第2巻-第10幕- 前に来たあの人

 チャリリリン。

「いらっしゃいませー」

 バーチャイムのような音が鳴って、新たにお客が来たことを伝える。

 少し気になったので来たお客を見てみる。

 黒いトレンチコートを着た厳つい男性だ。ワックスで固められた髪型と服装から店員も少し表情が萎縮しているのが分かる。

 だけど何だろうか。どこかで見たような記憶が浮かぶ。

「あっ! 西峰にしみねさん!?」

 突然柊茄が立ち上がり、来店した男性を指さす。

 男性も一瞬目を細めて誰だか様子を窺っていたようだが、柊茄と分かると表情を変えた。

「おお、柊茄ちゃんか。奇遇だね」

 一牙は男性の声を聞いてはたと思い出した。

「一牙さん……あの方は……」

「麗歌も思い出したか」

数日前に店に来て高圧的な態度でブラックコーヒーを注文したお客だ。柊茄の席に座り、十数分間スマホを弄ってコーヒーを飲んで去って行ったあの人である。まさか柊茄の知り合いだったとは思ってもなかった。

「店員さん、俺、あそこでいいから」

「かしこまりました」

 西峰と呼ばれた男性はコートのポケットに手を突っ込みながら、一牙たちのテーブルへずかずかと歩いてきた。野太い声で「よっこらしょ」と言い、柊茄の隣に座る。

「学校帰り?」

「はい」

「ひょっとしてお邪魔だった?」

「いえ、そんなことは……」

 以前店に来た時の態度とは違い、今は優しそうな男性の印象だ。柊茄の前だからなのか、それとも別の何かがあったのか、一牙は少し疑っている。

「あ、紹介するわね。この人は西峰境助にしみねきょうすけさん。お母さんの再婚相手よ」

「西峰境助です。よろしく」

「「ど、どうも」」

 やや気まずい感じで曇妬と一牙が挨拶を交わす。麗歌は微妙に萎縮しているようで言葉は交わさず、小さく会釈だけする。

「で、この人たちが私の友達。如月喫茶の後継者の如月一牙と、お調子者(の六輪曇妬。それと私の親友の櫻木麗歌よ」

 柊茄に名前を呼ばれ、一牙たちは再び軽く会釈をする。

 流石の柊茄も麗歌が櫻木財閥の令嬢であることは伏せたようだ。その事情を知っているのは学校の生徒たちと一牙たちのような関係者だけで十分である。

 一般市民である西峰が麗歌を櫻木財閥の令嬢と知ったらどうなるだろうか。なるほどと思うのか、はたまた悪事を働こうと悪巧みをするのだろうか。もしかしたら直接的な関与はしなく、関係組織に情報を渡すこともできる。

