第7話 Bad Orangez(後編)
サクラは位置について、大輔をちらりと見上げてから、走り出す。一回目と同じ、激しい加速だ。あっという間に、大輔から遠ざかっていく。
大輔は深く息を吐いた。失敗して、もう後がないというのに、大輔は自分が落ち着いているのがわかった。
『信じて投げろ』という言葉は、高校最後の大会で負けた時以来、ずっと大輔の中に重くのしかかっていた。だが、今は違う。
(俺は、信じる。サクラを?自分を?今までの練習を?ーーなんでもいい。俺が投げて、サクラが捕る。そのことだけを、信じる)
ディスクを構え、大きく体をひねる。遠くに見える茶色の後頭部から、目をはなさないように。まっすぐに、一直線に。投球が完璧なコースに入ったときと同じ感覚があった。
風切り音と共にディスクは飛んでいき、サクラとの距離を詰めていく。サクラは走る。振り返らずに、基準点の倍の距離をゆうに越えて。小さな体をさらに低い体勢にして、ひたすらに地面を蹴る。
サクラは走る。走る。そして、ディスクがついに、サクラを追い越す。
「飛べ!」
大輔は思わず叫んでいた。おそらく、サクラには届いていないだろう。だが、大輔の声と同じタイミングで、彼女は跳んだ。高く高く跳んだ。
大輔も、周囲の選手も、審査員も、光の中に跳ぶサクラに釘付けになっていた。
◆
俺たちにディスクドッグを教えてくれた先公ーータマ先が死んでから、ぜんぜんやる気がなくなってさ。中学の3年間、俺はサキョウといっしょに、クサっててきとーに過ごしてたよ。いちおうディスクドッグもやってたけど、タマ先以上のコーチもスロワーもいるわけないし、雑にやってた。俺ら体がデカいから、それでもそこそこ勝てたしな。
そんで、中学出て、もう流石にディスクドッグやってる意味もねえな、っておもったところに、ミカドの兄貴が人間のガキ連れてきてさ。
ガキは、俺らを見るなり言ったよ。
「お前たちはホントにバカだな。僕がやり方を教えてやる」
まーブチ切れそうになったけど、兄貴の手前、ひとしきり付き合ってやったわけ。なんかタブレットでスイスイやってて、よくわからん数字とか言ってきて。タマ先とは全然違ったから、ほとんど疑ってかかってたけど。
でも、ガキの言う通りにやってみたら、すげー跳ぶの。自分の体じゃないみたいに。
「じいちゃんがいつも言ってたぞ。お前たちは素質があるんだけら、やるだけ伸びるってな」
そのガキーー明クンは、実はタマ先の孫だったんだよ。ビビるよね。
タマ先は死ぬ時、明クンのことと、俺らのことを最後まで気にしてたらしい。明クンもそのことを知ってて、死んだタマ先のために、俺らのコーチができるように勉強したんだって。
明クン、もともと頭いいから、いろいろ俺らが思いつかないようなことも言ってくれてさ。スポーツにもめっちゃ詳しいんだよ。だから一回、俺言ったんだよね。
「明クン、自分でスポーツやったらいいのに。明クンなら楽勝っしょ」
したら、明クンはちょっと怒ってさ。
「誰もがお前らみたいに、自由に飛んだり跳ねたりできると思うなよ」
って。詳しくは聴いてないけど、なんか病気で、走ったりとかはできないけど、ディスク投げるぐらいだったらなんとか、って感じで、いろいろ大変らしいわ。
「だからお前たちに、代わりに死ぬほど走ってもらうんだ」
とかも言ってたな。それで大人みたいな顔で笑ったっけ。苦笑いってやつ。
今日の競技会ではマジで完璧な演技ができて、ディスクドッグやってて一番気持ちよかったな。明クンも、なんだかんだ嬉しそうで、よかった。
でも、対戦相手のサクラがわけわかんねーことやりだした時は、さすがの明クンもビビってたね。
「まさか……距離点で80点越えを狙うつもりか?!ありえない!どれだけ距離がいると思っている?!非効率的すぎる!」
明クンじゃなくてもわかる。あんだけバカみたいに走って跳ぶなんて、疲れるし危ないし、コスパも悪い。案の定失敗して派手にコケてさ。さすがにありえねーよな、って明クンに言おうとしたんだけどさ。
