ディスクドッグ=ガール

獅子吼れお

第1話 たりないふたり

 風のない冬の日。大輔が公園を歩いていると、体に何かが当たった。フライングディスクだった。飛んできた方向を見ると、ビーグル系のイヌ人ひとの親子が手を振っていたので、大輔はディスクを投げ返してやった。軽い円盤は、空中をすべるようにイヌ人の親のもとに届いた。子イヌは大声で礼をいいながら手を振る。

 イヌ人の親子は、また『ディスクドッグ』ごっこを始めた。親がディスクを投げるたび、子供は全速力で駆けていって、飛び上がってそれをキャッチした。

 平日の運動公園は、それなりに賑わっていた。先程のような親子連れ。大輔と同じ大学生らしき、人間とイヌ人が男女入り混じった一団。散歩をしているイヌ人の老人と、人間の介護者。なんとなく見渡していると、聞き慣れた音が耳に入った。金属バットにボールが当たる音。大輔はそれがあまり好きではない。あれは、打たれた時の音だ。


 高校最後の大会、最終回、相手の攻撃。

 (指示は、外角ぎりぎりのコース。あいつは言っていた。『絶対取るから、信じて投げろ』と)

 大輔は振りかぶり、投げた。リリースの一瞬、大輔は考えた。後逸したら負ける、と。その一瞬は、ボールを掴む指先を狂わせるのに、十分な時間だった。次に大輔が聞いたのは、間の抜けた金属音だった。チームは負けた。大輔は野球をやめた。以来、大学でもなんとなく日々を過ごしている。


 腹あたりに冷たい感触があって、大輔は我に返った。見下ろすと同時に、足元から高い声が聞こえる。

「あーっ!」

 ぴんと立った耳に茶色の毛皮。伸びた鼻の先は黒く、湿ってつやつやしている。イヌ人の女の子だ。中身のなくなった水筒を抱えている。毛色とカールした尻尾からして、おそらくシバ系だろう。

「ちょっと、あたしのドリンク!さっき作ったばっかりなのに、どうしてくれるの!」

 制服からして高校生のようだが、鼻先が短い顔立ちのせいか、より子イヌに見える。そんな女の子が、甲高い声できゃんきゃんと大輔に吠え立てていた。

 大輔は反射的に謝ろうとしたが、

「いやぁ、今のはサクラちゃんも悪いと思うな。エリ、言ったよね?前見て歩いてって。お互い様だよ」

 横からもうひとり、シバの女の子と同じくらい小柄な、イヌ人の女の子が口をはさんだ。こちらは、金に近い薄茶色の毛皮で、『サクラちゃん』と呼ばれたシバのイヌ人よりも少し鼻先が長く、そこに大きな丸メガネをかけていた。おそらくコーギー系だ。

「そんなことないもん、あたしはちゃんと見てたもん!あんたこそ、図体がデカいんだから、ちゃんと前見てなさいよね!」

「ごめんなさいね、この子、お兄さんみたいに大きな人相手だとこうなるんです」

 丸メガネのイヌ人はハンカチを取り出し、サクラの側にも飛び散ったドリンクをふきとってから、大輔に手渡した。サクラの濡れたセーラー服には、真っ白な腹の毛皮が透けている。

「何見てるのよ」

「はいはい、そのへんで。ドリンクならエリがまた買ってあげますから」 大輔も濡れた服をぬぐうが、なかなか落ちない。

「エリたち、もう練習いかないとなので、拭き終わったらグラウンドまで持ってきてもらえますか」

 エリと名乗るコーギー系の女の子は、公園の一角を指差した。そこは、ディスクドッグの競技場だった。

 サクラは大輔を見上げて言う。

「そう、あたしたち忙しいんだから!この春の競技会で優勝して、みんながシバ・サクラの名を知るようになるんだからね!」

 それはないだろう、と大輔は思った。このシバ系の女の子は、ディスクドッグ選手にしては小さすぎる。それでも、サクラは自信満々に、胸を張っていた。


 スポーツドリンクの染みは糖分でべたついて、なかなか服から落ちなかった。いかにも女の子らしいハンカチを持っているのも居心地が悪くて、大輔は返しに行くことにした。

 グラウンドでは、サクラと名乗ったシバ系の女の子が、ディスクを目掛けて走っていた。投げているのはグラウンドに据え付けられた機械で、ピッチングマシンのようにディスクを射出するようだ。サクラはジャージの上下に着替え、上着とズボンの間からは尻尾が覗いていた。

