第2巻-第9幕- 如月一牙の研究

 キランチラン。

 バーチャイムのような軽やかな金属音が扉を開けたと同時に鳴り、一牙たちが店に入ってきたことを店員に伝える。三段くらいの階段があり、転ばないように注意して上る。

「いらっしゃいませ」

 黒いロングエプロンの店員はすぐに一牙たちのところに駆け寄ってきた。エプロンの胸には金色のような糸で刺繍された妖精と「f」と「e」と「e」の文字があった。もちろん真ん中の「e」の上にはアクセントのような記号がある。

「四名様ですか?」

 店員は親指を折って手で四を示す。

「はい」

「では、あちらのお席へどうぞ」

 店員が指さした方の席はちょうど四人掛けの壁側の席だった。窓側の席からは煉瓦道が見える作りになっている。流れるように一牙たちは歩いて行き、窓際の四人掛けの席に座った。

 壁際の長椅子には麗歌と柊茄が座り、麗歌が窓側。普通の椅子の方に一牙と曇妬が座り、曇妬が窓側の席に座る。

「おっ、割といい眺めだぞ」

 入店してきた時の三段が地面より少し高くなっており、バスに乗っているかのような高低差が味わえる。でもどうせならその三段は店内ではなく店外の方が良かったのではとダメだしを考えてしまった。これはただの野暮だなと少し反省して抹消する。

「いらっしゃいませ。お冷やとお絞りです。メニューはそちらにございます。ご注文がお決まりになりましたら、そちらのボタンを押してお申し付けくださいませ」

 店員がマニュアル通りのような言葉遣いで、水の入ったコップと少し温かいお絞りを差し出して去る。別に言いがかりを付けるわけではないが、もう少し愛想良く応対してほしいものだ。

「何か落ち着いた雰囲気のお店でいいわねー。私、結構好きかも」

 柊茄がお絞りの包装をビリリと破き、手を拭きながら呟いた。

 席に着いたところで店の雰囲気を視線のみで見て回る。

 内装は全面的に黒色が主流のようであり、非常に大人向けのような喫茶店だ。座っている椅子も机もほとんどが黒色で染め上げられており、シックさがより引き立っている。壁は落ち着いたライムグリーンで、木々で妖精が休んでいるようなシーンが描かれている。如月喫茶にあるような観葉植物の類いは見られないが、店内に鳴り渡る曲はボーカルもないゆったりとした曲調のピアノだ。

 ローマ数字の時計は午後四時半過ぎを指している。店内にお客は少なく、平日の如月喫茶と大差ない。ご老人たちがコーヒーや紅茶を飲んで思い思いの一時を過ごしていた。

 評価記事に載っていた写真と同じであり、お客が非常に寛げたという事実も頷ける。一牙もまだ何も頼んでいないが、心なしか少しだけ寛いでいる。

「さーて、何か頼もうぜ!」

 曇妬が一枚で構成されているA3サイズのメニュー表を開けた。

 メニューは定番のコーヒーや紅茶、それにこの近辺の店から仕入れた抹茶もある。ソフトドリンクに、少量ではあるがお酒も取り扱っているらしい。写真付きのケーキやパフェにサンドイッチ、ナポリタンやカレーといった定番フードメニューも並んでいる。がっつり食べる人向けにステーキセットやジャンボカツカレーなどもあるらしい。それらは割といい値段をしている。

「結構種類あるわね」

「だな」

 メニューの総数は如月喫茶の量を超えている。負けたとは思っていないが、微妙に悔しい感情が込み上げてくる。

 さて、何を頼もうか。夕飯が食べられなくなってしまうので、あまり量の多いものは取りたくない。サンドイッチ当たりが小腹を満たすことができるので十分だろう。ただ、写真付きのケーキやデザートを見るとこちらも捨てがたい。頭の中でサンドイッチにするかデザートにするか戦争が巻き起こる。

「俺はこれにするで、飲み物が……」

「私は……これにしましょうかしら……ダージリンは……ありますわね」

「私はこれと……これにするわ。一牙は?」

「そうだな、俺は……」

 柊茄たちがパッと決めているのに一牙はまだ頭の中で戦争が続いていた。白黒はっきり付けようとするために、最初に思い浮かんだサンドイッチにターゲットを絞る。

 その中でも野菜系統のサンドイッチに目が行ったのでそれに。飲み物はどこの喫茶店に行ってもコーヒーを注文しているのでコーヒーに。オリジナルブレンドコーヒーがあるみたいなので、それに決定する。

