第2巻-第19幕- 柊茄も知らない母親像

 GWが終わって憂鬱な気分で日本が回る。朝のニュースではGWにどこへ行ったのかレポーターの人が空港や駅で聞き込みをしている画面が多かったように感じる。逃亡中だった結婚詐欺犯の残り二名、東川長佐と駒前逸樹の逮捕のニュースは三十秒ほどで淡々と紹介され、次のニュースに移行した。

 大学生アルバイト従業員の姉曰く、昨日の婚活パーティーは中止されることなく、最後まで続いていったという。ただ、東川逮捕と暮撫の一喝もあってか、女性陣は男性陣に対して詐欺なのかどうかという疑念が凄まじかったらしく、男性陣は疑いを必死に晴らそうとしていたらしい。大学生のアルバイト従業員の姉は理想の男性が見つからなかったらしく、夜の部には参加しなかった。

 婚活パーティーの騒々しさが嘘だったかのように、一牙たちの周りはとても静かで平和に時が流れていった。GW明けの突撃数学テストとかいう永嶋先生の思いつきのような授業には頭を悩まされたが。

 それはさておいて放課後の如月喫茶。もはやお馴染みの光景となっているお客がいない店内に、一牙はもう溜め息も出なかった。柊茄、曇妬、麗歌の三人はいつもの一番テーブルに座って、紅茶やソフトドリンクを飲みながら駄弁っている。

 一牙はコーヒーミルでコーヒー豆を砕きながら、ある人が来るのを待っていた。

 五分後くらいにその人は店内を訪れ、店の扉に設置されている鐘を鳴らす。

 カランカラン。

「いらっしゃいませ。岸越さん。暮撫さん」

 店に訪れたのは岸越と暮撫だった。岸越は仕事感満載に警察官の制服の姿、暮撫は少し涼しそうな白いワンピース姿で来店した。

 柊茄が「こっちこっち」と暮撫を呼び、暮撫は一牙がいつも座っている場所に、岸越は二番テーブルに座る。一牙は挽いていたコーヒー豆をフィルターに移し、コーヒーを二つ淹れ始めた。

「どうぞ。サービスです」

 一つのコーヒーはミルクを入れてカフェオレにして暮撫に渡し、もう一つのコーヒーはそのままブラックにして岸越に渡した。

「母さん、暮撫さん来たぞ」

「はいはい、今行くわ」

 少し忙しない返事が返ってくると、数秒後には既に厨房からホールへ舞柚が出てきていた。一牙に「カフェオレ一個」とだけ言うと、四番テーブルから椅子をぐいっと引っ張ってきて一番テーブルの上座に座る。

 一牙は抵抗することなくコーヒーを淹れ、ミルクを注いでカフェオレを作った。ぶっきらぼうに「はい」とだけ言って舞柚に渡す。

「さて暮撫、まずはおめでとう。東川の逮捕、できたんだってね」

「ええ。ちゃんとやってやったわ」

「ほぼ柊茄の母ちゃんの手柄のように見えっけどな……」

 後ろでブラックコーヒーを啜っていた岸越が「あはは……」と苦笑いを浮かべる。

「いやー参ったよ。まさかあの場から逃げられるとは思ってもなかったからね」

「油断禁物ってところかしら」

「僕も警部補なんだし、慢心してはいけないって改めて実感したよ」

 現場全体を預かるかもしれない人にとって、油断はまさに取り返しの付かない大きな事件である。その責任は非常に重く、一生残る生傷になり得ない。

 一牙はまだドリッパーに残っているコーヒーをコップに移し、四番テーブルに座って話に参加する。

「岸越さん、これで結婚詐欺グループは全員が逮捕できたってことでいいんですよね?」

「うん。一応は。東川も容疑を認めているようだし、もう心配はないかと」

「そうか。ならよかった」

 身近に感じた詐欺の脅威。一牙はこの経験をゆめゆめ忘れないよう、心に刻んでおくことにした。特に女性の結婚詐欺犯はハニートラップの可能性も少なくないと思っている。自分が結婚するのはまだ先の話だが、用心をしておくに越したことはない。

