第24話 ディランジー少佐の事件簿

 ――ムルティスたちが現場から撤収したころ、ディランジー少佐の勤務する警察署は大騒ぎになっていた。


 どうやら地元のマフィアが次々と殺されているらしい。


 それも十人や二十人ではない。


 何百人という人数が、たった一晩で始末されていた。


 しかも殺戮劇の途中まで、ステルスキルが徹底されていたせいで、警察官が現場に駆けつけたときには、すでに犯人たちは撤収したあとだった。


 ディランジー少佐は、警察無線に流れてくる情報を聞いただけで、誰が犯人か気づいた。


「かつての部下たちが、その優秀な力をマフィアせん滅に使うと、こうなるのか……」


 作戦の組み方、証拠の消し方、歩兵の動かし方……それらの癖から、チェリト大尉の指揮だとはっきりわかった。


 なにを隠そう、チェリト大尉を育てたのは、ディランジー少佐だ。


 士官学校時代から手塩をかけて育てた愛弟子である。


 だからこそ師匠は、弟子の成長を複雑な気持ちで受け止めていた。


 なぜ、あれだけ優秀な力を犯罪に使うことになったのだろうか?


 原因は明白だ。


 国民が元軍人たちを迫害したから、それに反発する形で犯罪組織を結成したのだ。


 だからといって犯罪を見過ごしていいわけではない。


 しかし優先順位とリソースの問題もあって、現在のディランジー少佐の仕事は、暗黒の契約書を探すことである。


 ついさきほど警察署に、地元マフィア皆殺し事件の捜査本部が開設されたわけだが、この捜査に加わるつもりはなかった。


 だが警察署内の政治力学は、ディランジー少佐を放置してくれなかった。


「少佐。こちらの仕事も手伝ってもらいますよ。あなたが戦士ギルドから与えられた本来の役割は、元軍人の犯罪を検挙することのはずだ」


 捜査本部は、現場に残された証拠から、本件の犯行グループが、元軍人の集まりだと見抜いていた。


 だがディランジー少佐は捜査に加わるつもりがないし、犯人グループの正体を教えるつもりもない。


 暗黒の契約書を発見するためには、ムルティスの潜入捜査を成功させる必要があるからだ。


「申し訳ないんだが、いまちょっと別件の仕事で忙しくてね」


 ディランジー少佐は、警察署内の政治力学に逆らった。


 だが捜査本部の刑事は、苦々しい表情で食い下がった。


「こっちにだってメンツがあるんだよ。あんたが軍から転属してきて、そこそこの地位を得たことに、現場の警官たちは納得してないんだ」


 ディランジー少佐は、軍から転属してきた外様なのに、戦士ギルドの圧力がかかっているため、警視と同じ扱いを受けている。


 そんなやつが、警察署内の政治力学に逆らって、自分のやりたいことをやっていたら、現場の人間に反発されて当然だった。


 もし現場に出ることを拒絶したら、警察署内でどれぐらい動きにくくなるんだろうか。


 ただでさえ秘密任務を実行しているせいで、署内で肩身が狭くなっているのに、これ以上敵を増やしたら、任務の足を引っ張られる可能性があった。


 だがこの問題のポイントは、もう一つあった。


 もし現場に引っ張り出そうとしている連中が、警察内の暗黒の契約書を使いたがっているグループだったら、絶対にお断りしないといけない。


 なにかしらの悪だくみを実行されることにより、暗黒の契約書の捜査を妨害されてしまうからだ。


 だが普通に警察署内の政治力学だったら、これ以上敵を増やさないために、参加したほうがいいだろう。


 はたして捜査本部の刑事は、どちらの立場だろうか。


 十秒ほど悩んでから、決断を下した。


「わかった。私も現場に出よう」


 渋々といった感じで、彼のパトカーに同乗すると、自動車修理工場に到着した。


 現場には二桁の死体袋が並んでいて、すべて地元マフィアの構成員だった。


 なにが恐ろしいかといえば、魔法使いが二名射殺されている。


 いくら相手が戦闘級の魔法使いとはいえ、魔法障壁の問題があるんだから、銃火器だけで殺害できるのは、普通の腕前ではない。


 ディランジー少佐は、鑑識に一声かけてから、魔法使いの死体を詳しく調べた。


 ドワーフとヒューマン、どちらの魔法使いも、五十メートル前後から狙撃されていた。


 鑑識の情報によれば、狙撃ポジションは鉄塔だ。


 工場内に弾痕が最小限しかないあたり、ほぼ外していない。