すっげー見てたんだよ。手なんか固くにぎっちゃってさ。サクラのこと。いつもの、っていうか、さっきまでの、分析とか観察とかしてる目じゃなくてさ。
さすがに、俺バカだけどさ、なんとなくわかったよね。
明クンは、サクラのことも当然分析してたからよ。ふつーにやったら、俺らに勝てるはずないって、一番わかってたんだよな。なんなら、俺らよりも。データとか、そういうので。だから俺らのことは応援しなかったよ。いや、不満ってわけじゃねえよ?それも信頼されてるってことだと思うからさ。
でも、明クンはさ、あれは応援してたね、サクラのことを。
計算で出した答えとか、常識とか、当たり前とか、全部ぶちやぶってくれるんじゃないかって、きっとそう思ってたんだと思う。
だから、俺の隣で、明クンは、
「飛べ!」
って、思わず言ってたんじゃないかな。
◆
サクラの手には、今度こそ、しっかりディスクが握られていた。着地のフォームも崩れていない。一連の演技が終わってから、サクラは大輔に向かって、高くディスクを掲げた。大輔も手をあげて、それに答えた。
審査員たちは顔を見合わせ、手元のパソコンを叩いたりしている。
「あれだけの距離を走るのは、久々に見ましたね」
「なんとも荒っぽいというか……だがしっかり跳んでいる」
「これで高得点を取り続けたら、ちょっと面白いことになりそうですね」
ざわつく中で、そんな審査員たちの声が聞こえた。得点の計算に時間がかかったためか、やや間があって、サクラの点数が発表された。
「84点!やったわ!」
練習で出ていた中でも、最高得点に近い出来だった。それでもウキョウの点数と2点しか差がなかったので、本当にギリギリの戦いだった。大輔は胸をなでおろした。
サクラは息をきらしながら走ってきて、大輔にハイタッチをする。大輔は照れくさかったが、少ししゃがんで肉球を手のひらに受けた。
「ありがとうダイスケ、うまくいってよかったわ」
「サクラが捕ってくれたからだ」
大輔たちのもとに、脇で控えていたエリが駆け寄ってくる。
「お疲れ様ぁ~!よかったぁ~うまくいって!エリ、サクラちゃんの演技見てて、泣きそうになっちゃったもん」
サクラにドリンクを手渡すエリは、そう言いながらすでに目を潤ませていた。
「もう、大げさなんだから」
「大げさじゃないよぉ、シバ・タケルの再来って感じで、すごかったよ!」
エリは録画したジャンプを何度もサクラに見せ、サクラは苦笑している。
「なるほど、シバ・タケルの孫か。どうりでな」
声のしたほうを見ると、明がウキョウを連れて来ていた。
「距離点が稼ぎづらくなったのは、走って点を延ばすスタイルのシバ・タケルが金メダルをとってからだって聞いてる。正直、現代ディスクドッグで同じ手段がとれるとは思わなかった。完全に計算外だ」
「ああ、バカにして悪かったな、サクラ。いい演技だった」
ウキョウは礼儀正しく頭を下げ、サクラはふふん、と誇らしげに鼻を鳴らした。
「いいわよ、もう。みんな思ってるだろうから、あんただけ特別気にしたりしないわ」
サクラとウキョウは握手をかわす。二人とも、尻尾がゆっくりと揺れていた。
ちょうどその時、サキョウが後ろから声をかけてきた。
「明クン、兄貴の出番だぜ。あっちのグラウンドで」
「そうだ!俺は負けたけど、たぶん次あたるのは兄貴だろ?兄貴は俺らよりすげーから、きっと俺の仇をとってくれるぜ」
「望むところよ!」
ウキョウの言葉通り、まだサクラは1回戦を抜けたにすぎない。この調子で全力疾走をつづければ、決勝に行くまでに疲労がたまってしまう。しかも、順当にいけばこのあとは優勝候補のミカド、そして決勝ではあのディアナと対決するのだ。
「……大丈夫よ。あたしは、何度だって走って、跳んでみせる」
大輔の不安が顔に出ていたらしく、サクラが背中を叩いて言った。
「だから、しっかり休んで備えなきゃ」
大輔は頷いた。同時に、サクラの父の言葉も思い出し、もし危険なようなら、サクラに言われても投げるのを止めないといけない、とも、改めて思った。
