第3巻-第4幕- ストーカー被害
「な、何だぁ?」
「何なに?」
「ど、どうしたんでしょうか……」
パフェを食べていた三人は立ち上がり、手を止めて女性を見る。
「何だよ一体……」
「だ、大丈夫ですか?」
永嶋先生は露骨に嫌そうな表情を浮かべ、岸越は女性を介抱する。
「何があったんですか?」
一牙も岸越と同じよう、女性の元まで駆け寄り、状況を聞き出す。
クリーム色っぽいメッシュがかかった髪に水無月高校の制服を着ていた。
よく見ると、流れ込んできた女性は現在大人気アイドル、一牙たちのクラスメイトになった望月桃萌だった。
「も、望月!?」
「え? モモちゃん!?」
誰より一番驚いていたのは柊茄だった。
「はぁ……はぁ……」
かなり体力を使ったのか、状況説明が出来ないほど呼吸が乱れている。膝に手を当てて呼吸を整えており、尋常じゃないほど汗が噴き出ていた。
「か、匿って下さい! あ……あそこにストーカーが!」
「「何!?」」
一牙と岸越は同時に声を荒げ、望月が指さした方を見る。
店の硝子越しでは奥の方まで見えないが、ストーカーらしき人物は見当たらない。
「い、一牙君! とりあえず避難させようか!」
「は、はい! 望月、動けるか?」
「はい……」
一牙は望月の手を引き、スイングドアを通してカウンターの裏に隠れさせた。
小動物のようにぶるぶる震えており、ストーカーに恐怖していることが分かる。
隆善と舞柚が何事かと覗きに来たが「説明は後!」と二人を制止した。
その直後——
ガランガラン!
——とベルがけたたましく鳴り、黒いTシャツを着た屈強そうな男性が入ってくる。
「
やや呼吸を乱れさせており、一牙たちに分からない言語で話してくる。
「麗歌、これって……」
「中国語……ですわ」
柊茄が男性の発言を麗歌に聞き、麗歌が小さく呟く。
「麗歌、何て言ってるんだ?」
「この店に居ますよね? 早く出して下さい……だと思います。もうちょっと言葉は乱雑でしょうが……」
「なるほどね……」
麗歌の翻訳を聞き、岸越が中国人の男性に向かってコツコツと歩みを進める。
中国人の男性は望月が言っていたストーカーで間違い無いだろう。望月がこの店に逃げ込んだことを知っている。ストーカーに望月を会わせてしまい、望月が被害を受けることは避けたい。
一牙は足下で震えている望月を守るため、カウンターを離れる訳にはいかなかった。
「
「いや、ごめんなさいね。僕、中国語は分からないんですが、これを見せればあなたにも分かって頂けるのではないかなって思いまして……」
飄々と中国人の男性に話す岸越。その据わった度胸に一牙は感心を覚えたが、今はそれどころではないと首を振る。
岸越は中国人の男性に近づくと、肩から提げていた小さなショルダーバッグから手帳のようなものを取り出した。
「僕、こういう者でして」
手帳を開け、中国人の男性に見せつける。
低く、威圧するような眼差しを向けて言い放つ。
「警察だ。同行願えるかな」
開けたのは警察手帳。岸越が警察であることを決定付ける身分証。
まさかドラマでよく見るこのシーンに出くわすとは思っておらず、曇妬は「おおっ!」と、とても興奮していた。
岸越の警察手帳を見た中国人の男性は——
「
捨て台詞のような言葉を吐いて、足早に店から出て行った。
岸越は店から中国人の男性が逃げていった方をじっと見つめ、少し経った後、カウンターに戻ってくる。
「大丈夫。あのストーカーは逃げていったよ」
「本当……?」
「ああ、本当。ちゃんと僕のこの目で見届けたからね」
スイングドアから体を伸ばし、岸越は望月に安全だということを告げる。望月は泣きそうな表情をしていたが、岸越を信じたのか蹲った体勢から立ち上がる。
「あれ、岸越さん。追いかけないんすか?」
曇妬が不思議そうに聞いた。
「追いかけても良いけど、僕非番だし。勤務外だからあんまり動きたくないんだ。だからこういう非番の日は如月喫茶でゆっくりとしてる訳」
「な、なるほどっす……」
「それに一度目は許しても二度目は一切無い。これが僕のポリシーだから」
ショルダーバッグに警察手帳をしまう。
「皆さん、ありがとうございました」
