第2巻-第13幕- 西峰の行方は
一方、柊茄は水無月高校前を走り去り、水無月駅方面へ向かっていた。
「はぁっ……はぁっ……」
途中、赤信号で止まりながら休憩を挟んでいたが、息も絶え絶えになり、走る速度も落ちてきている。体育の時間以外でも真面目に運動しておくべきだったと自己反省しつつ、先ほどまであった出来事を思い返していた。
『いらっしゃい』
『お、お邪魔します……』
昨日の夜、西峰が初めて森宮家に上がり、一緒に夕飯を食べていた。夕飯の準備も一緒にしていたらしいが、柊茄は自分の部屋にいたのでよく知らない。下から楽しそうな声が聞こえてきたのは覚えている。
夕飯時、西峰は暮撫からやけに分厚い封筒を渡されていた。詳しい内容は暮撫も明かしてくれないが、友人の投資を助けられると西峰が言っていたので、恐らく現金だろう。今の森宮家に百万円はないだろうが、少なくとも三十万円から五十万円はありそうな分厚さだった。きっと前々から西峰が暮撫に頼んでおいたものだろう。
暮撫は度々西峰にお金を渡しているようだが、西峰も借りた分のお金はしっかりと返している。間に合わなかったから少なめだけどという言い訳もよく聞こえてくるので、全額返している訳では無さそうだ。
柊茄は投資など全く分からないので、適当に聞き流して夕飯はそこで終了した。
夕飯が終わると西峰は暮撫に再度お礼を言うと、森宮家から去って行った。また友人と結婚式のプランを練るつもりらしい。どこまでサプライズ好きなのかと苦笑してしまうほどだ。
そして如月喫茶に突入する二十分前。
『あら、これって……』
仕事が休みだった暮撫が台所の掃除をしていると、おしゃれだけど少し安物っぽい腕時計があった。森宮家に腕時計は一切無い。亡くなった父も腕時計を所有していたが、遺品整理の時に一緒に廃棄した。つまりこの腕時計は西峰の忘れ物となる。きっと夕飯の準備をしていた時に、邪魔になって外してそのまま忘れていったのだろう。
暮撫は「忘れ物がある」と西峰の携帯に連絡をかけるが、西峰の携帯には繋がらなかった。何度試しても西峰は応答しなかったので、柊茄も自分の携帯から西峰に電話をしてみる。すると電話の電子声が驚くべきことを発言した。
『おかけになった電話番号は、現在使われておりません』
「えっ?」って思い、もう一度電話番号を確認して電話を発信してみるが、同じ言葉が連呼される。機種変更して電話番号でも変えたタイミングでかけちゃったのかなと考えた。しかし、三分、五分、十分と間を空けて暮撫と一緒に連絡を取ってみるが、やはりあの言葉が連呼されるだけで繋がらない。
忘れ物に気付いて取りに来る可能性もあったが、柊茄はそんなことお構いなしに、暮撫から腕時計をひったくって駆け出した。GWだから外に出歩いているだろうという何の根拠もない自身を持って如月喫茶に突入し、今に至る。
「はぁっ……っつ、着いた……」
GWに突入した水無月駅の活発具合は異常とも呼べるほどだった。祭りでもあるかのように人がごった返し、もの凄い人口密度になっている。行き交う人々は若者が多く、高校生や大学生、家族連れが多いように感じた。
「——っ!」
流石にこの中を探すのは骨が折れる。そもそも西峰が水無月駅にいるという確証もない。家を知らない以上、水無月市で人口が集まる場所を虱潰しに探すしかないのだ。
一牙たちは如月喫茶があるので協力を得ることができない。曇妬はあまり役に立たなさそうだから敢えて声をかけなかった。というよりも曇妬に声をかけるというのを失念していた。
つまり、一人で探すしかない。
額に湧き出た汗を袖で拭い、水無月駅の人混みへ突入する。
その頃、曇妬も自転車で駆け抜けて柊茄の後を追っていた。中学の頃からの相棒は今も変わらず風を切って進んでいく。
「ったく……どこ行ったんだよ……」
