六章
第48話 ミコットの誘拐と、人質救出チームの選び方
妹が誘拐された。政府警察の暗黒の契約書グループに。
どうして政府と警察の役人が、犯罪組織の悪人より悪いことができるんだろうか。
この世界は、やはりどこかが壊れているのではないか。
暗黒の契約書は、そこまで人間の倫理を壊してしまうんだろうか。
それとも傭兵グループのジャラハルが考えるように、この世界を管理する神に問題があるんだろうか。
いくつもの考えが浮かんでくるが、いま優先すべきことは、どうやって妹を救出するかだ。
ムルティスは、電話中の父親に質問した。
「父さん、誘拐犯は、どんなメッセージを残してる?」
『臨時の造幣局に来いって』
どうやら政府警察グループは、妹を餌にして、ムルティスの血液を龍脈に垂らしたいようだ。
「犯人の要求は理解した。ミコットのことは、軍隊時代の上官に手伝ってもらうから、父さんたちは家で待っててくれ」
『本当に大丈夫なのか、お前は汚い仕事で稼いでるから警察は助けてくれないだろうし、かといって今回の誘拐犯は警察官だし、なにを信じればいいんだ』
父親は、すっかり混乱していた。娘が誘拐されたのだから、当たり前である。
「大丈夫だ。トラブルの解決っていうのは、修羅場をくぐった数が多いやつに有利なんだ。戦争中も戦後も、俺はトラブルだらけの生活だった、つまりそれだけ有利ってことだ」
『あぁ、まさかお前が汚い仕事をしてるおかげで、妹を助ける際に頼もしくなるなんて、やっぱりこの世界はどうかしてしまったんだ……』
まるで信仰の折れた教徒みたいなことをいいながら、父親は電話を切った。
誘拐被害者の親族と電話が終われば、今度は犯人側からも連絡があった。
ディランジー少佐のスマートフォンに、警察署の番号で着信。
『ムルティスの妹・ミコットの命が惜しければ、ムルティスを連れて臨時造幣局にくるんだな。傭兵グループにも、お前たちが現場入りすることを伝えてあるから、これで一挙に解決だ』
ディランジー少佐は、まるで汚物を見たときみたいな表情になった。
「警察署の電話を使って、誘拐の要求を伝えるなんて、お前たち頭がおかしいんじゃないのか?」
『だまれ軍人崩れ、いいからムルティスを造幣局に連れてくるんだよ』
政府警察グループとの通話が終わった。
ムルティスは、政府警察グループの倫理観のなさに驚きと怒りを感じた。
十三歳の女の子を誘拐して、警察署の固定電話で要求を伝えてくるなんて、完全に頭がおかしくなっている。
ブラックドラゴンを兵器として運用する欲望は、こんなにも人の心を狂わせてしまうんだろうか。
そんなやつらが妹の身柄を抑えているなんて、恐怖でしかなかった。
「少佐のコネで、軍の特殊部隊を呼んでください。あいつらを始末してもらわないと」
ディランジー少佐は、苦虫を潰した顔で首を左右に振った。
「やめておけ。もし政府関連組織に詳しいことを伝えると、妹のことを見捨てろと命令してくるだろうし、なんなら特殊部隊はお前の命を狙ってくるぞ。火炎放射器を使って、暗黒の契約書のトリガーになる血液を蒸発させるんだ」
そう、国家にしてみれば、この事件を解決する最短の手段は、ムルティスの血液を蒸発させることなのだ。
ブラックドラゴンの召喚を無効化できるなら、民間人である十三歳のミコットを見捨てる判断だって、簡単に出来てしまう。
政府がこんな非人道的な判断をするのか、とムルティスは絶句するばかりだ。
だがしかし、つい最近まで泥沼の戦争をしていたことを考えれば、残念ながら違和感はない。
ムルティスは、強く握った拳を、自分の膝に叩きつけた。
「まさか少佐まで、妹を見捨てろっていうんですか」
ディランジー少佐だって、軍と警察の偉い人である。もし政府機関として同調するなら、妹のミコットを見捨てるはずだ。
だがディランジー少佐は、孤立無援のタフな男であった。
