ティトラ・テットと青い星 -12

 ロジンが連れてきたというラッチュは、旅団で飼っている馬より毛が長くて、しかも薄い金色に輝いています。ロジンのひとみと同じ色です。真っ黒の瞳も金色の長いまつげに囲まれています。

 満足したのか、ラッチュがわたしの横に戻ってきました。木の近くで地面に座ったので、そのたくましい体にもたれてわたしも地面に座ります。


『馬が緊張してなかったら、その場所は安全だ』


 ザレルト翁が初めに教えてくれたことでした。地面に座ること、耳が横になっていること、呼吸が深くてゆっくりであること。こういう状態であれば、馬はリラックスしているのだそうです。夜の森の中は少し寒いので、ラッチュのあたたかさがありがたかったです。

 ラッチュの呼吸をなんとなく数えていたら、そのあいだに少しうとうとしてしまっていました。がさがさと下生えをかきわける音で、はっと目が覚めました。月と星の位置はそんなに変わってなくて、ラッチュも寝てはいません。たぶん、十数分くらいしか時間は経っていないはずです。

 誰にも言わないでここに来てしまったので、誰かが探しているかもしれません。そっと体を起こしたら、ラッチュが耳をピンと立てたのが見えました。反射的に動きを止めます。

 そういえば、誰かの足音で目が覚めたんでした。旅団の誰かであれば、問題はないはずですが。何人かのささやき声が聞こえます。……同じ年くらいの、女の子たち、の、ような。

 今日は嫌なことがたくさんあったので、身構えてしまいます。こちらは木陰なので、たぶんわたしが見えはしないでしょうけど。ぎゅっと唇を噛み締めます。なんだか、ああ、いやな予感がするなあ。

 あんまり、こういう予感って、外れません。


「ねえ、はやくー」

「だって……、」

「はやくしないと見つかるってば!」


 深呼吸をします。池の上に月があって、水が白く光っていました。三人、見覚えのある人影でした。ひそひそと小さな声で話してから、池に向かって、なにかを投げます。ぽしゃんとちいさな音がしました。

 なにかを捨てたのでしょうか。ぎゅっと顔をしかめてしまいます。昔っから、何度も何度も言い聞かせられた、ザレルト翁の言葉を思い出します。


『ものをどこそこ捨てるな。水を汚すな。お前たちの口の中にいつか帰ってくる』


 きゃあっと笑い声をあげて、人影が走っていきました。そろそろと立ち上がって、池の方に近寄ります。魔法が使えなくて、精霊の力も借りれないわたしは、月の光だけで見るしかないのですが。

 池の上で、丸いものがぷかぷか浮いています。金色の縁取りが、きらっと光りました。


「……ラッチュ」


 白く輝いているラッチュの首筋をそっと叩きます。馬は賢くて、やさしい動物。あのね、ともう一度首筋を叩きます。


「ロジンを連れてきてくれる? できたら急いでほしいの」


 ぶるるといなないて、ラッチュがとことこ歩いて行きます。すぐに来てくれるでしょうか。野営地の端っこのテントにいたら、すぐに来るとは思うのですが、まだ中央のテントでなにかお仕事をしていたら、そこまで馬だけで近寄ることはできません。そのときはラッチュだけで帰ってきてくれるでしょう。そのときは、わたしも戻って、誰かに手伝いを頼むしかないでしょう。スカートのすそをベルトのすきまにぎゅっと仕舞いこみます。

 木の陰に落ちていた、自分の身長と同じくらいの長さの枝を手に取ります。ちいさな缶は、もうわたしの手に届かないところでゆらゆら揺れています。はしっこだったら、そんなに深くない池でした。靴と靴下を脱いで、水の中に入ります。

 思ったよりも水が冷たくて、遠くから見たら池は明るかったのに、足元はまっくらで、怖くなってきました。ちょっぴり涙が出てきてしまったので、目をごしごしこすります。水が膝より上に来たら、止まらないといけません。ちょっとずつ歩いていけば、たぶん大丈夫。

 膝の下で、水が揺れています。ここより先に進むのは怖いですが、腕と枝を精いっぱい伸ばしたら、ギリギリ届きそうです。枝で水面をかきわけます。ほんの少しだけ届かない。

 あと一歩だけ、と踏み出した先で、足の裏がつるっと滑りました。


「きゃあ!!」


 一瞬、視界のぜんぶが夜空だけになって、すぐに薄暗く濁りました。泡、しぶき、白い光。水底はすぐそこのはずと手を伸ばして、なにも手に触れませんでした。なにも見えない。自分の口からごぼごぼ水が出て行ってます。

 ああ、死ぬ? 死ぬかもしれません。なんで手も足もぜんぶなにもあたらないんでしょう? 鼻の中に水が入ってつーんと痛くなって口の中は水でいっぱいいっぱいで空気の入る隙なんてちょっともなくて、もがいているはずなのに水面も水底も見当がつきません。


 死ぬ?

 そうかも。

 ハルねえさん。

 レト。

 あのね、


 ――ざぱあっ! と耳の横で水の音がしました。体が急に重たくなって、口の中から水が勢いよく出ていきました。反射的に吸った空気が喉の奥で暴れまわって、肺がひっくり返りそうなくらい咳がたくさん出て行きます。空気を吸いたいはずなのに、胸の中にナイフがたくさん刺さったような痛みが走ります。

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