第3巻-第3幕- パフェとコーヒーと望月

 いつもより騒がしい六時間の授業は幕を閉じ、帰りのHRに入る。が、帰りのHRは永嶋先生ではなく、副担任の先生だった。堅苦しい話を三分くらい聞かされて放課後に入る。

 望月の机の位置だが、永嶋先生が調整するとのことだったので曇妬の後ろの席、廊下側から三列目の一番後ろの席にした。内心は高嶺の花である望月の後ろにいれば、曇妬も勉強を頑張るのでは無いかと考えたが、それは無意味だった。曇妬は普通に寝るし、望月も五時間目の古典の授業は船を漕いでいた。

 放課後にもなれば教室にかけられている目の見えない結界は意味を成さない。他クラスの生徒が次々に押し寄せ、望月の周りを囲む。

 一牙もこんな集団の中にいるのは嫌なので、早く帰って店の手伝いをしようと席を離れた。

「すごい集まりですわね……昼休みも落ち着いていられませんでしたわ」

「それくらい望月は人気なんだろうな」

 如月喫茶へ向かう途中の国道。一牙、麗歌、柊茄の三人は並んで歩いており、曇妬は古典と化学の補習へ。曇妬曰く「課題提出したらすぐ終わるから」とのこと。こうして歩いている最中にも一科目は終わっていると思いたい。

「それで一牙、モモちゃんの事務所の方はどうだったの?」

「ああ、それのことか」

 一牙はポケットから携帯を取り出し、ある動画を柊茄に渡して見せる。それはフラッシュをたかれている事務所の所長とマネージャーの姿だった。

「あ、会見。やってたんだ」

「昼頃にな。ただ内容は薄い」

 動画と一緒に掲載されている記事には『望月の休止は本人からの要望を受け入れたこと』『期間は無期限。ただ、本人からは戻る気はあるとのこと』『出演が決まっているドラマの代役は現在探しているとのこと』といった内容だった。

「え? こんだけなの?」

「らしい。記者団の質問にも答えてる様子は無かった」

 望月本人は昼休みを謳歌していたが、その裏では事前に回答を伝えた記者会見が開かれていた。記者団の質問に『現在望月さんはどこにいるんですか?』という質問が投げられたが、事務所の所長は『お答えすることは出来ません』の一点張りだった。

 一牙は柊茄から携帯を返して貰い、またポケットに入れる。

「記者たちも諦める様子は無さそうだし、少しは様子見だろう」

「ですわね。きっと出会ったら質問されると思いますし、私たちが出来ることは望月さんが平和な学校生活を送れるよう協力する、これに限ると思います」

 生徒のSNSアカウントを通じて何組かの記者団が水無月高校の国道校門付近に車を置いて陣取っていたのを見た。目と鼻の先にある水無月高校前交番の所長である岸越きしごえに、路上駐車について言おうかと思ったが、今日は非番だと言われ、代わりに勤務していた交番の警察官二人に、記者の路上駐車について注意しておいた。きっともう退却しているはずだろう。

「分かった。私も協力する」

「暴走だけはするなよ」

「分かってるって! もう……」

 柊茄は不機嫌そうに地団駄踏み、麗歌はそれを見てふふっと笑う。

 国道を曲がり、住宅地へ入る。小学生の集団も帽子を着けているとはいえ、とても熱そうだ。肩に掛けたショルダー型の水筒をラッパ飲みし「はぁー生き返るー」と言っていた。

 太陽は西に傾いているとはいえ、住宅地は蒸し蒸しとしていて暑い。水まきをしている住宅の付近は蒸発した水分が体を包み込み、涼しく感じる。RPGで言う体力が回復したような感じだ。

 ふと柊茄を見るが、汗がカッターシャツに張り付いており、ピンク色のものが透けて見えていた。同様に麗歌も肩のところから水色の細い線みたいなものが見える。

 夏場というのは女子に対して目を会わせる場所が男子にとっては少ない。ここまで下着のラインが見えるほど透けてしまっては話も上手くいかない。ましてや一牙は高校二年生という思春期真っ只中である。なるべく意識しないように心がけているが、これにはどうにも慣れない。

 数分歩いて如月喫茶へ到着する。一牙はいつものように裏口から「ただいま」と入り、二階の自分の部屋に戻って、鞄を置いてエプロンに着替える。柊茄と麗歌は店の入口から入り、一番テーブルへ引き寄せられるように座った。

