第42話 犯罪組織にも運命の分かれ道がある

 あと数件、リストアップされた物件を調査すれば、暗黒の契約書に一つの区切りがつけられるはずだった。


【ムルティス上等兵による潜入捜査では、暗黒の契約書の存在を確認できなかった】


 きっとディランジー少佐だって、これだけ探して見つからないなら、潜入捜査を継続しても意味はないと判断するはずだ。


 晴れてムルティスは警察の犬を解任されて、妹の手術費用だって負担してもらえる。


 あとはドナーを探しながら、このまま裏の仕事を続けるかどうか悩めばいい。


 そんな青写真を描いていたのだが、やはり運命の神様は意地悪であった。


 次の休日がやってくる前に、ピッケム社長が湾岸倉庫をたずねてきた。


「約束通り、先日の取引の失敗を、別件の仕事で埋めてもらおう」


 埋め合わせというから、てっきりこれまでの商売の延長で、悪事を働けばいいのかと思っていた。


 だが違った。


「お前たちにやってもらいたいことは、造幣局に潜入して、使用済みの紙幣を盗むことだ」


 ピッケム社長が命じた仕事は、これまでやってきた犯罪とは大きく性質が異なっていた。


 奪う対象が、カタギの人間なのだ。


 これまでの商売は、違法な商品を売りさばく側も、買う側も、誰もが後ろめたい事情を持っていた。


 だが造幣局は違う。


 普通の職員が働いているし、警備員もカタギの人間だ。


 そんな真面目な建物に侵入して、使用済みの紙幣を奪わないといけない。


 もし侵入に気づかれたら、撃ち合いになるだろう。


 となれば、カタギの警備員を射殺することになる。


 最悪の場合、普通の職員に流れ弾が当たるかもしれない。


 そんな犯罪、仁義に反していた。


 この仕事に真っ先に反対したのは、ガナーハ軍曹だった。


「冗談じゃない。もし侵入に気づかれたら、カタギの人間と撃ちあいになるんだぞ。こんな仕事、絶対に受けるべきじゃない」


 もはや敬語を使っていなかった。それぐらいピッケム社長の持ち込んでくる怪しい仕事に嫌気がさしているのだ。


 ムルティスだってこの仕事を受けたくなかったし、チェリト大尉とリゼ少尉も乗り気じゃなかった。


 だがピッケム社長は、そんなリアクションを予想していたらしく、スマートフォンの電卓アプリに数字を打ち込んだ。


「この数字が、先日の取引で積み荷を奪われたお前たちの損失だぞ。それでも断るつもりなのか?」


 十二億ゴールドである。


 あれだけ大口の荷物を奪われてしまったので、これぐらいの損失が出て当然であった。


 だがチェリト大尉は、十二億という数字が表示された画面を、鬱陶しそうに遠ざけた。


「造幣局なんてリスクの山に首を突っ込まなくても、別件の仕事をこなして、ゆっくり確実に損失を補填すればいいんだろ?」


 まっとうな反論である。


 損失額がはっきりしているなら、最終的に帳尻があえばいいのであって、いますぐまとめて補填する必要はない。


 だがピッケム社長は、食い下がった。


「BMPの製造元が怒っているんだよ。いますぐ十二億ゴールドを補填できないなら、我々の組織には商品を送らないと」


 こちらの社長の発言だが、ムルティスには別の意味に聞こえていた。


 政府の国有工場が怒っている、という意味になるのだ。


 もし国有工場の横流し担当が、政府のお偉いさんと繋がっていたら、軍の特殊部隊がこの湾岸倉庫を強襲する可能性があった。


 いくらムルティスたちが銃撃戦に慣れていても、軍の特殊部隊と真正面からぶつかったら、技術より物量の差で負けてしまう。


 人員の数も、機材の量も、あちらのほうが圧倒的に優れているのだ。


 とはいえ、特殊部隊の強襲は、まだ可能性の段階だ。


 いくら造幣局の強盗案件を断ったとしても、いきなり最悪の展開にはならないだろう。


 ただしこれまで横流しされてきたBMPは、間違いなく入荷できなくなるから、犯罪組織の利益は激減するはずだ。


 このあたりの数字について、リゼ少尉がチェリト大尉に質問した。


「BMPなしで商売するとしたら、どれぐらい利益が減るわけ?」


「……半減だ。マフィアから奪った商売は、人件費と秘匿コストも相応にかかるから、あくまで利益の底上として考えたほうがいい」


 ムルティスは、数字の裏側を察した。


 BMPの利益率の高さは、おそらく仕入れの価格が低い恩恵だ。


 仕入れの価格が低いということは、BMPを横流ししている国有工場の利益はかなり少ないはず。


 もしかしたら、国有工場の横流しには、特殊な理由があるのかもしれない。


 ガナーハ軍曹は、利益半減という情報を聞いても、断固反対した。


「我々が地元マフィアを滅ぼしてから、夜の街に好意的に受け入れられたのは、仁義を守ったからだ。だが造幣局の強盗は仁義に反してる。やるべきじゃない」


 下士官の矜持である。こんな仕事を請けるぐらいなら、犯罪組織を解体したほうがいいと本気で思っている。


 当然この志向性は、士官であるチェリト大尉にも伝わっていた。


 チェリト大尉が口を開こうとした。おそらく社長の依頼を断るつもりだったのだ。


 だがそれを遮るように、ピッケム社長は紙の見取り図を取り出した。


「弱腰なお前たちに耳寄りな情報だ。現在造幣局は改築工事のため、機能を停止。臨時で都市銀行の旧造幣局を使用してる。この地図を見ればわかるように、旧造幣局は設備が古いから、侵入が簡単だ」


