第2巻-第18幕- 純情の代弁者
ホテル従業員の専用ルートから駒前に見つからないよう朱雀の間に潜入した一牙たち。
体育館の舞台袖から見るように、扉や幕に体を隠しながら婚活パーティーの様子を窺っていた。
朱雀の間はかなり広い大部屋になっており、等間隔で並べられているテーブルには様々な料理や飲み物が置かれている。部屋の角にはホテルの従業員及びパーティーの関係者が空になった皿やコップを片付けたり、新たな料理を運んだりしていた。カメラマンやレポーターは見当たらなく、どうやらテレビ局の関係者は本当にいないようだ。
「美味そうだなぁ……食いてぇ……」
「おいバカ。出るな。出ると東川にバレるだろうが」
「そうだけどよ……一牙も食ってみたくねぇか?」
「食いたくないって言うと嘘になるが、とりあえず今は東川捕まえるまで我慢しろ」
「へーい」
今一牙たちが隠れてみている朱雀の間のステージの舞台袖には、様々な演劇道具やライト、小物が入った段ボールが置かれている。ステージの中央にはスタンドマイクがぽつんと鎮座している。
「岸越さん、これって演劇道具……ですわよね?」
段ボールから飛び出ている演劇道具を見ながら、麗歌が岸越に問いかけた。
「そう。ここ朱雀の間は他の玄武の間、青龍の間、白虎の間とは違ってこのようなステージがあるんだ。元々はなかったんだけど、以前ここに泊まりに来た大物バンドが助言したらしくて、このようなステージを作ったみたいなんだ。最近では小学校や中学校の発表会や、高校の演劇部や吹奏楽部の講演会などにも幅広く使われているっぽいよ」
「そうなんですね」
「なるほど。だからここで婚活パーティーをするのか」
「どういうことよ、一牙。一人で納得しないで」
一人納得した一牙に、その納得した理由を啓示するが如く柊茄が問い詰めた。
「さっき、パーティーの関係者からこれもらったんだよ。で、その内容と照らし合わせると、ここでする理由が分かったんだ」
一牙が手に持ってひらひらと見せつけているのは、この婚活パーティーの計画表だった。さっき舞台袖から全体を見た時、参加者のほとんどがこれを持っていたので、配っていることは違いない。
「この計画表の中に、自己紹介欄がある。もうすぐやるみたいだけどな」
「そういや昨日、あの大学生の人が自己紹介とか言ってたよな」
「その自己紹介はこのステージに上がって、あのマイクを使ってやるっぽいんだ。全員一人ずつ話すことは出来ないし、誰が参加しているのか知っておく、好みの人を見つけるとかそんな理由でやるんだろ」
「なるほどね」
「一牙君、ということは……」
一牙の意図を察知したらしい岸越が、スタンドマイクと一牙を交互に見る。
「そういうことです。東川が自己紹介している時に、ここから飛び出して確保する。パーティーの人たちとは離れていますし、人質を取られる可能性も少ない。さらにテーブルを引っかき回して料理をダメにし、ホテルの人たちに迷惑をかける可能性も少ない。結構いいアイデアだと思うんですが……」
たかが高校生の率直な案だ。警察官なら慎重に、事を荒ら立てずに済ませると思うが、一牙の考えはこれが精一杯である。
この現場をまとめている岸越の判断はいかに。一牙はごくっと生唾を飲み込んだ。
「ど、どうですか……」
「…………」
岸越は腕を組み、下を向いて一牙の案を受け入れるかどうか悩んでいた。
その最中、会場のマイクにノイズが走り、司会者と思わしき人がステージに立つ。
「皆さん、本日は水無月市最大の婚活パーティーに参加していただき、誠にありがとうございます。是非、ここで運命の出会いを見つけ出して下さい。その運命の出会いをする第一歩として、自分を紹介しようということで、自己紹介タイムといきます。運命の出会いは一目見た時から決まるとかなんとか。この自己紹介タイムで運命の人を見つけましょう!」
パチパチパチ!
