第43話 潜入捜査がバレる危機
ピッケム社長が帰ったあと、第六中隊出身者による話し合いが始まった。
ガナーハ軍曹は、堪忍袋の緒が切れていた。
「ピッケム社長を殺すべきだ。運送会社も大尉が経営すればいい」
日常生活では感情を露わにしない人が、噴火した火山みたいに怒る。それだけピッケム社長の行いが、仁義に反していたのだ。
チェリト大尉は、カウンターバーに肘をついて、あれこれ計算した。
「下克上を決めるのは確定事項だ。あとは方法とタイミングだな」
リゼ少尉は、ミネラルウォーターを飲んで、肩をすくめた。
「品質のいいBMPを失うのは惜しいけど、少々の粗悪品でよければ、他のルートから仕入れられるし、それで機会損失を埋めればいいんじゃない」
ムルティスは、別の角度から、今回の案件を考えていた。
ピッケム社長が、政府の国有工場と繋がりを持っているのは間違いない。
だからこそ彼を殺した場合、国有工場の横流し担当から、軍の特殊部隊に要請が入って、チェリト大尉の組織を襲撃するはずだ。
特殊部隊と戦闘しても、物量差で負けてしまうことは、すでにエミュレーション済みだ。
たとえ勝てないにしても、都市の地下に潜ることで、全滅は避けられるかもしれないが、それでは商売を継続できないだろう。
実質、組織は壊滅状態になる。
だからこそ仲間たちに、いま自分たちは危うい状況にある、と伝えられればいいのだが、それが難しい。
BMPが国有工場で生産されたものだと知っているのは、自分だけなのだ。
もし伝え方を間違えたら、政府や警察との内通を疑われて、最悪処刑される。
だがもし、なにも伝えなかったら、特殊部隊による壊滅ルートを避けらない。
ムルティスが悩んでいたら、チェリト大尉が決断を下してしまう。
「よし、明日の朝、ピッケムに決断を伝えるフリをして、暗殺しよう。運送会社もおれのモノすれば、品質のいいBMPがなくても、なんとかなるはずだ」
ガナーハ軍曹は、おおいに喜んだ。
「大尉、すばらしい決断を下しましたね」
リゼ少尉は、いつものようにクールだった。
「まぁ、多少利益は減るけど、赤の他人に干渉されるより何倍もマシかもね」
このままだと、まずいことになる。
おそらくチェリト大尉は、サプレッサーのついた密造拳銃で、ピッケム社長を射殺するだろう。
たとえ証拠を隠滅しても、このタイミングで殺したら、国有工場の横流し担当には、誰が犯人なのかバレる。
そうなったら、特殊部隊による壊滅ルートだ。
なんとか仲間たちを救いたい。だが余計なことをいったら自分の立場が危うくなる。
もし内通を疑われて処刑されてしまったら、妹のミコットは誰にも救えないことになる。
では見過ごすのか、むざむざ仲間たちが特殊部隊に潰される流れを。
ムルティスは、まるで拷問を受けたかのように葛藤してから、ついに決断を下した。
「大尉、もし社長を殺すなら、事故に見せかけて殺しましょう」
チェリト大尉は、ピクッと眉を動かした。
「なぜ、わざわざ事故に見せかけるんだ?」
なぜ事故に見せかけるのか?
ピッケム社長を普通の方法で殺すと、軍の特殊部隊が湾岸倉庫を襲撃してくるからだ。
だが事故に見せかけて殺せば、チェリト大尉の組織が殺したかどうか判別できないので、BMPの横流しルートが消えるだけで、組織の壊滅は避けられる。
しかし、この理由をチェリト大尉に説明するためには、BMPの製造元が国有工場だと明かさないといけない。
ディランジー少佐にしか教えていない機密を公開すると、間違いなくムルティスの立場が悪くなる。
もしムルティスが自己保身だけを考えるなら、仲間たちがピッケム社長を殺すところを見逃せばいい。
もし軍の特殊部隊が動くタイミングになったら、ディランジー少佐から連絡がくるので、その瞬間に逃げればいいだろう。
だがそれでいいのか?