 さらにピッケム社長は、内部機密であろう書類を取り出した。


「この旧造幣局に、該当地域の使用済み紙幣が集められて、古い焼却設備で焼かれる予定だ。その金額は百億ゴールド。もしこいつを奪うことができたら、お前たちの負債は帳消しだし、なんなら前回の取引で予定していた利益以上の金額は、全部お前たちの報酬にしよう」


 使用済み紙幣の強奪で得られる利益を、ムルティスは計算した。


 BMPの取引で出した負債や、あの日予定していた利益を差し引くと、七十八億ゴールドが、ムルティスたちの報酬になる。


 四人で分割しても、一人約二十億ゴールドだ。


 今回の仕事が成功するだけで、妹の手術費用があっさり稼げる。


 妹は病状が悪化して入院した。もはや心臓は長持ちしない。


 では、やるのか、この仁義に反した仕事を?


 あくまで自分は潜入調査のために犯罪組織にいるはず。


 という建前が薄れて、だんだん身も心も犯罪組織に染まりつつあることも自覚している。


 たとえそうであっても、仁義に反した仕事は受けるべきではないだろう。


 あと一つ気になることがあって、なぜピッケム社長は、こんな警備上の問題となる内部機密を入手できたのかだ。


 ディランジー少佐に、ピッケム社長のことを調べてもらっているが、まだ結果は出そうにない。


 もし単純に政府内部の汚職官僚と繋がっているだけなら、問題ない。


 汚職でつながる間柄は、たとえ法的に問題があっても、裏の世界としては正常だからだ。


 だがそれ以外の動機――暗黒の契約書関連でつながっているとしたら、チェリト大尉の犯罪組織はかなり危うい立場になる。


 ムルティスは自覚した。仲間たちの命運を握っているのは、自分の決断だと。


 ふと気づいた。ガナーハ軍曹が、こちらの目をじっと見つめていることに。


 兄貴分が、弟分に、アイコンタクトで決意表明していた。


 ピッケム社長を暗殺したい、と。


 どうやら死体を処理するための化学薬品も準備済みのようだ。


 だが組織の元締めを、なんの道理もなく殺すのは、それこそ仁義に反しているから、ピッケム社長に対して立場の確認を行った。


「いくら社長が大尉の叔父で、組織を立ち上げるときの資金を用意したとしても、この組織を大きくしたのは、チェリト大尉だ」


 人望の話でもあり、指揮系統の話でもあった。


 下士官というのは、直属の士官に従うものだ。


 ガナーハ軍曹は、あくまでチェリト大尉のために働いているのであって、ピッケム社長のために働いているわけではない。


 その気持ちは、ムルティスにもよくわかった。


 おそらく他のメンバーたちだって同じだ。


 チェリト大尉の組織だから犯罪に加担しているのであって、もしリーダーが変わったら一斉に足を洗うんだろう。


 ピッケム社長も、ようやく組織の形を理解したらしい。説得の方向性を変えた。


「チェリト。お前がやるといえば、他のメンバーもやるようだ」


 正しい認識だ。軍隊というのは、信頼している上官の指示に従うものだ。


 その信頼された上官であるチェリト大尉は、渋い顔でお断りした。


「こちらとしては、前回の取引で懲りてるんだよ。だから造幣局の話は、他の誰かに持っていけばいいんじゃないか?」


 これだけはっきりと断られたのに、ピッケム社長は諦めなかった。


「BMPを失ったら、この組織は利益半減なんだぞ。それに、BMPの製造元が怒ったら、大変なことになるんだぞ。それでもお前は依頼を断るんだな?」


 明確な脅しである。


 これまでも相手の立場を揺さぶるような挑発はいくらでもあったが、こんな背後の武力を匂わせるような言い回しは初めてだった。


 だからこそ、ガナーハ軍曹の怒りに火をつけることになった。


 ムルティスは気づいた。ガナーハ軍曹が腰の拳銃に手を伸ばしていることに。


 いますぐピッケム社長を射殺するつもりだ。


 そのことをチェリト大尉も了承済みである。


 だが決断が早すぎる。社長はただの金持ち犯罪者ではなく、政府と繋がりがある要注意人物なのだ。


 なんの手順も踏まずに射殺したら、十中八九、軍の特殊部隊が強襲してくる。


 ムルティスは、ガナーハ軍曹の手を、そっと抑えた。無言で首を左右に振って、いまはそのときではないと訴える。


 ガナーハ軍曹は、仕方ないといった感じで、拳銃から手を放した。


 一つ目の問題をクリアしたので、続いてチェリト大尉に進言した。


「大尉、これだけ大きな仕事なんですから、請けるかどうか一日じっくり考えましょう。なんなら半日とかでもいいですから」


 時間を引き延ばせば、組織の活路を見出せるかもしれない。


 少なくとも、いますぐ決断するより、何倍もマシな答えが出せるはずだ。


 チェリト大尉は、それは名案だといわんばかりに、力強くうなずいた。


「ピッケム。こういう難しい仕事を即断即決するのは難しい。明日の朝に答えを伝えるよ」


 ピッケム社長は、うーんとクマみたいに唸った。


「……わかった、明日の朝まで待つ。いい答えを待っているからな」


 といいながら帰るわけだが、ちらっとムルティスをにらんだ。余計なことを言いやがって、といわんばかりに。


 だがムルティスは心の中で叫んだ。もし余計なことをいわなかったら、いまごろお前はガナーハ軍曹に射殺されているんだぞ、と。

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