どうやらもう自己紹介の時間が始まるようだ。一牙はステージの方を見つつ、悩んでいる岸越の判断を待つ。
「岸越さん……ダメ……ですかね?」
腕を組んでいた岸越は、腕組みを外すと、首を縦に振った。
「いや、そのアイデアでいこう。ただ、一牙君たちは何もしないで。ここからは僕たち警察の仕事だから」
「わ、分かりました……」
「あの、岸越さん。私も一ついいでしょうか?」
「お母さん?」
ここで手を挙げたのは暮撫だった。
「岸越さんたちを信用しないという訳ではないんですけれど、私の方で保険をかけてもよろしいでしょうか?」
「それは……ありがたい提案ではあるんですが、万が一、何かあっては……」
「大丈夫です。私が怪我をした時は私の責任ですので。岸越さんたちのお手を煩わせるようなことはしません」
「そ、そうですが、しかし……」
やはり岸越としては民間人である暮撫にあまり動いて欲しくないようだ。
それもそうである。一牙たちがここに来ているのは監視カメラの映像から東川かどうか確認するため。警察にとって一牙たちはもう用済みであるのだ。これ以上捜査の邪魔をして欲しくないというのが本音だろう。
暮撫は東川の被害者なのに、捕まえられなかった、見抜けなかったという自責の念が重くのしかかっている。その責任の一端を受け持つために、こうして動こうとしているのだ。
「……分かりました。無茶だけはしないようにしてください」
「ご協力、ありがとうございます」
暮撫は岸越に頭を下げてお礼を言うと、舞台袖から去って行った。
「お母さん、何するつもりなんだろ……」
「きっと暮撫さんは何かしらの考えがあるんだろ。信じて任せてみような」
「そうね。岸越さんたちが確保してくれればお母さんも出なくて済むもんね」
「はは……結構責任重大な確保になってきたなぁ……」
岸越は苦笑しつつも、目の前で始まっている自己紹介の様子を見ていた。
自己紹介は女性から始まり、続いて男性の紹介になる。緊張した面持ちでステージに上がってくる人たちのスピーチはどこか震えており、一牙たちまでその緊張感が伝染するようだ。
岸越は東川に見つからないよう司会者と自己紹介の段取りを確認し、東川を最後にするようにした。さらに私服警察官の一人とステージに連れてきて、確保の準備に入る。
「確保のタイミングはどうしますか?」
麗歌が小声で岸越に訊ねた。
「一番気が緩むスピーチ中にするつもりだよ。スピーチ中は何を言おうか頭の中で考えるはずだ。咄嗟の出来事には対応し辛いと思う」
「なるほどです」
「まだ男性の紹介まで時間がある。それまで、東川の動向を観察するぞ」
「はっ」
一牙たちも岸越に倣って東川の動きを観察し始めた。
今いる舞台袖からはあまり動向が確認し辛いと思っていたが、東川はあまり動かず、女性を待っているように見える。女性が飲み物を持って東川のところに来ると、東川は軽快な様子で喋りだした。笑いを交えつつ、話している姿はとても紳士的な男性のようだ。
女性と話し終わると、東川は懐から手帳のような物を取り出してメモし始めた。去って行った女性を見ながらメモを取っていたため、あのメモが東川のターゲットとなる女性の一覧表だろう。あそこから的を絞って、数年かけて詐欺を仕掛けていくつもりなのだろうか。時折、一人で何か話している姿も見られる。会場外にいる駒前と連絡を取り合っているようだ。
それに、気になった女性の自己紹介はしっかりと聞いているらしい。その女性が自己紹介のためにステージに立つと、しっかりとステージの方を見ている。
東川がステージを見ると、舞台袖にいる一牙たちが見えてしまう可能性がある。一牙たちはバレないよう、東川がステージを見る時はかなり後ろに下がった。一牙たちの対面側にいる岸越たちの姿は東川には見えない。
「かなり東川さんの周りに集まっているように見えますわね」
「だな。結婚詐欺犯だし、自分から行くと思ってたが、そうでもなかったようだな」
東川の容姿なのか性格なのか分からないが、かなりの数の女性が東川の周りに集まることもあった。このパーティーの中ではかなり人気の部類に入るのではないだろうか。
「くぅー、羨ましいぜ! 俺もあんなにちやほやされてぇ!」
「されてるでしょ。色んな先生たちに」
「あれはちげぇよ!」
「静かにしろバカ」
一牙は騒ぎだそうとした曇妬の口を手で押さえ込む。
「では続いて男性の方の自己紹介をしていただきましょう!」
司会者がそう言うと、男性の参加者が渋々とステージに上がってきて自己紹介をし始めた。男性たちは単調な内容で軽い自己紹介をしていき、次の人にバトンを渡す。
「いよいよか……」
「そうね……」
「確保の瞬間なんか一生に一度見れるかどうかなもんだろ?」
「私、何か緊張してきました……」
刻一刻と近づいてくる東川の番。それまで一牙たちは舞台袖で息を潜めて岸越たちの方を見ていた。
「「…………」」
岸越たちの目は既に真剣モード。曇妬が冗談を言っても絶対に笑わない鋼(はがね)の表情がそこにあった。もう一人の私服警察官は東川の近くでずっと監視している。
「はい、ありがとうございましたー。それでは最後の男性の方、ビシッとキメて下さいね!」
司会者が東川をステージに誘導する。東川は満更でもない表情でステージに上がると、スタンドマイクに顔を近づけて喋りだした。
「
東川は淡々と偽名を名乗り、スピーチを繰り広げていく。
「何が森山よ。まーた偽名使ってるんじゃない」
「落ち着け柊茄」
拳を固めて今にも殴りかかりそうな柊茄を一牙は制止する。
その一方、岸越たちはついに動き出した。
「……行くぞ」
「はい」
靴音立てずに立ち上がり、そろりそろりと舞台袖の幕に近づく。突入の手話をして一気にスタンドマイクでスピーチする東川に飛びかかった。
バッ!