 これに関しては生徒や教師が親に言って、その親が別の人と会話して——みたいに連鎖的に広まっていくため、防ぎようが無い。

「あ、君たちは見たことある。前行った喫茶店の人だったのか。俺も柊茄ちゃんから聞いて行ってみたんだよ」

「…………」

「いやー、あん時のコーヒーは美味かった。またどっかで行くかもしんないからよろしくな」

「ご、ご贔屓に……」

 一牙は曖昧な返事で場を濁す。

 そこに注文タイミングを伺っていたらしい店員が来た。

「お客様、ご注文はどうされますか?」

「ブラックコーヒー一つ」

「銘柄はどうされますか?」

「お任せで」

「かしこまりました。ホットかアイス、どちらになさいますか?」

「アイスで」

「かしこまりました。では、少々お待ちください」

「…………」

 一牙も同じような注文方法を西峰に行った。その時はこんな丁寧な対応では無く、もっと雑に応答していたような記憶が蘇る。

 やはり高圧的な態度の方では無く、こっちが素なのではないだろうか。

「西峰さん、如月喫茶に行ったんだ」

「まぁね。柊茄ちゃんが教えてくれたから行ってみようと思ったんだ」

「居心地よかったでしょ!?」

「よかった。柊茄ちゃんのお墨付きなだけあるよ」

 何で店員でもない柊茄が店の感想を聞いているんだと一牙は疑問に思った。

「すんません、西峰さんって仕事何してるんすか?」

 曇妬がスマホを西峰に向けながら聞いた。

「何? 写真か動画でも撮ってる?」

「いや、何もしてないっす」

「そう? もし撮っていたら消してくれよ。写真や動画に映るのは苦手なんだ」

 コトッと西峰の側にお冷やが置かれ、西峰がガッとお冷やを半分くらいまで飲んだ。

「で、俺の仕事だっけ? 俺、デザイナーなんだ。特に洋服とかのね」

「なるほどっすー。だからそんなに格好良くキメてるんすね」

「おっ、君にはこのセンスが分かるんかい?」

「ちょっとは。ただ、髪型は格好いいなって思うっす。俺もやりたいな」

「ちょっとでも分かってくれたら嬉しいよ。この髪は特殊なワックスやジェルを使って固めてるんだ。君は……もうちょっと髪を伸ばしてからやってみたら?」

「分っかりました!」

「止めとけ、バカがさらにバカになるぞ」

 柊茄から視線で「何? この空間」という気持ちが伝わってきた。一牙もこの空間に関しては知るよしも無いので「俺に聞くな」視線で伝えた。

「とデザイナーって言っても、俺は低の低だから世の中の洋服のデザインにはあんまり関与してないんだ。しかも会社にも所属してないフリーだからね。フリーでもデザイナーの上の人から「これどう?」って聞かれることがあるんだ。で、感想言って終わり。シビアなもんだよ」

「厳しいっすねー」

「だろ? 目指すなとは言わないけど、覚悟だけはしておいた方がいい」

「はーい」

 曇妬が将来デザイナーになりたいという話は全くと言っていいほど聞いたことが無い。密かに考えていたりするのだろうか。

 と曇妬のことはひとまず置いておき、一牙も気になったことを西峰にぶつけてみる。

「西峰さんって、いつから柊茄のお母さんとお付き合いされているのですか?」

「えっ?」

「あっ、それ私も聞きたい! お母さんはぐらかして教えてくれないんだもん」

「あ、はは……」

 西峰は妙に視線を気にしながら薄笑いを浮かべている。

「どうしましたか?」

「い、いや。どうもしてない。ただ、どこから話そうかなって思っただけさ」

「…………」

「失礼します。ブレンドのブラックコーヒーのアイスです」

 店員が割り込んできて、西峰の側に氷がたっぷり入ったコーヒーのコップを置く。

「それと……まずこちらがヒレカツサンドのホットです」

「あ、俺っす」

「こちらが淡色野菜のサンドイッチです」

「俺です」

「こちら、メープルホットケーキの小です」

「私です」

「こちらがプリンアラモードのイチゴバージョンです」

「それ私です」

 それぞれ注文したデザートやサンドイッチが並ぶ。

「ご注文は以上でよろしかったでしょうか?」

「はい」

「では、ごゆっくりどうぞ」

 店員は軽く会釈をして戻っていった。

 一牙が注文した淡色野菜のサンドイッチはレタスやキュウリといった淡色野菜がふんだんに使われているものだ。食べやすいサイズにカットされており、パンの耳もない。四切れもあり、手頃な値段も相まって案外良さそうな商品に思える。

「いただきます」

 一牙がそれを言う前に曇妬はもうヒレカツサンドに齧り付いていた。「うめーっ」と頬張りながら言いつつ、がつがつと食べていく。

「ここ別の店なんだから食べ方くらい躊躇しろって」

「いいじゃん別に」

 曇妬の周りにはパン屑がぼろぼろと零れている。店員に謝りながら、一牙も淡色野菜のサンドイッチを一口食べてみる。

 シャキッ。

「——おっ」

 レタスとキュウリの新鮮で瑞々しい美味しさが広がり、マヨネーズと少量のオリーブが相まってかなり美味しい。薄くスライスされた玉葱も混じっており、玉葱の香りも口の中に広がる。これは淡色野菜のオンパレードだ。コーヒーで流し込まなくても十分この味を堪能できる。

 一牙のポイントはこの薄くスライスされた玉葱だ。このままでも十分美味しいが、少しだけ火を通して炒め玉葱にしてみたらどうかと思う。帰ったら実践してみようと決めた。

「苺最高!」

 柊茄が注文したプリンアラモードはイチゴバージョンと言わんばかりに、苺がこれでもかと盛り付けられている。プリンよりも苺がメインのように思えてくる一品だ。あれだけ苺を使ってあるのに、高校生でも手頃な値段は素晴らしい。少しだけ経営を疑った。

「甘くて美味しいですわ」

 麗歌が注文したメープルホットケーキは直径十センチほどのホットケーキが三枚重なって、上からメープルシロップがたらりとかかっている。ふわふわなホットケーキはナイフを入れるといとも簡単に切れ、断面も泡の隙間がたくさん出来ている。混ぜ方と焼き方が上手な証拠だ。

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