第47話 ピッケム社長の正体と潜入捜査の終わり……
新車の覆面パトカーが、警察署から逃亡していた。
運転しているのは、ディランジー少佐だ。
「ムルティス、ログハウスで、なにがあったんだ?」
ムルティスは、後部座席に座っていて、小さな針金を使って手錠を外した。
こんなモノいつでも外せたのだが、わざと逮捕されたのだから、怪しい行動をするわけにはいかなかった。
「ピッケム社長が何者かに暗殺されて、暗黒の契約書を奪われたんです。ブローチにも反応がありました。間違いありません」
ディランジー少佐は、がんっとハンドルを叩いて悔しがった。
「署内の内通者ども、ピッケム社長が暗黒の契約書を持ってることを知ってたのか……それでなにか手がかりは掴んだのか?」
ムルティスは、靴底のパーツを外した。
隠してあったUSBメモリを取り出した。
「社長本人から、このUSBメモリを受け取りました。しかも死に際に、裏切られたっていってました」
「USBメモリは、このタブレットを使って、中身を確認してくれ。あとこちらでは暗黒の契約書の発動条件がわかった。ユグドラシルの木を折ったやつの血だ。戦略級の魔法使いはすでに死んでるから、お前の血だけが発動条件を満たせる」
ムルティスは、驚きよりも、なにかが噛み合うのを感じた。
これまで感じていた違和感に、ぴたりと答えがやってくる。
つい先日負傷したばかりの肩に手を添えて、一つの仮説を口にした。
「もしかして、BMPの大きな取引を邪魔した傭兵グループ、他でもないピッケム社長が雇ってたんだじゃ?」
あの取引の目的が、利益ではなく、ムルティスに出血させることだとしたら?
ムルティスの推理に対して、ディランジー少佐はタブレットを指さした。
「真実を知るためには、USBメモリの中身を調べたほうがいい」
ムルティスは、タブレットにUSBメモリを差して、中身の情報を調べていく。
音声メッセージ、データリスト、メモ帳である。
まずは作成された日付順で、一番上にある音声メッセージを再生した。
『誰かに暗殺されたときに備えて、このメッセージを遺しておく。
私は内務省直属の諜報員として、暗黒の契約書を探していた。目的は敵陣営のせん滅である。もしブラックドラゴンの力を兵器として使えるなら、世界大戦に圧勝できるからだ。
だが、誰が敵で、誰が味方か、いまいちわからなかった。政府内や警察内の協力者ですら、いつ裏切るかわからないからだ』
ピッケム社長は、政府機関の諜報員だった。だから経歴が綺麗すぎたのだ。いかにも運送会社の社長っぽい経歴を、偽装工作で作ってあったから。
だが彼の正体より驚きなのは、秘密任務の目的であった。
「ブラックドラゴンの兵器利用なんて、無理に決まってるじゃないか。レシプロ戦闘機の時代に、あいつを呼び出した国が滅んでるっていうのに」
ムルティスが吐き捨てると、ディランジー少佐も呆れた。
「なぜ人類は、コントロール不能な化け物で戦局をなんとかしようとするんだ。これまでの歴史で、ブラックドラゴンを呼び出してきたやつらは、みんな同じような理由で召喚しては、国ごと滅んできたのに」
USBメモリの中身には、文字ベースの日記帳もあった。
彼が諜報員として行ってきた今回の秘密任務について、日付順に並んでいた。
『戦争中、榴弾砲の流れ弾が田舎の小さな駅に着弾したおかげで、遺跡の出入口を発見できた。そこに暗黒の契約書が封印されていた。はっきりいってただのラッキーで発見できた。我々は運がいい。
使用方法はまだわからない。ブラックドラゴンをコントロールする方法だってわからない。だがこれさえあれば世界大戦に勝利できるだろう。そう思っていたら、休戦条約が結ばれてしまった。暗黒の契約書は使い道がなくなってしまった。
いや、違う。我々は敵陣営に勝利することを諦めていなかった。たとえ休戦条約を結ぼうとも、ブラックドラゴンをコントロールして、敵陣営を滅ぼしてしまえば、実質勝利だ。
我が国は、あれだけ多くの犠牲者を出したのに、勝利することができないなんて、絶対に認められないのだ』
政府と警察の内通者たちが、暗黒の契約書を使おうとした動機は、休戦条約に納得していないからだった。
それと休戦条約が結ばれた直後は、暗黒の契約書の発動条件を知らなかったようだ。
だが彼らは諦めずに、発動条件を研究していた。