いくら潜入捜査中とはいえ、彼らは第六中隊の仲間なのだ。
見捨てたくない。
ムルティスは、仲間たちを助けるために、自分の安全を犠牲にした。
「おそらくですが、ピッケム社長は政府と繋がりがあるからです」
チェリト大尉は、ぎょっとした。
「なんだって? あの根っからの悪人が、なんで政府と?」
「つい先日調べて気づいたんですが、どうやら俺たちの売ってるBMPって、政府の国営工場から横流しされてるみたいなんですよ」
と発言した瞬間、チェリト大尉が拳銃を抜いて、ムルティスに向けた。
「お前、なんでそんな大事な情報をずっと黙ってた?」
疑われている。もしかしてこいつは、どこぞの組織との内通者ではないかと。
潜入捜査をやるからには、一度はこのリスクと向き合うときがくるのだ。
しかもムルティスは、ディランジー少佐と内通しているわけだから、チェリト大尉の疑いは実に正しい。
だが疑われることを覚悟してでも、機密を公開したのは、仲間たちを救うためだ。
というか、隠していた機密を公開すれば、勘の鋭いチェリト大尉であれば、内通を疑うなんてわかりきっていた。
それでもムルティスは、仲間たちを守りたくて、大きなリスクを背負ったのだ。
兄貴分であるガナーハ軍曹は、激しく動揺していた。
「ま、待ってください大尉。なぜオレの弟分に銃を向けているんです」
ガナーハ軍曹は、両手を広げて、ムルティスをかばった。
だがチェリト大尉は、冷徹な瞳で、ムルティスを分析した。
「ムルティスは、どこかの組織と内通している可能性がある」
内通という言葉に、ガナーハ軍曹は飛び上がった。
「そんなばかな! ムルティスが裏切るはずないですよ! だってオレの弟分なんだ!」
ムルティスの心臓が、ぎゅっと収縮した。
裏切っているのだ、現在進行形で。
兄貴分に嘘をついて、潜入捜査をしているのだ。
だが事情があった。妹の心臓移植のためであり、暗黒の契約書を発動させないためであった。
そんな事情も、ムルティスの個人的なものであって、犯罪組織には関係ない。
なんにせよ、自分の命を守るために、仲間たちが特殊部隊に強襲されないために、うまく自己弁護する必要があった。
「なぜ国有工場の件を黙っていたかというとですね、もしこの秘密をみんなに話したら、イザってときに口封じされるのが、俺だけじゃなくて、みんなになるからです」
真実をひとつまみだけ混ぜて、ディランジー少佐の内通者であることを伏せた。
最初に騙されてくれたのは、リゼ少尉であった。
「あの胡散臭い社長が、国有工場の横流しなんてヤバイことに関わってるとしたら、たしかに事情通は全員口封じね。だって国家にしてみれば、ただでさえ世界大戦のせいで支持率揺らいでんのに、これ以上スキャンダルを公にしたくないだろうし」
さらにガナーハ軍曹が、もう一つの危機に気づいた。
「そうか、ピッケム社長が政府とつながりがあるとしたら、あいつを殺したとき、オレたちは軍の特殊部隊に強襲されるのか! なるほど、たしかに事故死に見せかけて殺さないと、オレたちが壊滅するな」
ようやく仲間たちは、自分たちが薄氷の上で踊っていることに気づいてくれた。
ムルティスは、自分の伝えたかった危機が共有されたので、ほっと安心した。
その表情を見て、チェリト大尉は拳銃をおろした。
「どうやらお前の意見が正しいようだ。今回は許そう。だがもし、もう一度仲間に秘密を作ったら、そのときは覚悟しておけ」
どうやら処刑されることも回避できたみたいだし、軍の特殊部隊に襲撃される未来も消えたようだ。
ムルティスは、ようやく緊張状態から解かれて、ぐでんっとその場に腰を下ろした。
とんでもない量の汗をかいていた。
一世一代の大勝負だった。
だが賭けには勝った。嘘がまた一つ積み重なってしまったが。
ガナーハ軍曹も、弟分の疑いが晴れたので、嬉しそうに手を叩いた。
「よかったな、ムルティス」
兄貴分の笑顔が、ムルティスの心に突き刺さった。
彼のことは裏切りたくないのだが、もはや引き返せないところまで来ていた。
なんとか美しい結末を迎えたいのだが、運命の神様は意地悪なので、すべてが破綻するかもしれない。
ふと脳裏によみがえった言葉がある。
高山攻略部隊のG中隊・ジャラハルがいっていた『神を入れ替えたらもっとマシな世界になるかもしれない』というセリフだ。
なぜ新しく友達になった彼が、あんなにも神様にこだわっていたのか、いまなら少しだけわかる。
兄貴分に嘘をついて、潜入捜査なんて危ない橋を渡っているのは、きっとこの世界の神様が壊れているからだ。
そう思ってしまうほど、ムルティスは精神的に打ちのめされていた。
どれだけムルティスが疲弊していても、組織の危機が去ったわけではない。
国有工場の横流しなんて恐ろしい案件と関わる社長から、造幣局の襲撃を命じられていることに変わりはないのだ。
チェリト大尉は、数秒ほど思案してから、ムルティスの案を採用した。
「ピッケムを事故に見せかけて殺そう。それからあいつの自宅を捜索して、国営工場の誰がBMPの横流しに加担してるのか突き止めて、その情報をディランジー少佐に流せばいい。そうすれば横流しの犯人は逮捕されて、おれたちは特殊部隊に襲撃されない」
たとえ戦場を離れても、チェリト大尉は、ディランジー少佐を信頼しているんだろう。
そうでなければ、誰が内通者かわからない警察署内で、大事な情報を流す相手として選べないからだ。
さすがに師匠と弟子の関係だった。
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