「いや、組織のはぐれ者になった私だからこそ、政治の力点をうまく突けば、この流れを変えることが可能だ」
どうやら少佐には、なにか考えがあるらしい。
ムルティスは、かつての上官を信じることにした。
やがてディランジー少佐は、まるで地雷を処理するときみたいな表情で、大統領の補佐官に電話した。
「久々だな。突然の連絡を謝罪する。だがどうしても大統領と交渉したいことがあるんだ」
『あなたね、わたしたちはもう離婚したのよ。そんな無茶な要求通るはずないでしょう』
なんと離婚した妻が、大統領補佐官であった。
とんでもないところにコネがあった。
「大切な仕事の話なんだ。大統領に、現在発生している籠城事件をうまく解決できれば、支持率が安定すると伝えてくれ。なんせ暗黒の契約書が関わっているからな」
暗黒の契約書という単語で、大統領補佐官はなにか思い当たることがあったらしい。
『いま、大統領に伝えてみるわ』
電話の向こう側で、大統領のスタッフチームがざわめいていた。
きっと大統領府にも、政府と警察の内部でうごめく怪しい連中がいることは、情報として入っていたんだろう。
しばらくして、電話の相手が大統領本人に代わった。
『少佐、なにかおもしろい情報があるらしいな』
「暗黒の契約書が、傭兵グループに奪われました。だがそれを政府と警察内の暗黒の契約書グループが狙っていて、市民を人質にとって臨時造幣局に籠城中です」
『いったい私にどうしろというのかね。いくら大統領とはいえ、やれることにかぎりがあるぞ』
「内務省の諜報員が残してくれたUSBメモリのおかげで、政府と警察内の裏切り者がわかっています。こいつらをテロリスト認定してくれれば、あいつらは自分たちの駒として軍の特殊部隊を使えなくなる」
まさに政治の駆け引きであった。
いくら政府警察グループとはいえ、テロリストにされてしまえば、圧倒的な強みである公共の力を使えなくなるのだ。
しかし大統領も、支持率が低迷していることもあって、かなり慎重だった。
『勝算はあるのかね、少佐?』
「勝てれば大統領の支持率は安定するし、負けたらこの国はブラックドラゴンに焼かれる。それだけですよ」
賭け事になっていない。大統領は国を守りたいなら、ディランジー少佐が勝つ方に投資するしかないのだ。
『わかった。裏切者たちをテロリスト認定しよう。特殊部隊の出動は必要かね?』
「たしかに特殊部隊を使えたら便利なんですが、万が一裏切り者リストから漏れたやつが現場に駆け付けたら、我々が背中から撃たれてしまうので」
ディランジー少佐は、USBメモリの裏切り者リストを、大統領に送信した。
『なるほど、リストに入っているのは、政府も警察も上層部の名前ばかりだ。この様子だと、末端の人間には漏れがあるな。だがそうなると、どうやって籠城作戦を解決するのかね?』
「安心してください。こちらには【信頼】できる戦力がありますから」
ディランジー少佐が通話を終わらせようとしたら、大統領が余計なことをいった。
『ところで少佐、うちの補佐官と、いまだに冷えたままなのかね。復縁するのも一つの手だと思うが』
「我々は仕事熱心です。いまぐらいの距離感がちょうどいいんでしょう」
『残念だな、お似合いの夫婦だと思っていたんだが』
プライベートのおせっかいが終わって、ようやく大統領との通話が終わった。
ムルティスは、まったく違う角度で、大統領の話題に触れた。
「あんなバカみたいな戦争を三年間も続けたやつに、嫌味の一つでもいわないんですか?」
「そうだな。いってやってもよかったのかもしれない。だが外交と戦争は、そんな単純なものじゃないのさ……」
ディランジー少佐の表情は、まるで難解なパズルを前にしたみたいに歪んでいた。
彼の表情から察するところ、半年前まで続いていた世界大戦は、複雑怪奇な駆け引きの末に発生したんだろう。
