第6話 潜入捜査のお誘い

 無機質な取調室には、ひとりの男が座っていた。


 エルフの中年男性・ディランジー少佐であった。今年で三十八歳。金髪碧眼の知的な男である。長身痩躯で、髪型はオールバック。柔和な表情に、凛とした気迫がこもっている。いかにも仕事一筋な男だが、それが原因で離婚経験ありだ。


 警察官僚風味の高級スーツを着ているが、戦時中は第六中隊の指揮官を務めていた。


 ムルティスは、意外な人物と再会したことに、腰を抜かしそうになった。


「少佐じゃないですか。なんで警察署で、そんなかしこまったスーツを着てるんです」


 ディランジー少佐は、胸につけたIDを強調した。


「戦士ギルドの要請により、軍から警察に転属になった。元軍人の犯罪を取り締まるためにな」


 戦士ギルドは、警察、軍隊、警備会社などに高度人材を仲介していた。


 ムルティスみたいな下っ端の歩兵でも、戦士ギルドに登録しておけば、仕事を斡旋してもらえる。


 ただし、ユグドラシルの木を折ったと誤報を流されている状態では、期待しても無駄だ。


「きっと少佐だって、ユグドラシルの木を折った部隊を指揮してた悪者、って難癖付けられてるんでしょ。それでも元仲間を逮捕する理由ってなんです?」


「誰かがやらなければならない仕事なんだ。復員した元軍人たちのイメージを回復するためには、犯罪に手を出したやつらをきっちり捕まえておかないと」


 さきほどの留置所には、元軍人たちが捕まっていた。戦士ギルド的には有言実行なんだろうが、ムルティスみたいな末端の人材には不満があった。


「たまったもんじゃないですね。まともな仕事にありつけないから、食うために仕方なく犯罪に手を出したら、いきなり少佐に逮捕されるんでしょう?」


 ディランジー少佐は、取調室の窓から、遠くの空を見つめた。


「戦士ギルドは、元軍人たちに仕事を斡旋するために、各方面にアプローチしているんだが、どうにもうまくいかない。こんなにも我が国の人間が、客観的事実より都合のいい物語を優先するとは思わなかったよ」


「少佐が崇高な理想を持ってることはわかるんですがね。人間はただ呼吸してるだけで水と食糧が必要になるんですよ。そいつを手に入れるためには金が必要で、働く場所がないなら悪いことをするしかない」


 ムルティスが不満をぶちまけると、ディランジー少佐は真剣な顔で机の縁を握り締めた。


「そうだろうな。だが私は最後まで抗うよ。自分の指揮でたくさんの人間が死んでいったことを償うために。そのためには、お前の協力が必要なんだ、ムルティス上等兵」


「協力って、暴行と脅迫の容疑で捕まった俺をですか?」


「お前が冤罪であることは知っている」


 すーっと取調室の空気が収縮した。


 ムルティスは、自分が大きなからくりに組み込まれていくのを感じていた。


 正当防衛なのに、なぜ暴行で逮捕されたのか。


 大家が金を盗んだのに、なぜ脅迫で逮捕されのか。


 すべてはディランジー少佐の陰謀である。


「少佐……俺を利用するために、冤罪で逮捕させたんですか」


 ムルティスは、いつでも逃げられるように、じっと身構えた。両手に手錠がかかっているが、針金一本あればどうにでもなる。とにかく警察署から逃げ出さないと、少佐の陰謀に巻き込まれてしまう。


