8-3

 両者、秒読みに入っている。

 初那大の猛攻は続いていた。美利も、しっかりと受け止めている。

 美利は、盤面だけを見ていた。初那大の顔を見ると、泣いてしまいそうなのだ。

 物井剛也ごうやに、本当にそっくりだった。将彰も似ているが、それ以上だった。

 優しい人だったのだ。優しくしてくれたのだ。将彰が生まれるまでは。

 今ではどこにいるのかもわからない。初那大が家に帰ると、笑顔で「おかえり」と言うのかもしれない。自分ではない誰かを選んで、初那大の父親として……

 反撃できる。その瞬間がやってきた。美利は、手ごたえを感じながら、攻めの手を放った。そこからは初那大が受ける展開になった。そして想像以上に、彼女は巧みに受けたのである。

 必死に読んだが、秒読みは待ってくれない。急かされるようにして、次の一手を指す。美利の攻めは、切れ模様だった。

 ああ。彼の攻めは鋭かったな、と思い出す。研究会で教わったとき、だいたい攻め切られてしまった。だが、その攻めを生かしきることができなかった。奨励会を、二段でやめた。

 一緒に人生を歩もうと言ってくれた。けれど、約束は果たされなかった。

 ただ、嘘をついただけではなく、もし別の本命がいたのだとしたら。そちらで家庭を持っていたのだとしたら。そこに、初那大が生まれたのだとしたら。

 余計なことを考える余裕があるのは、形勢に差がついているからだ。

 そんなわけないよね、と美利は自分の心に言い聞かせた。顔が似ているからって、将棋をやっているからって、あの人の子供だなんて。そんなこと、あるわけがない。

 けれども、初那大の指し手は語りかけてくるのだ。「久しぶりだね」と。

「負けました」

 形勢がどうしようもなくなり、美利は頭を下げた。少女の顔を、できるだけ見ないようにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る