第7話 Bad Orangez(後編)

 サクラは位置について、大輔をちらりと見上げてから、走り出す。一回目と同じ、激しい加速だ。あっという間に、大輔から遠ざかっていく。

 大輔は深く息を吐いた。失敗して、もう後がないというのに、大輔は自分が落ち着いているのがわかった。

 『信じて投げろ』という言葉は、高校最後の大会で負けた時以来、ずっと大輔の中に重くのしかかっていた。だが、今は違う。

(俺は、信じる。サクラを?自分を?今までの練習を?ーーなんでもいい。俺が投げて、サクラが捕る。そのことだけを、信じる)

 ディスクを構え、大きく体をひねる。遠くに見える茶色の後頭部から、目をはなさないように。まっすぐに、一直線に。投球が完璧なコースに入ったときと同じ感覚があった。

 風切り音と共にディスクは飛んでいき、サクラとの距離を詰めていく。サクラは走る。振り返らずに、基準点の倍の距離をゆうに越えて。小さな体をさらに低い体勢にして、ひたすらに地面を蹴る。

 サクラは走る。走る。そして、ディスクがついに、サクラを追い越す。


「飛べ!」


 大輔は思わず叫んでいた。おそらく、サクラには届いていないだろう。だが、大輔の声と同じタイミングで、彼女は跳んだ。高く高く跳んだ。

 大輔も、周囲の選手も、審査員も、光の中に跳ぶサクラに釘付けになっていた。



 俺たちにディスクドッグを教えてくれた先公ーータマ先が死んでから、ぜんぜんやる気がなくなってさ。中学の3年間、俺はサキョウといっしょに、クサっててきとーに過ごしてたよ。いちおうディスクドッグもやってたけど、タマ先以上のコーチもスロワーもいるわけないし、雑にやってた。俺ら体がデカいから、それでもそこそこ勝てたしな。

 そんで、中学出て、もう流石にディスクドッグやってる意味もねえな、っておもったところに、ミカドの兄貴が人間のガキ連れてきてさ。

 ガキは、俺らを見るなり言ったよ。

「お前たちはホントにバカだな。僕がやり方を教えてやる」

 まーブチ切れそうになったけど、兄貴の手前、ひとしきり付き合ってやったわけ。なんかタブレットでスイスイやってて、よくわからん数字とか言ってきて。タマ先とは全然違ったから、ほとんど疑ってかかってたけど。

 でも、ガキの言う通りにやってみたら、すげー跳ぶの。自分の体じゃないみたいに。

「じいちゃんがいつも言ってたぞ。お前たちは素質があるんだけら、やるだけ伸びるってな」

 そのガキーー明クンは、実はタマ先の孫だったんだよ。ビビるよね。


 タマ先は死ぬ時、明クンのことと、俺らのことを最後まで気にしてたらしい。明クンもそのことを知ってて、死んだタマ先のために、俺らのコーチができるように勉強したんだって。

 明クン、もともと頭いいから、いろいろ俺らが思いつかないようなことも言ってくれてさ。スポーツにもめっちゃ詳しいんだよ。だから一回、俺言ったんだよね。

「明クン、自分でスポーツやったらいいのに。明クンなら楽勝っしょ」

 したら、明クンはちょっと怒ってさ。

「誰もがお前らみたいに、自由に飛んだり跳ねたりできると思うなよ」

 って。詳しくは聴いてないけど、なんか病気で、走ったりとかはできないけど、ディスク投げるぐらいだったらなんとか、って感じで、いろいろ大変らしいわ。

「だからお前たちに、代わりに死ぬほど走ってもらうんだ」

 とかも言ってたな。それで大人みたいな顔で笑ったっけ。苦笑いってやつ。


 今日の競技会ではマジで完璧な演技ができて、ディスクドッグやってて一番気持ちよかったな。明クンも、なんだかんだ嬉しそうで、よかった。

 でも、対戦相手のサクラがわけわかんねーことやりだした時は、さすがの明クンもビビってたね。

「まさか……距離点で80点越えを狙うつもりか?!ありえない!どれだけ距離がいると思っている?!非効率的すぎる!」

 明クンじゃなくてもわかる。あんだけバカみたいに走って跳ぶなんて、疲れるし危ないし、コスパも悪い。案の定失敗して派手にコケてさ。さすがにありえねーよな、って明クンに言おうとしたんだけどさ。

