11-2
初めて
電車の中で、苦しくなったのだ。最近は、勝ったり負けたりの成績を繰り返していた。昇級する予感はなかった。
千駄ヶ谷ではない駅で下りて、ベンチに座った。
息を深く吸って、吐いた。
次の電車が来る。これに乗れば、間に合う。だが彼女は、扉が閉まるのを見守った。
静かになったホームで、初那大は立ち上がった。
駅を出てアーケードの入り口を越えると、緑にあふれた細長い公園があった。そこを歩きながら、初那大はスマートフォンを取り出して、電話をかける。
「うん……ちょっと、行けない感じがして。風邪じゃないけど……。私、奨励会、やめたいかも」
都会の一角とは思えないほど、誰の視線もない空間だった。
「えっ……うん。そう。でね……今度、教えてよ、お父さんのこと。……違う、最初のお父さんのこと。知ってるの、将棋をやってたこと」
奨励会をやめると言っても驚かなかったのに、電話の向こうで母親は黙っている。初那大は、じっと待とうと思った。
「あれ」
家に帰り着くなり、アズサは腕を組んで首をかしげた。
長い長い一日だった。卒業式、卒科式、祝賀会、そしてなんやかんやの飲み会。将棋部の面々に見送られながら街を出て、帰宅したら日付が変わっていた。
そんなアズサの心の中に浮かんできたのは、「明日から何をすればいいんだろう」という思いだった。四月になれば会社に通うことになる。することがない、わけではない。けれども、この四年間自分を支えてきた「予定」がなくなってしまったことに気が付いたのだ。
立川乃子に勝つために、県立大学に入った。そこでは、団体戦の楽しさも味わうことになった。一般の女流大会に出ることもあったが、学生大会中心に考えた四年間だった。
卒業しても、将棋をやめるわけではない。蓮真のように、突然腑抜けたりはしない。そう思っていたが。
卒業したという事実を経て、アズサは思うのである。「自分のためだけに戦う気力、あんまり湧いてこない」
最近は乃子も個人戦の大会に出ていない。やる気がなくなるなんて、と思っていたが先日団体戦で見てわかったのだ。「楽しみたいだけなんだ」
スマートフォンに、いくつかのメッセージが届いていた。その中に、「福原沙月」からのものがあった。一つ上の先輩、蓮真の同級生である。
将棋をする女性は少ない。部の中に女性がいるのは心強いだろう、とよく言われた。けれども、同じ性別と言うだけで仲良くなれるわけではない。普通の先輩後輩関係のつもりだったが、周囲からは仲が悪いと思われることもあった。
そんな福原から連絡があるとは思ってもみなかった。
〈立川さん、卒業だね。おめでとう。私今、全然将棋してないけど、将棋部が楽しかったことは忘れないよ。来年ぐらいに、思い出話そう!〉
アズサは口を押えて笑った。他の人たちは「ぜひ」「時間ができたら」会おうと言ってきていた。多分、会わない。
「はい、来年会いましょう」
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