『剣と魔法の時代の文献を調べていくと、暗黒の契約書を発動するためには、二つの条件が必要だとわかった。
1、ユグドラシルの木を折ったやつの血液。
2、BMPをばらまいて、大衆の潜在的な魔法エネルギーを媒介にすること』
このあたりから、ムルティスたちも知っている話になっていく。
『親族のチェリトが泣きついてきた。軍隊の元部下たちを食わせるための仕事が欲しいそうだ。これは利用できると思って、国有工場で生産したBMPを密売させることにした。格安で横流しすれば、儲けに目がくらんで、どんどん街中にばらまいてくれるはずだ』
チェリト大尉が、BMPの密売組織を結成した経緯だった。
やはりチェリト大尉は、暗黒の契約書グループの都合のいい駒として踊らされていたようだ。
もちろんその駒には、潜入捜査をやることになるムルティスも含まれていた。
『ムルティス上等兵のリハビリが終わったから、運送会社に誘おうとしたら、あちらから接触してきた。やはり我々は運がいい、いきなり発動条件の血液を手に入れたのだから。
ただし、いまだにブラックドラゴンのコントロール方法がわからないから、召喚の儀式を実行に移せない。実にもどかしい』
潜入捜査をしたいムルティスと、血液が欲しいピッケム社長。双方の利害が一致して、あっさりと運送会社の社員になれたわけだ。
それと彼らがしばらくムルティスを放置していた理由は、ブラックドラゴンのコントロール方法がわからなかったからだ。
しかし彼らも、執念深く研究したおかげで、ついにコントロール方法を発見した。
『地元マフィアがせん滅されたあたりで、同志の魔法使いがブラックドラゴンのコントロール方法を発見した。二つの龍脈を結ぶように、ムルティスの血液を垂らせばいいのだ。それから暗黒の契約書を発動すれば、ブラックドラゴンをコントロールできる』
ディランジー少佐は大卒の有識者だから、龍脈の位置を知っていた。カーナビを操作して、該当するポイントを表示。
「例のBMPの取引現場が、龍脈の一つだ。そしてもう一つの龍脈は、ここだ」
臨時造幣局。
ピッケム社長が使用済み紙幣の強奪を命じた場所だった。
なぜこれまで犯罪組織のやり方に干渉してこなかった社長が、BMPの大きな取引から造幣局の襲撃まで、突然リスクのあることばかりやらせようとしたのか?
ムルティスの新鮮な血液を龍脈に流させるためだった。
『ムルティスの血を流させるためにも、取引を失敗させるためにも、傭兵グループを雇った。取引が失敗すれば、次の目的地である造幣局の襲撃を断れなくなるからだ。
ムルティスは覆面とコートで見た目を偽装しているから、【大量のBMPを運んでいるやつらのなかで、狙撃用の武器を持っているやつを優先的に狙え。ただし殺すな】と依頼した』
雇った傭兵とは、ジャラハルのことだ。
彼がムルティスを狙撃するとき殺意が薄れたのは、友情だけではなく、元々そういう依頼だったのだ。
『だが最後の最後で人選を失敗した。雇った傭兵グループは、敵陣営であるデルハラ共和国の元兵士たちだった。私の身元チェックが甘かった。つい先日、彼らは暗黒の契約書の存在に気づいたようだ。もしかしたら、私は狙われているかもしれない。
いや、私を狙っているやつは、他にもいる。
どうやら同志たちは、この作戦が成功したとき、ブラックドラゴンを呼び出すまでに散々やってきた汚い仕事の責任を、すべて私に押し付けたいらしい。
政府内の反対勢力だって、ディランジー少佐を引っ張り出してきた。
世話をした甥っ子のチェリトですら、私を邪魔者扱いしている。
このままでは、誰かに殺されてしまう。なんとかしなければ』
こちらの日記が最新であり、ショットガンで撃たれる前日に書いたものだった。
ムルティスは、日記帳のファイルを閉じると、ため息をついた。
「どうやら俺の推理は当たったみたいですね」
ピッケム社長が、ジャラハルの傭兵グループを雇っていた。
しかもジャラハルの傭兵グループは、かつて対戦した高山攻略部隊・G中隊のメンバーたちだった。
戦闘中の彼らの動きが、やけに既視感だらけだったのは、戦時中に対戦したことがあるからだった。
ディランジー少佐は、カーナビの地図を、臨時造幣局にフォーカスした。
「すでにBMPの取引現場には、お前の血が垂れた。あとは臨時造幣局に血を垂らせば、ブラックドラゴンをコントロールする条件を満たせる。きっと暗黒の契約書を奪った連中も、お前の血液を狙ってくるはずだ」