 まずサクラが走り出し、ディスクが発射される。角度をつけて空中に放たれた円盤は、ゆるやかに上昇し、しばらくして下降していく。そこにサクラが飛びつき、手で捕まえ、着地する。

「よっし、今のは良かったんじゃないかしら!」

 サクラは汗を流しながら、横で録画しているエリのほうを振り向いた。「いい感じー。ただ、着地のフォームが乱れてるかも」

 サクラはエリに駆けより、並んでスマホを確認しはじめた。少しして、画面から顔を上げたサクラが大輔に気づき、エリをつつく。エリは小走りにこちらに走ってきて、大輔からハンカチを受け取った。

「お兄さん、サクラちゃんのこと見て、『小さいな』って思ったでしょう」    

 ハンカチを丁寧に畳みながら、エリは少し意地悪そうに言った。大輔は面食らったが、正直にうなずく。

「……誰だって思うだろう。だって、こう、ディスクドッグ選手っていえば……」

「ええ、わかりますよ。オリンピックとかで見るのは、大きい選手ばかりですもんね。サクラちゃんとかエリみたいな、小さいイヌ人は、やっぱり不利ですから」

「そうなのか?サッカーみたいに、接触があるわけでもないのに」

 ディスクが射出され、サクラが飛び上がってキャッチする。サクラは一生懸命だったが、大輔がテレビで見たことのあるディスクドッグ競技ーー美しい走りのフォルム、優雅でのびやかな跳躍ーーとは違っていた。

「身長が高いほうが、キャッチ時の高さは当然高くできますし、手足が長くて体が大きいほうが、ダイナミックなジャンプに見えて芸術点も高いんですよね」

「そういうものか」

 大輔は横で聞きながら、サクラの走りを見た。短い手足を懸命に動かしている。かわいらしいが、優雅とは言えない。

 体格で有利不利が出るのはどのスポーツでも同じなのだろう、と大輔は思った。遺伝で大きく体型が異なるイヌ人なら、なおさらだ。大輔のクラスにも同い年のイヌ人が多数いるが、チワワ系とドーベルマン系では大人と子供ほどの体格差がある。本人の努力とは無関係に。

(まあ、そのチワワ系のやつにも、腕相撲で負けたけど)

 大輔はそんなことを考えながら、グラウンドを行き来するサクラを見ていた。

「サクラちゃーん、次で休憩いれよ!」

「……そうね、わかったわ。じゃあ最後に、おもいっきり遠くまでお願い」 

 エリは頷いて機械のセッティングを変え、サクラは走り出す。

「でもね、お兄さん。サクラちゃんの走りは、すごいんだよ」

 ディスクは、今までにないほどの速度で放たれ、空中をまっすぐに駆けあがっていく。ぐんぐん距離を延ばすディスクを後ろに見ながら、サクラは加速する。こげ茶色の弾丸のように、ただひたすらにまっすぐ。

「うらあああーーーーっ!!」

 ディスクが射程に入った瞬間、サクラは飛び上がって手をのばし……そのまま派手に地面に転がった。ディスクは誰もいないグラウンドの向こうに飛んで行った。

 大輔は、その一部始終に、釘付けになっていた。イヌ人の運動能力は、人間をはるかに超える。それを差し引いても、驚異的な加速だった。最終的なキャッチの地点は、前回までの距離をゆうに1.5倍は超えている。

「ね、すごいでしょう」

 エリがいたずらっぽく笑ってから、サクラちゃーん、と小走りにサクラに駆けて行く。

 しばらくして、大輔は我に返った。ハンカチは持ち主に返したし、ここにいる理由もない。帰ってディスクドッグの動画でも見てみるか、と歩き出した矢先、後ろから声がかかった。

