第57話 ブラックドラゴンの躍動
ムルティスは観念した。リゼ少尉が裏切り者だったなんて、まったく想像していなかったのだ。
どうやら彼女は、造幣局の戦いが落ちつくまで、ずっと機会をうかがっていたらしい。
その証拠に、彼女は足を怪我していなかった。無線の報告によれば、屋上の戦闘で足を怪我して動けなくなっていたはずなのに。
もちろんムルティスだって、ディランジー少佐の内通者だから、彼女のことを全否定できない。
だがしかし、彼女が裏切り者であっては、ガナーハ軍曹がかわいそうであった。
ムルティスは、重傷の体であろうとも、気力を振り絞って、彼女に質問した。
「なぜスパイをやってたんですか?」
リゼ少尉は、ムルティスのショルダーポーチから、暗黒の契約書を奪い取った。
「どうしても戦争に勝ちたかったのよ。だって三年間も戦って、なにも得られないんじゃ、死んじゃった仲間たちは犬死にじゃない。あたしの大学時代の同期、みんな死んだのよ。魔法大学の卒業式で、立派な魔法使いになろうって誓ったのに」
というタイミングで、車両指揮所にいるディランジー少佐に、信頼できる内偵から情報が入った。
『ピッケム社長の死をきっかけに、内務省の情報を洗いました。BMP密売グループに所属するワーウルフの魔法使い・リゼ少尉の任務は、ピッケム社長がちゃんと暗黒の契約書を発動するのか監視することでした』
という内容は、無線を通じて、ムルティスにも届けられた。
ムルティスは、雷の火傷で痛みを感じながらも、不思議と頭が回っていた。
民族系武装組織と大きな取引をしたとき、すでに彼女の動きはおかしかった。
BMPが敵の魔法でトラックの外に吸いだされたとき、彼女は柱にしがみつくばかりで、なにもしなかった。いつもの彼女であれば、きっちり対応できたはずなのに。
そもそもの話として、傭兵グループの装甲車が茂みに潜んでいたことだって、生命探知の魔法で気づいたはずだ。それなのに彼女は報告しなかった。
「まさか少尉、軍曹と結婚することも、偽装のための嘘だったんですか……?」
「本気だったの。もし軍曹が生きてたら、内務省の任務なんて忘れるつもりだったの。でも軍曹死んじゃったじゃない。あたしのせいで……あたしが嘘の報告なんてしないで、あの場に戻って一緒に戦ってれば、軍曹生きてたかもしれない」
リゼ少尉は、ぼろぼろと涙をこぼした。ウソ泣きではない。彼女は本気でガナーハ軍曹を愛していたのだ。
彼女の感情と触れたことで、ようやく彼女の思考回路も読めてきた。
「BMP密売の証拠を、ディランジー少佐に匿名でタレコミしたの、少尉ですね」
「保険が必要だったの。ピッケム社長は、BMPの密売に成功して大量の資本を手に入れたあたりで動きがおかしくなったから。このままだと内務省を裏切る可能性があったから、少佐をこの件に関与させてけん制することになったのよ」
「となると、暗黒の契約書を解読して、龍脈でコントロールできることを突き止めた政府側の同志って、少尉のことですか」
「ええ、そうよ。魔法大学時代の専攻は、考古学だからね」
リゼ少尉は、暗黒の契約書をぱらりとめくると、召喚の呪文を唱え始めた。
ただし彼女の魔力は消費されていない。
代わりに媒介が魔力を消費して、本が黒い輝きを放つ。
媒介――ばらまかれたBMPの効果により、都市部の住民たちが儀式の媒介になり、まるで都市全体が共鳴したように唸りはじめていた。
乱れた風が吹いて、地面が鳴動して、謎の不協和音が響く。
暗黒の契約書に描かれた黒龍の挿絵が、都市部の魔力を吸収して活性化していく。
まるで邪悪なオーケストラが、あえて不協和音を観客に聞かせるみたいに、刺々しい音楽が流れてくると、黒龍の挿絵が実体を持ち始めた。
空間が鳴いて、空気が叫んで、地面の土が嗚咽をもらすと、暗黒の契約書が真っ黒に燃えた。
暗闇よりも暗い光が垂直に伸びていくと、ついに出現してしまった。
ブラックドラゴンである。
造幣局と同じサイズの化け物だ。ずんぐりむっくりした体型だが、太っているのではなく筋肉の塊であった。黒い鱗は太陽光を吸収してしまうので、光の反射が発生しない。尻尾は驚くほど細長くて、まるで洗練された槍みたいだった。
神話の怪物は、血のように赤い瞳で周囲を見渡した。
(人間どもめ、また我を呼び出したのか。いくら我が暇を持て余しているとはいえ、ちゃんとおもしろい目的で暗黒の契約書を使ったんだろうな?)