誰が奪ったんだろうか、暗黒の契約書を。
とムルティスが思っていたら、プライベート用のスマートフォンに、ジャラハルから電話がかかってきた。
強烈な胸騒ぎがした。きっとこの電話に出ることで、この事件は新しい局面を迎えるんだろうと。
どんな予感がしようとも、逃げるわけにはいかないので、電話に出た。
『ムルティス、ワタシたちと手を組まないか? 暗黒の契約書を手に入れたんだ』
傭兵グループが、ピッケム社長を殺害して、暗黒の契約書を奪ったのだ。
ムルティスは、事件の流れが氾濫した川のように激しくなっていることに嫌気が差した。
ただでさえ潜入捜査なんて難しい立場を続けてきたのに、第三勢力が暗黒の契約書を手に入れたとなれば、情報の量が破裂寸前であった。
しかし逃げてはいけない。可能なかぎり、ジャラハルから情報を引き出さなければ。
「ジャラハル、いつ暗黒の契約書の存在に気づいたんだ?」
『休日に、お前の仕事を手伝ったときだ。胸にブローチをつけていただろう? あれと同じものを、故郷の街中で見たことがあって、用途も知っていた。暗黒の契約書に反応する宝石だ。あとは簡単だった。同じ宝石を手に入れて、依頼主のログハウスに持っていったら、反応した』
ムルティスは深く反省した。
「俺のせいで、傭兵グループに気づかれたのか……」
『ムルティス、お前のせいじゃない。むしろ感謝している。おかげでブラックドラゴンという新しい神を手に入れられるのだから』
「神だって?」
『そう、新しい神だ。この世界は、あまりにもおかしな出来事が多すぎる。きっとそれは既存の神が怠けているからだ。それならば、新しい神に入れ替えたほうがいい。ブラックドラゴンには、それだけの力があるはずだ』
傭兵グループの願いは、あまりにも斬新だった。
ブラックドラゴンに、どこかの国を攻撃してほしいとかではなく、新しい神として君臨してほしいのだ。
だがこれだけ世界中で軍人叩きが横行していると、そんな考えが浮かんできても違和感はない。
むしろ賛同しそうな人たちがたくさんいるんだろう。
ムルティスだって、もし彼らG中隊と同じような迫害を受けていたら、賛同していたかもしれない。
いや、それだけじゃない。
妹の心臓病のことだって、なんて意地悪な神様だと恨んでいた。
潜入捜査で仲間たちを裏切っていることも。
新しい友達であるジャラハルと敵味方に分かれて交戦したことも。
すべて運命の神様を恨んでいた。
では、ジャラハルの意見に賛同して、傭兵グループの悪だくみに乗るのか?
魔法使いや錬金術師の間ですら、神の定義は揺らいでいるのに、兵卒のスナイパーが、ブラックドラゴンを新しい神にするというカルトじみた考えに乗っかっていいのか?
いや、無理だ。
ムルティスは、政治インテリマスコミ国民を信じていないが、だからといってこの世界を見捨てたいわけじゃない。
「悪いが、その計画には乗れない」
『一緒にやろう、ムルティス。ブラックドラゴンだったら、ユグドラシルの木を完全に消せるかもしれないんだぞ。だってあいつは、ユグドラシルの木を折ったやつに反応して、この世に出てくるんだから、それだけ既存の世界が嫌いなはずだ』
ブラックドラゴンが新しい神になったら、ユグドラシルの木を完全に消滅させるはず。
それが傭兵グループの行動動機の根元だった。
彼らG中隊だけではなく、ムルティスたち第六中隊だって、ユグドラシルの木があったから、迫害されることになった。
いや、あのくそったれの木は、そもそも戦争の原因だ。
ならばそれを消滅させることで、いまよりマシな世界になるかもしれない。
新しい神をやってもらうなんてカルトじみたお誘いと違って、ユグドラシルの木を完全に消すというお誘いは、とてつもない魅力があった。
だが、成功する保証がない。
ブラックドラゴンは混沌の象徴だ。
人間なんて脆弱な生き物の願い事なんて無視して、自分の好きなよう暴れて帰ってしまうかもしれない。
そうなったら、もし妹が心臓移植で助かったとしても、ブラックドラゴンの炎で焼かれてしまう。
ムルティスは、妹のために、危険な賭けには乗れなかった。
「悪い、ジャラハル。俺には守りたいものがあるんだ」
『そうか、残念だ。では、近いうちに、お前の血液をもらうことになるだろう。ただ安心してくれ。血液は一滴あれば十分だから、小さな切り傷を作って終わりだ』