 すっげー見てたんだよ。手なんか固くにぎっちゃってさ。サクラのこと。いつもの、っていうか、さっきまでの、分析とか観察とかしてる目じゃなくてさ。

 さすがに、俺バカだけどさ、なんとなくわかったよね。


 明クンは、サクラのことも当然分析してたからよ。ふつーにやったら、俺らに勝てるはずないって、一番わかってたんだよな。なんなら、俺らよりも。データとか、そういうので。だから俺らのことは応援しなかったよ。いや、不満ってわけじゃねえよ?それも信頼されてるってことだと思うからさ。

 でも、明クンはさ、あれは応援してたね、サクラのことを。

 計算で出した答えとか、常識とか、当たり前とか、全部ぶちやぶってくれるんじゃないかって、きっとそう思ってたんだと思う。


 だから、俺の隣で、明クンは、

「飛べ!」

 って、思わず言ってたんじゃないかな。


◆ 


 サクラの手には、今度こそ、しっかりディスクが握られていた。着地のフォームも崩れていない。一連の演技が終わってから、サクラは大輔に向かって、高くディスクを掲げた。大輔も手をあげて、それに答えた。

 審査員たちは顔を見合わせ、手元のパソコンを叩いたりしている。

「あれだけの距離を走るのは、久々に見ましたね」

「なんとも荒っぽいというか……だがしっかり跳んでいる」

「これで高得点を取り続けたら、ちょっと面白いことになりそうですね」

 ざわつく中で、そんな審査員たちの声が聞こえた。得点の計算に時間がかかったためか、やや間があって、サクラの点数が発表された。

「84点!やったわ!」

 練習で出ていた中でも、最高得点に近い出来だった。それでもウキョウの点数と2点しか差がなかったので、本当にギリギリの戦いだった。大輔は胸をなでおろした。

 サクラは息をきらしながら走ってきて、大輔にハイタッチをする。大輔は照れくさかったが、少ししゃがんで肉球を手のひらに受けた。

「ありがとうダイスケ、うまくいってよかったわ」

「サクラが捕ってくれたからだ」

 大輔たちのもとに、脇で控えていたエリが駆け寄ってくる。

「お疲れ様ぁ~!よかったぁ~うまくいって!エリ、サクラちゃんの演技見てて、泣きそうになっちゃったもん」

 サクラにドリンクを手渡すエリは、そう言いながらすでに目を潤ませていた。

「もう、大げさなんだから」

「大げさじゃないよぉ、シバ・タケルの再来って感じで、すごかったよ!」

 エリは録画したジャンプを何度もサクラに見せ、サクラは苦笑している。

「なるほど、シバ・タケルの孫か。どうりでな」

 声のしたほうを見ると、明がウキョウを連れて来ていた。

「距離点が稼ぎづらくなったのは、走って点を延ばすスタイルのシバ・タケルが金メダルをとってからだって聞いてる。正直、現代ディスクドッグで同じ手段がとれるとは思わなかった。完全に計算外だ」

「ああ、バカにして悪かったな、サクラ。いい演技だった」

 ウキョウは礼儀正しく頭を下げ、サクラはふふん、と誇らしげに鼻を鳴らした。

「いいわよ、もう。みんな思ってるだろうから、あんただけ特別気にしたりしないわ」

 サクラとウキョウは握手をかわす。二人とも、尻尾がゆっくりと揺れていた。

 ちょうどその時、サキョウが後ろから声をかけてきた。

「明クン、兄貴の出番だぜ。あっちのグラウンドで」

「そうだ!俺は負けたけど、たぶん次あたるのは兄貴だろ?兄貴は俺らよりすげーから、きっと俺の仇をとってくれるぜ」

「望むところよ!」

 ウキョウの言葉通り、まだサクラは1回戦を抜けたにすぎない。この調子で全力疾走をつづければ、決勝に行くまでに疲労がたまってしまう。しかも、順当にいけばこのあとは優勝候補のミカド、そして決勝ではあのディアナと対決するのだ。