望月は丁寧にお礼を言い、頭を下げる。
「望月さん、ちょっとだけ話いいかな?」
「はい。その前にマネージャーに連絡させて下さい」
「ああ、それくらいは……」
望月と岸越を二番テーブルに移動するよう促し、一牙は氷水を二人に差し入れる。
舞柚がタオルを持ってきて、汗まみれの望月に拭くよう言って渡した。
「一牙、店はもう閉める。ついでにカーテンもかけておいてくれ」
「分かった」
「あ、私もお手伝いします」
隆善が店仕舞いを宣告し、一牙と麗歌は片付けを手伝う。
店の入口のオープンクローズプレートを『Close』に裏返し、外に出ている看板を片付けた。麗歌は店のカーテンをかけ、外から店の内部が見えないようにする。隆善は望月のプライバシーのことを考え、カーテンをかけるよう指示した。いつもの店仕舞いはカーテンをかけない。
「あーくっそ、帰るタイミング完全に見失ったな……」
永嶋先生はくしゃくしゃと頭を掻き毟り、居心地が悪そうにしている。
「一牙、俺にも水くれ。担任としてある程度話は聞いておいた方がいいかもしんないし。ついでに頭冷やしてぇ」
「はは……分かりました」
空のコップにアイスディスペンサーから氷水を注ぎ、永嶋先生に渡す。永嶋先生は半分近くまで一気に水を飲み干した。
「マネージャーへの連絡終わりました。あともうちょっとしたらこのお店に着くそうです」
「そうかい。それじゃあ改めて聞くけど、一体何があったんだい?」
岸越は手帳を開けて、望月がこれから発言することをメモするよう準備した。
如月喫茶内には重々しい空気が降りている。
柊茄たちもパフェを食べる手を止めて、望月の話に耳を傾けていた。
望月は一口水を飲み、話し始めた。
「学校を出てからです。公表してないんですが、私の家は水無月市の
卯月川と言うのは、水無月市を横断する大きな川のことだ。一牙たちの住む県——
卯月川は南部の
「あんまりこの近辺について知らないし、国道を通って帰るのは目立つと思ったので、国道を渡って商店街の方から住宅地に入ったんです。だけど住宅地に入って少ししたら、後ろから黒い服を着た怪しい男の人が見えて……。最初はファンの人かな? って思ってたんですけど、明らかに動きが違ってて。皆さんならご存知かと思うんですが、私、ファンサは出来る限り受けています」
柊茄に聞かされた話だが、望月がここまでの地位を築き上げてきたのは、ライブやグッズ、イベントのようなものよりも寛容すぎるファンサービスのお陰だと聞いた。オフの日や収録の合間でも写真に応じたり、サインを書いたり、握手をして上げたりと至れり尽くせりのファンサービスをしてくれる。その優しさからファンになる人も少なくないらしい。
「私のファンでしたら、真っ直ぐに私のところに来るはずです。しかしあの人は電柱や壁に身を隠しながらずっと私を尾行してたんです。カメラっぽいのも持ってなかったし、記者とかではないと思ってました」
「望月に話したいが、話せないため遠眼から望月を見たいファンじゃないのか?」
カウンターでカップを拭きながら尋ねたが、すぐに一蹴される。
「そうかもしれないと最初は思ってました。けど、あの人は私の家まで続く道路に差し掛かった時、変な言葉を言いながら追いかけてきたんです。怖くて、何されるか分からなかったから、私は逃げました。そうしたら偶然このお店を思い出して逃げ込んだんです」
望月の家を知りたかったら、望月が家に帰るまで後ろをつけていればいい。だけど、家に差し掛かる道路から追いかけ始めたというのは少しおかしい気がする。
「思い出したって、モモちゃん、如月喫茶のこと知ってたの?」
「うん、ちょっとだけ。この周り知っておこうかなってちょっとだけ歩いてたから。お店には入ったこと無かったけど」
卯月川付近が家だとさっき言っていた。この如月喫茶から西に数百メートル進めば卯月川の堤防へ上れる道路がある。望月とはちょっとしたご近所だったようだ。だが、この付近をあまり知らない……とはどういうことだろうか。
メモをガリガリ取っていた岸越は、ボールペンのノックする部分を顎に当て、メモした内容を見つめて考える。
