第4話 サントラ(後編)

 サクラの家は、このあたりでは珍しい大きな日本家屋だった。大輔とエリは客間に通され、そこでサクラの父親がやってくるのを待っていた。

「待たせたね。サクラは妻が起こして風呂にいれさせてるよ。念のため、かかりつけの先生にも連絡をしておいた」

 サクラの父が客間にあらわれると、大輔とエリは立ち上がって頭を下げようとしたが、サクラの父はそれを手で制した。

「改めて、サクラの父のシバ・タケアキだ。君たちのことは、娘から聞いているよ。エリさんとは、何度か会ったことがあったね」

「はい、ご無沙汰しております。この度は、ご息女……サクラさんを危険に晒すような真似をしてしまい、本当に申し訳ありませんでした」

 エリはタケアキに再度頭を下げた。彼女のいつもと余りにも違う、ちゃんとした口調に驚いたが、大輔も同時に頭を下げた。

「その件について、君たちを責める気はないよ。サクラのほうから、君たちにスロワーなり練習の手伝いなりをお願いしたと聞いている。今回は君たちの見ていないところで、サクラが勝手に長時間練習を重ねた結果なんだろう?公園側の見落としもあってこんなことになってしまったが……単なる友人である君たちに、サクラの監督責任を追及するのは、お門違いというものだ」

 サクラの父、タケアキは、最初に聞いたときとおなじ、穏やかなトーンで話した。湯飲みを握る手の毛皮には、白いものが混ざっていた。

「ただね……サクラの父親として、君たちには……特に、人間のスロワーの君には、聞いておきたいことがある」

 茶を一口飲んでから、タケアキは言った。

「増田くん。君は、サクラを走らせることを、どう思っている?」

 大輔は、その言葉に、喉を詰まらせた。

「どれだけ歴史的な経緯を語りなおし、競技の精神を掲げたところで、ディスクドッグが『人間がイヌ人を走らせる』物だという事実は変わらない。それについて、考えたことはあるかい?」

「それは……」

「意地悪な質問だと思うかい?」

 言葉に反して、タケアキの口調には、大輔を困らせようという意図は感じ取れなかった。

「私がこんなことを聞くのも、一応理由がある。……サクラの祖父であり、私の父であるシバ・タケルは、日本で唯一のディスクドッグ金メダリストだということは、聞いているだろう。彼の競技生命は、まだ彼が若者と呼べる歳のうちに終わった」

 大輔がエリのほうに目線をやると、彼女はタケアキの話を肯定するように頷いた。

「父が体を壊したのは、ハードすぎる練習のせいだ。直接的な原因は、人間のスロワーが投げた高すぎるディスクに、無理やり飛びついたことなんだ」

「……それは、存じております。しかし、タケル選手は『練習の鬼』と言われるほどの方だったと聞いています」

 エリがおずおずと発言し、タケアキもそれを否定しなかった。

「もちろん、厳しい練習を望んだのが父自身であることは知っている。スロワーだってわざとミスしたわけではないだろう。でも、何が彼をそこまでさせたんだと思う?父だけじゃない。負担がかかると知って投げ続けたスロワー、オーバーワークを止めなかった周囲の連中……あるいは、小さな体で欧米選手と戦う姿に、勝手に夢や希望を見た観客、それを感動のストーリーに仕立て上げたスポンサーやメディア。全員が共犯になって、父を壊したんだ。だから私は、ディスクドッグというものが好きではないし、それに関わる指導者なんかも、どうしても信用できない」

 タケアキの言葉は重く、大輔は何も言えなかった。炎天下の甲子園のことも思い出した。熱中症で倒れる選手も、少なくなかった。

「サクラは、当時の父よりも体が小さい。ルールも当時に比べて、小さなイヌ人にとって不利になっている。そんな中で、ディスクドッグ選手を本気で目指せば、父と同じ轍を踏みかねない。こうした話はサクラとも何度かしていて、話し合って春の競技会という節目を設けた……同時に、無理な練習もしないように言い聞かせたんだけどね」

 タケアキは力なく笑った。

「約束は約束だ。春の競技会までは、ディスクドッグをやることに口は出さない。君たちにも、サクラを手伝うのをやめろとは言わない。むしろ、サクラを支えてくれていることに、感謝だってしている……だが、それが『正しいこと』かどうか、少しだけ考えてほしい」

 大輔の中には、タケアキの言葉に反発する心があったが、それをうまく文章にすることは、まだできずにいた。中途半端に反論できる状況ではなかった。もやもやとした心を飲み込んで、大輔は、

「……はい」

 とだけ答えた。エリも同じだったようで、帰りに呼ばれたタクシーの中でも、二人はあまり喋らなかった。


「生一丁ォー!」

「ハイ生一丁ォーー!」

 大輔はそのまま部屋に帰る気にもなれず、駅前でタクシーを降りて、大衆居酒屋に一人で入った。高校を卒業してから、無為な時間を過ごしてきた自覚はあったが、こういう時だけは、歳をとっておいてよかったと思えた。運ばれてきた生ビールを飲み干し、整理しきれない色々なことを、一旦胃の中に落とし込もうとした。

(確かに、サクラの父の言っていることは、一理ある……。でも、なんか、なあ……。明日から、どうしようか……)

 サクラの父は理性的なイヌ人だった。言葉通り、大輔にスロワーを「やめろ」と言っているわけではないのだろう。無理をさせてサクラにケガでもさせない限り、きっと大輔を責めることもないだろう。だが、自分の行いが『正しい』のかと問われ、大輔は即答することができなかった。

