第2巻-第11幕- 西峰境助という男

「そろそろ話していい?」

 注文した商品に釘付けだった一牙や柊茄たちを見て、西峰が意識を連れ戻す。

「あ、ごめんなさい。私たち食べながら聞きますので話して下さい」

 一牙もサンドイッチを食べながら西峰の話を聞くつもりだったので問題無い。曇妬は恐らく食べることに夢中で話を聞かないだろうが。

「分かった。えっと……暮撫さんと初めて会ったのは二年前の十一月頃だったかな」

「えっ!? そんな前から付き合ってたの?」

「ほんとに柊茄ちゃんは何も知らないんだね」

「うん。お母さん隠し事上手だから」

「その十一月頃に水無月市で大きな婚活パーティーがあったんだ。そこで知り合ったんだよ」

「うっそ。お母さんがおめかしして出かけたところ見たこと無い」

「アレだろ。二年前ってことは俺たちは中三だ。中三の頃の十一月の行事といったら学校一の一大イベントあっただろ」

「修学旅行! ってことはお母さん私が修学旅行でいない間にそれに参加してたの?」

「恐らくな。詳しいことは聞かないと分からないだろうけど」

 一牙たちが中学三年の頃の修学旅行の行き先は東京だった。勤労感謝の日が月曜日にあったため、三泊四日の日程は一週間をまるごと使った贅沢な修学旅行となった。

 思いっきりな平日にパーティーを開催する主催者側にもどうだろうかと疑念を抱く。

「とまぁそこで暮撫さんと意気投合しちゃって今に至るわけ。俺も柊茄ちゃんのことは最近まで知らなかったからほんと暮撫さんって隠し事が上手だね」

「ほんと」

「最近まで知らなかったってことは柊茄の家に上がったことはないんですか?」

 付き合っていたのなら家に招くこととかはあるはずだ。家に上がれば子供の写真とか玩具とかがあるはずだから、自然に子供がいるという認識が埋め込まれるはず。

「柊茄ちゃんに付き合っていることを教えてから行ったことは何回かあるけど、教える前までは一切行ったことないし、あの近辺すら通ったことがない。暮撫さんは毎回家以外の場所を指定してきたよ」

「めっちゃ柊茄のこと隠してるじゃん」

 話を聞いていないと思い込んでいた曇妬が話に参加してきた。

 あの近辺を通ったことすらないということは、如月喫茶の存在も柊茄が教えるまで知らなかった訳である。評価サイトで多少目には入っているかもしれないが。

「俺も不思議に思ってたけど、特に気にしないことにしてたよ」

「それが一番っすねー」

 スコーと氷のみになったコーラを吸う。

「お母さんって西峰さんの家に行ったことは?」

「無いよ。俺、友人とシェアハウスしてるから。しかもその友人、騒がれるのがとんでもなく嫌いだから、いっつも外だったってわけ」

 どちらもお互いの家に行ったことがないのは不思議だ。西峰はシェアハウスらしいから安易には行きづらいだろう。返って森宮家は柊茄のことを隠していたから行っていない。そこまでして柊茄を隠す理由は何だろうか。

「それで、式はいつ挙げるんですか?」

「挙げたいなって俺も思ってるんだけど、ほら、俺って低の低のデザイナーじゃん。だからお金が無くて……ね?」

「そうでしたね」

「これで納得されると凄い複雑な感じ……」

 一牙も同じ境遇だった場合は確かに複雑な感じに苛まれそうだが、事実は小説よりも奇なりなので何も言い返せない。

「しかし、よく柊茄のお母さんも収入が不安定な人と再婚しようと思ったな」

「君、心抉るの好きなの?」

「どういうことですか?」

「じ、自覚ないのね……」

 一牙は西峰が小声で呟いたことの意味がよく汲み取れなかった。

「でもお母さん言ってたよ。これからは少しだけ貧乏になっちゃうけど、それでも頑張るからって。お父さんもきっと応援してくれるだろうって」

「暮撫さん……」

「めっちゃいい人じゃん。俺、そんなに会ったことないけど」

 一牙はよく会うが、曇妬は授業参観日とかの学校行事の時くらいしか見たことがない。

 柊茄の家は母子家庭だ。暮撫の収入のみで生活費を全て賄えるとはあまり思えない。そこに収入が不安定な西峰が加わればさらに生活するのは厳しくなる。最悪借金を重ねてしまう可能性も捨てきれない。

