第2巻-第12幕- 青天霹靂

 あの喫茶店研究会から約一週間後。世間はGWに突入しており、如月喫茶は時間を弄ぶ人たちで賑わっていた。一牙と麗歌の二人だけでは店を回しきれないので、大学生のアルバイト従業員も入って貰っている。

 時刻は午後二時過ぎ。ちょうど昼時のピークを過ぎ、お客がまばらに帰っていく時間帯だった。今、店内に残っている客は曇妬と三組くらいのお客だけである。

「あー、結構来たなー」

「そ、そうですわね……」

 一牙と麗歌は一番テーブルに座り、昼間のドタバタした疲れを取っている。まるで燃え尽きたボクサーみたいに、椅子の背もたれに体を全て預けていた。アルバイト従業員は裏の厨房で遅めのお昼を取っている。

「お疲れだぞ」

 疲れを取る一牙たちに優しく労いの言葉をかける曇妬。休憩用に一番テーブルに置いていた水をガッと全て流し込み、火照った体を冷やす。

「にしても結構来たよな。GW始まったばかりじゃねぇの?」

「みんなそれほどまで家で暇してるんだろ。休みだしご飯も作りたくないから外に食べに出かけたいんじゃないか」

「なーる」

 きっと水無月駅前のチェーン店は如月喫茶ここよりずっと大繁盛しているのだろう。その分、非常に忙しそうだ。

「柊茄さんはまだ来ていないのですね」

「だな。いつもなら開店してからずっといるのに。一牙、何か連絡来てねぇのか?」

「いや、知らんぞ。西峰さんが家に来ているから今日は来れないとかじゃないか?」

「あー、その線もあるか」

 GW前の学校で兜型ケーキを楽しみにしていた柊茄のことだ。このGW期間中に来るのは明白だし、もしかするとこの後の時間に来る可能性だってある。

「あ、そうだ一牙。忘れん内に今渡しておくぜ」

 そう言いながら曇妬は鞄の中に手を突っ込むと、黒い縦長の財布を取り出した。財布を開け、小銭入れから二百円を取り出すと一牙に渡す。

「前のアレ」

「はい、毎度あり。借用書は処分しておく」

 あの喫茶店研究会の翌日、一牙は手書きの借用書を作成し、曇妬にサインさせた。借用書の有効期限はGWが終わるまでで、GWを超えると利子が発生するというものだった。

「にしてもほんとに借用書を書かされるとは思わなかったぜ」

「社会に出たら書かないようにな」

「だーれが借金背負うかっつーの」

「もし必要でございましたら、私に遠慮なくお申し付け下さいね」

「いや、そこからはぜってぇ借りたくねぇわ……」

 天下の櫻木財閥から借金を背負うという地獄絵図を曇妬は想像したらしく、顔が引きついて怖じ気づいている。

「さてと、麗歌。先に昼飯食べてこいよ。お腹空いただろ」

「いえ、私はまだ——」

 きゅーころころ……。

「——っ! こ、これは……」

 バッと自分のお腹を隠して否定する素振りを見せる麗歌。口や動作で示しても体は正直に反応するものである。

「遠慮すんなって。働くよりもまずはエネルギーを補給しないと、働けるものも働けなくなるだろ?」

「じ、じゃあお言葉に甘えまして……」

 麗歌は顔を赤面させながら厨房へ向かおうとしたその時——

 ガララバァン!!