「あれ、増田じゃん」

 聞きなれた声がして、顔をあげる。そこにいたのは、大輔の野球部の同期、石川だった。

「甲子園以来だな。あのあとすぐ辞めちゃって、心配したんだぜ」

「ああ、まあ……」

 大輔は言葉を濁し、眼をそらす。逃げるように辞めた野球部の同期と会うだけでも嫌だったが、中でも石川は最悪だった。

「もう野球やってねえの?俺はまだやってるよ、相変わらずキャッチャーで」

 石川は人懐っこい笑顔を見せた。

ーー大丈夫、絶対取るから、信じて投げろ。

 そう大輔に言った、あの時と同じように。


「へえ、今そんなことやってんだ……店長ォ!サラダにカリカリのやつもっと入れてくださいヨォ!」

 石川が厨房に怒鳴ると、パグ系のイヌ人が笑いながら「うるせえ!」と返した。相変わらず誰にでも馴れ馴れしくて、それが許されるキャラクターだった。石川はここのアルバイトをしていて、ちょうど上がりの時間だったという。

 大輔は、アルコールで口が軽くなっていたこともあり、サクラたちとディスクドッグを始めたことを、石川に漏らしていた。ついでに、サクラの父から言われたことも。

「で、その子カワイイの?サクラちゃん」

「話聞いてねえのか?女の子っつってもイヌ人だぞ」

「いや、増田はわかってない。シバ系の子の魅力、あるだろ……クルっとした尻尾とかさ。お腹なでたくなっちゃう」

「お前、高校の時もそんなこと言って噛まれてたよな」

「にしても、その、サクラちゃん?の親父も、なんかヤな感じだよな」

「……まあ、言いたいことは、わからないでもないんだけど」

「あのさ、増田、それだよ」

「は?」

 石川は枝豆で大輔を指さした。すでにだいぶ酔っているようだ。高校以来の再会だったので、大輔は石川の酔っている姿を初めて見た。

「お前いっつもそう。い~~~んだよ別にわかんなくて。監督がなんだチームがなんだ、親がなんだ、世間がなんだって、い~~~んだよ別にわかんなくて。そんなん全部外野だろ、いや外野ですらねえわ、外野にはフライが飛ぶからな、観客席だわ。結局お前はど~なのって話よ!」

「いや、それは」

「おい、キャッチボールやるぞキャッチボール。店長お会計!」

「なんでそうなる?」

 大輔は酔った石川にひっぱられて、店の外まで連れていかれた。少し酔った体に、まだ春というには冷たい風があたった。石川はどこからかボールを取り出し、大輔に向かって投げた。

 酔っている石川がボールを正確に投げられるはずもない。ふらふらと飛んできた投球を、大輔はなんとか捕った。

 大輔もボールを投げ返す。もちろん、大輔も酔っているし、高校の時のピッチングほどの勢いもない。

「ナイピッチ!」

 石川がボールをとって、大輔に投げ返す。そのやりとりが何回か続いた。「なあ、これ、なんなんだ」

 大輔はボールを投げ、呆れながら石川に聞いた。石川は笑いながら答えた。

「キャッチボールだろうが」

「そうじゃなくて、なんで深夜に居酒屋の前でキャッチボールしてんだって話だよ。さっきから周りに見られてるだろ」

「俺がやりて~からやってんの!楽しいからやってんの!」

 石川が投げたボールを、大輔が捕る。

「それだけかよ?!」

 投げ返す。

「他に何があんだよ~?やりてーからやる!楽しいからやる!それでい~んだって!他のことは知らん!」

 石川が投げる。大輔はそれをキャッチする。

「増田、お前もさ、むずかし~こと考えてないで、やりたいこと、楽しいこと、やればいいじゃん。正しいとかなんとか、そんなことは周りが勝手に考えりゃいいんだよ!」

 大輔が投げ返したボールは、石川に届くことはなかった。代わりに、さっき厨房にいたパグ系のイヌ人が捕って、怒鳴った。

「うちの前でキャッチボールするんじゃねえ!!!危ないだろうが!!」

 石川はげらげら笑って、

「な?こんなふうに」

 とイヌ人の店長を指さし、頭を殴られていた。

 石川は店長に連れていかれ、大輔に手を振っている。大輔も小さく振り返して、駅に向かうことにした。

(……確かに、そうかもしれないな)

 大輔は、高校時代から、石川のあの性格は得意ではなかったが、今日は少し救われた気がした。もしかしたら、今まで気が付いていなかっただけで、高校の時もそういうことがあったのかもしれない。

(やりたいことをやればいい、か) 


 次の日、大輔がグラウンドに向かうと、サクラが先についていて、大輔に頭を下げてきた。

「この前は心配かけて、本当にごめん!」

 次の練習の日、サクラは深々と大輔とエリに頭を下げた。

「パパからもいろいろ言われたみたいだけど……約束は曲げさせないし、二人にも迷惑はかけないから」

 そこまで言って、サクラは耳をぴんと立て、頭を上げる。

「私は、勝ちたい。一緒に、競技会まで練習してくれる?」

「エリはもちろん、最後までサクラちゃんをサポートするよ。……大輔さんは?」

 サクラとエリが、大輔を見上げてくる。サクラの眼は少し潤んでいるようだった。

「……俺は」

 大輔は少し口ごもってから、言った。

「俺が投げて、サクラに捕ってもらえると、嬉しいんだ。だから、やる。任せてくれ」

 これが正しいかどうかは、大輔にはわからない。間違っているかもしれない。愚かかもしれない。だが、自分の気持ちは、サクラの夢は、そんなもので判断されて、否定されていいものではない。だから、投げる。

「勝とう。競技会」

「……!うん!」

 サクラが大輔の手をとり、ぶんぶんと振った。同じぐらい強く、巻きあがった尻尾が振られている。

 競技会は、すぐそこまで迫っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る