その後、大輔たちはアイシングと休憩のために、会場を離れていた。
「いよいよミカドとの試合ね……さすがにちょっと緊張するわ」
「今のサクラちゃんならきっと勝てるよ!大丈夫!」
ミカドは、何度も仮想敵として練習してきた相手だ。対決するとなると、サクラも緊張するのだろう。
試合の時間が近づき、グラウンドへと戻る。大輔もサクラも気合十分で帰ってきたが、どうもグラウンドがざわついている。様子がおかしい。
「……兄貴、あれは仕方ないですって」
「実力で負けたわけじゃないっすから」
グラウンドの隅で、ミカドが体育座りでうなだれていた。ウキョウとサキョウが必死にそれを励ましている。
まさか、と大輔が得点の掲示を見ると、そこには異様な数値が並んでいた。
『ミカド・ドーベルマン 0点 0点』
「うっそ?! ミカドが2回ともキャッチミス?!」
サクラが思わず叫び、そのあと「しまった」と口をふさいだ。うなだれているミカドの耳が、さらにヘタるのがわかった。
「そう言ってくれるな……あいつが一番落ち込んでる」
大輔たちに気が付いた明が、気まずそうに言った。
「どうしてこんなことに?」
大輔もにわかには結果を信じられず、小声で明に聞く。
「……本人の名誉のために、言うのはやめておく。まあ、当たればわかるだろ。アレは正直、調子が狂うだろうな……」
その時、大輔の後ろから、もふっ、とやわらかいものが当たった。全身をすっぽり覆うサイズの毛布のような、あたたかく柔らかい感触。
「ねえっ、キミが次の対戦相手さん?」
かわいらしい声が聞こえ、大輔の体は巨大な布団に抱きしめられる。
「ねえねえ、私と遊ばない?!私にも投げてほしいなぁ」
「ちょっとアンタ何してんのよ離れなさい!」
サクラのきゃんきゃん言う声が聞こえて、大輔はようやく自分がイヌ人に抱かれているのを理解した。抜け出そうとするも、強い力で抱きしめられて逃げられない。
「いいじゃあん、ちょっとだけ!いいでしょ、私のお腹なでてもいいから、ね!いっぱい撫でさせてあげる!」
高級な布団みたいなあたたかさだ……。
「ダイスケから離れろ!」
サクラの怒鳴り声とともに、脚をつかんで巨大毛布から引っこ抜かれる大輔。そこでようやく、自分を抱きしめていたものの姿を見た。
「もうっ、いいじゃん、ちょっとぐらい」
すねたように言って、大輔を見つめてくるのは、金色の毛皮のイヌ人。毛足は長くつややかで、スタイルがものすごく良い。
「やめなってマジで。困ってんじゃん」
「きゃん」
金毛のイヌ人は後ろから人間の女にひっぱたかれた。女の腕には、スロワーであることを示す腕章がまかれている。日焼けした肌に、イヌ人の毛皮と同じ色の、ウェーブのかかった金髪。大輔は女の服には詳しくないが、一見して「ギャルっぽい」印象を受けた。そして、イヌ人と同じく、スタイルがものすごく良い。
「ごめんね、ウチの子が」
「ああ、いや……」
大輔はなんとなく口ごもる。サクラが牙をむきだしながら、イヌ人たちと大輔を交互に見ている。
「ほら、イナホ、行くよ。そろそろ始まるから。キミもでしょ」
ギャルが大輔に声をかけて、そこでようやく大輔は、イヌ人の最初のセリフを思い出した。
「もしかして、次の対戦相手?」
「そ。ウチがスロワーの舞花で、こっちがキャッチャーのイナホ。ま、よろしくね」
そのまま二人はグラウンドのほうに歩いていく。イナホとよばれたイヌ人は何度も振り返っては、大輔に手を振っていた。あまりのことにぼーっとしてしまった大輔は、自分を見上げるサクラの冷ややかな視線に気づいて我に返った。
「……ああいうのが好きなの」
「いや、その、ほら、あれでミカドに勝ったんだから、すごい実力者なのかもしれなし」
「あっそう」
サクラは何やら冷ややかな様子だ。大輔が困ってエリに目をやると、エリは肩をすくめて返す。
「が、がんばろうな」
「……」
……三回戦が始まる!
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