第8話 妹の病状と、両親の諦めと、潜入捜査の入り口

 出稼ぎ労働者や、都落ちする中年たちに交じって、六時間ほど夜行列車に揺られていく。


 いくらムルティスが若くても、眠気には勝てないので、普通に睡眠した。


 ふと目を覚ませば、よく見知った光景が車窓に広がっていた。


 海沿いの田園地帯だ。昇ったばかりの朝日がよく似合っていた。


 幼いころ、用水路の近くを自転車で走っていた。なにもない町だが、勇者伝説で観光客を集めているから、観光スポットで遊べるのだ。


 なんでも千年以上前、この町から勇者が誕生したそうだ。伝説の剣を装備して、徳を積んだ賢者とパーティーを組んで、悪い魔王を倒したとか。


 ただし歴史系の専門家によれば、こんな逸話、世界中にあふれているから、真実かどうか検証できないそうだ。


 たとえ嘘だったとしても、観光客で田舎町が潤うならいいのではないだろうか。


 そんなことを考えながら、地元の駅で降りて、てくてく実家まで歩いていく。


 驚くほどなにも変わっていなかった。どうやら田舎すぎると戦争の影響が少ないようだ。


 だがムルティスは人類の敵になったわけだから、フードとマフラーは外せなかった。


 なにもない田舎道を二十分ほど歩けば、実家に到着した。


 畑と隣接した一軒家である。


 ムルティスは、フードとマフラーを外しながら、玄関をノックした。


 畑仕事の休憩中の母親が出てきて、大喜びで迎え入れた。


「生きて帰れたねぇ。高校在学中に徴兵されたときは、とにかく無事を願うしかなかったよ」


「運が良かったんだよ。同期の連中は、四割ぐらい戦死したから」


「うちの近所でも徴兵された子たちがいてね、みんな棺桶で帰ってきたんだ。もうわたし気が気じゃなかったよ。せめてうちの子だけは生きたまま帰ってきますようにって、何度も神様にお祈りしたんだ」


 親心は理解しているが、戦場での死は平等だ。たとえ親が願っても、運が悪ければ死ぬ。


 ムルティスは運が良かった。だから榴弾砲や戦術魔法による範囲攻撃から生き残れた。


「俺の巻き添えでいじめられてないか?」


 たとえ田舎町でもテレビの電波が届くし、ネットに接続できる。


 ムルティスがユグドラシルの木を折ったことにされている情報が、いくらでも入ってくるのだ。


 だが母親は、そこまで負担を感じていないようだ。


「生まれ故郷の田舎町で真面目に生きてきたおかげで、そこまで影響はないよ。お父さんも漁師っていう職業のおかげで、漁師仲間以外と顔を合わせる機会も少ないし」


 そこまで影響がない。つまりそれなりの人数には陰口を叩かれているわけだ。


 やっぱり人類は、身内以外は信用できないのかもしれない。


 身内といえば、実家に帰ってきた理由を確かめないといけない。


 ムルティスは母親にたずねた。


「ミコットは大丈夫なのか? 軍隊時代の上官に、心臓の病気だって教えてもらったんだ」


「知ってのとおり心臓病さ。でもうちには心臓移植の金がない。だって二億ゴールドだよ? それにドナーだって見つかりそうにない。あんたがユグドラシルの木を折ったって誤解させるような報道が影響して、ドナーの優先順位が一番下に下がったんだ」


 想像していたより、最悪の状況になっていた。


 もし警察の潜入捜査を成功させて、手術費用を手に入れても、ドナーが見つからなければ意味がない。


 ムルティスは、政治インテリマスコミ国民が心底嫌いになった。


「ところで、父さんは?」


「毎日働いてるんだよ。本業の漁師だけじゃなくて、休みの日は倉庫でダブルワークさ」


「……妹の手術費用、諦めてないんだな」


「気持ちはわかるんだよ。わたしだってなんとかしてやりたいさ。でも絶対に足りないよ。あんな金額、普通の稼ぎじゃ到底無理なんだ」


「なんか他の手段はないのか。募金を集めるとか、寄付してもらうとか」


「これを見ておくれ」


 母親は、古いスマートフォンで、医療関連の募金一覧を表示した。


 おかしな件数が表示されていた。戦争が終わったばかりだから、傷痍軍人の数が膨大なのだ。


 しかもほぼすべての募金が目標金額の十パーセントも達していない。誰もがお金に困っていた。休戦してから二か月しか経っていないので、誰もが資金不足だった。


 ムルティスは状況を把握した。普通の手段では、どうあがいても心臓移植の費用を払えない。


 潜入捜査を成功させること。それが至上命題だった。


「ところで、ミコットは、いまどこに?」


「さっき起きて、庭で風にあたってるよ」


 ムルティスは、妹と会うために、庭に出た。


 林の合間に、妹のミコットがいた。線の細い女の子だ。手足なんて突風で折れそうなほど華奢だ。背も低くて、頭も小さい。髪型は手入れをしやすいおかっぱである。今年で十三歳になるが、見た目は小学生のままだった。


「お兄ちゃん! 帰ってきたんだ!」


 妹のミコットは、兄のムルティスを発見すると、弱々しい足取りで近づいていく。本当は喜びの感情に合わせて、駆けよりたかったんだろう。だが心臓の病気だから、体力が低下しているため、歩くことしかできなかった。