「はい、もう出来てるわよ、これ。こっちが柊茄ちゃんの分で、こっちが麗歌ちゃんの分。曇妬君は……補習って言ってたし、まだよね?」

「多分まだだと思う。準備しておいてもいいと思うけど」

「あらそう? じゃあ準備しておこうかしら」

 厨房に入った一牙は舞柚が作ったものを見て感嘆の声が漏れる。

 ひんやりとしたオーラが出ている黄色のパフェ。冷凍の輪切りにされたパイナップルがふんだんに使われ、まるで雪みたいなバニラアイスに細かい黄色の飴みたいなものが降りかけられている。パフェの下はコーンフレークであり、これまた溶けたバニラアイスがコーンフレークを包んでいた。

 これは柊茄が朝に注文した冷凍パイナップルのアイスパフェだ。

 もう一方のパフェは冷凍したレモンのパフェだ。レモンの果肉までしっかり味わえるよう皮は全て剥かれており、これにもバニラアイスの上に細かい黄色の飴が降りかけられている。コーンフレークにもバニラアイスが染みこんでいた。

 どうやら麗歌用のパフェは冷凍レモンのアイスパフェらしい。

 去年はレモンパフェは出さなかったが、今年は出すようだ。気まぐれ関係のものでなければいいが。

 一牙はアルミ製のお盆にこのパフェを載せ、金属製の小さなスプーンをアイスに刺して二人が待つ一番テーブルへ運ぶ。パフェの器はひんやりと冷たく、どこかで冷やされていたことを物語っている。

「はい、お待ち遠様」

「やったー、これこれ!」

「一牙さん……これ……」

「母さんからの試食的なものだ。遠慮なく食ってくれ」

「あ、ありがとうございます」

 麗歌は一牙と厨房にいる舞柚に向かって軽く頭を下げ、バニラアイスに刺さっているスプーンを手に取った。

「麗歌、食べちゃお。あ、一牙、いつものミルクティーよろしく!」

「はいはい」

「じ、じゃあ私はジャワをいいですか?」

「いいぞ。アイスか?」

「はい、アイスで」

「了解。ちょっと待っててな」

 アルミ製のお盆を厨房に戻し、カウンターで紅茶とコーヒーの準備を始める。

 パフェ食べてるのに糖分大量のミルクティー飲んでいいのかと、疑問に思いつつ作業をこなす。

「相変わらず手際がいいな、お前」

「本当に。一牙君の手際に良さには惚れ惚れするよ」

「どうも。てか何で先生いるんですか?」

 一牙は作業をしつつ、目の前のカウンター席でコーヒーを飲んでいる永嶋先生に問いかけた。永嶋先生の横には、非番と水無月高校前交番の警察官が言っていた所長の岸越が、カフェオレを飲んでいた。

「俺、今日車の免許更新でさ。午後から休み取って暇になったからここにいる訳よ。副担に帰りのHR任せてただろ?」

「ああ……そういうこと……。てっきり望月のことが面倒になって任せたのかと思いましたよ」

「それも半分ある。タイミング良く前々から午後に年休取ってて助かったわ」

「それは……よかったですね」

 引きつった顔を浮かべつつ、淡々と紅茶を作っていく。給湯器からティーバッグの入った器にいつもより少なめにお湯を入れ、少し揺らして茶葉を浸透させる。その間に硝子製のコップに氷を溢れるほど入れ、茶葉が浸透するまで待つ。

 その間にコーヒーの準備をする。

「ところで一牙君。さっき麗歌君が言ってたジャワって何だい?」

 岸越がカフェオレを一口含んで聞いてきた。

「ジャワっていうのはコーヒー豆の一種です。インドネシアにあるジャワ島が原産地で、酸味が少なく、苦味とコクが強いコーヒーになります。ただ、口に入れてみると意外とマイルドで口当たりがいいんですよ」

「ほぉーそうなんだ。じゃあ今度来たときはそれ頼もうかな」

「その時はケーキやパフェと一緒にどうぞ。苦味が強いので甘いものと食べるのが俺のオススメです」

「なるほど、だから麗歌君はそれを注文したんだね」

「だと思います」

 予め挽いておいたジャワ豆をドリッパーに載せたフィルターにドザッと入れ、サーバーの上に乗せる。ドリップポットに用意しておいたお湯を挽き豆に向かって注ぎ、空気を抜いた後、二回に分けてお湯を注いだ。

「確かに……いつも飲んでるキリマンジャロよりちょっと色が濃いような……」

 岸越はサーバーにポトポト落ちるコーヒーを覗き込んで呟いた。

 ドリッパーからコーヒーが落ちなくなると、ドリッパーを外してサーバーに角氷を数個投入する。熱湯でドリップしたコーヒーに投下された氷は、瞬く間にその体積が減っていく。

