22. 天啓

 え?


「そうよ? オディが初めて……」


 愛し気な瞳でミラーナはオディールを見つめる。


 オディールはゴクリと唾をのんだ。


「ぼ、僕がイケメンの金持ちだったら良かったのにね」


 目を逸らし、平静を装うものの声が上ずってしまうオディール。


「うーん、そういうのってピンとこないのよね……」


 意外なミラーナの返しにオディールは首をかしげる。女の子というのはイケメンに魅了される存在ではなかっただろうか?


「イケメン……、嫌いなの?」


「男の人ってなんか怖いのよね……。会うと必ず胸を見てくるのよ、あの人たち」


 おうふ……。


 オディールは思わず変な声が出た。


 ミラーナは怒気のこもった声で続ける。


「なんだろうね? こっちが分かってないとでも思ってるのかしら?」


 自分も昔、胸の大きな人と会うとつい目が胸に引き寄せられていたのを思い出し、冷や汗をかくオディール。


「あ、あれは……、本能……なんじゃないかな? 男は胸に吸い寄せられるようにできてるんだよ」


「あら? オディは男の肩を持つの?」


 口をとがらせるミラーナ。


「と、と、と、とんでもない! 僕もたまにジロジロ見られて不愉快になってるんだから!」


 冷や汗を流しながら必死に否定するオディール。


「不愉快よねぇ……。オディがあの王子と結婚しなくてホッとしたわ」


 え?


「あの王子、私の胸ジロジロ見てたのよ。相当スケベよアレ! あんなのにオディがけがされなくてよかった……」


 ミラーナはそう言うと、オディールを自分の世界に引き込むかのように、全身を使って覆いかぶさりながら抱きついてきた。


『おほぉ……』


 オディールはミラーナの甘い香りの漂う中、その温かくやわらかい肌の感触に包まれ、視界がふわふわと揺らいでしまう。


「オディ、温かいわ……」


『いやちょっと、これ、どうすんの? え?』


 身体も男だったら完全に落ちていたが、幸い自分は女である。そもそも落ち方も分からない。


『これって、そういうこと? いや、しかし、でも……』


 オディールは混乱の極みにあった。


 どうしたらいいか必死に考えていると、スースーと寝息が聞こえてくる。


「あれ……? ミ、ミラーナ?」


 恐る恐る声をかけてみるが、何の反応もなく、ただ穏やかな寝息が聞こえるばかりである。


 なんと、ミラーナはオディールの上で幸せそうに寝てしまったのだ。


『なんだよぉ……。く、くぅぅぅ……』


 オディールはギュッと目をつぶり、持て余した気持ちにさいなまれる。


 よく考えればこれは自分をしたってくれている少女の純粋なスキンシップであり、それ以上を求めている訳じゃないのだ。


 重いため息を一つ押し出し、そっとミラーナを隣に下ろすと、じっとその安らかな顔を見つめた。


 きめ細やかな滑らかな肌に流れるような鼻筋、美しくカールしたまつ毛、こんな美しい少女が自分を慕い、無防備に寝ている。それはなんだかとても幸せな奇跡に思えた。


 オディールは心が温まる幸せの灯火に照らされて、自然と顔がほころんでいく。


 ミラーナにかかる毛布を整えると腕にそっと抱き着くオディール。


 柔らかく温かい……。


 じんわりと伝わってくるそのぬくもりに癒され、ゆっくりと眠りの世界へと引き込まれていった――――。



         ◇



「オディ! 起きて! 大変よ!」


 ミラーナに叩き起こされて、オディールは寝ぼけ眼をこすった。


 薄暗いがらんとした丸い部屋、オディールは一瞬自分がどこにいるのか思い出せず、ポカンとしながら辺りを見回す。


「外見てよ! ほら!」


 窓から差し込む朝日がパジャマ姿のミラーナを鮮やかに照らし、まるでスポットライトのようにミラーナの美しさを際立たせている。


 おぉ……。


 偶然生まれたそのアートにオディールは息を呑み、その美しさに一瞬動きを止めた。


「もう! 早く、早く!」


 しびれを切らしたミラーナはオディールの手を引っ張って窓に連れてくる。


「はいはい、なんだよもぅ……。ふぁーーぁ……。へっ?」


 あくびをしながら外をのぞいたオディールは驚きで固まった。なんと、限りなく広がる花々の海が広がっていたのだ。赤、青、黄色の大小さまざまな花たちが朝日に輝き、まるで天上の景色が地上に現われたかのようだった。


 はぁっ!?


