第2話 のびしろ

「もう一本いくわよダイスケ!」

「大輔さん、フォームが乱れてますよ。投げるまでのディスクの動きは、投げる方へ一直線を意識して。サクラちゃんはもっとディスクよく見て!走りながらジャンプのこと考える!」

「ちょ、ちょっと待ってくれ、さっきから投げっぱなしで腕が」

 数日後、大輔とサクラはグラウンドでディスクドッグの練習をしていた。大輔が投げるたびに、サクラが走ってディスクを捕まえるのを延々繰り返す。エリがそれを録画して、数回ごとに全員でフォームや飛距離を確認した。

「まだまだいけるでしょ、元野球部なんだから」

「野球部は人間の中じゃ丈夫なほうだって聞きましたよ」

「野球部をなんだと思ってるんだ!」

 サクラは、とってきたディスクをもてあそびながら、バテている大輔を見上げる。もう百本は投げ続けているというのに、息もあがっていない。とんでもない体力だ。大輔のほうもそこそこ体力に自身はあったが、イヌ人と人間の違いをあらためて思い知らされる。

(ここまでキツいなら、引き受けるときにもっと考えるんだった!)

「じゃあ、もう一本!」

 サクラが駆けだし、あっという間に背中が遠くなる。大輔は構えて、歯を食いしばってディスクを投げた。



「ダイスケ。あんた、あたしのスロワーになりなさい」

 そういきなり告げられたあと、大輔はサクラから彼女の事情を聞いた。

 曰く、サクラの両親は、彼女がディスクドッグ選手を目指すのを良く思っていないそうだ。それでも練習に励むサクラを支えていたのは、エリをはじめとする友人たちだった。

「前まで、おじいちゃんのお友達に頼んだり、学校の先生や友達に頼んで投げてもらってたんだけど」

 サクラはシャワーを浴びて泥を落とし、携帯用のドライヤーで毛皮を乾かしている。

「さっきあんたに投げてもらって、びっくりしたの。すっごく速く、高くディスクが飛んで、追いかけるあたしの足にも力がこもって」

「いや、俺はただ投げただけで」

「……あのね、今年の春の競技会が、最後の機会なの。ここで優勝できなければ、あたしは辞める。パパとママとの約束」

 大輔は、懸命に走り、ディスクを追い、取れれば嬉しそうにするサクラの顔を思い出した。よっぽど好きなんだろう。

「だから、春の競技会まででいいから、スロワーになってほしい。お願い」

 サクラは真っ黒な瞳で、大輔を見つめて、頭を下げた。



「いいですか、大輔さん。ディスクドッグの基本ルールは大きく3つ。1つ、スロワーは人間、キャッチャーはイヌ人であること。2つ、スロワーは、キャッチャーがスタートしてから投げること。3つ、キャッチャーはより遠く・高く・美しくキャッチすること」

 練習が終わった後、エリは眼鏡の位置をなおしながら、グラウンド脇のホワイトボードに図を書き込んでいった。大輔はベンチに座ってそれを見ていて、サクラは隣でストレッチをしていた。

「3つ目の『遠く・高く・美しく』で、点数が決まります。具体的には、キャッチした時の距離と高さから出した点数に、審査員による芸術点が加わる。そして現代ディスクドッグでは、芸術点が最も差が付きやすい要素とされていて……」

 エリの流暢な説明を聞いていると、横からサクラが耳打ちしてきた。

「エリはディスクドッグオタクなの。テンション上がってくると話が長くて面倒だから、適当なところで……」

「大輔さん!なぜ芸術点が大事か知りたいですか?」

 エリが鼻息荒く覗き込んでくるので、大輔は思わず頷いてしまった。

「そう!そうですよね!ご説明いたしましょう!!」

 サクラが溜息をつき、クールダウンしてくるわね、と席を立った。

「まずは現代ディスクドッグの歴史から!ディスクドッグの基礎となったのは中世ヨーロッパで行われていた狩猟で……」


 エリの長い話を、大輔はスマートフォンにメモしていった。(本当はもっと豆知識や細かい歴史に脱線したが、それを省いても長かった)