リゼ少尉は、暗黒の契約書を掲げて、願いを伝えた。
「古の契約にもとづいて、ブラックドラゴンに命じるわ。休戦条約を結んだ敵陣営を滅ぼして」
ブラックドラゴンは、うげーっと心底嫌な顔をした。
(またお前みたいなタイプが呼び出したのか。だから人間どもにはいつも言ってるではないか。我は混沌の象徴。どこぞの勢力に味方するつもりはないと)
ごおっと黒炎を吐いた。
人間一人分だけを焼ける適量の炎だった。
黒くて熱くて適量の炎は、街路樹や建物に引火しないように、リゼ少尉だけを焼いた。
リゼ少尉は、あっという間に黒い炎に包まれて、絶叫した。
水の魔法を使って、黒い炎を消そうとした。
だが消えない。
あらゆる神話で語られたように、消せない炎なのだ。
ブラックドラゴンは、つまらなさそうに説明した。
(我の炎を消す方法など、科学が浸透して神話が弱まった時代では、残っていまい)
リゼ少尉は、燃えつきる寸前、ブラックドラゴンに質問した。
「古文書に書いてあった、ブラックドラゴンをコントロールする理論、あれは嘘だったの?」
(嘘ではない。龍脈を使ったコントロール方法はまったくもって正しいのだ。ただし、龍脈に見合った魔力の絶対量がないと、なんの効果もない。そして人間どもには、そんな魔力量を持ったやつなど生まれない。この説明、かれこれ三十回ぐらいやっているのだが、なんでお前らは伝承しないのだ?)
なんで伝承しないのか。説明を受けた人々が、みんな黒い炎で焼かれてしまったからだ。
こうしてリゼ少尉は、消せない炎に焼かれて、消し炭になった。
燃えカスは、ほぼ残っていなかった。
彼女が燃えつきる寸前の表情を、ムルティスは見届けていた。
それほど無念そうでもなかった。どうやらガナーハ軍曹を失った悲しみが大きすぎて、本来のスパイ任務の手ごたえをそこまで感じなかったらしい。
きっと死の直前になって、自分が職業犯罪者であることを自覚したんだろうし、暗黒の契約書に手を出したことを後悔したんだろう。
ムルティスは、彼女を責める気になれなかった。
ほんのちょっと人生の歯車が変わっていたら、彼女と同じ道を歩んでいた可能性が高いからだ。
だから一つの区切りとして、リゼ少尉に別れを告げた。
あの世に行ったら、ガナーハ軍曹と幸せに暮らしてほしい。
こうしてリゼ少尉の物語は終着点を迎えたが、ブラックドラゴンの物語はまだ続いていた。
(さぁて、そろそろこのあたりを焼け野原にするか。バカな願い事で呼び出されたときは、ストレス解消をしないと、すっきりしないからな)
ブラックドラゴンは、実につまらなさそうな顔で、あくびをした。
ムルティスは、重傷を負った肉体で、この国が終わったことを実感した。
こんな神話の怪物に、ただちょっと科学が進歩しただけの人類がかなうはずがない。
だがそれでも、指揮所のディランジー少佐は諦めていなかった。
『司令部、対ブラックドラゴンシフト開始だ』
軍が動き出した。どうやらディランジー少佐は、もしものときに備えて、事前に出動要請をかけてあったらしい。
近くで待機していた戦車と戦闘機が、砲撃を開始した。
だが砲弾とミサイルは、ブラックドラゴンの表面に到達すると、ぱっと消えた。
衝突する音や爆炎も発生しない。まるで手品みたいに消えたのだ。
物理攻撃が通用しないというのは、防御力が高いという意味ではなく、物理的な現象がキャンセルされてしまうという意味だった。
(諦めろ人類。我に物理攻撃は通用しない。かといって戦略級の魔法使いごときでは、我の鱗に傷をつけることすらできない。まったくお前らはぜい弱なのに、なぜ我を呼び出すのだ)
ブラックドラゴンの赤い瞳から、強力なレーザーが飛び出した。
上空の戦闘機を撃墜して、足元の戦車も切り裂いてしまう。
神話の怪物は、相手が現代兵器であっても、おもちゃみたいに壊してしまった。
ブラックドラゴンは、この国を焼き尽くす前に、血の池に沈んでいくムルティスに話しかけた。
(そうそう、お前のことを忘れていた。なぜお前は、ユグドラシルの木を折ったのだ? おっと、ケガしているなら、喋るのも大変だろう。記憶を読ませてもらうぞ)
ブラックドラゴンの巨大な指先が、ムルティスの頭部に触れた。
ほんの一瞬で記憶の読み取りを完了する。
(ユグドラシルの木は偶然折れただけ。我を召喚したかったわけでもない。なんなら暗黒の契約書の発動を防ごうとしていた。それでいて願い事は自分の心臓を妹に移植すること。わけがわからん。こんなケース初めてだぞ)
ムルティスは、血の池に倒れたまま、ぼそっと一言伝えた。
「もしお前が人間の願い事を叶えたがってるなら、俺の心臓を妹に届けてくれないか?」
心臓移植の原則は、ドナーが生きているうちにである。
もしムルティスが妹の病院にたどりつけなかったら、無駄死になってしまう。
ブラックドラゴンは、神話の怪物らしからぬハイテンションっぷりで、大笑いした。
(いいぞ、いいぞ。お前みたいなやつを待ってたんだ。その願い、叶えてやろう)
ブラックドラゴンは、恐ろしいほど大きな手でムルティスをつかむと、黒くて巨大な翼で飛翔。
妹のミコットが待つ病院へ、高速で運んでいった。
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