第2話 休戦条約
ムルティスが目を覚ますと、病室のベッドだった。
「病院? というか、生きてるのか、俺は」
負傷した左側面を調べた。手術跡が残っているが、おおむね順調に治っていた。あれだけの重傷で死んでいないなら、おそらく回復魔法を併用して緊急オペをしたんだろう。
とにかく情報が欲しいのでナースコールを押したら、軍病院の制服を着た看護師が駆け足でやってきた。
「ついに目が覚めたんですね、ムルティス上等兵」
「ついに、というと?」
「あなたは戦場で大怪我してから、一か月間も眠っていたんですよ」
最後の戦闘から、一か月も経過していた。だがあれだけの重傷から生還できたことを考えれば、たった一か月のロスなんてたいしたものではないだろう。
もっと情報が欲しいと思っていたら、運よくチェリト大尉がお見舞いにやってきた。
「一か月ぶりだな、ムルティス上等兵。先週は軍曹と少尉もお見舞いに来てたんだが、まったく目を覚ましそうになかったから、もっと先になるかと思ってたよ」
チェリト大尉は、ダークエルフの男性だ。今年で三十歳。背は高くて筋肉質。銀色の髪は肩まで伸びていて、赤い瞳には強い意志の光が宿っていた。
夜の街を好んでいて、結婚より火遊びを優先していた。だがいいかげんな人物ではなく、むしろ軍人として有能であった。
ムルティスは、目覚めてすぐ、軍隊仲間に会えたことで、安心感を覚えた。
「大尉。一か月も寝てると色々気になるんですが、うちの部隊はどうなったんです?」
「解散したよ」
「解散!? なんで!?」
ムルティスの叫びは、病室に反響した。
まだ戦争は続いているはずだ。高山地帯は戦略上の要所なんだから、誰かが守らないといけない。第六中隊が解散したら、あんな地獄を誰が引き受けるというのだ。
だがチェリト大尉の説明により、別の意味で驚くことになる。
「戦争は終わったんだ」
「は? え? 戦争が、終わった……? どうやって?」
三年間、ずっと戦ってきた。たくさんの戦友を失った。たくさんの敵を殺してきた。
あまりにも悲惨な最前線の状況に、敵陣営と同じぐらい自分の国を嫌いになりかけていた。
そんな恐ろしい戦争が、眠っている間に終わったらしい。
ムルティスが困惑していると、チェリト大尉は疲れた顔で理由を語った。
「お前が眠ってる間に、休戦条約が結ばれたんだ」
「休戦って、どっちの陣営が勝ったんです?」
「勝ち負けがつかないぐらい、世界大戦は両陣営に大きな傷跡を残した。とくにまずかったのは、ユグドラシルの木が折れたことだな。戦利品が消えれば、もはや戦争する理由がない」
チェリト大尉は、病室のテレビをつけた。
戦略級の攻撃魔法が直撃して、ユグドラシルの木が崩壊していく映像が、荒い画質で繰り返し流れていた。
ムルティスも、よく知っている風景だった。
だがユグドラシルの木が崩壊する前後の詳細は、一か月間も眠っていたせいで知らなかった。
詳細について、テレビのニュースキャスターが、深刻な顔で説明していた。
『デルハラ共和国に所属する戦略級の魔法使いが、長引く戦争で精神状態を悪化させて、無許可で最前線に出撃しました。彼は敵味方を無視して攻撃魔法を連発。最終的には、わが軍の狙撃兵が射殺しました。しかし戦略級の攻撃魔法は発動してしまって、それがユグドラシルの木を折ることになったのです』
ムルティスは、いろいろと合点した。
なぜ戦略級の魔法使いが、錯乱した新兵みたいな顔をしていたのか?
どうして敵陣営の兵士たちがパニックを起こしていたのか?
