげーよ、宗教の本ばっかりで。他の本は捨てられるし。だからさー、カバンに入れて帰り道で読んでんの。見る?」

 辻君がランドセルから出したのは、カバーもないヨレヨレの本だった。ゴミ捨て場で拾ったらしい。『未確認飛行物体の謎にせまる!』と書いてる表紙をめくって、早口で説明してくれる。

「オレ、UFOに乗りたいんだ。UFOの乗ってさ、ピラミッドとモアイ像とかナスカの地上絵とか見たいんだよなー」

 辻君の目はきらきらしてすごく楽しそう。いいなあ。私にも楽しいことないかな。


 それからたまに帰り道で話すようになって、辻君は夜にこっそり外へ出て、UFOを呼んでるって教えてくれた。

「ベントラー・ベントラー? この呪文でUFO来るの?」

「たぶん。ほら、成功した話も載ってるし」

 これからだって笑う。やっぱり楽しそうでいいなあと思う。

「こんど一緒にやろうぜ」

「え、……うん、やりたい」

 夜にこっそり抜け出すなんてワクワクする。私も楽しくなれるかも。


 家はつまらない。今日もケンカして、また始まった。コップとお皿が飛んで、大きい声が耳に痛い。お父さんはお母さんの耳からピアスを引きちぎってから殴った。テーブルの上に落ちたてきたピアスに血と何かが付いてる。それが肉だとわかった途端、食べたご飯が逆流した。お父さんが私の方へくる。私は床に落っこちて、終わるまで丸まった。

 お父さんが寝にいったあと、お母さんが私のせいでいつもより殴られたって言った。


 腫れたほっぺたは髪で隠せない。ずっと俯いてた帰り道、また辻君が私を呼び止める。

「UFO呼びに行こうぜ」

「うん」

 辻君は笑い、私も笑う。

 私もUFOに乗ろう。全部とお別れして、ひしゃくの星座まで行くんだ。


 私は家に帰らないで土手のススキの中に隠れた。夜になって抜け出してきた辻君とUFOを呼ぶ呪文を唱える。信じてないけど一生懸命に。帰らなくて済むならなんだっていい。辻君と手をつないで空を見上げて、歌をうたうみたいに何回も呪文を唱えた。

 ふいに白っぽい光が見えた。すべるように動いて川の向こうへ消える。驚いて辻君を見たら、辻君もすごく驚いてた。

 私たちは橋のほうへ走って土手を登った。

「待ってっ」

 辻君の声がしたのと車のライトに照らされたのは同じだった。車がパトカーだって気づいて急にすごく怖くなる。どうしよう見つかった。また怒られる。

 振り向くと、辻君は土手に伏せた格好で私を見上げてた。辻君は見つかってない。ホッとして「逃げて」と言った。捕まる前に。でも辻君は動かない。急がなきゃいけないのに。それに、本当にUFOがきてたら迎えにきてくれるかもしれない。

「UFOいるか見てきて」

 私の代わりに。

 辻君は強く頷く。

「明日教えるっ」

 大きな囁き声で言ってすごい速さで走って草むらに隠れてしまった。ああ、よかった。辻君は逃げられた。

 車のドアが開く音とこっちにくる足音が聞こえる。私は土手を登り切って車の前に立った。警察のお姉さんとおじさんが私を囲んで名前を聞く。

「ご両親が探してるよ。1人でいたの?」

 お姉さんが土手のほうを見た。絶対に見つかっちゃダメだから、ドキドキしながら嘘をつく。

「黒いノラ猫といた」

「そうなの。……ほっぺたは、どうしたの?」

 慌てて隠した。お父さんに叩かれたって言ったら、また怒られる。

 何も言えないで俯いていたら、お姉さんが私の背中をそっと押してライトの中から連れ出してくれた。2人になったら、しゃがんで私を見つめる。警察のお姉さんは全然怖くなくて、ただ心配してた。それで、私の手を握って「助けたいの」って言った。

 なぜか涙がでてきて止まらなくて、ほっぺたがすごく痛くて、お姉さんの手が優しくて、私は泣きながら話した。


 そのあとは色々あって、お父さんとお母さんに会わないまま施設に入った。


 辻君との『また明日』はもうこない。

 高校のとき、辻君の名前を学校のパソコンで検索したけど見つからなかった。


 親から、会いたいと連絡がきたけど断って家から離れた寮付きの工場に就職した。それから仕事を変えるたびに遠くへ引っ越してる。永遠に会わずにすむように。今住んでるのは、すごく離れた土地の川沿いに面したアパート。

 コンビニでミルクティーを買って、飲みながら夜の川沿いを歩く。草ぼうぼうの土手は、あの頃の辻君が隠れてるみたいだなと思う。

 あのあと一人で大丈夫だったかな。一緒に帰れば良かった。けど、あの頃は親に怒られるのが何より怖かった。見つかっちゃダメだと必死だった。あの光は飛行機か何かなんだろう。でも、と思う。あの日、私に助けが来たように辻君にも来たんじゃないかって。UFOがやってきて辻君を乗せてくれたんだって。

 そうじゃないなら、また一緒にUFOを呼ぼう。呪文だって唱えられるよ。ほら。





使用したお題:「永遠」「黒猫」「うた」「日本酒」「未確認飛行物体」「モアイ像」「ひしゃく」「ピアス」「紅茶」「赤信号」

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