「東川! 警察だ! そこを動くな!」
警察手帳を見せつけ、東川に飛びかかる。
周りはざわめき、東川もハッとして振り向く。
岸越の手が東川の服に届く距離。
僅か数秒の時間。
結果は——
「何っ!?」
東川は岸越たちに驚きながら、ザッとステージを飛び降りた。
「「なっ!」」
飛び降りられた東川を見て、岸越ともう一人の私服警察官は驚きを隠せない。岸越の手は虚空をかいてスタンドマイクの手前に倒れる。
東川をずっと監視していた私服警察官も走って確保に動く。
「はああっ!」
「ちいっ!」
ひらりと躱されてしまい、私服警察官は思いっきりよろめいて転んだ。
「待て! 東川! もう逃げられんぞ!」
「うるせぇ!」
東川は岸越たちの制止も聞かずに、入ってきた扉目がけて走り出した。
「どけえええええええっ!」
「わっ!」
「きゃっ!」
「うおおっ!」
岸越は周りの参加者などお構いなしに逃げることのみを重点に入れており、参加者を振り切って入ってきた扉まで走る。岸越にどけられた参加者が持っていたグラスや皿が床に落ちてパリンと割れ、会場内はパニックに陥る。
「おいマズいぞ。このままじゃ……」
一牙は舞台袖から出てきて、今の状況を推察した。
今、扉の前にはホテルの従業員しかいない。岸越は態勢を立て直して追いかけようとしているが、とても追いつける距離ではない。二人の私服警察官も追いかけているが、扉までには間に合わない。あのままでは東川に逃げられてしまう。
「くそっ!」
焼け石に水と分かっていながらも、一牙は衝動を抑えることができなかった。ステージを飛び降り、態勢を立て直して走り出した岸越の後を追いかける。
「おい一牙!」
「一牙さん!」
「ったく、しょうがないわねっ!」
曇妬と麗歌の呼びかけは一牙には届かず、一牙はただ無我夢中で会場内を走った。自分に何ができるか分からない。ただそれでも、走って何かしなければならないと思っていた。
一方、東川は扉の目の前まで来ていた。扉の前にはホテルの従業員が逃がさないと言わんばかりに仁王立ちしており、東川は腕に力を入れて強行突破する気でいた。
「どけええええええっ!」
腕を伸ばし、無理矢理従業員をどけようとする東川。
だが、ホテルの従業員は怖じ気づいて逃げるどころか、仁王立ちしたままである。
東川の腕が従業員の肩に触れようとした瞬間——
「はあああああっ!」
ゴッ!
ホテルの従業員が迫り来る東川の腹に目がけて左足で蹴りを入れた。
「かはっ!」
走った勢いによって、蹴りを入れられた腹から蹲るように前のめりになる。
的確に鳩尾に入った蹴りは東川の勢いを殺し、その場に蹲らせた。
「ぐっ……て、てめぇ……」
左手で腹を押さえつつ、ホテルの従業員に反抗しようとする。
が、ホテルの従業員は右足を大きく振り翳しており——
「てええいやっ!!」
ドガッ!