 今はまだ無くなった父親の遺産で生活出来ているのかもしれないが、それが尽きればどうなってしまうのだろうか。そうならないような未来を祈るしか今の一牙にはできない。

「柊茄ちゃん、ちょっと聞きたいんだけど、お父さんってどういう人だったの?」

「お父さんですか……」

「あ、ごめんね。不躾な質問だったかも」

 あわあわと手を振って質問を無かったことにしようとする西峰。バツイチだっていうのは婚活パーティーの時に知ったのか、付き合いだしてから知ったのか。一牙はちょっと疑問に思った。

「ううん。いいの。大丈夫。でも、お母さんから聞いてないの?」

「あんまり聞いてなかったな。これといって詳しいことは」

「そうなんですね。じゃあ話します。この際、曇妬と麗歌にも話しておかないとだね」

 柊茄はミルクティーを飲んで一息ついてから話し出した。

「えっとね、私のお父さんは消防士だったんだ。超がつくほどのベテランで、みんなからすっごい頼りにされてたの。火災現場に立ってみんなに指示を送って、巻き込まれた人を救出して。みんな感謝してたし、格好いいって憧れの的だったの」

「消防士かぁー。かっけえよな」

「お前には程遠い話だろ」

「うっせ」

 曇妬は大口を開けてもう一つのヒレカツサンドに齧り付く。

「一牙も知ってるでしょ? 舞柚さんみたいにすっごい力持ちだったの」

「ああ。そうだったな。小学校の頃だったか? 消防訓練を見せて貰った後に、みんな腕にぶら下がって遊ばせて貰ってたな。それに母さんと一緒にジムにも行ってたっけ」

「確か舞柚さんがお父さんをジムに誘ったんじゃなかった?」

「それは知らんな」

「そうなんだ」

 妙にうきうきしながらジムに行っていたようなことは数回あった。今思えばきっとそれは柊茄の父親がジムに来られるからだろう。消防士は忙しい職種で、休みも気が抜けないとか。

「でも、そんな体も強くてみんなから憧れるお父さんでも負けちゃうものがあったの。それが肺癌だったんだ」

「肺癌……ですか。お父様はおタバコを吸われるのですか?」

 西峰の様子を見ながらあまり会話に参加していなかった麗歌が質問する。ホットケーキはもう全て無くなっていた。

「ううん。全く吸わない。お母さんもね」

「吸わねぇんなら何で肺癌になったんだ? 柊茄の父ちゃん何か病気でも持ってたんか?」

「お父さんは生まれつきの病気なんか持ってなかったの」

「え、マジ? じゃあ何で……」

「お父さんは頼みを断れない性格だったの。だから他の消防士の人と一緒によく飲みに行ってたんだ。で、その周りの消防士の人って結構タバコを吸うらしいの」

「副流煙による肺癌ですね」

「そ。お医者さんも麗歌と同じようなこと言ってた」

 タバコは主流煙よりも副流煙の方が有害物質の量が多いと言われている。副流煙を吸うことを受動喫煙と言う。

 タバコを吸わない人が受動喫煙をするかしないかによって肺癌のリスクは大きく変わる。家でも職場でも受動喫煙する場合、受動喫煙しなかった場合と比べて肺癌になるリスクはおよそ二倍にまで膨れ上がる。

「居酒屋とかでは周りの消防士の人はみーんなタバコ吸ってたらしいから、お父さんも煙をモロに吸ってたんだろうね。で、お父さんの調子が悪くなってきたって周りの消防士の人もお母さんも気付いたから、病院に行ったの。そうしたら肺癌と診断され、何か色んなところに癌が転移してたんだ」

 喫煙している人に非はないし、攻める理由も無い。それでもタバコで殺したとかいう根拠のないことを言う人は少なからずいるのが現状である。タバコはルールを守って吸うのが社会常識なのだ。

