第4話 デマと誇張とスケープゴート
数週間後、ムルティスは、リハビリを終わらせて退院することになった。
だが病院のスタッフは、誰も退院おめでとうとはいわなかった。むしろ疫病神がようやく病院から出ていってくれた、といわんばかりに冷たい目をしていた。
ムルティスは、すっかり落ち込んでいた。戦争から生還したはずなのに、生きている実感がなかった。
だが立ち止まっていても、なにも始まらない。とにかく徴兵される直前まで暮らしていた下宿先に、学生時代の荷物を取りに行くことにした。
まずは駅に向かうわけだが、タクシーを拾うために手を挙げた。
だがタクシー運転手は、ムルティスの顔に気づくなり、なにも見なかったことにして素通りしていった。一台だけではない。二台、三台と、タクシーが素通りしていく。
おまけにムルティスの後ろからやってきた通院患者が手を挙げると、あっさり拾っていった。
どうやら人類の敵になると、タクシーを利用できなくなるようだ。
「……駅まで歩くのもリハビリだ」
ふてくされながら駅まで歩いていく。駅前の大通りにたどりつくと、通行人たちがひそひそ陰口を叩いていた。あいつがユグドラシルの木を折った愚か者だ、と。
もし陰口を叩いているやつが一人だけなら、言い返してもよかったのかもしれない。
だが大通りにいるあらゆる人間が、ムルティスを非難していた。
しかも民衆の悪口はヒートアップして、どんどん殺気立ってきたので、厄介なトラブルが起きる前に電車に駆けこんだ。
さすがに公共の交通機関だと、人類の敵であろうとも乗車拒否できなかった。
だがしかし、別のトラブルは発生した。
六駅ほど電車に揺られたとき、次の駅で乗車してきた十代のチンピラ二人組が絡んできた。
「おいお前、ユグドラシルの木を折った悪者じゃないか」「おれたちが成敗してやるよ」
背の高いチンピラと、小太りのチンピラである。二人とも盛大に意気がっていて、電車内であろうともケンカする気まんまんだった。
ムルティスは、とくに恐怖を感じていなかった。むしろ戦場の感覚を思い出して、気分が高揚していた。
せっかく正当防衛が成立しそうだし、チンピラ二人組をぶちのめすことにした。
まずは適当にカバンを投げつけた。
背の高いチンピラは、馬鹿正直にカバンを受け止めてしまった。そんなことをすれば、両手が塞がってしまう。彼は防御手段を失ったのだ。
ムルティスは、右と左の肘を交互に繰り出して、背の高いチンピラの顎を砕いた。その衝撃は脳にも伝わって、足元から崩れ落ちていく。
まずは一人目撃破。
小太りのチンピラは、情けない悲鳴を上げつつ、まだ抵抗を諦めていなかった。
ムルティスは右ストレートを打つフリをしながら、相手の奥襟をつかんだ。そのまま相手の醜く肥えた腹部に膝を叩き込んでから、脂でベトベトの後頭部に肘を打ち下ろす。
あっという間に二人ノックアウトである。
ずっと最前線で戦っていたムルティスと、街中で遊んでいたチンピラでは勝負にならなかった。
常識的に考えれば、ムルティスの正当防衛だ。
しかし周囲の乗客たちは、なぜかムルティスを犯人扱いして、スマートフォンで警察に通報していた。
「俺が悪い? なぜ?」
抗議してみたものの、乗客の瞳には怒りと恐怖が蔓延していた。
どうやら人類の敵になると、正当防衛すら成立しないらしい。
このまま電車内にとどまっていたら、警察に逮捕されてしまうので、次の駅で降りてしまった。
もはや公共の乗り物は、まともに利用できそうになかった。
愚痴っていても下宿先には到着しないので、残りの距離は歩くことにした。
線路沿いを一時間ぐらい歩いていたら、腹が減ってきた。きっと普通にお店で食べ物を買おうとしたら、拒否されるんだろう。
ならば偽装するしかない。帽子を目深にかぶって、フードもかぶって、マフラーで顔を覆った。
これだけ顔を隠せば、小売店で食べ物を買うぐらいなら余裕だろう。
線路沿いにある適当なお店に入った。商品棚はスカスカだ。とくに生鮮食品が壊滅していた。
戦争が終わった直後だから、物資が不足しているのである。
ムルティスは、魚肉ソーセージとサイダーを販売カウンターに持っていった。
店主はテレビを見ながら、世間話を始めた。
「ユグドラシルの木を折ったバカな軍人崩れだけどさ、なんで国に帰ってきたんだろうねぇ。いっそ戦場で死んだほうがよかったんじゃないか」
軍人崩れなんて言葉があっさり出てしまうあたり、もはやこの国には復員した兵士の居場所がないのかもしれない。
だがそれでも、ムルティスは自分自身の名誉を少しでも回復したくて、店主に抗議した。