「……大丈夫よ。あたしは、何度だって走って、跳んでみせる」

 大輔の不安が顔に出ていたらしく、サクラが背中を叩いて言った。

「だから、しっかり休んで備えなきゃ」

 大輔は頷いた。同時に、サクラの父の言葉も思い出し、もし危険なようなら、サクラに言われても投げるのを止めないといけない、とも、改めて思った。


 その後、大輔たちはアイシングと休憩のために、会場を離れていた。

「いよいよミカドとの試合ね……さすがにちょっと緊張するわ」

「今のサクラちゃんならきっと勝てるよ!大丈夫!」

 ミカドは、何度も仮想敵として練習してきた相手だ。対決するとなると、サクラも緊張するのだろう。

 試合の時間が近づき、グラウンドへと戻る。大輔もサクラも気合十分で帰ってきたが、どうもグラウンドがざわついている。様子がおかしい。


「……兄貴、あれは仕方ないですって」

「実力で負けたわけじゃないっすから」

 グラウンドの隅で、ミカドが体育座りでうなだれていた。ウキョウとサキョウが必死にそれを励ましている。

 まさか、と大輔が得点の掲示を見ると、そこには異様な数値が並んでいた。

『ミカド・ドーベルマン 0点 0点』

「うっそ?! ミカドが2回ともキャッチミス?!」

 サクラが思わず叫び、そのあと「しまった」と口をふさいだ。うなだれているミカドの耳が、さらにヘタるのがわかった。

「そう言ってくれるな……あいつが一番落ち込んでる」

 大輔たちに気が付いた明が、気まずそうに言った。

「どうしてこんなことに?」

 大輔もにわかには結果を信じられず、小声で明に聞く。

「……本人の名誉のために、言うのはやめておく。まあ、当たればわかるだろ。アレは正直、調子が狂うだろうな……」


 その時、大輔の後ろから、もふっ、とやわらかいものが当たった。全身をすっぽり覆うサイズの毛布のような、あたたかく柔らかい感触。

「ねえっ、キミが次の対戦相手さん?」

 かわいらしい声が聞こえ、大輔の体は巨大な布団に抱きしめられる。

「ねえねえ、私と遊ばない?!私にも投げてほしいなぁ」

「ちょっとアンタ何してんのよ離れなさい!」

 サクラのきゃんきゃん言う声が聞こえて、大輔はようやく自分がイヌ人に抱かれているのを理解した。抜け出そうとするも、強い力で抱きしめられて逃げられない。

「いいじゃあん、ちょっとだけ!いいでしょ、私のお腹なでてもいいから、ね!いっぱい撫でさせてあげる!」

 高級な布団みたいなあたたかさだ……。

「ダイスケから離れろ!」

 サクラの怒鳴り声とともに、脚をつかんで巨大毛布から引っこ抜かれる大輔。そこでようやく、自分を抱きしめていたものの姿を見た。

「もうっ、いいじゃん、ちょっとぐらい」

 すねたように言って、大輔を見つめてくるのは、金色の毛皮のイヌ人。毛足は長くつややかで、スタイルがものすごく良い。

「やめなってマジで。困ってんじゃん」

「きゃん」

 金毛のイヌ人は後ろから人間の女にひっぱたかれた。女の腕には、スロワーであることを示す腕章がまかれている。日焼けした肌に、イヌ人の毛皮と同じ色の、ウェーブのかかった金髪。大輔は女の服には詳しくないが、一見して「ギャルっぽい」印象を受けた。そして、イヌ人と同じく、スタイルがものすごく良い。

「ごめんね、ウチの子が」

「ああ、いや……」

 大輔はなんとなく口ごもる。サクラが牙をむきだしながら、イヌ人たちと大輔を交互に見ている。

「ほら、イナホ、行くよ。そろそろ始まるから。キミもでしょ」

 ギャルが大輔に声をかけて、そこでようやく大輔は、イヌ人の最初のセリフを思い出した。

「もしかして、次の対戦相手?」

「そ。ウチがスロワーの舞花で、こっちがキャッチャーのイナホ。ま、よろしくね」

 そのまま二人はグラウンドのほうに歩いていく。イナホとよばれたイヌ人は何度も振り返っては、大輔に手を振っていた。あまりのことにぼーっとしてしまった大輔は、自分を見上げるサクラの冷ややかな視線に気づいて我に返った。

「……ああいうのが好きなの」

「いや、その、ほら、あれでミカドに勝ったんだから、すごい実力者なのかもしれなし」

「あっそう」

 サクラは何やら冷ややかな様子だ。大輔が困ってエリに目をやると、エリは肩をすくめて返す。

「が、がんばろうな」

「……」

 ……三回戦が始まる!


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