ムルティスが通話を終わらせたら、今度はディランジー少佐に電話がかかってきた。
警察署内の暗黒の契約書グループからだった。
『少佐。容疑者を外に連れ出してるらしいが、いますぐ署に戻ってもらおうか』
ディランジー少佐は、怒りまかせに返事した。
「お前らの要求なんて無視するに決まってるだろ。ブラックドラゴンを兵器として使いたい愚か者のくせに」
ぷつっと電話を切った。
ムルティスは、現在の状況を整理した。
「三つ巴ですね。俺たちと、傭兵グループと、政府と警察の暗黒の契約書グループ」
「カギになるのは、お前の血液だ。どちらの勢力にも渡してはいけない」
「俺が隠れたら、傭兵グループと、政府警察グループの争いになるんでしょうか?」
「ああ、そうだ。戦士ギルドの報告によれば、政府内部の暗黒の契約書グループは、血眼になって傭兵グループを探しているようだ」
「だったら俺が遠くへ逃げれば、暗黒の契約書が発動することはないんでしょう。暗黒の契約書を誰が持っているか突き止めたんだし、潜入捜査は成功のはずですよ。約束通り、うちの妹の心臓移植を手続きしてください」
ムルティスは、ちゃんと二億ゴールド払ってもらうぞ、といわんばかりの目力で睨んだ。
ディランジー少佐は、理性的にうなずいた。
「そうだな。やっておこう」
ついに潜入捜査は完了した。
いくつもの困難があったし、チェリト大尉に内通を疑われて銃を向けられることもあった。
だがそんなリスクだらけな日々も、今日でおしまいだ。
しかし、人生の危険が去ったわけではない。
自分の血液が暗黒の契約書を発動させる条件になっているなら、今回の政府警察グループや、傭兵グループだけではなく、他国の頭のおかしいやつらだって集まってくるんだろう。
そんな状態で逃げ続ける生活は、正直疲れる気がする。
妹の心臓移植と照らし合わせて、一つの解決方法があった。
「少佐、一つ名案を閃きました。妹の心臓移植のドナーは、俺がやります」
妹のドナーが見つかりそうにないんだし、それなら生きているだけでブラックドラゴンの引き金となる自分の臓器を提供してしまったほうがいい。
ディランジー少佐は、ちゃんと事情を理解していた。
「お前は生きてるかぎり、暗黒の契約書の発動条件になるから、安全な場所で心臓を抜き取って、血液を蒸発させるんだな。どうせ世界中の異常者に狙われるなら、そのほうがたしかに有益かもしれない。もちろんお前自身が納得してるならだが」
「納得といわれると困りますね。ですが、取り返しがつかなくなる前に引き返す、っていう意味では納得してます」
ログハウスで逮捕されたときから、ぼんやりと考えていることがあった。
ピッケム社長を事故に見せかけて殺すことを提案したとき、自分が何者かわかってしまった。
潜入捜査に関係なく、犯罪と親和性が高い。
誰かを殺してお金を稼ぐことに、まったく抵抗がない。
立派な職業犯罪者である。
もし自分の心臓を妹に移植しなかったら、たとえ潜入捜査の仕事が終わっても、犯罪組織に在籍したままだろう。
もし誰かを殺すことに躊躇のない職業犯罪者だと家族に知られたら、両親は悲しむし、せっかく生き残った妹だって嫌がるに決まっていた。
そんな未来を避けるためには、妹に心臓を移植して、死ぬしかない。
ディランジー少佐も、やれやれといった感じで納得した。
「わかった。いますぐ妹さんがいる病院にいこう。そこで手術だ」
すっかり終わりの気分だった。
潜入捜査も、犯罪組織での仕事も、贅沢だった生活も、暗黒の契約書との関わりも、すべてが自分の死によって終わる。
やりきった気もしていたし、やり残したことがあるような気もしていた。
ガナーハ軍曹と、もっとたくさん仕事をしたかった。
表の仕事でも裏の仕事でもなんでもいいから、ガナーハ軍曹と労働の喜びを分かち合いたかった。
だがその願いは叶わずに、心臓移植という正しい行いによってこの世を去ることになる。
いい結末であった。
いまは難しいことを考えずに、ぼーっとしていたかった。
まるで川の表面を流れる木の葉のように、覆面パトカーが路面を走る揺らぎに身を任せていた。
だが最悪な邪魔が入った。
ムルティスのプライベート用スマートフォンに、父親から連絡が入った。
『ミコットが病院から誘拐された! 警官の制服を着たやつらに!』
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