第10話 ガナーハ軍曹との再会

 採用直後から仕事開始になったので、職員用のロッカールームで着替えていると、第六中隊時代の兄貴分が入ってきた。


 ガナーハ軍曹である。


 茶色い鱗と凛々しいトカゲ目が特徴のリザードマンだ。部隊の誰よりも背が高くて、筋肉の質だって良好だった。鱗も尻尾も艶々で、いますぐ沼に飛び込んでも元気に泳げそうだ。今年で二十八歳を迎えるリザードマン盛りである。


 彼は、かつてムルティスが戦略魔法使いを狙撃するとき、外したときの責任を分散するために、スポッターをやってくれた恩人であった。


「ガナーハ軍曹! この会社で働いてたんですか!」


 ムルティスは、ガナーハ軍曹と再会できたことが嬉しすぎて、ジャンプする勢いでハグした。


「同じ職場で働けて嬉しいよ、ムルティス上等兵」


 ガナーハ軍曹は、極めて冷静に握手を返した。


 きっと初対面の人間であれば『これだけの勢いでハグしたのに、冷静に握手を返すなんて、きっと彼は冷たい男だ』と思うはずだ。


 だがムルティスは、ガナーハ軍曹と三年間同じ戦場で戦ってきたので、彼の性格をよく知っていた。


 感情表現が不器用なだけで、情に厚い男である。


 そんな男が、握手を返すなんてリアクションをしたならば、かなり喜んでいるのだ。


「軍曹は大丈夫でしたか。ユグドラシルの木が折れたときのスポッターとして、世間から責められてませんか?」


 ガナーハ軍曹は、トカゲ目をぎゅっと細めた。


「責められてはいるが、どうせ人類なんてこんなもんだ。ほんの二百年前までリザードマンが奴隷として売り買いされていたことを考えればな」


 路上生活者の傷痍軍人も語っていたことだ。かつて剣と魔法の世界だったとき、亜人種は奴隷扱いだった。


 ガナーハ軍曹みたいな亜人種にしてみれば、現在の軍人叩きの真相は、人間の本性だとすぐにわかったんだろう。


 ムルティスは複雑な立場である。なぜならムルティスはヒューマンであり、かつてヒューマンは亜人種を奴隷にしていた側なのだ。


 だが銃と魔法の世界になって種族差別がなくなると、それ以外の要素で誰かを迫害するようになった。


 たまたま今回は、ユグドラシルの木を発端にした軍人叩きだっただけで、もしそれ以外の要素だったら、ムルティスだって叩く側になっていたかもしれない。


 だからといって、都合のいいスケープゴートとして叩かれ続けることを受け入れるのかといえば、そうではないのだ。


 抵抗しつつ、改善を望んで、いまを生きるしかない。


 となれば、ガナーハ軍曹の心構えは有用だ。


 最初から人類に期待していなければ、不必要に落胆する必要がない。


 人類なんてこんなもの。信じられるのは家族と仲間だけ。


 そう考えたら、少しだけ気楽になった。


「人類なんてこんなもの。その通りですね。やっぱり軍曹と一緒に仕事するのが一番ですよ」


 と喜んだとき、脳裏に一つの懸念が浮かんだ。


 ガナーハ軍曹も、運送会社内の犯罪組織に関わっているんだろうか。


 関わっていないと信じたい。


 だが、世の中がこれだけ元軍人を冷遇しているんだから、裏の仕事に手を出していてもおかしくなかった。


「どうしたムルティス上等兵。オレの顔をじっと見て。運送の仕事が不安なのか?」


 ガナーハ軍曹は、ムルティスのことを、新人社員として心配していた。


 潜入捜査を疑われているわけではない。だが、ちゃんと受け答えしないと、チェリト大尉に潜入捜査を見抜かれるかもしれない。


 ムルティスは、真実をひとつまみだけ混ぜて、嘘をつくことにした。


「不安ですね。高校在学中に徴兵されちゃったもんですから、普通の会社で働いた経験がないんですよ」


 普通の会社で働いた経験がないのは本当のことだ。


 しかし不安を抱えているのは、就労に関するあれこれではなくて、潜入捜査のことだった。


 嘘をつきながら、隠された情報を探すというのは、想像していたより負担が大きい。


 ちょっとした瞬間にボロが出そうになるため、ガチガチの理性で会話をコントロールしないといけないのだ。


 しかもボロが出て潜入捜査がバレれば、見せしめと口封じのために殺されてしまう。


 まるで目の裏側と胃袋を紐で縛られたようなプレッシャーに、ムルティスは吐きそうになっていた。


 だが泣き言をいったところで、すでに仕事は始まっているのだ。


 覚悟を決めて、うまくやりきるしかない。


 なおガナーハ軍曹は情に厚い男なので、ムルティスの嘘を真正面から受け止めた。


「よし、ならオレが仕事を教えてやる。トラックの助手席に乗れ。いますぐ出発だ」


 どうやらムルティスは、ガナーハ軍曹とコンビを組んで、配送の仕事ができるらしい。


 たとえ潜入捜査の建前だったとしても、ガナーハ軍曹と一緒に仕事ができることは、本当に嬉しいことだった。

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