「んじゃ呼ぶぞ」

 机に備え付けてある呼び鈴のボタンを曇妬が押した。レストランにあるピンポーンとした呼び鈴ではなく、チリリリンというような鈴の音の呼び鈴だった。

「はい、ただいま」

 コップの清掃をしていた従業員が作業を中断し、ポケットからハンディターミナルを取り出して一牙たちと応対する。

 如月喫茶では手書きの伝票式のため、ハンディターミナルに一牙は少し憧れを感じる。

「ご注文はお決まりですか?」

「はい、えっと……淡色野菜のサンドイッチとブレンドコーヒーのブラックで」

「私はプリンアラモード・イチゴバージョンとミルクティー。あ、グラニュー糖と角砂糖一つずつお願いします」

「俺はヒレカツサンドイッチにコーラ!」

「私はメープルホットケーキの小とダージリンティーをお願いします」

 店員は次々と言った一牙立ちの注文に動じることなく、淡々とハンディターミナルの操作をする。

「コーヒーと紅茶のお客様はホットかアイス、どちらになさいますか?」

「俺はホットで」

「私も」

「私もお願いします」

「はい。サンドイッチのお客様はホットとプレーン、どちらになさいますか?」

 この場合のホットというのは焼くという意味合いだよなと思い、自分のサンドイッチには焼く必要があるかどうか考える。

「いえ、俺のは大丈夫です」

「じゃあ俺はホットで!」

「かしこまりました。ヒレカツサンドはホットで承ります。他のご注文はございませんか?」

 一通り全員が注文したことを視線と首の頷きだけで判断する。

「いえ、大丈夫です」

「かしこまりました。では、少々お待ちくださいませ」

 小さく礼をすると店員は来た時と同様にそそくさと厨房の方へ入っていった。

 一牙はお絞りの包装を破り、手を満遍なく拭く。しっとりとした暖かさが染み渡る。

 一息つくために冷やをちょびっとだけ飲んだ。

「やっぱ一牙の研究場所はハズレが無いわね。ついてきて正解だったわ」

「そりゃどうも」

 柊茄は毎回ついてくる度に言っているのでもう聞き飽きている。嬉しさが微塵も感じられないような口調で流した。

「一牙さんの研究は『喫茶店の研究』だったのですね。お店の前に来てなるほどと思いましたわ」

「言っておくがそんな大層な研究じゃ無いからな。あくまでこれは俺の趣味だ」

「ええ。承知していますわ」

 やっぱり一牙一人で研究するよりは、柊茄たちと一緒に和気藹々としながら研究する方が性に合っている。それをこの囲んでいるテーブルで改めて再確認した。

 現に喫茶店といっても色んな種類の喫茶店が世の中には存在している。それら全てを把握するのは流石の一牙でも難しい。だからこそ実際に現地に趣(おもむ)いてどんな趣向の喫茶店なのか、どんな雰囲気なのかを掴むことにより、如月喫茶の発展に繋がると一牙は踏んでいるのだ。

「でもよくこんなオシャレな喫茶店を見つけたわね」

「たまたまだ。卒業式が終わった二日後くらいにこの近辺をぶらぶらと散歩していた時に偶然見つけたんだ。その時は改装していたからオープンしたのはつい先日っぽいけどよ」

「へぇー。ってことは出来上がったばっかの喫茶店なんだな」

「そう。少しばかり気になってたから来れてよかったと思う」

「でも、オープンしたばっかりなのにあまりお客さんいないよね?」

「あまり広く知られてないか、場所が場所かもしれない」

「どういうことだ?」

 一牙はマップアプリを立ち上げて説明する。

「基本俺たちみたいな若者って水無月市内に遊びに行くとしたら水無月駅内のチェーン店か北口のアーケードの方に行くだろ? なんなら駅から連絡橋を渡ってマリンクォークの方でもいい」

