第32話 もう一人の関係者

 大きな取引を行うためには、足がつかなくて信頼性の高いトラックと、大量のBMPが必要だ。


 それらを湾岸倉庫まで運んできたのは、なんと運送会社の社長であるピッケムだった。


「こちらの仕事で顔を合わせるのは初めてだな」


 ムルティスは、まるで雷鳴が直撃したかのような衝撃を受けた。


 運送会社の社長が犯罪組織に関わっているなら、潜入捜査の前提条件が大きく変わってしまう。


 チェリト大尉をマークするだけでは、暗黒の契約書が発見できなくて当然だった。


 社長も調べなければならなかったのだ。


 ムルティスは、ディランジー少佐の詰めの甘さに、内心舌打ちした。


 少佐なんて立派な肩書きを持っているのに、ピッケム社長が裏の仕事に関わっていることを見落としたのだ。


 とにかく、ピッケム社長が暗黒の契約書を持ち歩いているかもしれないので、こっそりブローチの反応を見た。


 反応はない。


 だがしかし、あくまでピッケム社長が暗黒の契約書を持ち歩いていない証明になっただけで、どこかに隠してある可能性はゼロにならなかった。


 次回の休日で、すべてが明らかになる。ピッケム社長が個人で所有する物件も、調査委対象に含まれているからだ。


 なおピッケム社長が裏の仕事に関わっていたことは、ガナーハ軍曹とリゼ少尉も知らなかったようだ。


 ガナーハ軍曹は、ピッケム社長に質問した。


「なぜ、裏の仕事に関わっていたことを、ずっと黙っていたんです?」


「BMPの製造元を知られたくなかったんだ。そのためには不必要に現場の人間と接触しないほうがいいだろう?」


 やはりBMPの製造元には、大きな秘密が隠されているようだ。


 ムルティスだって、ずっと疑問に思っていた。なんでこんなに品質のいいBMPが、犯罪組織に流れ込んでくるのかと。


 その答えは、どうやらピッケム社長が握っているらしい。


 となれば、組織の資金源であるBMPを仕入れられるピッケム社長こそが、真の元締めだ。


 チェリト大尉は、あくまで社長に誘われた立場であり、密売の現場をまかされているだけだ。


 きっとピッケム社長が、積極的に元軍人を採用しているのは、慈善活動の一環ではなく、裏稼業で使いやすいからだった。


 ムルティスは、自分自身の人を見る目のなさに辟易した。


 ずっとピッケム社長のことを、軍人叩きの風潮に逆らう粋な男だと思っていた。


 だが違うのだ。この男は裏社会で使いやすい人材を見つけるのが上手なだけなのだ。


 たとえそうであっても、仕事がない元軍人たちに運送の仕事と給与を与えた功績が消えないのが、この世界の厄介なところだった。


 リゼ少尉も、情報が伏せられていたことに不満があるらしく、挙手して質問した。


「なぜ大尉は、あたしたちに社長の存在を黙ってたのかしら?」


 その質問に答えるのは、遅れてやってきたチェリト大尉だった。


「そういう約束で組織を結成したんだよ。BMPの製造元を秘密にするためには、現場の人間と情報の繋がりを切断したほうがいいから」


「ってことは、大尉もBMPの製造元を知らないってこと?」


「そういうことだ。だがちょうどいい機会だ。教えてもらおうじゃないか。おれたちは、こんなにもがんばって稼いできたんだから」


 チェリト大尉は、ピッケム社長の瞳をのぞきこんだ。いますぐ製造元を教えろ、といわんばかりの目力で。


 だがピッケム社長は、曖昧な表情ではぐらかした。


「大事なところを秘密にしておくことが、会社を経営するコツだよ。お前たちとしては、たくさん報酬が手に入れば、それで文句はないのではないか?」


 ガナーハ軍曹が抗議した。


「報酬の高さより、情報の信頼性に重きを置いてるんですよ。我々は戦時中、諜報部の曖昧な情報のせいで痛い目にあってきたのでね」


 情報が曖昧だと、現場に被害が出る。


 だからムルティスたちは、ピッケム社長をいまいち信用できなかった。


 それでもピッケム社長は、意志を変えなかった。


「製造元を秘密にしておくことが、うちの組織にBMPを流してもらうための約束なのだ。あれだけ利益を生み出せる商品を失うと考えたら、お前たちだって約束は守りたいだろう?」