「なるほどね……さっきの中国人を見た感じ、ファンじゃ無さそうだったしね。僕の勘から察するに、何か危ない組織的なのが望月君を狙っているかもしれない」
「そう……ですか……」
「あ、あくまで僕の勘だから。そう落ち込まないで」
先月、一牙たちは岸越たち警察の協力の下、水無月市内に潜伏していた結婚詐欺犯を逮捕した。標的は柊茄の母親の暮撫であり、曇妬が盗撮した写真や、森宮家に忘れていった忘れ物から連絡先がつかなかったことから結婚詐欺と判明。GWに行われた大規模な婚活パーティーに一牙たちは潜伏し、トラブルが発生したものの、無事逮捕することが出来た。
同じことでは無いと思うが、犯罪組織が動いている以上、先月の結婚詐欺犯逮捕が引き金になっている可能性も捨てきれない。一牙たちは結婚詐欺事件の関係者なのだから。
パタンと手帳を閉じ、ショルダーバッグにしまう。
「とりあえず暫くは一牙君たちと一緒に帰って、身の安全を確保した方がいい。もし何かあれば水無高前の交番に来て。僕はそこにいるから。それに僕の方も住宅地のパトロールを厳しくするよう心がけるよ」
岸越は水を一口含み、一番テーブルにいる柊茄たち三人に目を向けた。
「ごめんね、柊茄ちゃんたち。協力してくれるかな?」
「まっかせて下さい! モモちゃんを守るためなら私、誠心誠意、命をかけて守ります!」
「お、俺だって!」
「私たちに出来ることがあれば言って下さい。協力します」
三人は快く岸越からの依頼を受諾し、望月は笑みを漏らす。
「ありがとう、みんな……」
「勿論俺も協力するぞ。何かあったらこの店に来い。少しでも気が休まるよう、もてなしてやるからさ」
「ありがとう……」
とそこへ——
ガララララ!
「モモ、無事か!?」
再び勢いよく開け放たれる店の入口。
入ってきたのは黒色のTシャツを来た中国人ではなく、引き締まった黒いスーツ姿の男性だった。身長は一七五を超えていそうな高身長に、清潔そうな髪はワックスでカチッと固められている。スーツや髪型から清潔そうに見えても、縦長の顔の口元から数ミリ生えている髭が清潔感を台無しにしていた。
先ほどの呼びかけから察するに、この男性が望月のマネージャーなのだろう。
そういえば会見時の動画に映っていた姿と同じだ。
「大丈夫、無事だよ!」
この人も余程焦っていたのか、額に汗がびっしょりである。曇妬に貸していた業務用扇風機の前に立って涼んでいた。
「これ、どうぞ」
「おお、ありがとう!」
一牙は水を差し入れ、望月のマネージャーはそれを一気に飲み干す。飲み干した際に氷が口に入ったのか、ガリガリと氷を噛んでいた。
「皆さん、ご迷惑をおかけしました。私、モモのマネージャーをしています
砂牧は丁寧に挨拶をし、岸越と永嶋先生、隆善と舞柚に名刺を渡していた。
「お久しぶりです。砂牧さん」
「君は……櫻木財閥の……」
麗歌も同じように丁寧に挨拶をした。
麗歌が学校でCMの打ち合わせの時に望月を見ていたことを思い出した。その打ち合わせ時に麗歌と砂牧は面識があったのだろう。
「ええ。今後ともよろしくお願いします」
「あ、いや、こちらこそ……」
砂牧は少しおどおどしていた。やはり櫻木財閥のご令嬢ともあって、話すのは緊張するものなのだろう。
「それで、ストーカーというのは……」
「僕が説明します。水無月高校前交番の所長の岸越と言います」
「お、おお……警察の方でしたか……」
望月と向かい合って座っていた人物が警察だったことに動揺を隠せない砂牧。
岸越はさっき望月から聞いた話と、自分の推測を織り交ぜて砂牧に説明した。
「なるほど……それでモモの安全性を高めるために、ここにいるモモのクラスメイトたちと一緒に帰ると……」
「ええ、集団でまとまって帰れば、ストーカーも手が出せないはずです。それにこの店には僕が来ることが分かっている。ストーカーにはいい脅しになったかと」
「そうですね……分かりました。皆さん、ご迷惑をおかけしますがよろしくお願いします」
「はい」
一牙はあっさりと答え、それに続いて柊茄たちも答える。
「実は……ですが、この手のストーカー被害は今回だけじゃないんです」
「「えっ!?」」
岸越と一牙の驚嘆がハモる。