「久々だな、ミコット」


 ムルティスは、ミコットに歩み寄って、小さな手を握った。体温が低い。かなり体調が悪いようだ。


「会えてうれしい。徴兵されちゃったときは、もう二度と会えないと思ったから」


「俺は運が良かったから、生き残れたんだ。それなのに、なんでうちの妹が心臓の病気なんだ」


 戦場で生き残ることと、臓器が病気になることは、どちらも運が大きく関わっている。


 運が良ければ生き残るし、運が悪ければ死ぬ。


 妹の心臓だけは、この法則から外れてほしかった。


 だがそんな都合のいい現象が起きないことは、地獄の最前線で嫌というほど体験してきた。


 妹のミコットは心臓病だ。運命の神様を恨みつつも、認めるしかない。


 どうやらミコットも、自分が深刻な病であることを、すでに受け入れているようだ。


「もういいの。あたしは寿命だと思って諦めたから。だからね、お兄ちゃん、お父さんを止めて。あたしのために毎日クタクタになるまで働いてて、本当に心配なの」


 ムルティスは、父親の気持ちがよくわかった。これだけ良い子なんだから、なにがなんでも生き延びてほしいのだ。


 たとえ自分の肉体がぼろぼろになっても、ミコットに幸せになってほしかった。


 そうでないなら、こんな無茶苦茶な世の中に生まれた意味がないからだ。


「ミコット。手術費用は、お兄ちゃんが都会でなんとかするから、またしばらくお別れだ」


「都会には、そんなにいい仕事があるの?」


「普通の仕事だよ。でも父さんと同じぐらい一生懸命働くのさ」


 潜入捜査は普通の仕事ではない。着地を間違えれば処刑される異常な仕事だ。


 だが、ミコットに心配をかけたくないから、嘘をついた。


 ミコットは、兄の嘘を信じて、過労死を心配した。


「無理をしないで。お父さんだけじゃなくて、お兄ちゃんまで働きすぎて倒れたら、お母さん困っちゃうよ」


「俺は大丈夫だ。戦場で鍛えたからな。それじゃあ、もう都会に戻らないと」


 ムルティスは、妹のミコットと母親に別れの挨拶をして、すぐに実家を出た。


 妹を助けるためには、潜入捜査を成功させるしかない。


 田舎道を歩きながら、ディランジー少佐から支給されたスマートフォンで、チェリト大尉の番号にかけようとした。


 だが、指が動かなかった。登録してある番号をタッチすればいいだけなのに。


 葛藤しているのだ。いくら暗黒の契約書を探すためとはいえ、かつての仲間に対する裏切り行為だから。


 三年間も一緒に戦ってきた仲間を裏切るなんて、本当はやりたくない。


 しかし妹のミコットのためには、やるしかないのだ。


 ムルティスは、覚悟を決めて、チェリト大尉の番号に電話をかけた。


「チェリト大尉ですか。ムルティス上等兵です。ようやくリハビリが終わって、街に戻ってきました」


『連絡を待ってたぞムルティス上等兵! ちょうど叔父と話してたところでな、そろそろお前が退院するから、うちの運送会社に入れたいって』


 ムルティスは、拍子抜けしてしまった。こんなあっさり採用になるとは思わなかったのだ。


 だが裏を返せば、チェリト大尉は仲間思いだから、リハビリしていたムルティスのことを忘れていなかったことになる。


 もし潜入捜査というバックグラウンドがなかったら、じんわり感動しているところだ。


 だが現在のムルティスは、警察に雇われて、チェリト大尉の犯罪組織に潜入しようとしていた。


 じわりと罪悪感が浮かんでくる。だが、妹のミコットを救うためには、潜入捜査の手順を進めるしかない。


 たとえあちらからオファーがあっても、潜入捜査の説得力を強めるために、就職活動で苦労したことを伝えていく。


「ありがたいです、大尉。昨日、丸一日かけて就職活動したんですが、なんでもかんでも門前払いで、困ってたところなんですよ」


『大変だったろう。テレビの報道も、ネットニュースも、おれたち元軍人のことを、社会の足手まといだと叩きまくってるからな』


 チェリト大尉の声には、怒りの棘がついていた。


 彼は第六中隊の中核部隊を率いていたんだから、ムルティスほどではないにせよ、世間に叩かれまくったに違いない。


 その怒りこそが、犯罪組織を結成した動機だ。社会に対する恨みであり、就職できない仲間たちに飯を食わせるための起業である。


 やはりチェリト大尉は、仲間思いであった。たとえその手段が非合法であっても。


 それはさておき、ムルティスは潜入捜査官として、暗黒の契約書を探さなければならない。


 いくら運送会社に就職できても、チェリト大尉の犯罪組織には近づけていないから、慎重な受け答えをしなければならない。


「大尉、俺はこれからどこへ向かえばいいんですか?」


『明日の朝、会社に来てくれ。すでに採用は決まってるが、書類とか手続きが必要だから』


「わかりました。明日の朝、運送会社に向かいます」


 通話を終わらせてから、ムルティスはストレスで胃が荒れていくのを感じた。


 これからずっと嘘をつかないといけない。


 お世話になった上官を裏切って、警察の犬になるのだ。


 いくら妹を助けるためとはいえ、とても苦しい日々の始まりだった。

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