曇妬が如月喫茶を出たのは柊茄が出て行った約五分後である。走っている柊茄を自転車で追いかけるには容易いことのように考えていたが、詰めが甘かった。
意外にも歩道には家族連れが多く、猛スピードで進むことは難しかった。
「しゃーねーか。GWだもんな」
水無月高校から少し離れた場所には水無月公園がある。水無月公園付近は人の数がいつもより多く、子供の数も多いため安易に自転車を走らせにくかった。
曇妬は自転車のハンドルを右に切って、人通りの少ない一方通行道を走って行く。
「柊茄がどこ行ったか知らねぇけど、多分駅か?」
と独り言をぶつぶつ言いながら、一方通行道をさらに曲がって水無月駅方面へと自転車を走らせる。
水無月駅に近づくにつれ、国道から離れた路地にも人が集まってきだした。
曇妬は自転車の進む方向を変え、国道の歩道で出る。
「あ、柊茄!」
水無月駅の方を向くと柊茄の姿を捉えることができたが、一瞬で柊茄は人混みの中に隠れてしまって見えなくなった。
「ちいぃっ! この人の数じゃあ自転車引いても無理だぁ」
数秒くらいは目で柊茄の場所を捉えていたが、その姿はたちまちの内に消え失せ、視界に入る全ての人は完全に知らない人だらけとなってしまった。
自転車を引いて歩いている人は数人見かけるが、柊茄を探すとなると、自転車は荷物となってしまう。自転車を置いて柊茄を探しに行くにも、駐輪場まで行かなければいけない。その間の時間に柊茄が水無月駅から出て行ってしまう可能性も捨てきれない。
「一旦戻るかぁ」
曇妬は柊茄の追跡を諦め、自転車をくるっと回して戻ろうとする。
「あ、そうだ。一牙に連絡しとこ」
ポケットにしまってある携帯を取り出して一牙に電話をかけた。
プルルルルル……。
『何だ曇妬。俺仕事中だぞ』
「いいじゃん別に。どーせ暇なんだろ?」
『…………』
一牙の溜め息が聞こえた後、ぷつっと通話が切られた。
「ちょっ、まっ」
もう一度一牙に電話をかける。
暇と言う言葉が一牙の地雷を踏んでしまったのではと考えつつ、少しだけ反省した。
『何だよ一体』
「別に切らんくてもいいじゃんかよぉ!」
『分かった分かった。で、柊茄は』
「水無月駅に入ってったけど、人めっちゃいるから追えねぇ」
『そっか』
数秒の間が空く。
はたと曇妬が何かを思いついた。
「そうだ一牙。俺、
『何でだよ』
「だって俺、西峰さんの写真持ってるし」
『はぁっ? お前いつ撮ったんだよ』
「あの喫茶店に行った時」
一牙の喫茶店研究会の時、曇妬は西峰の髪型を真似ようと思って、西峰に内緒で写真を撮っていた。もちろんシャッター音が聞こえると、西峰に写真を撮ったとバレてしまうので静音で。
『写真苦手って言ってただろ……肖像権の侵害で訴えられるぞ』
「いいじゃん」
『どこもよくない。明日来たら削除してもらうからな。というか今すぐ削除しろ』
「今削除したら交番で見せれんじゃん」
『…………っ』
一牙は言葉に詰まってしまい、曇妬に反論することができなかった。
『はぁ……分かった。交番の人に見せたら削除しろよ。明日確認するからな』
「オッケー。んじゃ行ってくる」
ぷちっと一牙との通話を切り、曇妬は路地ではなく国道の歩道を駆け出す。
十分くらい国道を如月喫茶のある住宅地方面へ漕ぐと、水無月高校が見えてきた。その手前の信号交差点を渡り、反対側の歩道へ移る。
水無月高校前の交番は、水無月高校の正門から国道を挟んだ向かい側の歩道にある。入り口は水無月高校の正門からほぼ正面にあったりする。生徒の安全を見守る役目、水無月市民の平和を守るためにこの場所に位置しているのだ。
曇妬は歩道の柵に自転車を寄りかからせて止めると、水無月高校前交番に入っていく。
「すんませーん」
自動ドアから交番内に入ると、指名手配犯の肖像や安全を伝えるポスターが壁やカウンターに張られており、異様な光景だった。
