第49話 人質救出作戦開始直前、地下ルートから進行

 造幣局とは、国家に流通する紙幣を管理する公共施設のことだ。


 つい十年前に新しい造幣局が開設されて、古い造幣局は多目的センターとして再利用されていた。


 だが新しい造幣局に改修工事を施さないといけなくなったので、工事期間の間だけ、古い造幣局の設備を臨時で使用することになった。


 臨時造幣局の見た目だが、廃業した都市銀行を凹の形で囲んだ、古風な政府施設である。


 デザインそのものは古いのだが、鉄筋コンクリートでしっかり作ってあるので、耐震性も耐火性能も高い。


 そんな建物を舞台にして、おかしな構図が展開されていた。


 政府警察グループが立てこもっていた。彼らは心臓に疾患を抱えた十三歳の女子中学生を人質にしたことで、大統領からテロリスト認定されている。


 人質救出に向かうのは、犯罪組織の暗殺部隊だ。彼らは一時的に警察官の身分を与えられて、いつでも突入できるように待機している。


 第三勢力として、旧敵陣営出身の傭兵グループが、裏口周辺に控えていた。話題の中心である暗黒の契約書を持っているのは、こちらの勢力だ。


 三つ巴の戦力が、臨時造幣局という龍脈を軸にして、にらみあっていた。


 ジョーカーになるのは、ムルティスの血液だった。


 暗殺部隊のうち、第六中隊出身の四人だけは、臨時造幣局の地下ルートを進んでいた。


 彼らは屋内で戦闘するための装備を整えてあって、怪力無双のガナーハ軍曹が、作戦に必要な物資を軍用荷車で引っ張っている。


 スマートフォンを始めとした位置情報を示すものは、すべて運送会社に置いてきた。もし敵が電子兵装を持ち込んでいたら、移動ルートを拾われるからだ。


 そんな準備万全の彼らが進んでいる道は、戦時中、防空壕として使われていた都市の空洞であった。


 つい半年前まで使用されていたので、備蓄食料の包み紙や、空っぽのペットボトルが転がっている。


 チェリト大尉が、フラッシュライトで防空壕を照らしながら、ぼそっとつぶやいた。


「まさかこんな形で見取り図が役に立つとは。ピッケムのやつ、死んでからの方が有用じゃないか」


 ガナーハ軍曹が同意した。


「やはり下克上して正解でしたね。それに、あいつが倉庫をたずねてきたタイミングで殺さないのも正解でした。ムルティスのおかげです」


「しかもムルティスは、ログハウスでおれが逮捕されないように身代わりになってくれた。最高の男じゃないか」


 チェリト大尉とガナーハ軍曹は、ムルティスの的確な判断を褒めた。


 しかしムルティスは、複雑な胸中であった。


 褒めてもらえたことは嬉しい。だが的確な判断が可能だったのは、ディランジー少佐と内通して情報を得ているからだ。


 ずっと仲間に嘘をついている。


 罪悪感は鉛の茨となって、心をがんじがらめにしていた。


 だが最低限、妹のミコットを救出するまでは、本当のことを言えない。


 もし真実を伝えたら、チェリト大尉たちは怒ってしまい、人質救出作戦を手伝ってくれないだろう。


 しかし、仲間たちに嘘をついたまま死ぬのも嫌だった。


 ならば、妹に心臓を渡す直前に潜入捜査を打ち明けよう。それが一番だと思った。


 ディランジー少佐は、地上に設置した車両指揮所に待機していて、軍用の無線機で暗殺部隊に指示を出した。


『お前たち、軍隊時代の動きは忘れてないな? 一つの戦場に、これだけの人数が参戦するとなれば、規律ある行動をしないと劣勢になるぞ』


 暗殺部隊に所属する三十代の男性が、軽い調子で答えた。


『少佐、腕も錆びてないですよ。マフィア相手にどんぱちやれました』


『そういうことを警官の前でいうな』


 げらげらと誰もが笑った。不思議な縁であった。


 少佐と暗殺部隊は、半年前まで同じ戦場にいて、いまでは警官と犯罪者に分かれている。


 それでも有事となれば、同じ目的のために肩を並べることができた。


 きっと立場が変わっても、魂の色は変わらなかったんだろう。


 チェリト大尉が、暗殺部隊を代表して、冗談まじりで返した。


「少佐こそ、警官が向いてないんじゃないか?」


 他の暗殺部隊メンバーも『少佐も仲間になればもっと稼げるぜ』と賛同していた。


 だがディランジー少佐は、チェリト大尉の冗談をさらっと受け流すと、かつての仲間たちに感謝を伝えた。


『お前たちが裏社会で実戦を続けてくれたおかげで、今回の危機に対応できる。なにが役に立つかわからない世の中になったな』


 暗殺部隊の最年長メンバーである五十代の男性が、胸に手を当てながら答えた。


『ありがたいことに、この戦場には高山攻略部隊がいる。彼らと戦って死ねるなら、この世にやり残したことに決着をつけられるよ』


 なぜ元軍人たちは、チェリト大尉の犯罪組織に参加してしまったのか。


 休戦条約なんて中途半端な形で戦争が終わってしまったので、兵士の魂にケジメがついていなかったからだ。


 だがこの戦いで、すべてが終わる。


 誰が生き残って、誰が死ぬのか?


 未来のことは誰にもわからない。意地悪な神様にでさえ。


 ディランジー少佐は、作戦開始を告げた。


『よし、各員配置につけ。戦争のやり直しだ』

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