「——あがっ——!」
東川の反抗する間もなく、首と背中の付け根部分にかかと落としが炸裂する。
東川は苦悶の声を上げ、腹を押さえながら床に倒れ伏せた。
「す、すげぇ……」
無我夢中で走っていた一牙は、突然目の前で起こった格闘に意識を奪われていた。
ぴくぴくと小刻みに痙攣する東川にまだ反抗する意識はあったが、体が激痛によって言うことを聞かない。特にかかと落としを受けた衝撃によって、意識が少し朦朧としていた。
そこに私服警察官と岸越が到着し、逃げられないよう腕を拘束する。
「東川長佐、結婚詐欺の現行犯で逮捕する!」
ガチャン。
東川の両腕に手錠がはめられ、東川は逮捕された。
「東川は捕らえた。駒前も捕らえろ!」
トランシーバーに声を張り上げて通達する岸越。了解の返事がすぐに返ってきて、会場外の警察官が動く。
一牙は目の前で起きた出来事がまだ本物か信じられていなかった。しかし、東川の腕にはめられている手錠が何よりの証拠であり、一連の問題はこれで解決したことになる。
「おーい一牙」
とそこに曇妬たちが駆け寄ってくると、目の前で起こった逮捕劇に目を奪われる。
「ど、どうなったんでしょうか……」
「あの従業員が東川に蹴りとかかと落とし入れてダウンさせた」
「マジかよ!」
逮捕劇の真相に驚く麗歌と曇妬だったが、柊茄だけは違っていた。
「お、お母さん?」
「「「えっ?」」」
一牙たちが驚くのも塚の間、東川逮捕に協力したホテルの従業員が帽子を取る。そこには従業員の制服を着た暮撫の姿があった。
「マジかよ……」
「ということは柊茄さんのお母様が……」
「ど、どういうことだ?」
状況が読み込めない一牙たち。
暮撫はずかずかと歩き、倒れ伏す東川に向かって鋭い怒声を浴びせた。
「これに懲りてしっかりと反省することね! 今まで被害に遭ってきた被害者たちのことを思って!」
会場内にいるパーティーの参加者及び関係者は、今のこの状況に釘付けとなっていた。
「私は別にお金のことに関しては構わない。けどね、恋する乙女の純情を踏みにじるのは断じて許されないし、絶対に許さない。あなたはその恋する乙女の純情を踏みにじり、挙げ句の果てにはそれを利用した。一生残る禍根をあなたは被害者に植え付けた! 被害者の禍根が消えるまで、一生罪の咎を背負って反省することね! いいかしら!」
ビシッと右手の人差し指を倒れ伏せる東川に向け、言い放つ。
東川は多くの女性の恋心を利用し、それを詐欺という最悪の手段で悪用した。それは恋心を弄び、感情を破滅へと追い込んだ許し難い行為。だからこそ、暮撫はこの言葉を言わずにはいられなかった。
暮撫の姿は全ての女性の先導者のようにとても凜々しく、格好良かった。
「……ガッ、駒前、逮捕しました」
岸越のトランシーバーから駒前を捕らえた報告が鳴り、事件の関係者は全て逮捕されたことを知らせる。
「さぁ、歩け」
岸越たちは倒れ伏せる東川を起き上がらせ、会場外へ連れ出す。
岸越たちに先導され、とぼとぼと歩いて行く東川。そのすれ違い様に暮撫が告げる。
「私はあなたを絶対に許さない。例え出てきたとしても。二度と私の前に現れないで。もし現れたら……次はぶちのめすから」
「…………」
鋭く冷徹な宣告。東川は黙って表情一つ変えず、暮撫の言葉を聞いていた。
「歩け」
二人の私服警察官に連れられ、東川は会場を去って行く。
東川が会場から去って行くと、暮撫は大きく深呼吸をした。言いたかったこと全てが言えたように表情は満足した感じだった。
そして——
うおおおおおおおおおっ!
会場全体から歓声の拍手の喝采が鳴り響き、暮撫は何が起こったのか当たりを見渡す。
「ブラボー!」
「すげぇもん見させてもらったぜ!」
「マジでやべぇな!」
男性陣から感激の声が告げられると、一斉に暮撫の周りには女性陣が集まる。
「とても凄かったです!」
「凜々しく言い放つ姿、目に焼き付きました!」
「お姉様って呼んでもよろしいでしょうか?」
「え、ええ……」
女性陣に囲まれた暮撫はどうすることもできず、ただ言われるがまま流されるしかなかった。その様子を一牙たち四人はくすっと笑って見守っていた。
「これで一件落着、だな」
「そうですわね」
「柊茄の母ちゃん、凄かったなー」
「って感心してる場合じゃないでしょ。お母さん助けないと」
柊茄に言われた通り、一牙たちは女性陣に囲まれている暮撫を助け、会場を後にした。
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