「はいはーい」
やや陽気な相づちで奥の部屋から出てきたのは、四十代付近の男性警察官だった。
「すんません。ちょっといいっすか?」
「はい。ご用は……って君は水無高の生徒の……曇妬君だね?」
「えっ? そ、そうっすけど……」
見ず知らずの警察官に自分の素性がバレてて曇妬はドキッと反応した。
「やっぱり。如月喫茶で何度も一牙君に怒られてるところ見てたから覚えちゃったよ」
「へ、へぇ……」
曇妬は唇を引きつらせて苦笑を浮かべる。
「って、何で俺のこと知ってるんすか?」
「そりゃあ如月喫茶は僕の行きつけだからね。常連の君のことは把握済みだよ」
「な、なるほどっす……」
まさかこんな身近に如月喫茶の常連がいたとは夢にも思わなかった。
「僕の名前は岸越。多分一牙君から聞いたことあるんじゃないかな?」
「うーん……ちょっと思い出せないっす」
「そう」
曇妬は一牙から聞いたことありそうだなと思い返すが、すぐには浮かんでこなかった。
それよりも一牙は他人との会話の内容は頑なに話そうとしない性格だったことを思い出す。
岸越が小さく咳払いし、当初の目的を曇妬に問う。
「それで、用があったんだよね?」
「あ、そ、そうっした。えっと……」
曇妬はスマホを操作し、西峰の写真を岸越に提示(ていじ)する。
「この人、岸越さんはどっかで見たことないかなーって思って」
「人探しかい?」
「そうっす。柊茄が探してるみたいで……」
「そう、柊茄ちゃんがね……ん?」
西峰は曇妬が提示した西峰の写真を見ると、顔を訝しんで覗き込むように見始めた。
さっきまでの陽気な雰囲気とは裏腹に、一瞬でプロの警察官になったような殺気が感じられる。曇妬は鳥肌が立ち、身震いした。
「曇妬君、この写真、いつどこで撮った?」
「な、なんすか?」
「いいから答えて!」
ぐいっと岸越の顔が迫り、曇妬は少しだけたじろぐ。
「ま、前の火曜日、煉瓦通りの喫茶店で……」
「ちょっと携帯借りるよ」
「あ、はい……」
岸越は曇妬からやや強引にスマホを借りると、急ぎ足で奥の部屋へ入っていった。
「な、何だ?」
一人ぽつんと取り残された曇妬は何が何だか分からない状況に陥(おちい)っていた。
ものの三分程度、交番のロビーで曇妬は立ちぼうけをしていた。岸越が帰ってくると、曇妬にスマホを返して謝罪する。
「いや、ごめんね。急に借りちゃって」
「い、いえ……別にいいっすけど……」
帰ってきたスマホに何かされてないか見てみるが、西峰の写真が写ってある画面だったので、特に何もされていないことにほっとする。ポルノの画像や動画は保存していないが、それっぽい画像はいくつかあるので、曇妬は内心ヒヤヒヤだったのだ。
「で、何か分かったんすか?」
「ま、まぁ……」
頬をぽりぽり掻き、曇妬から斜め上に視線をずらす岸越。何か分かっているようで隠しているような感じがした。
「い、一牙君は店にいるかな?」
「いるっすよ。さっき一牙のスマホに電話したらすぐに出てくれたし」
「なら話は早いかな。ちょっと一牙君の電話番号教えてくれない?」
「は、はぁ……」
岸越はポケットから携帯を取り出すと、曇妬に言われた通りに番号を入力し、一牙に電話をかけ始めた。
プルルルル……。
「あ、一牙君? 岸越だよ」
『え? 岸越さん? 何で俺に電話かけてきてるんですか?』
「今、曇妬君が来ててね、西峰っていう人の写真を見せてもらってたんだ」
『あー……そいつの西峰さんの写真、盗撮なので削除するよう言ってください』
「と、盗撮!?」
岸越は一旦携帯を耳から離すと、怪訝するように曇妬を睨みつける。曇妬は「あ、あはは……」と抵抗することなく苦笑を浮かべた。
「その写真のことは、あることが片付いたら削除してもらうよ」
「は、はぁ……」
怒られるかと思っていたが、予想外のことを言われたので、曇妬は反応に困った。