「治療はしたんですよね?」

「うん。手術も抗癌剤治療もしたんだけど、やっぱりダメだった。小学校四年生の頃だったかな。私、耐えきれなくて大泣きしちゃった」

 うっすらとだが、平然と話している柊茄の目元には涙が浮かんでいる。一牙はそれを見逃していない。

「でも、最後の最後にお父さん言ってたの。「俺の分まで強く、楽しく生きろ」って。だから私は悔いの無いよう生きていこうって思ったの」

「で、店に入り浸るようになったと」

「まぁ……ね。あの頃は誰かに慰めて欲しいって思ってたから。そうしたら第二の家みたいに落ち着くからつい……っていうか一牙、湿っぽい雰囲気壊すのやめて」

「悪かった悪かった」

 一牙は柊茄に掌を向けて、気持ちを宥めるように小さく動かした。

「アレだなー、お前って頼りになるし、空気も読めるけど、たまーにぶっ壊すから変な意味でよく分かんねぇや」

「褒めてるのか貶してるのかはっきり言ったらどうだ?」

「よく分かんねぇ」

「永センにお前が陰で言ってた悪口全部告げる」

「止めて下さい俺が悪かったです」

 一牙は自分から空気を読まなかったり、雰囲気を壊したりするようなことはしない。それは相談しているお客に対して失礼になる。

 ただ、雰囲気を壊すようなことは自分でもしているという自覚が無い。ほぼ無意識の状態で言っているので、本人に悪気は無いのだ。

「はい、一牙が雰囲気を壊したので、ここでお父さんの話は終了!」

「お、お前なぁ……」

 小さく溜め息を付き、今の自分に反省する一牙。今後の発言には気を付けねばなるまいと固く誓う。

「なるほどなぁ……消防士かぁ……」

 西峰が下を向きながら何やら小声で囁いていた。

「西峰さん、何か言いました?」

「ん? いや、独り言さ」

「…………」

 一牙が気になって西峰に尋ねてみたが、華麗に受け流された。

「俺にそのお父さんが務まるかね?」

「大丈夫ですよ! デザイナーのお仕事も上手にやっていけばきっとお父さんと並べれますから」

「そうだね。頑張ってみるよ」

 今後の森宮家の大黒柱となる存在の西峰にとって、その責任感は相当重いはずだ。微妙に唇を引きつらせながら苦し紛れの笑みを浮かべている。

 その後、学校での雑談を広げながら一牙の喫茶店研究会は幕を閉じた。


 黄昏時の煉瓦道。橙色に染まった煉瓦は一面同じ色に染まっており、一牙たちの影が数メートル先まで伸びる。太陽は上部の先端だけ見え、ほとんどは老舗の陰に隠れてしまっている。