 サーバーのコーヒーが冷める間に、茶葉が十分浸透した器からティーバッグを外し、氷が入っているコップへ注ぎ入れる。ミルクピッチャーにミルクを入れ、グラニュー糖を用意し、ストローを刺した。

 紅茶の用意が終わってサーバーに触れると十分冷えており、アイスコーヒーが完成する。数個ほど硝子製のコップに氷を入れて、サーバーに蓋をして中の氷がコップに入らないよう、出来たアイスコーヒーをコップに注ぐ。ガムシロップやスジャータのことを何も言わなかったことから、麗歌はこのジャワコーヒーをブラックで飲むと思い、砂糖関係は準備しない。

 お盆にこの二つを載せてパフェを食べ進めている二人の元へ運ぶ。

「はい、ミルクティー糖分マシマシとジャワのアイスコーヒーな」

「わーありがとー。ちゃんとアイスじゃん分かってるー」

「ありがとうございます」

 二人は一牙に礼を言い、パフェを食べ進める。

 とその時、

 パチパチパチ……。

 と極小さな爆竹のような破裂音が一牙の耳に聞こえてくる。その音の出は柊茄と麗歌からだった。

「何か鳴ってないか?」

「多分これだと思うよ」

 そう言って柊茄がスプーンでバニラアイスを掬う。柊茄が伝えたいのはバニラアイスではなく、バニラアイスに降りかかっている飴みたいなものだ。

 何となく飴の正体に察しが付き、一牙は厨房に入って舞柚に訊く。

「もしかしてパチパチキャンディーでも降りかけてる?」

「そうなの、友達がその手の会社で働いててね。ちょっとだけお裾分けして貰っちゃった」

 確かに舞柚の手には『業務用パチパチキャンディーパイン味』と書かれた袋があった。櫻木財閥製のコールドテーブルの上には『業務用パチパチキャンディーレモン味』とあった。きっと様々なフレーバーのパチパチキャンディーを販売しているのだろう。

「一牙的にはどう思う?」

「俺的には無し……かなぁ」

「おっ、一牙も俺と同意見か」

 新聞を読んで寛いでいた隆善が新聞を畳んで会話に入ってくる。

「多分その刺激が苦手な人がいると思う。トッピングとしてプラス三十円とかにしたらいいんじゃないかな……パフェの甘さとか冷凍の冷たさとか求めてる人もいるだろうし」

「俺もそう思うんだよ。まぁパチパチキャンディーは好みが分かれるんじゃないか? 俺みたいな大人より子供受けの方がいいかもしんないぞ」

「そう……じゃあもうちょっと考えておくわ」

 このように柊茄たちの試食の感想や、一牙たちの意見を取り入れて新メニューは開発されていく。それはどのような客のニーズに答えているか、店の雰囲気に合っているか、季節的に合っているかといった様々な点を話し合って決めていく。