「さて、ちょっと一牙君に聞きたいんだけど、時間いいかな?」
『え? まぁ……一応は。客数も少ないですし』
「そう。ならよかった。じゃあ本題に入るけど、その西峰さんに会ったのっていつ? 曇妬君は前の火曜日に会ったって言ってたけど」
『そいつと同じで、前の火曜日に煉瓦通りの喫茶店で偶然会いました。学校終わってからなので十六時半から十七時くらいですかね?』
「そう。君たちはこの西峰さんについて何か知っているかい?」
『詳しいことは知らないですけど、底辺のデザイナーだってこと、暮……柊茄の母親の婚約者だってこと、友人とシェアハウスしてるってことくらいです』
「婚約者だって!?」
突然声を荒げた岸越に曇妬はビクッとした。電話越しにいる一牙も同じように心臓が飛び跳ねた。
『うおっ! び、びっくりするじゃないですか』
「ご、ごめんね。で、いつぐらいから二人は知り合っているんだい?」
『二年前くらいから婚活パーティーで知り合って付き合い始めたって言ってました』
「そう……ってことは本庁のあの二人の証言と噛み合う……」
『あの……岸越さん?』
「ああ、ごめんね。で、柊茄ちゃんが何で西峰さんを探してるのか君たちは知っているかい?」
『それが分からないんですよ。急に店の裏口から来たと思えばすぐに水無月駅の方に向かったらしいですし。あ、柊茄の姿なら曇妬が目撃してますよ。すぐに駅の中に入っていったらしくて、追跡を断念したっぽいですが』
「なるほどね」
岸越は一回咳払いをして、話題を切り替える。
「それで一牙君。ちょっとだけ相談なんだけど」
『何ですか?』
「明日、如月喫茶をちょっと借りれないかな?」
『予約……ってことじゃないですよね』
「そうだね。話合いの場を設けて欲しいって言った方が正しかったかな」
『そっちでできないんですか? わざわざ店でやらなくても……』
「これは僕の勝手な我が儘なんだけど、安易に誰かを交番内の相談室に入れたくないんだ。周りの人からしたら何したんだろうって思われそうだしね」
『言い分は分かりますけど、それ、単純に岸越さんの言い訳ですよね?』
「うっ……い、一牙君は鋭いね……」
『はぁ……ちょっと待っててくださいね。父さんに相談してきますので』
通話が保留になり、やや高音のメロディーが流れ出す。
三十秒後、保留の高音メロディーが消え、一牙の声が通話口から聞こえてきた。
『父さんに確認取ってきました。店を十六時に閉店するので、それ以降でしたらOKとのことです』
「ありがとう一牙君!」
『岸越さん、俺、何となく西峰さんが何なのか分かった気がするんですけど』
「詳しいことは明日言うけど、少なくとも一牙君が考えていることは正解だよ」
『やっぱり……。で、話合いの場を設けるって言ってましたけど、柊茄と柊茄の母親は必須ですよね?』
「そりゃあもちろん」
『ってことは俺や麗歌たちはいない方がいいですよね』
「一牙君たちは必要かな。直接西峰っていう人と関わりがある参考人だし」
『分かりました。柊茄の方には俺が連絡しておきます』
「助かるよ。それじゃあ明日の十六時、よろしくね」
『はい。お待ちしています』
ツー、ツー。
通話が切れ、岸越は携帯をポケットに戻す。
「曇妬君、君は明日如月喫茶に入り浸る?」
「え? 多分ずっといるんじゃないんすかね?」
「そう。聞いてたと思うけど、明日の十六時に西峰っていう人について話合いをしたいからずっといてくれるかな?」
「わ、分かりました……」
曇妬は岸越に促されるまま承諾する。
「よし、これで君の用は済んだかな。また明日ね」
「は、はい……」
そしてそのまま曇妬は交番を出て、もやもやした気持ちを抱え込みながら自転車に跨がった。
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