 だがディランジー少佐は、ムルティスの手を握って、いきなり謝罪した。


「すまなかった。犯罪者たちに怪しまれずに、自然の流れで警察署内に引き込むためには、この方法しかなかったんだ」


 なぜ犯罪者たちに怪しまれてはいけないのか。


 なにかの囮に使うつもりだ。


 ディランジー少佐も、兵士を使い捨てにする冷血士官だった。


「冗談じゃない。俺は故郷に帰るんだ。あんたの仕事なんて関わりたくもない」


 ムルティスが席を立とうとしたら、ディランジー少佐が資料を取り出した。


「ムルティス。お前には妹がいたな。病気がちな妹が」


 資料は、ムルティスの妹・ミコットのものだった。


 ムルティスは、膝から力が抜けていくのを感じていた。


 きっと妹に、なにかあったのだ。


 いくらディランジー少佐の陰謀に巻き込まれたくないからといって、この資料を無視したら、きっとあとで後悔することになる。


 そう思ったムルティスは、妹の資料を引っつかむと、隅々まで読んだ。


 カルテの写しだった。


 ミコットの顔写真と、各種データが並んでいて、病状について記載してあった。


 心臓の病気。


 移植手術を受けないと、そう遠くないうちに亡くなるそうだ。


「そんなバカな……」


 ムルティスは、資料をぱたっと地面に落とすと、呆然と立ちつくした。


 なぜあんなに可憐で優しい妹が、心臓の病気なんだろうか。神様は残酷だ。この世界には邪悪な人間がいくらでもいるんだから、そいつらを心臓の病気にすればいいのに。


 そう思ったところで、妹の心臓が回復するわけではない。


 ムルティスは、ディランジー少佐に質問した。


「心臓の移植費用って、どれぐらいかかるんです?」


「二億ゴールドだ」


 とてもではないが、庶民の稼ぎでは、到底用意できない金額だ。


 ムルティスは、妹がもう助からないことを理解して、がくっとその場に膝をついた。


 だがディランジー少佐が、ムルティスに手を差し伸べた。


「もしこれから依頼する仕事をやってくれたら、心臓移植の費用を警察で受け持つよ」


 はたして少佐の手をつかんでいいのだろうか。


 二億ゴールドの仕事となれば、恐ろしい仕事を押しつけられるに決まっていた。


 だが復員したばかりの中卒に、二億ゴールド稼ぐ方法なんて存在しない。


 ムルティスは、ディランジー少佐の手を、じっと見つめた。


「まずは仕事の内容を教えてください。それから考えます」


 ディランジー少佐は、取調室のホワイトボードに、一枚の写真を貼った。


「かつてのお前の上官であるチェリト大尉が、犯罪組織のまとめ役をやっている。そこに潜入してほしくてな」


「大尉が犯罪者!? そんなウソをいっちゃダメですよ、彼は少佐に負けないぐらいまともな人ですよ!?」


 ムルティスは、ばんっとホワイトボードを叩いた。


 だがディランジー少佐は、悲しそうな顔で首を左右に振った。


「残念ながら事実だ。すでに証拠も確保してある」


 チェリト大尉が犯罪者。しかも証拠を確保済み。


 ムルティスは、かつての恩人が悪の道に走ってしまったことを大いに嘆いた。


 だが第六中隊出身者が迫害されている状況だと、まともな職業につけないわけだから、犯罪で飯を食うしかなかったんだろうと事情を察した。


 そこまで考えて、おかしな点に気づいた。


「証拠を確保してあるなら、別に俺が潜入する必要はなくて、警察が逮捕すればいいだけなんじゃ?」


「お前にやってもらいたいことは、犯罪の追及ではない。暗黒の契約書を探すことだ」


 暗黒の契約書。あらゆる国で禁止されたマジックアイテムだ。


 見た目は、暗闇よりも黒い本だ。しかし中身は恐ろしい存在と契約する書類だった。


 混沌の象徴・ブラックドラゴン。


 この黒くて巨大なドラゴンには、物理攻撃が通用せず、しかも吐き出した黒い炎は決して消せない。


 なぜ科学が進歩した現代でも、ブラックドラゴンが警戒されているかといえば、百年ほど前に召喚されたとき、当時の初期型戦車とレシプロ戦闘機で倒せなかったからだ。


 剣と魔法の世界が、銃と魔法の世界に進歩しても、ドラゴンという超常現象の塊は強敵のままだった。


 ムルティスは、暗黒の契約書なんて規格外の名前が出てしまったことで、ちょっと身構えた。


「チェリト大尉は、なんでそんなものを使おうとしてるんです?」


「いいかムルティス上等兵。あくまでチェリト大尉が管理する犯罪組織に、暗黒の契約書の反応があっただけだ。大尉が使いたいのかどうかは不明だ」


「あぁ、だから潜入しろって話なんですね」


「そうだ。お前にやってほしいことは、犯罪組織に潜入して、誰が暗黒の契約書を手に入れたのか調べることだ」


「内容は理解したんですけど、そもそも少佐が自分で探せばいいじゃないですか。犯罪の証拠があるんだから、大尉の組織を丸ごと逮捕して、取調室で尋問すればいいだけでしょう?」


「情けないことに、警察内部や政府内部に内通者がいるんだよ。そのせいで、私の動きが筒抜けになっていてな。暗黒の契約書の反応があったアジトを調べようとしたら、もぬけの殻になっていたことが、なんと三回連続で発生した」


 内通者を作ってまで、暗黒の契約書を発動したいやつがいる。


 それも政府と警察内に。


 かなり深刻な事態であった。


「だから俺を使うんですか。背景を洗うのが簡単で、かつ大尉と親しいから」


「そういうことだ」


「しかしこの仕事は……大尉に対する裏切りじゃないですか?」


「妹を助けたくないのか?」


 そう、取引なのだ。


 妹の手術費用を負担してほしければ、チェリト大尉の犯罪組織に潜入せよ。


 チェリト大尉を守りたいなら、この取引を断ればいい。


 ただし庶民の収入では、心臓の移植費用を払えるはずがないから、妹が緩やかに死んでいくのを見守るしかない。


 そもそもユグドラシルの木を折った犯人にされてしまっては、まともな仕事にありつけない。


 だからといって、チェリト大尉を裏切るのは、仁義に反しているだろう。


 では妹を見捨てるのか?


 まだ十三歳なのに。


 あんなに可愛い妹なのに。


 ずっと一緒に暮らしてきた家族なのに。


 目の前に助ける手段があるのに。


「……少佐、約束は守ってくださいよ」


 ムルティスは、ディランジー少佐の手を握って、取引を受け入れた。


 妹の手術費用を稼ぐために、かつての上官を裏切る。


 家族愛には適しているが、仁義に反していた。


 しかしそれでもやらなければならなかった。妹の心臓移植を達成するためには、他の道がないからだ。


 ディランジー少佐は、ポケットからブローチを取り出した。


「これを持っていけ。すぐ近くに暗黒の契約書があったら、ブローチに色がつく」


 ブローチには、白い宝石が埋め込まれていた。


 すぐ近くに暗黒の契約書があったら、この宝石に色がつくようだ。


 ムルティスは、ブローチを肌着の下に隠しながら、ちょっと疑っていた。


「本当に動作するんですか、この宝石?」


「当たり前だ。それと同じものが国内のあらゆる場所に設置してあって、それらが実際に反応したから、いまこうして私がお前に潜入捜査を依頼したんだ」


 どうやら国民が知らないだけで、政府の要人たちはずっと以前から暗黒の契約書を警戒していたようだ。


 どれだけ科学が進歩しても、神話やマジックアイテムの苦難からは逃れられないらしい。

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