 使用した弾薬の癖、狙撃ポジションの癖、異様なまでに高い命中率。


 ムルティスが狙撃手をやったんだろう。


「真面目に働いてるな、良くも悪くも」


 ディランジー少佐は、ムルティスの心理状態を心配した。


 いくら潜入捜査中とはいえ、犯罪組織のメンバーとして活躍しすぎている。


 ごくまれに、潜入捜査を投げ捨てて、潜入先の組織で犯罪者になってしまう警官がいる。


 警察の掟よりも、犯罪組織の掟に親和性が高かったとき、まるでコインの表と裏が反転するみたいに裏切ってしまうのだ。


 もしムルティスが、犯罪組織に馴染んで、表の世界に戻ってこられなかったら、ディランジー少佐の責任だ。


 と、潜入捜査官の心配をしていたら、捜査本部の刑事が隣に並んだ。


「少佐、なにか手がかりは見つかりましたか?」


 手がかりどころか、犯人を突き止めている。


 だがムルティスは潜入捜査中だから、第三者に逮捕されたらまずいことになるため、誰にも口外するつもりはなかった。


「いいや、なにも見つからなかったよ」


 ディランジー少佐が淡々と答えたら、捜査本部の刑事は感情的に反発した。


「また秘密任務とやらのお約束で、我々にはなにも話さないつもりではないですか?」


 刑事の目が気になった。殺人事件を捜査する警官の目ではなく、敵情視察する政治家みたいな目をしていたのだ。


 彼だけではない。他にもディランジー少佐をマークする警官たちがいた。


 はっきりとわかった、こいつらは警察署内の暗黒の契約書グループだ。


 ディランジー少佐は、心の底からうんざりした。


「お前らにはっきり伝えておくが、暗黒の契約書は人間にコントロールできない代物だぞ」


 捜査本部の刑事は、冷ややかな顔で返した。


「なんのことかさっぱりわかりませんな、少佐」


 もし彼らが暗黒の契約書に関わっている証拠があれば、いますぐ逮捕できる。


 だが、そんなことは本職である彼らだって理解しているので、絶対に尻尾を出さない。


 こんな状況で、暗黒の契約書を探すとなれば、やはりムルティスを潜入させて正解だった。


 いや、いまはそんな政治的な背景を探っている場合ではない。


 背中を撃たれないように警戒しなければならなかった。


 彼らがディランジー少佐を現場に引っ張り出したのは、隙を見て暗殺するためである。


 すでに数名の警官が、暗殺用の道具を手に持って、ディランジー少佐ににじりよっていた。


 ディランジー少佐は、ちゃんと彼らに聞こえるように、はきはきと喋った。


「もし私が暗殺されたら、暗黒の契約書に関する捜査資料は、とある場所へ自動的に転送される仕組みになっている。そこにはお前たちの名前も並んでいるから、よく覚えておくんだな」


 ディランジー少佐が暗殺されたら、これまで入手した情報が、戦士ギルドのリーダーに転送される仕組みになっていた。


 そうなれば、たとえ証拠が発見されなくても、戦士ギルドの圧力により、彼らは警官の身分を失うことになる。


 捜査本部の刑事は、自分たちの悪だくみを見抜かれたことに腹を立てた。


「よそ者のくせに、生意気なやつだ」


「暗黒の契約書で自滅しそうなやつらに、いわれたくないんだよ」


 ディランジー少佐は、タクシーを拾って、警察署に帰ることにした。


 今後は、どれだけ署内で立場が悪くなっても、他の刑事たちと一緒に行動しないほうがいいだろう。


 誰が敵なのか、わからないからだ。


 署内に敵がいるせいで、身内の敵というイメージがふくらんで、離婚した妻のことを思い出した。


 彼女はステキな女性だったが、有能なキャリアウーマンでもあったので、夫婦生活は完全にすれ違っていた。


 もしお互いに一歩ずつ歩みよれれば、そこそこ仲のいい夫婦のままでいられたのかもしれない。


 だがディランジー少佐も、別れた妻も、仕事に熱中していたせいで、心の余裕を失っていた。


 結婚は難しい。脳が溶けそうになるほど好きな相手と結ばれたはずなのに、夫婦仲が冷え切ると身内の敵みたいに認識してしまう。


「私が結婚に向いていないだけかもしれないな」


 ディランジー少佐は、離婚した妻のことを恨んでいないし、いまでもステキな女性だと思っているが、一緒に生活しないほうがお互いのためだと確信していた。

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