「一牙! いる!?」

 厨房の方から柊茄の大きな声が表のホールまで聞こえてきた。裏口の玄関が開け放たれる音も聞こえた。

 何だ何だと思った時には柊茄は厨房からホールまで飛び出して、一番テーブルまで来ていた。周りにお客は何事だろうと一牙たちの一番テーブルの方を向いている。

「はぁ……はぁ……」

「おい、どうしたんだよ。そんなに慌てて」

 柊茄はここまで全力で走ってきたのか、息が途切れ途切れだった。髪も風に煽られてぼさっとなっている。

 呼吸を少しだけ整えた柊茄は一牙の両肩に両手を置いて問うた。

「一牙! 西峰さん来てない!?」

「い、いや。見てねぇけど……」

「そう……」

 柊茄の必死の形相で迫られ、一牙は少しだけたじろぐ。ここまで必死な表情の柊茄を一牙は今まで見たことない。

「何かあったのか?」

 曇妬が席を立ち、一牙に迫っている柊茄に聞いた。

「う……ううん。何でもないの」

 するっと脱力したように一牙の両肩に置いていた手が下がり、悲しそうな、悔しそうな感情が柊茄から伝わってくる。これで何もない訳がない。

 一牙がさらに探りを入れようとするが、柊茄は一足早く店の出入り口まで駆け出してしまった。

「一牙! 西峰さん見つけたら連絡して!」

 それだけ言うと柊茄は店を大急ぎで出て行き、国道方面へ走って行った。

 まるで突風が過ぎ去ったかのような柊茄の姿に、お客たちはおろか一牙、曇妬、麗歌も状況をあまり飲み込めておらず、唖然としている。

「な、何だったんでしょう?」

「俺が聞きたい」

 思考が止まっている一牙は、ただ呆然と立ち尽くしている。

「おい一牙! 何があったんだ?」

「あ、父さん」

 カウンター席からコック姿の隆善が一牙に呼びかけ、呆然とした一牙の思考を現実に引き戻す。

「いや、俺にも分からん。ただ、柊茄がものすごく必死に西峰さんを探してることくらいしか……」

「そうか。あまりにいきなり厨房に飛び込んできたからびっくりしたぜ」

「裏口から来ることなんて滅多にないからな……」

「店を騒がしくしたくなかったんじゃねぇの?」

「もう騒がしくしてっただろ」

「それもそっか」

 通常、柊茄は客として店に来るため、店の出入り口から店に入ってくる。店の客じゃなく、如月家への客人として来る時や店が閉まっている時などは、裏口の如月家の玄関から入ってくるのだ。その辺の礼儀はしっかりと弁(わきま)えている。

 ただ、今回のケースはイレギュラーすぎる展開だ。店の客でもなければ、如月家への客人でもない。一個人として一牙に用があるように感じた。

 それならば店は営業しているので、店の方から入ってきても問題はない。一牙とて仕事中に如月家への来客が来たら対応できるかどうか怪しいのだ。

「西峰さんを探してるっつてたよな?」

「うん。父さんも何か分かったら俺に教えてくれ」

「いいけどよ、俺は厨房にいるし、アテにならんと思うぞ」

「それでもいい」

「はいはい。舞柚にも伝えとく」

 頭のコック帽を被り直して、隆善は厨房へ戻っていった。

 一牙と麗歌は冷静になり、一番テーブルに座って、柊茄が何故西峰を探しているのか検討する。

「柊茄さんは何故西峰さんを探しているのでしょう?」

「あの必死さを見るに、何か重要なことっぽいよな。それを伝えようとしてるってところだろ」

「柊茄の母ちゃんが倒れたとか?」

「縁起でもねぇけど、あの形相だと間違いでもなさそうなんだよな」

「でも……電話で済むことではないでしょうか? 直接会うよりも合理的だと思いますわ」

「だけど、電話できなかったじゃなくて、繋がらなかったから自力で探す……か」

 自力で探すなんて無茶を通り越して無謀に過ぎない。

 西峰は友人とシェアハウスをしていると言っていた。友人が騒々しいのは苦手と言っていたので、柊茄に住所は教えていないだろう。二人のデート事情を間がると暮撫にも教えていない可能性が高い。

 それに、そのシェアハウスは水無月市にあるとは限らないのだ。隣の市かもしれないし、農村部方面かもしれない。何にせよ、この水無月市の一角にある住宅街から人一人を探すのは無謀である。

「でも、俺たちにできることは今は何もないのが現状だ」

「そうですわね……。無力な自分が惨めに思えてきますわ……」

 柊茄が困っているからこそ一牙は何かしてあげたいと願っている。しかし、手がかりも情報もない今の一牙はただ何も役立たない一人の人間だ。

 とその時、レモンソーダを一気に飲み干した曇妬が一牙にお金を渡す。

「えっぷ……。一牙、俺これから西峰さん探してくる」

「大丈夫か?」

「あったり前よ! 自転車もあるし、柊茄よりは行動範囲広いぜ?」

「なら、行ってこい。見つけたら真っ先に柊茄に連絡入れろよ」

「わーってるって! あ、釣りは明日返してくれよ!」

 たたた……と店から出て行くと、曇妬も国道方面に向かって自転車を漕ぎ出していった。

 一牙は受け渡された千円札を見て、少し微笑む。

「ったく、こういう時は釣りは要らねぇからよじゃねぇのか……」

 曇妬から受け取った千円札をレジに入れ、お釣りとレシートを一番テーブルに置いておく。

「麗歌、これ片付けてくれ」

「分かりましたわ」

 曇妬が食べて飲んでいた皿やコップを片付け、机を拭くと一番テーブルにはレシートとお釣りだけが残った。

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