「そりゃあな。ってかその辺しか遊べる場所ないじゃん」

「まぁな。つまり若者はこっち側、煉瓦通りにはあまり来ない。古い街並みと珍しい煉瓦通りを見に来るって人はご老人か修学旅行生、あとはこの近辺で働いてる人くらいだろうさ」

「むぅ……確かにな」

 曇妬が唇を尖らせて唸った。理解が乏しい曇妬の脳内でも、一牙のこの説明は理解したようだ。

 ふと横目を横に向けると、店員が四つの飲み物を持ってこちらのテーブルに向かってきていた。

「失礼します。ご注文のブレンドコーヒーのブラックと、ミルクティーと、コーラと、ダージリンティーです。えっと……角砂糖とグラニュー糖のお客様は……」

「あ、私です」

「はい。ではお皿に載せておきます。失礼しました」

 ぺこりと軽く頭を下げて店員が去って行く。

 それぞれ注文した飲み物が届くと柊茄以外はコップを手に持って飲み始めた。

 温かい湯気と鼻孔を擽るコーヒーのほろ苦い香りが鼻を突き抜けていく。コーヒーの色はいい感じの黒色で、カップの表面を覗き込むと一牙の顔が反射して映っている。また、カップとソーサーも中々にオシャレな形と模様だ。

 香りを十分に楽しんだ後、カップに口を付けてコーヒーを飲んでいく。

 ブラック独特の苦味とコクが口の中に広がり、次いで微かに感じる酸味と甘味が舌に伝わる。コーヒーを喉の奥に通すと、舌にはほろ苦いビターな味わいが残り香のようにいすわり、ホットの温かさが体をぽかぽかとさせてくれる。

 これといったクセも少なく、苦味もさほど強烈ではない感じがした。どちらかというと酸味の方が苦味よりやや強い印象がある。

 もう一口、もう一口と味わっていくと酸味の方が苦味よりやや強い印象を証明していく。

 気が付けば一牙のコーヒーカップに残っているコーヒーは半分くらいになってしまっていた。

 一牙は一旦コーヒーカップをソーサーに戻す。これ以上飲むと後から来るサンドイッチと一緒に飲めなくなってしまう。

「美味しいわね。ここのミルクティー」

「角砂糖とグラニュー糖入れて風味を台無しにして何を言うんだか」

「いいじゃん! 甘いの好きなんだもん!」

「一牙さん、私のダージリンティーも美味しいですわ。家の紅茶や如月喫茶の紅茶とは違った味わいがありますわね」

「なら今度来た時にでも味わってみようかな」

「いいと思います」

 一度コーヒーの残り香を無くすために、冷やを少量口に含んだ。

「そういえば一牙さん、今朝この研究が私と同じ境遇と言っていましたが、結局どういうことなんですか? さっきまで考えていたんですけど、ちょっとよく分からなくて」

「それか……。うーん……あまり言葉にしづらいんだが、ほら、麗歌って父親と打ち解けるまでずっと勉強漬けだっただろ?」

「はい。そうでした」

「財閥の次期当主になるってことだから当然経済学も学んでたんだろ?」

「ええ」

「そこが似てるんだよ。麗歌は財閥運営に関わる経済を学ぶ。俺のこの研究は喫茶店に関係する経済を学ぶ。学ぶ内容こそ天と地の差くらいあるけど、大きく分類すれば経済ってのには変わりない。だから似てるんじゃないかって思ったんだ」

「なるほどです。だから強制的ではないって言っていたんですね。私のあの勉強はお父様からの強制的なものでしたけれども、今のこの勉強は全くといっていいほど強制的ではないですからね」

「そういうこと。今こうやって言葉にしてみたら単なるこじつけっぽいなって思えてきた」

「でも、本質的には一緒です」

「フォローありがとう」

 一牙は小さく苦笑する。

「で、どういうことだったんだ?」

「曇妬は別に分からなくていい話よ」

「ふーん」

 曇妬は特に気にすること無くコーラをちびちびと飲む。

「んで一牙、さっきの話に戻すけどよ、さっきの一牙のことまとめるとさ、人が来ないんじゃ意味ねぇんじゃねぇの?」

「そうよね。水無月市ってそれほど観光資源があるって訳じゃ無いし。というか修学旅行生って水無月市に来るの?」

「少なくとも俺はあのアーケード街で見たことはない」

「だよねー」

 水無月市は櫻木財閥の影響があって発展した市街なのだ。歴史上に水無月市があった場所で起きた出来事は無いに等しく、これといって強みを生かせるような事柄も少ない。祭りが盛り上がるくらいだろか。農村部の方に行けば何かあるのだろうが、少なくとも都市部の方には何も無い。