「それよりもお母さん、いい加減教えてよ!」

「何を?」

「だ! か! ら! 東川を倒したアレ! アレ一体何なの!?」

 柊茄が駄々をこねる子供みたいに、暮撫に蹴りとかかと落としのことについて説明を求める。暮撫は少しだけ視線を泳がし、舞柚の方に向けた。

「あーあ、とうとうバレちゃったわね。この場合は暮撫がバラしたのが正解なのかしら?」

「いいでしょ、もう……」

 舞柚が暮撫の肩をこんこんと優しく小突いてじゃれ合った。

 意を決して柊茄に告げようとする暮撫だったが、いたずらっ子のような舞柚に先を越される。

「実はね柊茄ちゃん。暮撫って高校の時、空手の全国大会で二回も優勝した大物なの」

「えっ、そうなの!? お母さんすっごい……」

「東川を倒したってことは何かしたの?」

「東川の腹に思いっきり蹴りを入れた後、背中にかかと落とし食らわせてた」

 横から一牙が見ていた光景を言い、舞柚は暮撫の方を少し得意げに見つめた。

「ほう……まだ腕は鈍っていないようね。私が空手に勧めただけはあるわ」

「当たり前でしょ。あんだけ高校の時にやってたんだから、まだ染みついてるわよ」

 まだ染みついているとはいえ、高校から既に十年以上経過している。たまに練習でもしない限りはあのような動きはできないだろう。それとも、暮撫の天賦の才なのかもしれない。

「でも、そんな輝かしい栄光があるのでしたら、何故隠し通していたのですか?」

「それね……別に隠したかったって訳じゃないんだけど、あの人の前では暴力的な姿を晒さないようにしようとしてたの。ほら、暴力的な女性ってあんまり魅力的じゃないでしょ?」

「そうかもしれませんが……」

 一牙は「どこが?」と舞柚を見たが、背中から燃え盛る殺気を感じたので視線を逸らした。

 暮撫の言うあの人、それが自分の父親であるということを柊茄はすぐに理解した。

「あの人の前で隠している内に、柊茄にも隠すようになっていったの。ごめんね」

「いいじゃん! すごく! 私、格好いいお母さん大好きだよ。きっとお父さんも格好いいお母さんが見たかったんじゃない?」

「そうかしら……」

「そうだよ、絶対そう! だって今のお母さん、隠し事全部なくなったかのように生き生きしてるもん!」

「ふふ、ありがとう」

 確かに柊茄の言う通り、今の暮撫さんは少しだけ生き生きとしているように見える。東川が警察に連れられて、朱雀の間を出る時に言い放った「ぶちのめすから」という言葉に一牙は戦慄を覚え、鳥肌が立ったのを思い出した。その時も、かなり生き生きとしていたように思う。