 話が完全に脱線している間に、ひとしきり内容を確認する。



昔、狩猟はイヌ人と人間が協力して行っていた。人間が銃や弓で撃った獲物を、イヌ人が鋭い感覚と身体能力を頼りに回収していた。ヨーロッパの人間の貴族にとって、優秀なイヌ人を召し抱えることがステータスとなり、そのうち獲物をとることよりも、イヌ人の身体能力を見せびらかすことが目的になった。ある時、獲物が全くとれず、代わりにある貴族がパイ皿を投げてキャッチさせたのが、ディスクドッグの始まりとされている。(現代ディスクドッグにつながる欧米圏の歴史。日本には『犬追物』という独自の文化があったが、欧米基準で規格された現代ディスクドッグのルールとは大きく異なるため、衰退している)


貴族制や身分制度の解体を受け、ディスクドッグが隷属や主従関係の象徴として忌避された時期もあった。数百年後、イヌ人文化をめぐるルネサンス的な運動の中で、イヌ人の運動家たちが自身の身体を使った芸術・パフォーマンスとしてディスクドッグを見直し、「イヌ人のスポーツ」としてルールを整備した。これが現代ディスクドッグの始まり。


主役がイヌ人という歴史的経緯から、スロワーに依存する、ディスクの飛距離による点数(距離点)はあまり差が出ないルールになっている。加えて、ジャンプのために脚をためる目的で、いたずらに遠くまで飛ばすより、余裕のある距離で綺麗にキャッチするのがセオリーとされる。


距離点は、風向きなどを考慮して設定される基準点から、キャッチした点までの距離に倍率をかけたもの。基準点から倍の距離以降は距離あたりの倍率が低くなるため、そのあたりでキャッチして30点程度を確保するのがセオリー。


高度点は、キャッチした時のディスクの高度に倍率をかけたもの。一般的なキャッチャーは2m~3m程度で、20点~30点となる場合が多い。


芸術点は50点満点で、5人の審査員が出した5つの点数のうち、最も高い点数と低い点数を除いた3つの平均となる。審査の対象は走り・ジャンプ・着地の姿勢や美しさ、正確さなど。



「そろそろ終わった?」

 話が終わったころ、クールダウンを終えたサクラが帰ってきた。

「まだまだ話足りないんだけどね!ディスクドッグの歴史を変えた選手の話とか!」

「はいはい。ダイスケ、だいたい中身はわかった?」

 大輔は少しうんざりしながら頷いた。

「①ディスクドッグはイヌ人が主役。②距離や高さより、差がつくのは芸術点。これであってるか?」

「うん。③エリは話が無駄に長い。も追加すべきね」

 ルールを知ると、テレビで見るような選手たちの華麗なジャンプにも納得がいく。というか、ジャンプが華麗に見える者でないと勝てない競技だ。大輔には、芸術性が絡むスポーツの経験はなかったが、そこに厳然とした有利不利があるのはわかった。

(なら、よけいに失敗できないな)

 サクラは不利な条件の中戦っている。彼女のがんばりを無駄にしないためにも、ディスクを正確に投げなければならない。しばらく消えていたやる気の炎が、わずかに燃えるのを、最近は感じる。


 それから2週間ほど、大輔は授業のない日にグラウンドに行き、サクラたちとトレーニングに励んだ。大輔は徐々にディスクを投げるのに慣れ、サクラとも息が合ってきた。

「うりゃあ!」

 サクラが跳躍し、ディスクをつかんで着地した。体勢も崩れていない。距離も高度も十分だ。横で録画していたエリが、すご、とつぶやいた。

「どうよ、ダイスケ!これなら競技会で優勝だってできそう!」

「ああ、慣れてくると面白いもんだな」

「うんうん、エリもびっくりだよ。スロワーが変わるだけで、ずいぶん変わるもんだねえ」

 エリが分析したところによると、大輔の投げるディスクは普通のスロワーよりかなり速いらしい。そのため、サクラも全速力で走って跳躍することができ、距離やジャンプの高さのみならず、フォームも良くなっているようだ。最初の頃に比べて、ジャンプやキャッチの精度も格段に上がっていた。いい感触だった。そして、大輔は何より、投げたディスクをサクラが全力でキャッチしてくれるのが、嬉しかった。