「だが人が来ないんじゃ意味がないって言うのは語弊があるかもな」

「どういうことよ」

「お前らも知ってるだろ。水無月祭り」

「「ああー」」

 曇妬と柊茄が同時のタイミングで納得する。

 水無月祭りとは毎年六月の時期に開催される大きな祭りだ。水無月駅を中心とし、南北に様々な屋台が出店され、見事な山車が市の道路を跨ぐ。この山車は市の重要文化財に指定されており、国の文化財に指定されるのも時間の問題だろうと噂されている。

 企画は水無月市、祭りに全面協力してくれるのは櫻木財閥だ。この企画には水無月市の商業高校や工業高校も加わっており、例年盛り上がりを見せている。

「ということは祭りの山車ってこの煉瓦通り通るわよね?」

「ああ。山車とこの近辺の和の趣は写真家にとっては最高のロケーションでしかないし、山車が通るまでの休憩所としてはぴったりだ。つまりこういった行事を利用して、お客の心を掴ませる。そうすれば一度来たお客はまた来たいって思えるだろうし、そういったお客たちに連れられて初めて来店するお客もこの店の雰囲気に心が動く。そうすれば自然的に来客数は気にしなくてよくなるだろ?」

「なるほどね。立地条件って結構大切なのね」

 行事一つ、立地場所でお客の心が簡単に揺れ動くとは考えにくい。集客数は店側の頑張りがあってこそなのはどこの時代も同じである。

「じゃあ如月喫茶ってどうなんだ?」

「これ以上言うと俺の支払い全部お前に任せるぞ」

「申し訳ございませんでした」

 椅子という小さな面積の中で曇妬は綺麗な土下座を一牙にしてみせた。

 如月喫茶は思いっきり住宅街の中にある。車通りが多い道路に面しているわけでもなく、ひっそりと営む小さな喫茶店だ。車や行事等の騒音で煩くなく、静かで落ち着けるから如月喫茶に来ているというお客も少なくない。ただ、立地条件をここと比べられたら一牙とて何も言えないし、言わせたくない。

 全国どこの喫茶店でもそうなのかもしれないが、静かにお客に寛いでいただける時間と場所を提供するのが喫茶店なのだ。そういう意味では如月喫茶も、行事がない時のここの喫茶店も根は変わらないのだろう。

「一牙さんは毎週この研究をし続けているのですか?」

「基本は毎週してる。テスト期間中は勉強に集中したいからやらないけど」

「かぁー! 一度は言ってみてぇなその台詞!」

 コーラを麦酒のような要領で飲み、コップをカンと机に叩きつける曇妬。まだサンドイッチが来ていないのにコーラの容量は三分の一も残ってない。

「勉強は家でやっているんですか」

「ああ。他の喫茶店だと、どーも環境が変わると集中力が続かないらしいんだ」

「私はその逆バージョン」

「逆バージョン……ですか」

 疑問詞を頭に浮かべて首を傾げる麗歌。

「そ。私は家だと集中できないから店でやってるの。一牙は家がOKで外がダメ、私は家がダメで外がOKって感じ。だから逆バージョン」

「店っていっても如月喫茶あそこしか来ないだろ」

「まぁね」

 一牙は一人で勉強する時は朝食と同じようにカウンター席に座って勉強している。教科書とノートと問題集の傍らには、自分で淹れたブラックコーヒーを添えながら。

「よかったら期末の勉強、一緒にやるか?」

「ええ。是非ご一緒させて貰いますわ」

「じ、じゃあ俺は遠慮しておく……」

「真面目に勉強するんなら飲み物サービスしてやってもいいんだぞ。何ならレタスサンドも追加してやろうか?」

「うわー! 行くか行かないかめっちゃ悩むー!」

 曇妬は頭を両手で押さえて、両足を小刻みにバタバタさせて悩む。店の迷惑になるからかバタ足を小さくしていたので一牙は叩かないでおいた。

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