 一牙はカウンターに戻り、さっき作ったコーヒーと紅茶の後片付けをする。

「そういえば岸越さん」

「ん? 何だい?」

「国道校門のところに路上駐車してた記者たちの車、交番に寄って注意してきましたがよかったですか?」

「ああ……望月君のことね……。それはどうもありがとう。国道で路上駐車とか命捨ててるようなものだね」

「ですね。あれ? 知ってたんですか」

「俺が教えた」

 永嶋先生が割り込む。

「え、でも守秘義務……」

「それは会議の内容の話だ。今は望月が水無高にいることだろ? もうネット拡散されてんだから別に俺が言ったところでそんな義務は役目を果たさん」

「それに記者たちにとってはいい忠告になったんじゃないかな? 望月君が通ってる学校の目の前に交番がある。それだけでもいい脅しっぽく聞こえないかい?」

「分かんなくは無いですが……」

「暫くはあの交番には上の人が来るだろうね。治安維持的に。それだけでも望月君は安心した学校生活が送れると僕は思うよ」

「俺も面倒面倒って言ってられねぇしな……所長さんがそう言うんなら俺もやんなきゃいけないってことか」

 コーヒーを全て飲み干す永嶋先生。ソーサーの上にカップを置いて一牙に渡す。

「明日朝一に校長のとこ行って、取材完全拒否と校内に記者を入れないよう申請してみる。校長が動いてくれりゃあいいが。あ、一牙悪いけどおかわり頼む」

「何飲んでました?」

「モカ。ガムシロ入り」

「分かりました」

 永嶋先生のカップを厨房に持っていき、新しいソーサーをカップを取り出す。さっき片付けたコーヒーセットを再び取り出し、モカの豆をフィルターに入れて淹れ始める。

「永嶋先生、その話協力します」

 麗歌がパフェのスプーンを置いて永嶋先生を見つめた。

「……マジか? 櫻木財閥が裏につくってことか……?」

「はい。財閥の使用人でしたら、記者たちの侵入を防ぐことが出来るでしょう。帰ったらお父様に相談する必要がありますが、今週中には返事が出来ると思います」

 水無月高校は櫻木財閥の支持によって成り立っている学校だ。机や椅子、設備のほぼ全てが櫻木財閥製である。櫻木財閥が裏につくことはそう難しくはないだろう。

「そうか……すまんが明日、早めに来てくれるか?」

「はい、承知しました」

「永嶋先生、どうぞ」

「おう、サンキューな」

 出来たてのモカコーヒーを永嶋先生に渡す。

 カランカラン。

「やーっと終わったー」

 自転車で急いで来たのか、息切れをしながら曇妬が入ってくる。

「補習、終わったのか? 本当に」

「ゲッ、永セン……」

 カウンターで座っている永嶋先生を見て、曇妬の顔が歪む。一方、永嶋先生は曇妬を厳しく睨みつけている反面、どこか楽しそうに見えた。

「いいや、如月喫茶ここで叱る気なんか毛頭無い。お前が本当に今日の補習終わったかどうかは明日聞きゃあいいもんな」

「終わりましたって! 俺を信じて下さい!」

「それで何度俺が怒られたことか」

「あ、あっはは……」

 曇妬は苦笑いをしつつ、一番テーブルのいつもの席に座る。

 エアコンを付けていないからか、曇妬の額や首筋から汗がどくどくと滲み出てくる。タオルで顔を拭いているが、その汗は止まることを知らない。

 仕方なく三番テーブルにあった、店内の空気の循環を担っている業務用扇風機を一番テーブルに持っていく。柊茄と麗歌のパフェが飛ばないよう、曇妬のみに照準を向けて扇風機を回した。

「あー……涼しい……」

 まるで天にも昇るような恍惚そうな表情をして涼む曇妬。

 そこに天上の世界へ羽ばたかせる極上の代物が置かれた。

「はい、曇妬君。これ試食の。後で感想教えてね」

 舞柚がパフェを曇妬の前に置き、曇妬の目がダイヤモンドの様に煌めく。

「い、いいんすか?」

「ええ、勿論」

「あざーす! いっただきまーす!」

 曇妬はスプーンを持つと、勢いよくバニラアイスを貪った。これにもパチパチキャンディーが降りかけられていたらしく、曇妬の口内が爆竹へ変化する。

 舞柚が曇妬に私はパフェは紫色だった。皮まで凍らせた葡萄を何個も載せ、パフェの下にあるコーンフレークにも葡萄が転がっている。一口サイズの半分上に切られており、食べやすく工夫されている。パチパチキャンディーは紫色だったことから、葡萄味なのだろうと予想する。

「んーっ、うんめー! いっくらでも食える!」

 ガッガッガッ。

 勢いよく食べ進め、柊茄と麗歌が食べた量を超えたくらいに——

「——っ……つつっ……」

 急に頭を抑え始め、スプーンを机の上に置いてしまった。

「あーあ。そんなに急いで食べるから」

「だ、大丈夫ですか……?」

「大丈夫だ麗歌。ただのアイスクリーム頭痛だから」

「あ、アイスクリーム頭痛……ですか……?」

「アイスクリーム頭痛ってのは、冷たいものを大量に、短時間に取ることで起こる頭痛だ。縮小した血管を元に戻そうとしたせいで頭の血管が膨張するからとか、口内の三叉神経が刺激されて発生するとかあるけど、とりあえず暫くしておけば治る」

「そうなんですね。安心しました」

 アイスクリーム頭痛が発生した場合、頭を冷やせば治りが早くなるらしい。他にも予防法としてゆっくり食べるとか、温かいものと交互に食べるといったことをすれば起こりにくいとされている。

「やれやれ、学校でも如月喫茶でも曇妬の奴は忙しねぇな」

「いつものことですから……」

「それに付き合ってるお前らも凄ぇよ。俺も人のこと言えないけどな」

 ズズ……とガムシロップ入りのモカコーヒーを啜る。

「さて、そろそろ僕はお暇しようかな。一牙君、ご馳走様」

「ありがとうございます」

 岸越は一牙にカフェオレが入っていたカップとソーサーを渡した。

「会計いいかな?」

「あ、はい。ただいま」

 岸越が立ち上がり、一牙がスイングドアを抜ける。

 その時だった。


 ガランラン!

「た、助けて下さい!」


 突然店の入口が勢いよく開け放たれ、息が絶え絶えの女性が流れ込んできた。

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