「もしかしたら、そのバカな軍人崩れにも事情があったのかもしれませんよ」
「事情だって? それならなんでユグドラシルの木を折ったのさ」
ムルティスが折ったわけではない。敵の魔法使いを狙撃したら、そいつの放った戦略級の攻撃魔法がユグドラシルの木に飛んでしまっただけだ。
だがマスコミの印象操作のせいで、ムルティスが狙ってやったことにされていた。
政治家とインテリたちも、正しい情報を広めようとしなかった。
どいつもこいつも自己保身と責任のなすりつけだけは一人前だった。
これ以上お店にとどまってもメリットがないので、魚肉ソーセージをサイダーで胃袋に押し込みながら外に出た。
フードやマフラーで顔を隠したおかげで、ようやく人類の敵として白い目で見られることがなくなった。
その結果、ムルティスの視点もフラットになって、街中の民衆がどんな生活をしているのか気づいた。
「……みんな不景気な顔をしてるな」
三年間も戦争をやったせいで、文字通り不景気になっていた。
本土で戦争はしていないので、水道や電気は止まっていないが、金と物が乏しくなっているのだ。
こんな状態だと、国民は誰かに八つ当たりしたくなる。
その対象が第六中隊であり、ムルティスだった。
「冗談じゃない。俺たちはなにも悪いことをしてないのに」
怒りと不満をため込みながら道路を歩けば、ようやく下宿先の安アパートに到着した。
建物の外観は、徴兵される前となにも変わっていない。
しかし自分の部屋の鍵が合わなかった。
もしや戦争中に鍵の形が変形してしまったんだろうか。
そう思いながら、がちゃがちゃ鍵を回していると、管理人室からドワーフの年老いた大家が出てきた。
「その部屋には、もう別の人が住んでるよ」
ムルティスは、大家に詰めよった。
「なんでそんなひどいことをしたんです?」
「だってこの三年間、家賃払ってなかったろ」
「徴兵されて戦争に行ってたんだから、しょうがないでしょう?」
「知るかい、そんなもん。あんたの部屋にあった私物は、保管庫に置いてあるから、好きに持っていきな」
アパートの保管庫に、ムルティスの私物が置いてあった。
高校生活で使っていた、教材や着替えである。どれもこれも新品同然だった。高校一年生のときに徴兵されてしまったので、使い込むことがなかったのだ。
懐かしさと悲しみを感じながら私物を整理していると、生活費を納めておいた小型金庫が消えていることに気づいた。
ムルティスは、大家に抗議した。
「小さな金庫があったでしょう? あれ、どこにやったんです?」
「保管庫の使用料として、中身をもらっておいたよ」
「ふざけんな! ただの泥棒じゃないか!」
ムルティスが怒ったら、ドワーフの大家はふんっと鼻を鳴らした。
「ユグドラシルの木を折った犯人のくせに生意気なこといってんじゃないよ」
「俺が折ったわけじゃない! どいつこいつも責任をなすりつけやがって!」
「ぐだぐだ文句いってると警察呼ぶよ」
「ああ、呼べよ。お前が窃盗犯で、俺はなにも悪くないからな」
数分後、本当に警察官たちが到着した。しかも屈強な男たちが十人ほどいて、全員サブマシンガンで武装していた。
ムルティスは、様子がおかしいと思った。なんで年老いた大家を逮捕するために、武装した警察官が十人もいるんだろうかと。
答えは簡単だった。警察官たちは、ムルティスを包囲した。
「お前が元第六中隊のムルティス上等兵だな。逮捕する」
がしゃん、とムルティスの手首に手錠がかけられた。
ムルティスは、予想外の出来事にびっくりしてしまった。
「なんで俺を逮捕するんだ!? 悪いのは、俺の生活費を盗んだ、ドワーフのジジイじゃないか!」
ドワーフの大家は、べーっと舌を出していた。
あまりにも腹の立つ顔だったので、こいつも殴ろうと思ったら、警察官たちがサブマシンガンを構えた。
「大家に対する脅迫だ。それにお前、電車で市民に暴行を働いてるな」
ムルティスは、人類の敵になっていることを強く思い出した。
「電車のあれは正当防衛だ! あいつらから絡んできたんだぞ」
「いいからおとなしく署にくるんだ、この軍人崩れめ」
十人の警官たちは、サブマシンガンの銃口を、ムルティスの全身にぴたっと押し付けた。彼らは引き金に指をかけていた。
もし抵抗するようなら、本気で撃つつもりだ。
さすがにチンピラを倒したときと同じノリで立ち回るわけにもいかないだろう。
こんなところで死ぬようなら、戦争から生還した意味がない。
そう思ったムルティスは、おとしなくパトカーで連行された。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます