ティトラ・テットと青い星 -15

 お昼間はチオラかリーダイと一緒に、夜はロジンのテントに。そういう風にわたしは保護されることになりました。

 今日はリーダイの率いる馬車の荷台に乗せられました。直系の方たちが乗る馬車は、荷台にベッドがあって病人の方が乗ることができます。いまは当然、ザレルト翁が乗っています。水場の仕事ができない代わりに、昼間はザレルト翁のお世話をしてね、と言われています。

 なにかわたしにできるというわけでは、ないのですが。心ノ臓のお病気は、いつ急に悪化するかはわからないので、こうやってもう一人乗っているのは、とても安心なことだと思います。


「まったく、ちょっとしたことに大騒ぎしやがって。こんなことたいしたことねえんだ」

「もう、あんまり怒ったら血圧上がりますよお」


 荷台についているちいさな窓を開きます。窓の外は木が生い茂っていて、目に明るいです。ザレルト翁が横になっているベッドの横に座って、針を手に取ります。患者さんの寝衣のボタンが取れていたり、糸が弱って袖が外れかけていたり、いろいろ手直しが必要なものを集めて、持ってきています。馬車の中で針仕事をするのは危ないことではありますが、そう言ってられないときもたくさんあります。

 まあ今回はまったく急ぎではないのですが。急ぎではない、のままずっとみんなで溜めこんでしまっていたので、腰をすえて今回でぜんぶ片付けてしまうつもりでした。すそが落ちてしまっているズボンを手に取ります。やっぱり、患者さんが乗るようになっている馬車は揺れが少なくて、いつもよりうんと楽です。

 しばらく黙って針仕事をしていたら、ザレルト翁がわたしの名前を呼びました。ああもう今大事なところなのにと思いながら顔をあげます。


「はい、どうしましたか?」

「ここが嫌か」


 少し黄色になっている目が、わたしをじっと見てます。火傷のせいでまだ包帯がついている手を、じっと。


「もう、嫌ではないか」

「……」


 針だけ布に通して、仮留めします。

 ここが嫌? って。

 当たり前じゃないですか?


「……だとしても、わたしって、ここしか知らないですから。大丈夫です」

「儂の家に来るか」

「……」


 なんていえばいいのかわからないので、笑いました。それもいいのかもしれないですが。

 わたしに聞かないでほしいなと思いました。なにがどうしたって、わたしの望みはもう叶わないので、どうだっていいのです。与えられるものに文句が言えるはずもありません。親も親戚もいないのですから、ここにいてもいいよと言ってくれるおとなに、すがりつくしかありません。

 ここにいない方がいいって、誰かがいうなら、従うしかないと思います。

 わたしには決める権利はないでしょうから。


「……儂にも、昔は、家があって」

「はい……」

「……結婚していたひとも、子どももいて」


 なんの話しが始まるんだろうと落ち着かない気持ちになります。たしかに、ザレルト翁のご家族には会ったことがありません。


「……でも、火事に焼かれた」

「火事……、」

「妻は、昔話を集める仕事をしていた。子どもは二人いて、二歳差の兄妹で、上の子は、次の年に結婚するときで、ぜんぶ燃えた」


 火事にいい思い出があるひとなんて一人もいないでしょうけど、わたしにだって、嫌な思い出があります。わたしは覚えていなくても、何度も話しは聞いたことがあります。わたしたちのお母さん、誰も覚えていない、わたしたちのお母さんは、火事で死にました。

 わたしたちの出身は谷底の街。

 すべての昔ばなしを集める、物語の街。

 いまはもうすべて焼け落ちて、なにもない。


「儂は旅団の仕事で離れていた。それさえなければ……いや、もう、それは、過ぎたことだが。谷底には、大きな河があって、きれいな街だった。紙の材料にするために、たくさんの広葉樹が植えてあって、谷はずっときれいな緑に光っていたんだ」

「……ザレルト翁、」

「すべて、いまさらだが」

「なんで、言ってくれなかったんですか」

「儂は、べつに、あの街の人間だったというわけではない。家もそこにはなかったし、ただ、家業を継ぐために、妻と子どもたちが、ほんの数か月いただけで……そのあいだに、燃えて死んだだけだ」

「……」


 全身から力が抜けていきます。針が手元にあってよかったと思います。しっかりしなくちゃいけません。

 でも、こんなの、いまさら聞いたって、どうしたらいいんでしょう。

 なにも意味がありません。


「……ただ思い出しただけだ。じじいが嫌なことを言ったな」

「あ……いえ」

「しばらく寝ていよう。仕事の邪魔をしてすまなかった」


 ごろんと横を向いて、ザレルト翁がわたしに背を向けます。針を引き抜いて、縫い物を始めます。ボタンをつけなおします。手を止めたら涙が出るってわかっていたので、意地でも手を止めませんでした。

 ぜんぶ今更でした。



          *



 そこから一か月の旅程を何事もなく過ごしました。わたしはっていと、子どもたちから完全に無視されるようになりました。周りでこそこそ言われないようになっただけ気は楽ですが。

 旅団の旅について行けないひとは、旅団の診療所や病院で働くか、旅団から抜けるかを決めなくてはなりません。ほかの人のせいではありますが、わたしは、旅団の旅をすることができない人間でした。


「長様、失礼します」

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