もしかしたら、ムルティスみたいな中卒の人間には理解できない理屈があるのかもしれない。
「まぁいいですよ。俺みたいな学のないやつにはわからない事情もあるんでしょうし。それより、特殊部隊が使えないとなると、どうやってミコットを助けるんです?」
ディランジー少佐は、驚きの方法を提案した。
「チェリト大尉の暗殺部隊と共闘する」
「そんな無茶な!」
理屈としては、暗殺部隊が出動すれば、造幣局の戦いにも対応できるだろう。
だが彼らは犯罪者の集団である。
いくら危機的な状況とはいえ、現役の警察官であるディランジー少佐には従わない。
「だが他に手段がない。大尉との交渉はまかせろ。師匠の威厳を見せてやるさ」
ディランジー少佐は、自分のスマートフォンで、チェリト大尉の番号に電話をかけた。
「久々だな大尉。ディランジー少佐だ。弟子のお前に手伝ってもらいたいことがある」
『あとにしてくれ。いま忙しいんだ』
「五か月前から、お前の組織はマークしてあった。BMPの密売容疑でな」
かなりの爆弾発言なのだが、チェリト大尉はそこまで驚かなかった。
『そんな気はしてたよ。おれの手口は、あんたから習ったものばかりだからな。いや、そんなことはどうでもいい。わざわざ電話で伝えてくるってことは、なにか取引をしたいんだな』
「お前たちの犯罪歴と物証を抹消するかわりに、戦ってほしい相手がいる。臨時の造幣局を占拠した連中だ」
ディランジー少佐は、ピッケム社長の遺したUSBメモリの内容を語った。
チェリト大尉は、まるでガソリンが爆発したみたいに激怒した。
『オレたちは、ピッケムの使い捨ての駒だったのか! くそっ、道理でBMPの仕入れ値が安いと思ったよ。最悪だ、やっぱりあいつは自分の手で殺せばよかったぜ!』
チェリト大尉とピッケム社長。おそらく運送会社に就職した直後は、良好な関係だったんだろう。
だがBMPの大きな取引のあたりから、急速に仲が悪化していった。
いくら二人が血縁関係であっても、チェリト大尉の優先順位は、第六中隊が上だったのだ。
そこを読み間違えたのが、ピッケム社長の死期を早めることになった。
ディランジー少佐は、チェリト大尉の怒りが落ちつくまで待ってから、とんでもない説明をした。
「私の権限で、一時的にお前たちの身分を警察官にする。これで造幣局でテロリストを殺傷しても罪に問われないぞ。
さらにいえば、元第六中隊が、国家を揺るがすテロリストと対決することで、元軍人たちのイメージが回復する。復員した連中が就職に困ることもなくなるだろうな」
名案というか、奇策というか、裏技であった。
チェリト大尉も呆れ気味に笑った。
『はっはっは、そりゃいい。交渉成立だ。だが後悔するなよ。オレたちは元軍人の犯罪者だ。テロリストの逮捕なんて選択肢にない、全員射殺するだけだ』
「それでいい。軍隊同士が戦うのに、逮捕もクソもない」
そう、三つ巴の戦いに参戦するグループは、全員が軍隊経験者である。
誰もが集団で撃ち合うことに慣れているので、これまでの戦いと違って、戦場さながらの光景になるだろう。
チェリト大尉は、この作戦に前向きらしく、おまけの情報を語った。
『臨時の造幣局だけどな、ピッケムが残してくれた見取り図のおかげで、奇襲ができるぞ』
臨時造幣局の見取り図。
かつて造幣局の使用済み紙幣を奪ってこいなんて無茶な命令を受けた際、この図面を受け取っていた。
もちろんあの命令は、ムルティスの血液を造幣局に垂らすための方便だったが、図面だけは効力を保ったままだ。
臨時造幣局の地下には、警備の難しい場所があって、そこから侵入できる。
人質救出のために、大変便利な侵入ルートでもあった。
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