第6話 Bad Orangez(中編)

 組み合わせ抽選の後、競技会が始まった。1対1のトーナメント制で、試合につき2回の演技を行い、より高いほうの点で競う。


「おい、あのチビすげーぞ!」

「脚はえー!なんだあれ!」

 サクラの演技を見ていた選手が言った。サクラはそれを聞いて、ふふん、と鼻を鳴らした。


 サクラは初戦、レトリーバー系のイヌ人を、75点という高得点で下し、ディアナとミカドの話題でもちきりの会場の中でも、ちょっとした話題になっていた。演技のほうも、強烈な加速からの高いジャンプで、低くなりがちな芸術点を補うサクラらしい演技だった。

「サクラちゃん、よかったよ!しっかりディスク見て跳べてたし、これならもっと高得点も狙えそう!大輔さんもお疲れさまでした!」

 エリはにこにこしながらサクラにタオルを渡す。2回戦の開始を待つ間、大輔たちはグラウンドの脇で待機してた。

「ええ、そうでしょう!このぐらいなら、いくらでも跳べそうよ。ダイスケも、次はもうちょっと遠くに投げて大丈夫よ」

「わかった、次も頑張ろうな」

 サクラは満足げに頷き、ドリンクを飲む。大輔のほうも、本番で投げてみて、確かな手ごたえがあった。試合中の独特な良い緊張を、久しぶりに感じていた。


 サクラの2回戦の相手は、先ほど絡んできたドーベルマンの片割れ、ウキョウだった。スロワーは明と呼ばれた少年で、ドーベルマン3人組のスロワーを全て担当しているようだ。

「へへ、ミカドの兄貴が出るまでもなかったな。『負けイヌ』サクラ」

「ウキョウ、やめておけ。油断するなとミカドも言っていただろ。審査員も見てる」

 ウキョウはグラウンドの脇で待機しているサクラに悪態をつき、明に注意されていた。明の言葉通り、すでに審査員の5人は選手の動きを観察している。

「あのウキョウってやつ、強いのか?」

 演技の準備を始める選手二人を見ながら、大輔はエリとサクラに聞いた。

「中学の時は五分五分ってところだったわ」

「なら、今のサクラなら問題なさそうだな」

「……いや、もしかしたら、ちょっと厳しいかも」

 エリがグラウンドの二人を見ながら、呟いた。

「あ、ごめん、エリ、サクラちゃんなら勝てるって思ってるよ、それは本当」

「ううん、わかってる。あたしも気になってた」

 慌てて否定するエリの言葉に、サクラは頷く。黒い瞳は、対戦相手の動きをじっと見ていた。

「エリの見る限り、あのドーベルマンの二人、ウキョウとサキョウの兄弟……中学の時は、あそこまで体作ってなかった。なんていうか、あの時と違って、今は真面目にやってる気がする」

「ミカドとあのスロワーの影響なのかしら……はっきりいって、前のウキョウとは別人みたいだわ」


 演技が始まる。ウキョウの一回目。走り出したウキョウの後ろから、明の投げたディスクが追う。

(上手いな、あの小学生)

 大輔の目を引いたのは、ウキョウよりもスロワーである明の動きだった。少年ながら体格の不利を全く感じさせないスローは、動画の教材を見ているような完璧なフォームから生み出されているようだ。

 ウキョウは走り続け、基準点の倍の距離に達した瞬間に踏み切り、高く飛んで空中のディスクをキャッチし、着地した。流れるような演技。得点は、82点。かなりの高得点に、周囲の選手や審査員から、おお、と声があがる。

「やっぱり、上手くなってるわね」

 サクラがストレッチをしながら気合を入れる。最後に対戦した時から、かなり上達しているようだった。いつもなら、エリが彼女を励ましそうなものだったが、当のエリは難しい顔でグラウンドを見て、何かぶつぶつ言っていた。

「いや、そんな、まさか、狙ってできるわけ……理論上ありうるけど……」

 風が少し強くなると、審判が出てきて基準点の変更を選手たちに告知した。エリの見つめる先で、ウキョウの2回目の演技が始まる。1回目と同じような、スムーズな加速、そしてキャッチ。得点も同じく82点。

「おっしゃ!!やったぜオラ!!!」

 ウキョウは大げさにガッツポーズをして、尻尾を振りながら明に駆け寄る。

「明クン!やったぜ!!教わった通りできた!!」

「計算通りだ。はしゃぐな」

 対照的に落ち着いて、明はタブレットを取り出して何か入力していた。大柄なイヌ人が少年と親し気にしているのは微笑ましい光景だった。

「……マジで」

 その時、横からエリの呟く声が聞こえた。大輔が彼女を見ると、珍しく口が開きっぱなしになっている。

「どうしたの?」

 サクラが尋ねると、エリはグラウンドに刻まれた足跡を指さした。

「基準点が変わって、踏み切り位置が変わったのに、歩数と踏み切り足が変わってないんだ」

 サクラもその事実に気づくと、尻尾がピンと張り詰めた。意味をつかみかねている大輔に、エリが説明を始める。


 普通、ディスクドッグでは、キャッチャーがディスクを目視し、本人のタイミングでジャンプする。ジャンプの踏み切りを正しい形で行うことが、高度と美しい姿勢を保つ上で重要だからだ。これを踏まえて生み出されたキャッチの技法が、一度振り返ってからジャンプする、ターンキャッチだ。