 一牙は水無月駅方面へ歩きながら、お釣りを財布の小銭入れに入れていた。

「わっりぃな一牙。この金は必ず返すから」

「明日借用書持ってくるからサインしろよ」

「うわ逃げらんねぇ」

「逃げるつもりだったのかお前」

「やべっ」

 曇妬は微妙に手持ちが足りなかったらしく、代わりに一牙が足りなかった分を支払った。朝に自分から手持ちが少ないって行っていたくせにと曇妬に呆れる。

「そういえば西峰さんはこの後家に来るんですよね?」

「え? ああ、うん」

「よければ夜ご飯一緒に食べませんか?」

「ああ……ありがたい話だけど遠慮させてもらうよ」

「そうですか」

 夜ご飯の団欒を交えれば西峰の受け入れにも決心が付くと思った柊茄は、少しだけ肩を落とす。

 柊茄の隣を気まずそうに歩いていた麗歌が西峰に訊ねた。

「では、何故柊茄さんの家に行くのです?」

「そうよね。このまま歩いて家に帰れば、あと三十分後にはご飯の時間だし」

「そ、それはだね……」

 頬をぽりぽりと掻きながら苦笑いを浮かべて西峰が答える。

「暮撫さんにちょっとお金を借りようと思って」

「お母さんから? 何で?」

「実はGWに俺の先輩が結婚式を挙げるらしいんだ。で、その祝儀のお金を入れようと思ったんだけど、通帳落としちゃって、今この財布の分のお金しか無いんだよね」

「大変じゃないですか!」

 声を張り上げて驚く柊茄。先頭を歩く一牙と曇妬は何事だろうと振り向く。

「そうなんだよ……結構大変でさ。だからちょっと暮撫さんに借りて先輩の結婚を祝ってやろうって思って」

「お母さんはいいって言ったんですか?」

「うん。了承は得てるから大丈夫。お金を借りた後は友人の家で計画を練る予定があるから長居はできないんだ。ごめんね」

「分かりました」

 両手を合わせて謝る西峰。柊茄は首を縦に振って西峰の理由を理解する。

 ガァと一羽の鴉が飛び去り、黒い羽を一牙たちが通った道に落としていった。


 一牙たちと別れ、森宮家に着いたのは夜の帳がもうすぐ降りる頃だった。山はまだほんのりと橙色が残っている。

「ただいまー」

 玄関をガチャッと開けて家に入る柊茄。その後ろを西峰が小声で「お邪魔します」と呟いた。

「お母さん、西峰さん来てるよ」

「はいはい。今行くわ」

 柊茄は台所で夕食の準備をしている暮撫を呼び、自分は二階にある自室へ向かう。柊茄に呼ばれた暮撫は夕食の準備を中断し、エプロンのポケットに入れていた封筒を手に取って玄関で待っている西峰のところへ向かう。

「境助さん、こんばんは」

「こ、こんばんは」

「柊茄と一緒に帰ってきたようだけど、どこかで一緒になったの?」

「え、ええ。煉瓦通りの喫茶店で偶然。柊茄ちゃんの友達もいました」

「なるほど。火曜日だし一牙君ね」

 暮撫は柊茄が一牙の喫茶店研究会に参加していたことを理解する。暮撫は一牙の喫茶店研究には直接的な関与は全く無いのだが、柊茄から喫茶店研究の話を度々聞いているため知っているのだ。

「賑やかだったでしょ?」

「ええ。とても。いい友達をお持ちなんすね」

「それはあの子に言ってあげて」

「そうっすね。それで、暮撫さん。例のものなんすけど……」

「これですよね。はい、どうぞ」

 暮撫は十万円が入った封筒を躊躇いなく西峰に渡す。

「あ、ありがとうございます! これで先輩の結婚を祝うことができます!」

「いっぱい祝って下さい。できればその先輩にも私たちの結婚を祝っても貰えると嬉しいわ」

「そりゃあ勿論! 祝って下さいって頼んでおきます!」

 西峰は暮撫からお金を受け取って、上機嫌になっている。その様子を我が子を見守るかのような微笑みで暮撫は見ていた。

「お願いしますね。あ、そうだ。夕飯一緒にどうですか?」

「すいません。このあと友人の家で、先輩の結婚の作戦会議をやる予定で……」

「あら、そうなんですか。残念です」

 残念そうに肩を落とす様子は、柊茄と全く同じだった。

「すいません……」

「いえ、大丈夫です。また今後ご一緒しましょうね」

「そうっすね。予定空けておきます。では、失礼します」

「気を付けて下さいね」

「はい」

 ガチャッ。

 西峰はお金のお礼を込めて頭を下げてから扉を閉めた。にこやかに閉めるまで暮撫は見守った。

「柊茄! ちょっと手伝って」

「はーい」

 部屋で寛ごうと思っていた柊茄は、渋々台所に来て準備を手伝う。

 手伝いの最中、柊茄は西峰と話していた時に疑問に思っていたことを訊ねてみる。

「ねぇお母さん」

「なーに?」

「お母さんって西峰さんと付き合ってた時、私のこと何も言ってなかったんだよね」

「ええ。最近境助さんに教えたわ」

「何で最近になって教えたの? やっぱり再婚するから?」

「うーん……」

 暮撫はサラダ用の千切り大根を切る手を止めて考える。

「最初はドッキリのつもりだったんだけど、柊茄って年頃の女の子でしょ? 向こうが柊茄に何か悪さしないかなって思って様子を窺ってたの。でも西峰さん、そんなことするような人じゃないって確信したから教えたの」

「ど、ドッキリって……」

 柊茄は唖然としつつ、苦笑を浮かべることしかできなかった。

「ほんとお母さんって隠すの上手だよね。実はまだ隠してることあったりするんじゃないの?」

「まさか。西峰さんにも柊茄にももう隠していることはないわ」

「だといいけど」

「さ、柊茄。そろそろ魚が焼ける頃だから取り出して」

 柊茄はグリルから焼けた魚を取り出し、皿に盛り付ける。

 森宮家の二人の夕食が始まった。

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