とある作家の野望とは


 冷たい秋風が揺する窓辺で、無精ひげの作家がうんうん唸っていた。古ぼけた文机の上には原稿用紙。手に握られた万年筆は動かない。

 流行りものを入れれば面白いと思ったんだが。もっとこれを活かす場面を……。あああああ、思いつかない。くうう、甘味があればもっと面白い展開が書けるはずなんだ。ああ、どら焼きが食べたい。こんがり綺麗に焼き上がったふかふかの皮に、ふくふくした粒のある甘い餡子が挟まったのをガブリと。

 妄想のどら焼きを齧ろうとしたところで、薄汚れた襖がガラリと開いた。

「先生、最近はどうですか?」

 着物の中にシャツを着た青年が、勝手知ったる我が家のごとく入ってくる。

「……声ぐらいかけなさいよ」

 顎を撫でて半開きだった口を誤魔化した作家が「書けたところまで」と原稿を床に並べた。



 ――古びた部屋の中で調度品の壺や置時計、どっしりしたランプまでもが宙に浮いていた。あるものは天井まで登ったと思ったら落下して床に落ちる直前で止まり、あるものはシャンデリヤの周りをクルクルと回っている。

 面妖な光景を驚嘆の思いで見上げていると、ギイと音がして重い扉が――



「壺がひとりでに踊る、これはあれですね、ニンジャが陰で操ってますね?」

「今どきニンジャはないだろう。昨今、騒がれてるあれだよ、念力やら念視やらというヤツだ。博士とお嬢さんの2人組が色々とやってるじゃあないか」

「ははあ、人様の人気に便乗しようってことですね。たしかに、こないだの怪談はいまいちでした。『水くれ』とかいう」

「『ひしゃくをよこせ』だよ。柄杓で海水を汲んで船を沈める幽霊。一番肝心なところを間違って、よくまあそれでオカルト雑誌の編集を名乗れるものだね」

「僕はオカルト雑誌じゃなく新聞記者になりたかったんですよ」

 青年はの悪びれもせず答え、持ってきた風呂敷包みをほどく。出てきた経木を開くと作家が熱望していたどら焼きが、ふっくらした愛らしい姿で佇んでいた。

「お、ちょうど食べたいと思ってたんだ」

「先生の好物ですもんね」

「熱いお茶と一緒にいただきたいな」

「用意してきます」

 お茶を淹れにいった青年を待つ間、待てをされた犬のごとくどら焼きを見つめていた。





 初雪のちらつく寒さが忍び込む寒い部屋で、作家はあいも変わらず呻いていた。まとまらない考えは、ガタガタと建付けの悪い襖の音でどこかへ消える。

「恨みがましい声が外まで聞こえてますよ」

 呆れたといった調子で、青年が外套を着こんだまま畳に座った。

「面白い話が浮かばないんだよ」

 作家はなさけない声で弱音を吐き、ため息をついた。オカルトに興味のない青年は、それでも少しばかり頭をひねって口を開く。

「前に、ほんのちょっと評判良かった話あったでしょう? あの、灰に紛れてた黒猫を火から救ったら恩返しで妻になった艶っぽい話。ああいうの書いちゃどうです?」

「似たようなものばかりじゃ芸がないだろ」

「そんなこと気にしなくても僕から見たら似たり寄ったりですよ」

 なんとも複雑な顔をした作家を気にすることもなく、青年は風呂敷からこんがりと色よく焼き上がったビスケットを取り出した。作家はたちまちご機嫌になり、にんまりと口の端を持ち上げる。

「ほお、ビスケットじゃないか。カリカリサクサクの歯触りがいいんだよなぁ。香ばしい風味もそそるし、ほんのり甘くて番茶とよく合うんだ」

「西洋菓子もすっかり馴染みましたよね」

「うん、……そうだ、西洋の妖怪なんかどうだ? 草双紙の人魚の女房は売れただろ? 西洋にも人魚がいるんだ。うたを歌って男を海に沈めるらしい」

「へー。目新しくて良さそうですね」

「そうだろそうだろ。西洋の妖怪と日本の妖怪の十番勝負なんてのも。人魚と、……水に引きずり込むなら河童か」

「水に沈める勝負とは物騒ですね」

「こりゃいいぞ。そうとなれば燃料だ。早くビスケットの準備してくれ」

「はいはい」

 思いつきに夢中な作家に急かされた青年は苦笑して立ち上がった。





 積もった雪に音が吸い込まれる静かな夜、お盆に一人用の土鍋と徳利を乗せて青年がやってきた。

「今日は冷えますねえ」

「寒い日には鍋だな。中身は?」

 青年は床に盆を置いて土鍋のフタを開けた。白い湯気と一緒に醤油と出汁の香りがフワリと広がる。出来立てとわかる湯気の熱さで、中のうどんがふるふると震えているように見えた。花型の麩が汁を吸ってくたりと柔らかく、青菜が鮮やかに色を添えネギの白がツヤツヤと眩しい。

「こりゃなんとも麗しい」

「冬はやっぱり鍋焼きうどんですよね」

「熱燗もついてるなら言うことなしだな」

「はいはい」

 青年は熱い徳利からお猪口に酒を注いだ。

「僕の晩メシなんですから、冷める前に食べてくださいね」

「わかってるよ」

 立ち上がった青年は、背の低い箪笥の上にある簡素な位牌の前に、土鍋とお猪口を乗せた盆をに置いた。マッチでちびた蝋燭に火をつけて線香を一本灯す。そうして両手を合わせた後ろで、作家が勢いよくうどんを啜る音がした。

「お供えしたら食べられるって便利ですよねぇ」

 作家は頬張りながらうんうんと頷き、口の中のものを飲み込んでお猪口をクイっとあおる。せわしなくうどんを食べる作家を眺めながら、青年はお猪口の酒を飲みほして徳利からおかわりを注いだ。

「先生、そろそろ成仏する気になりました? 好物は食べ尽くしたでしょう?」

「成仏はしたい。したいが好物は食べたいし売れっ子にもなりたい」

「そんなこと言って。生前に出した本のささやかな売り上げで下宿代を賄えてますけどいつまで持つか。下宿のおかみさんも困ってますよ。居座り続ける幽霊が夜な夜な呻き声を出すから、下宿人が逃げてくって」

「幽霊が居座る下宿……、ふむ、いいかもしれない。次の話はそれにしよう。実際にある下宿だから話題になるんじゃないか?」

「諦め悪いですよ。売れっ子になったらなんて、永遠に成仏できそうにないじゃないですか」

「君は担当だろう、応援ぐらいしてくれよ」

「元・担当です。見えるのが僕だけだからって押し付けられてるんですよ」

「俺の売り上げで旨いもの食べてるんだから役得だろう」

「まあそうですけど」

 仕方なく頷く青年に、してやったりと作家が笑って最後のうどんを飲み込んだ。

「ごちそうさま。さぁて、次は何を食べようかなぁ」

 作家が箸を置くと空になった土鍋とお猪口が消え、位牌に供えられたうどんは少し味が薄くなった。





使用したお題:「永遠」「鍋焼きうどん」「ニンジャ」「河童」「黒猫」「うた」「日本酒」《叙述トリックの使用》「ひしゃく」《飯テロ要素の使用》「念力」「万年筆」

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