「んでも、まさかホテルの人に変装してたとは思わなかったよなー」

「そうそう。保険がどうのこうのって言ってたけど、お母さんの言ってた保険ってこれのことだったの?」

「ええ……まぁ……」

 暮撫の保険が物理的に東川を捕らえることだと知り、暮撫はおろか周りの人たち全員が苦々しく笑う。

「あれはかなり驚きましたよ。勇敢なのはいいことですが、もう止めて下さいね」

「はい……すいません」

 警察としてはあの様子はかなり肝を冷やしたことだろう。岸越は胸を撫で下ろし、暮撫に注意を呼びかけた。

「変装できたということは、ホテルにお知り合いでもいらっしゃったのですか?」

「ええ……空手部の部長がそこで働いてたから、ちょっとだけ頼んだの」

「へー、あの人ホテルで働いてるのね。元気にしてた?」

「そりゃあもちろん」

 これに関してはホテルで働いている空手部の部長の心の器に感謝せざるを得ない。その空手部の部長の手助けがなければ、東川逮捕には繋がらなかっただろう。

「そういや、全国大会で取った時のトロフィーとかって、どこにあるんすか?」

「実家にあるわよ。この際だからこっちに持ってこようかしら」

「いいんじゃない。柊茄ちゃんも見たいでしょ?」

「もちろん!」

「なら、決まりね」

「そうね。それじゃあ今週の日曜日にでも取りに帰ろうかしら。お母さんたちにも顔を合わせておきたいし」

 今後の予定を決め、柊茄と暮撫は盛り上がっている。

 まるで家族の絆がより深まった、そのように一牙は感じ取っていた。

「さて、暮撫さん。また後日事情聴取があるかもしれません。その時はご協力お願いします」

「はい、こちらこそお願いします」

 表向きの事件は終わった。しかしまだ裁判という戦いが残っている。東川の余罪からほぼ有罪なのは確定事項だとは思うが、暮撫の証言及び被害者の女性の証言によって東川の刑期が決まる。ある意味ここからの戦いが本当の戦いになるのかもしれない。

 けれど、きっと今の森宮家なら大丈夫だろう。一牙はそう心の中で考えていた。

 パンと手を合わせて、舞柚が何かを閃いたように提案した。

「じゃあ事件解決したことだし、ちょっとだけパーティーしましょ。さっき兜型ケーキ作ってたし、みんなの分あるから。岸越さんもご一緒に」

「いいの? 舞柚」

「もちろんよ」

「ぼ、僕はまだ勤務時間中ではあるんですが……無碍にするのも申し訳ないですし、ありがたく受け取ります」

「曇妬君たちも食べるでしょ?」

「もちろんっす!」

「さっすが舞柚さん!」

「ありがとうございます」

「ほら一牙、さっさと準備して」

「ったく……」

 渋々立ち上がり、ケーキパーティーの準備をし始める。厨房に人数分作られていた兜型ケーキを運び、足りない分の飲み物を補充する。

 全員の分が揃うと、小さな兜型ケーキのパーティーが広げられた。

 白色、薄緑色、桃色、薄茶色の兜型ケーキが並び、舞柚が仕入れていた新鮮なフルーツの輪切りもテーブルに広がる。

「んじゃ俺、これもーらいっ」

「あ、曇妬! それ私が取ろうとしてたのに!」

「へっへーん、早い者勝ちだっつーの」

「それでは私はこちらを」

「へぇー、柊茄から話は聞いてたけど上手いもんね、舞柚」

「そうでしょ?」

「これはなかなか……男心を擽られる一品ですね」

 と思い思いの感想と戦争を繰り広げ、パーティーは進んでいく。

 一牙も残った白色のホイップクリームの兜型ケーキを、和気藹々とした喧騒の中で食べた。甘さからなのか、和気藹々とした喧騒からなのか、ふと「ふっ……」と笑みが零れてしまう。

 大きな出来事が終わった時に飲むコーヒーや紅茶、緑茶は優雅な一時を与えてくれる。

 今回、一牙は何も出来ていない自分に苛まれた。犯罪という大きな壁は自分一人では解決できないものだと思い知った。ただそれでも一牙に出来ることは、誰かと協力して立ち向かうこと、終わった時にこの一時を味わっていただく空間を提供することだと、このパーティーの様子を見て考えを改める。

 特に近所の相談役である一牙にとって、一番簡単でやれることは寛げる時間を提供することである。一般の高校生に出来ることはたかが知れている。その知れていることで奇想天外な解決方法を見出すのも、一興というものではないだろうか。

「一牙君、カフェオレおかわりいいかしら?」

「一牙君、コーヒーもう一杯、お願いできるかな?」

「はい、ただいま」

 一牙は持っていたコーヒーカップを置いて席を立ち上がる。カウンターでミルに残っていたコーヒー豆をフィルターに入れてコーヒーを淹れ出す。

 お客がいない店内は、満席のお客がいるかと勘違いするほど騒々しく、そして賑やかで、みんな楽しげであった。

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