「何度かありまして……十回はありませんが、その度にモモが私に連絡して事なきを得ています」
「砂牧さん、それ警察に通報しましたか?」
「いえ、してません。実害的な被害もありませんでしたし、モモも別にしなくていいと言っていましたので……。それに姿もあまり見えなかったらしいので……」
「そうですか……。もし何か思い出しましたら通報の方、お願いします。何かあってからでは遅いですから」
「はい。心得ています」
岸越が通報を強く言い、砂牧はそれに首を振る。
「あー、マネージャーさんよ。ちょっといいか?」
「はい……? 何でしょうか?」
永嶋先生が後ろ髪を掻きながら砂牧の前に来て、名刺を取り出す。
「俺はコイツらの担任だ。望月が学校にいる間は、学校の管轄下にある。事務所の独断で決定すんじゃなくて、一度は学校に話通してくれ。校長には俺から話を通しておく。じゃねぇと学校側が面倒を被ることになるからな。それだけは避けたい」
「はい、分かりました。学校側へ連絡するよう、所長にも話しておきます」
砂牧は名刺をしまい、半分残っていた水を飲み干した。
「それでは皆さん、私はこれで失礼します。モモは私の車で送り届けますのでご安心下さい」
「じゃあね、みんな。また明日ね」
砂牧は退店する前に頭を下げ、望月は笑顔で手を振りながら店を出て行った。
一牙は二人が店を出て行ったのを見ると、お盆を持ってコップを下げる。砂牧は全て飲み干していたが、望月はほんの少ししか飲んでいなかった。
「あ、一牙君。僕のもいいかな?」
岸越のコップも回収し、厨房の方へ持っていく。厨房では隆善と舞柚が心配そうに一牙を見ていた。
「大丈夫だって。前の時みたいな無茶はしないつもりだよ」
「それならいいんだが……」
「何かあったら私も頼ってよ? あんなストーカーくらい殴り飛ばすから」
「あー……うん。分かった」
母さんなら間違い無く物理で解決するんだよな……と苦笑した。
岸越が会計するということを思い出し、レジに向かう。
岸越の伝票を預かり、お金を受け取ってお釣りを返す。岸越は「美味しかったよ。ありがとう。何かあったら連絡してね」と言って店を去っていった。
「一応俺たち……モモちゃんの護衛役……になったってことでいいのか?」
「そうだと思います。岸越さんが話していたように、集団でまとまっていればストーカーも手が出しにくいですから」
「担任として言っておくが、あまり無茶だけはすんなよ。何かあったらすぐに言え。いいな?」
「はーい。心配性だなー永センは」
「……今度の懇談、お前の順番は一番最後な」
「あ、それだけはやめて下さいー!」
曇妬が机に頭をぶつけるように懇願し、永嶋先生は「はぁ……」と溜め息を吐く。
「ねぇ、麗歌。確認なんだけど、本当にモモちゃんと一緒に帰っていいって言われたんだよね……?」
「え、ええ……ニュアンス的にはそうのはず……です」
麗歌の表情が引きつっている。興奮を抑えている柊茄を見てドン引きしているようだった。
「本当!?」
「はい……」
「本当の本当!?」
「本当の本当です」
「というか柊茄、岸越さんに頼まれた時、胸叩いて宣言してたろ。『誠心誠意、命かけて守ります』って。あれは嘘だったのか?」
このままだと「やったー!」で叫び出しそうだったので、別方向の質問をぶつけて気力を逸らす。
「嘘じゃないよ、本当だよ本当。私の本心!」
「だといいんだが」
本心でもなければあんな台詞は生まれない。一牙もあれが柊茄の本心だということは分かっていた。
「とにかく! 暫くは私が『モモちゃん護衛隊隊長』ね! いい?」
「……お好きにどうぞ」
「あ、あはは……」
「隊長様! 俺もついていきますぞー!」
一牙は適当にあしらい、麗歌は作り笑いを浮かべ、曇妬は柊茄に平伏す。
柊茄が本当に暴走しないかどうか、本格的に見守っていく必要がある。
残っていたカップを拭いて棚に戻す。
「お前も大変そうだな……」
「先生ほどじゃないですよ……」
望月のことを見ていく反面、望月と同程度かそれ以上に柊茄のことを見ていく必要がありそうだ。
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