答え、戦略級の攻撃魔法を使えるやつが、戦争で精神をやられて、敵味方を無視して攻撃したから。
もし友軍にこんなやつがいたら、背中から攻撃魔法を撃ち込まれて、死んでいたかもしれない。
だが戦略級の魔法使いに同情もしていた。三年間も地獄みたいな環境にさらされたら、どんなまともな人間だって心が壊れるだろう。
そう思いたくなったのは、自分の口から出てきた意外な発言からだった。
「こんな方法で戦争が終わるなら、あのクソッタレの木をさっさと折ればよかったんですよ」
冷静に考えれば不謹慎な発言だ。しかし、そんな正論を吹き飛ばすぐらいに、戦争と一緒に歩んできた三年間は重かった。
だがチェリト大尉は、疲労と絶望を混ぜたような顔で、テレビ画面のニュースキャスターをにらんだ。
「その気持ちはわかるが、群衆というのは、そんな単純に考えてくれなかったんだ」
ニュース番組には続きがあった。
なんとムルティスの顔が映し出されていた。
『こちらの青年が、敵の戦略魔法使いを狙撃したムルティス上等兵です。彼が余計なことをしたせいで、ユグドラシルの木は折れることになったのです。我らがペリュマサージ民主国の政治家だけではなく、世界中の政治家たちが彼を非難しています』
仲間を守るために、敵の魔法使いを狙撃したら、なぜか全人類の敵になっていた。
わけがわからないを越えて、もしかしていま自分は夢を見ていて、はっと目が覚めたら高校一年生に戻るのではないかと考えてしまった。
だが体に残っている手術跡と、そこに走る鈍くて深い痛みは正真正銘の本物だった。
「余計なこと、ってなんなんですかね。もし俺が狙撃を失敗してたら、高山地帯ごと第六中隊は全滅じゃないですか」
ユグドラシルの木が消滅したのは、いくつもの歯車がかみ合った結果だ。
ムルティスは、敵を狙撃しただけで、ユグドラシルの木を狙っていない。
そもそも戦略級の魔法使いが錯乱していなければ、ムルティスがマジシャンキラーで狙撃するシチュエーションが生まれないのだ。
それなのに、なぜムルティスが悪いことになっているんだろうか。
チェリト大尉は、スマートフォンのニュース一覧を見て、心底うんざりした顔をした。
「お前だけじゃない。第六中隊全員が嫌われ者になった」
ムルティスは、チェリト大尉のスマートフォンで、ニュース一覧を見た。
国内の記事のほぼすべてが第六中隊を叩く記事だった。
「なんで一方的な批判を、すべての国民が普通に受け入れてるんです? 戦争前だったら、インテリが、こういうのを真っ先に否定してたでしょう?」
「【勝てるはずだった戦争】が、ここまで長引いて、しかも戦利品になるはずだったユグドラシルの木が失われた犯人が欲しいんだよ。政府も、インテリも、マスコミも、国民も」
勝てるはずだった戦争。実際の戦況として勝てそうだったという意味ではなく、国内向けのプロバガンダで自家中毒を起こした結果だった。
「バカげてますよ。最前線にいた俺たちには一切関係ない問題なのに」
「まさしくバカげてるんだが、ネットの論壇まで軍人批判一色だからな。こうなってしまうと、再就職先もまともに見つからない」
ムルティスは、チェリト大尉の発した再就職という単語に首をかしげた。
「あれ……大尉って職業軍人なんだから、戦争が終わっても軍人のままでしょう?」
チェリト大尉は、士官学校を卒業したエリートだから、戦争が始まる前から軍人だった。だから戦争が終わっても、次の戦争に備えて訓練が続くはずだ。
だが悪魔化されたことによって、例外の扱いを受けたようだ。
「ユグドラシルの木を折った責任で、第六中隊は解散。所属してた職業軍人たちは退役扱いになった。軍は国民から責められるのを恐れて、おれたちを追いだしたんだ」
スケープゴートでありながら、シンプルな叩きやすい目標になっているようだ。
「いろいろな記事を読んだ感じ、ありとあらゆる人たちが俺たちを嫌ってますね」
「これだけ嫌われものになっても、おれたちは比較的マシなのかもしれない。高山地帯で争ってたデルハラ共和国では、軍人はもっと悲惨な扱いになってる」
チェリト大尉は紙の新聞も持っていた。なんとつい先日まで戦争相手だったデルハラ共和国の新聞社が発行したものだった。
『わが軍のG中隊は、愚かにもユグドラシルの木を折ることになった。彼らは政治犯なので逮捕されて収容所に送られる。とくに重い罪になったのは、戦略級の魔法使いの脱走を防げなかったジャラハル中尉だ。彼は階級を剥奪されて、現在厳しい尋問を受けている』
ジャラハルの顔写真が堂々と載っていた。どうやらデルハラ共和国のスケープゴートはG中隊であり、その代表例がジャラハルらしい。
「戦略級の魔法使いが死んでしまったから、その上官がスケープゴートに選ばれたんですね」
ただのスケープゴートではない。ユグドラシルの木を折った魔法使いが所属していた部隊の責任者だ。国民からの恨まれっぷりは、第六中隊なんて比較にならないほどだった。
ずっと戦ってきた相手なのに、ムルティスは彼らに同情してしまった。
どうやらチェリト大尉も、ムルティスに近い心境らしい。
「G中隊と比べたら、少なくともおれたちは逮捕されてない。そういう意味ではラッキーだったが……まぁ比較しても意味はない。どちらも扱いが悪すぎる」
「大尉は、これからどうするんです?」
「叔父のピッケムを頼ることになった。運送屋さんに就職して、第二の人生だよ」
「大尉が、トラックドライバーですか。もったいない」
彼ほど有能な軍人を他の業種に追いやるなんて、やはり世界の方が間違っているとしか思えなかった。
だがチェリト大尉は、すでに諦めているようだ。
「まぁ戦時中もトラックは散々運転したからな。戦場で乗るか、街中で乗るかの違いだけだ。ってわけで、お前はリハビリが終わったら自由の身だ。もし退院してから困るようなことがあったら、おれに連絡してこい。なんとかしてやるよ」
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