 もう一本、とサクラが動き出そうとしたとき、グラウンドの外から声がかかった。

「スミマセン、代わってもらえますか」

 身なりのいい赤毛の青年だった。人間だが、外国人のようだ。

「僕のトモダチが、ここ、使いたいって言ってる。予約もしてあるんですよ」

 彼の言葉に、エリはスマホに肉球をすべらせる。

「わ、ほんとだ。普段めったに予約入らないから、確認忘れてた。ごめんなさい」

「仕方ないわね、今日は筋トレとランニング中心にしよっか。ダイスケも悪いわね、来てもらったのに」

「いや、かまわないけど……」

 大輔が気になったのは、ディスクドッグ用のグラウンドなのに、青年の近くにはイヌ人がいないことだった。

「スミマセン、君たち。ありがとう」

 青年は人当たりのよさそうな笑みをうかべながら歩いてきて、出ていく大輔たちとすれ違う。そして、公園の脇に留まっている高級そうな車に声をかけた。

「ディアナ、場所があいたよ!」

「え”?!」

 エリがその名前を聞いて、おかしな鳴き声をあげて振り返った。


 車から、細長い影があらわれる。切れ長な灰色の眼、銀色の長い毛皮、すらりとした長い脚、長い鼻先。凛とした立ち姿。海外ファッション誌のセレブなモデルのようだ。身長は大輔よりも高い。

「う、うっそォ~~ッ!?」

「え、マジ?!なんでこんなところに?!」

 エリとサクラは驚きすぎて耳をひくひくさせている。

「誰?有名人?」

 大輔が聞くと、エリが早口でまくし立てる。

「あの方はですねえ!ディスクドッグの本場、ヨーロッパのジュニア大会でデビュー以来負けなしの最強選手、ディアナ・ボルゾイさんですよぉー!その優雅で完璧なキャッチスタイルは、ジュニアクラスの今ですでに『現代ディスクドッグの到達点』と言われているほど……!なんでこんなところに……はぁ、近くで見るとすっごい美人だぁ……!旅行か何かかなあ?!あ、待って、いい匂いがするゥ!」

 うっとりとした眼差しで見つめる二人を後目に、ディアナと呼ばれたイヌ人は、大きな歩幅で颯爽とグラウンドへと向かっていく。すれ違いざま、にっこりと微笑めば、二人は「はぁ~~!」ととろけた声をあげた。

「あ、そうだ。キミタチ、ディスクドッグやるのかな?これから、ディアナと軽く練習するから、よかったら見るかい?」

 赤毛の青年は上着を脱ぎ、スポーツウェアにディスクを持っていた。

「見ます!ぜひ見させてください!!こんなに間近で、一流のキャッチが見られるなんて、普通ありえないんだから!」

 今度はサクラが食いついた。尻尾はものすごい勢いで左右に振れている。本当に有名な選手らしい。

 青年はディアナに外国語で何事か話し、ディアナは頷いた。おそらく、二人が練習を見学するのを許したのだろう。

 二人は、ウォーミングアップを始めたディアナに釘付けになっている。ディアナの体は細く、それでいて弱い印象は全くない。むしろ強靭な金属のようだ。研ぎ澄まされた、走り、跳ぶための肉体だ。大輔が甲子園で見た、全国の天才たちと同じようなオーラがあった。結局、大輔たちが届かなかった、頂きに立つ者の。

「熱心な子供たちですね。日本の子供たち、みな向上心高くて素晴らしいです!ディアナ、子供好きですから、OKしてくれました」

 青年が準備運動をしながら、大輔に声をかけた。

「子供?ジュニアクラスというなら、サクラたちと歳はあまり変わらないんじゃ……」

「おお!そうですか!スミマセン!じゃあ、ディアナのライバルですね!」

 青年の朗らかな笑みと対照的に、大輔の背筋には、嫌な汗がつたった。

「ディアナは、留学生です。春の競技会に参加するんですよ!」

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