 ターンキャッチは芸術点を稼ぎやすい他、最初からジャンプの位置を決めておけるというメリットがある。基準点の2倍の距離まで走っておいて、あとはタイミングを合わせてジャンプ、という具合だ。ただし、一度減速する分、ジャンプの高度は低くなる。


「つまり、きれいに踏み切るために、あらかじめ『ここまで走ってジャンプ』っていうのを決めておくのがターンキャッチで、『とにかく走ってキャッチャーのタイミングでジャンプ』するのが普通のキャッチなんです。大輔さんも、全力疾走してるときに、いきなりジャンプできないですよね。だけどウキョウは、普通のキャッチなのに、『ここまで走ってジャンプ』が完璧に決まっているんです。踏み切り足も固定されていて」

「……走り幅跳びでもやってるみたいに、か」

「はい。でも、練習ならともかく、本番の基準点の距離は、さっきみたいに変わるんですよ。それでも同じ歩数で同じ踏み切りをするなんて、エリは聞いたことがないです」

「驚いたな。もうバレたか」

 大輔たちが声に振り返ると、いつの間にか、明とウキョウが近づいてきていた。

「バレたところで何の心配もないけど……そこの眼鏡の言う通りだ」

「ど、どこでこんな高度な技術を?」

 エリは好奇心を抑えられなかったようで、対戦相手チームである明たちに聞いてしまう。

「どこって、別に。僕に言わせれば、この程度のことを思いつかないほうがおかしい。あとは徹底的に練習して、計算通りにできるようにするだけだ」

「明クンは天才だからよォ!」

 ウキョウは自分のことのように胸を張った。

「……まあ、こいつらにセンチ単位で歩幅を覚えさせるのには、少し苦労したけどな」

 明はウキョウのほうを見ないまま、タブレットに指を滑らせる。

「僕の計算によれば、君たちがこの得点を上回れる確率は3%だ。僕はこいつらと一緒に、表彰台を独占するつもりだから、同じ競技会に出て運が悪かったと思ってくれ」

 傲慢ともいえる言葉だったが、目の前にはその根拠が点数という形で残っている。

 審判から、大輔とサクラが呼ばれた。すでに、大輔たちの番になっていた。


「あれをやるわよ」

 グラウンドの端、所定の位置についたサクラは、大輔を見上げて、短く言った。

「まだ2回戦だぞ?」

「80点越えを出されちゃ仕方ないわ。どっちにしろ、ここで勝てなきゃ先もないわけだし」

 大輔は頷く。

 審判の合図があり、サクラが走り出す。全速力で。周囲がざわつくのがわかった。

「バカか?!あんなに遠くで、キャッチできるわけがない!」

 明がグラウンドの脇で、タブレットを置いて立ち上がったのが見える。

 大輔は息を一つついて、サクラの走っていく方向を見る。すでにかなり遠くにいる。

 ディスクを構え、

(角度を正確に。ディスクの向きは一直線に)

 放つ。

 空間を切り裂くような音。ディスクは空中を走り、サクラのほうに直進する。

「うお、なんだあれ!速っ?!」

 ウキョウが驚く大声が聞こえる。

 ディスクは一直線にサクラを追う。その速度は、明や他のスロワーよりずっと速い。

 走った距離はすでに基準点の倍を過ぎ、それでもサクラは走るのをやめない。茶色の弾丸はなおも加速する。

「まさか……距離点の加算で80点越えを狙うつもりか?!ありえない!どれだけ距離がいると思っている?!非効率的すぎる!」

 タブレットを叩きながら、明が叫んでいる。その言葉は何も間違っていないと、大輔は分かっている。距離点で逆転を狙うのには、他のキャッチャーの2倍以上の距離を走る必要がある。普通なら到底無理だ。

 だが、サクラならそれができる。サクラと大輔なら。

 サクラは止まらない。ディスクのことなど見ていない。全力で走り続ける。


 サクラが跳んだ。爆発的な速度で、斜め上にカッ飛ぶように、茶色の弾丸が射出される。

 周囲の全員が、サクラを見た。その手先に注目した。


 しかし。


(だめだ、飛ばしすぎた!)

 ディスクが掴まれることなく、そのまま飛んでいく。角度がつきすぎ、サクラがキャッチできる高度にならなかったのだ。サクラはグラウンドに転がる。当然、0点だ。


「サクラ!」

 大輔は叫んで駆け寄る。が、遠い。

「おいおい、勝てないからってバカな真似しやがって」

 ウキョウが大声で言うのが聞こえる。大輔はサクラに走り寄りながら、背中に審査員や周囲の選手の目線が突き刺さるのを感じる。

 サクラのほうは、すぐに起き上がって大輔のほうに向かってきた。全力疾走したので、多少息もあがっている。

「ごめん、角度が悪かった。次は」

「いい。謝んないで。次は捕るから」

「でも」

「あんたが投げて、あたしが捕る。何度もやってきたでしょ」

 大輔の目を、サクラがまっすぐに見つめている。

「信じて」

(そうだ。サクラは俺を信じて、全力で走ってる。なのに)

 違う。なのに、じゃない。

(だから、やるんだ)

 大輔は、自分の内側に燃えるものを感じた。

「ああ、信じる」

 二回目の演技が始まる。

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