「あ!あんた、暇なら投げなさいよ。それで、あたしにぶつかったの、許してあげる」

 サクラは、まだ走り足りないようで、こちらを指さしながら、尻尾を激しく振っていた。


「ぶつかった時に思ったのよ、見たことあるって。あんた、県の代表で甲子園いってたでしょ。野球のピッチャーがディスクを投げると、どうなるか気になるのよね」

 サクラは、大輔にディスクを渡しながら言った。

「ほら、早く」

 サクラが大輔の前に立ち、スタートの体勢をとる。

「……いや、やっぱりやめておく。これ、投げたことないし」

「なんで?簡単よ、ボール投げるのよりずっと。それとも、どこかケガしてるとか?」

 大輔は目線をディスクに落とし、しばらく黙ってから言った。

「俺が投げるより先に、走り出すんだろ?ミスしたら、無駄にお前を走らせるだけになる」

「そんなの、気にしなくていいわよ。あたしは走る、あんたは投げる。方向だけ合わせて、あとはおもいっきり、信じて投げればいいわ」

 その言葉に、大輔は少し身構える自分に気がついた。

(『信じて投げろ』……か)

「それじゃあいくわ……よッ!!」

 土煙をあげて、サクラが駆け出す。初速からして、人間よりも速い。

(正直気乗りはしないけど……一回投げてやれば、満足してくれるだろう)

 息を一つついて、大輔はディスクを構える。体を巻き込み、力を伝える。ディスクは水平に。腕、手首、指。放つ。角度が浅い。ディスクが一直線に空間を走り、サクラに近づいていく。

「うそっ?!」

 サクラの三角の耳が、風切り音をとらえたようだ。振り返り、目を丸くして、とっさにディスクをつかまえようとして、失敗した。ディスクはサクラの鼻先に直撃し、地面に落ちた。

「いっ……たぁ」

「大丈夫か?!」

 うずくまるサクラ。大輔は思わず駆け寄る。だから言ったろ、投げたことないって。誰かに言い訳するように、つぶやく。

「……じゃない」

「え?」

「すごいじゃない!」

 サクラの黒目がちな瞳が輝いていた。尻尾は激しく振られ、砂埃が舞っている。

「ねえ!次はちゃんと取るわ!だから、早く投げてちょうだい!ほら、早く!」

 大輔は面食らった。今のは明らかに、大輔のコース取りが悪かった。そのせいで取るのに失敗したのに、こんなに楽しそうな顔をするなんて。

「……角度はもっとつけたほうがいいか?」

「まあ、いちおうね。でも、そんなことどうでもいいわ!マシンやエリが投げるより、ずっと速くてよく飛ぶんだから!」

 大輔たちは再びグラウンドの端に戻ってきた。

 サクラは位置につき、期待に満ちた目で何度か大輔を振り返ってから、走り出した。

(さっきより速いんじゃないか?!こんなの、っ)

 投げる構えに入った大輔は、サクラの疾走を見て、さらに力をこめる。全身のしなりを力に変える。手首を使って、放つ。投球が完璧なコースに入った時と同じ感覚があった。

 ディスクは高速で回転して飛距離をのばし、サクラを追い抜くあたりで上昇から下降へと転じる。サクラは走る勢いそのままに、ディスクを見据え、地面を蹴り、跳躍する。手を伸ばす。


 サクラの手に、今度はしっかりとディスクが掴まれた。


 大輔は、その動きをーー空を駆け、重力を振り切るようなサクラの跳躍をーーきれいだ、と思った。


「やった、やったわ!こんなに遠くで取れたのはじめて!」

 ディスクを抱えて、サクラが駆け戻ってくる。尻尾をものすごい勢いで振っている。

「そ、そうか、よかったな」

 あまりの喜びように、大輔は少し気圧される。

「『よかったな』って、あんたが投げたのよ?うまくいったんだから、あんたももっと喜びなさいよ」

 そう言われて、大輔は自分の中にも、ふつふつと湧き上がる嬉しさがあることに気づく。サクラの抱えたディスクを見て、うん、と頷く。

 投げて、届く。それは嬉しいことだ。

「お兄さん、なかなか上手かったね~。それに、こんなに仲良しになって。エリも嬉しいよ」

 横で見ていたコーギー種のエリが、大輔たちのもとに歩いてきた。

「べ、別に、仲良しってわけじゃないわよ……でも、今みたいなキャッチができれば、春の競技会で優勝だってできるかもしれない」

 今度こそ、とつぶやいて、サクラは、ディスクをもう一度大輔に差しだした。

「あんた、名前は」

「増田大輔」

「ダイスケ。あんた、あたしのスロワーになりなさい」

 グラウンドに風が吹いた。冬から春に向かう、わずかに暖かい風が。

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