 オディールはいっぺんで目が覚め、窓から身を乗り出して辺りを見回した。巨大なロッソは朝日を浴びて黄金色に煌めき、昨日と変わらぬ静寂を纏っている。場所は昨日と同じだったが、ひと晩で砂漠が一面の花園へと生まれ変わっていた。


「な、なんだよこれ……」


 オディールはパジャマのまま、慌てて階段を転がるように駆け下り、外に飛び出す。


 そこには黄色い菊にタンポポ、純白の百合、空のような深い青色のネモフィラ、情熱を込めたような真紅のポピーなど、さまざまな花々が一斉に咲き乱れ、朝日に輝き揺れていた。それもみんなサイズが異常にでかい。タンポポなど手のひらサイズもある。


 オディールが困惑し、立ち尽くしていると、レヴィアがポンポンと肩を叩いた。


「お主の昨日の雨で咲いたんじゃ」


「雨で?」


「砂漠ではたまに降る雨に合わせて一斉に花を咲かせることがあるんじゃ」


「いやいや、一晩じゃ咲かないでしょ? さすがに」


「んー、まあ、そうなんじゃが……。あれを見てみぃ」


 レヴィアは困惑気味に微笑むと、ロッソを指さした。


 え?


 朝日に輝くロッソだったが、よく見るとキラキラと煌めく黄金色の微粒子を上の方から吹き出している。


「龍脈じゃな。大地を流れる聖気が昨日の豪雨で活性化され、ロッソからあふれ出しているようじゃ」


「あれ全部聖気!?」


 オディールは目を大きく見開いて驚く。聖気というのは聖女が治癒などに使う奇跡の力であり、生命力の根源に連なる貴重な力とされていた。


「そうなるのう。あれでこの辺り一帯の生物は異常に活性化され、流れる水は全部聖水になっておる」


 言われてみると、オディール自身も体が軽く、湧き上がる活力を自分の体中で感じることができた。


「これ……、とんでもない事……じゃない?」


 オディールは花畑を見回し、砂漠を一晩で見渡す限りの花の海にしてしまったその圧倒的な聖気に気おされる。


「そうじゃな、大聖女一万人分くらいのとてつもない聖気じゃ。我もこんな現象は生まれて初めてじゃよ」


「一万人!? うはぁ……」


 世紀の大発見の圧倒的な規模に、オディールは言葉を失い、首を振りながらただただ感嘆の息をついた。


「オディーー!」


 声の方に目をやると、花畑の中に立つミラーナが爽やかな朝の風を浴びながら、楽しそうに大きく手を振っている。朝日で黒髪をキラキラと煌めかせながら、その手には美しい純白の百合を優雅に持ち、はつらつとした笑顔からは幸せが溢れていた。


 お、おぉ……。


 その刹那、雷が落ちるような衝撃とともにオディールに一つのビジョンが舞い降りる。天啓のように示されたビジョン、それは楽しそうなミラーナと一緒にこの花畑で幸せに暮らすイメージだった。そう、この花畑こそが旅の終着地『目的の地』だったのだ。


「そ、そうか!」


 オディールはギュッとこぶしを握った。


 この奇跡の地こそが求めていた新天地であり、ここでミラーナと暮らすことが自分の生きる道だとオディールは確信を持つ。転生後、長い間もやもやとまとわりついていた霧がすっと消え去り、あるべき人生の姿にようやくたどり着いた瞬間だった。


 思わず一筋の涙が頬を伝い落ち、ミラーナが涙に霞んで見える。


「そうだよ……、ここでミラーナと……」


 オディールは無心に花畑の中を駆け出す。


「ミラーナーー!!」


 朝日に煌めく花々をかき分けながら、オディールは一直線にミラーナに飛び込んだ。

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