 利益は大切だし、なによりBMPはこの組織の資金源だ。


 もし秘密にしておくことが、利益の保証になるなら、渋々受け入れるしかないだろう。


 ただし納得したわけではない。そういうものだと受け止めただけだ。


 なにかきっかけがあったら、意見は変わると思ったほうがいい。


 次に話し合う議題は、どうやってBMPの大きな取引を行うかである。


 チェリト大尉は、ムルティス、ガナーハ軍曹、リゼ少尉に、ゆっくりと語り掛けた。


「今日の取引には、おれたち第六中隊出身者だけでいく」


 確実に信頼できる人間しか、今回の取引に関われないようだ。


 もしやと思ったムルティスは、トラックの荷台を確認した。


 バカみたいな量のBMPが積まれていた。


 半年、いや一年分ぐらいの積載量だ。


 これらをすべて現金化したら、何十億という利益が生まれるだろう。


 頭がくるいそうになる金額だが、それだけリスクも大きい。


 取引相手にしてみれば、利益を最大限にしたいなら、代金を支払わずに、BMPを強奪すればいいだけだ。


 かつてムルティスたちが、地元マフィアを滅ぼして、彼らの商売を奪ったように。


 取引するか、それとも武力で奪うか。


 どちらも成立するのが、裏社会のルールだ。


 もし敵に奪われるリスクを換算するのであれば、最低限の情報が必要だ。


「大尉、取引相手は、信頼できる相手なんですか?」


 ムルティスの質問は、大切なポイントをおさえていた。


 もし信頼できない相手と取引現場で対峙したら、十中八九、銃撃戦になるからだ。


 チェリト大尉は、神妙な顔でうなずいた。


「取引相手は、ゲテラド神聖国の民族系武装組織だ」


 ゲテラド神聖国とは、海の向こう側にある小国家だ。


 世界大戦が休戦した直後、世界のパワーバランスの変化に影響されて、三つ巴の内戦が勃発した。


 そのうち一つの勢力が、民族系武装組織である。


 彼らの背景にあるものが国教であり、戒律の関係から約束にうるさい。内戦を継続している理由も、国家が約束を守らないからだった。


 つまり今回の取引においては、信頼できる相手になる。


 ガナーハ軍曹は、むぅと悩んだ。


「約束を守ることで有名な連中ですが、しかしなんかだ匂うんですよ」


 リゼ少尉は、ドラム缶に腰かけて、ちょっと悩んだ。


「逆に条件が整いすぎてない? おいしい取引ってさ、もっとヤバイ橋を渡るものだと思うんだけど」


 チェリト大尉は、部下たちの意見を尊重した。


「おれも似たようなポイントを心配してる。だからもっと詳しい情報を知りたければ、叔父のピッケムに説明してもらったほうがいい。この取引を持ってきたのは、彼だからな」


 第六中隊出身者が注目するなか、ピッケム社長が理路整然と語った。


「この取引が成功すれば、国外にもBMPの販売ルートが構築できる。我々の利益はさらに拡大して、この都市部だけではなく、他の地域だって支配できるだろう。ただし、この取引を断った場合、BMPの製造元から我々が見捨てられてしまう」


 ピッケム社長の発言でわかったことがあった。


 あくまで社長はスポークスマンであって、BMPの製造元が支配者なのだ。


 社長の強気な態度から察するところ、きっとBMPの製造元には、資金も武力も、政治に対する影響力だってあるはずだ。


 だからといって、ムルティスたちが都合のいい駒として浪費されていいわけではない。


 ガナーハ軍曹は、下士官らしく、チェリト大尉に進言した。


「目先の利益に飛びつくよりも、退却条件をしっかりと定めるべきです」


 退却条件をしっかりと定めるべき。


 もし取引が失敗しそうなら、金も荷物も優先順位を下げて、一目散に逃げるべきだと提案していた。


 これはBMPの製造元の指示を逆手に取った提案でもあった。


 あくまで製造元が求めているのは、取引を実行するかどうかでしかない。


 つまり取引現場に到着して、もし取引相手が約束を破るようだったら、荷物を捨てて逃げてもいいわけだ。


 さすがに損失は補填することになるだろうが、少なくとも製造元の依頼は断っていないのだから、見捨てられることはない。


 チェリト大尉は、戦時中からガナーハ軍曹の進言に助けられてきたので、おとなしく受け入れた。


「ピッケム社長。この作戦で取引に向かうが、構わないな?」


 ピッケム社長は、犯罪組織のメンバーたちの顔を見渡した。


「細かい作戦は君たちで決めてくれ。とにかく取引さえしてくれれば、BMPは我々の組織に入り続けるから」


 こう言い残して、湾岸倉庫を去っていった。


 ムルティスは、カウンターバーに肘をついて、ため息をついた。


「スナイパーの第六感が訴えています。取引を成功させることにリソースを割くより、逃げ道を考えておいたほうがいいと思います」


 ガナーハ軍曹も、高級泥水を飲みながら、トラックの荷台を見つめた。


「これまで十分稼いできたし、これからも一定の利益が見込めるなら、こういうタイミングで欲張らないほうがいいでしょう」


 リゼ少尉も賛同した。


「退路の設定が一番大切よ。もしちょっとでも取引に怪しい雲行きを感じたら、荷物を捨ててでも退却すべきだわ」


 チェリト大尉は、部下たちの提案に折れた。


「命を最優先の作戦を立てよう。その代わり、大損したら全員で分割して負担だぞ」


 命を最優先で、取引の作戦を練ることになった。

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