第2巻-第5幕- 森宮家との馴れ初め

「長年積み重ねていくといえば、柊茄さんとはどれくらい一緒にいるのですか?」

「俺は一牙の紹介で知ったから四年くらい」

「そうだな……」

 一牙は天井の蛍光灯を見つめ、柊茄と一緒にいた過去を遡る。幼馴染とはいえ、いつ頃から一緒にいたか、あまり自分でも理解していなかったのだ。

「柊茄のことを知ったのは保育園の時だったか」

「そんな頃から……」

「壁の片隅で一人寂しく積み木で遊んでいたところに、俺が遊ぼうとか言ってから交流が始まったんだっけか」

「保育園の頃となりますと、三歳か四歳くらいでしょうか?」

「多分そう。となると十三年か十四年くらいずっと一緒にいるってことだな」

「保育園の頃ってのは何回も聞いたけど、実際に数字で言われると長いなーって感じるわ」

「ですわね」

 曇妬はサイダーをちびちび吸い、麗歌は小さく切り分けたケーキを食べる。

「そこから近所付き合いも始まって、親同士の交流も始まって、年月が経って、今に至るってことだな」

「一牙さんは柊茄さんに恋愛感情を抱いたことはありませんの?」

「——っ! あ、あっぶね」

 一牙は飲もうとしたコーヒーを、麗歌の質問に面食らいながらも、間一髪零さないことに成功する。コーヒーを飲むことは一旦お預けとし、受け皿にカップを戻した。

「あ、それ俺も聞きてぇ!」

「どうなんですの?」

「な、何だよ急に……」

 ぐいっと机に両手を置き、体を伸ばしてくる麗歌と、隣でにやにやしている曇妬。

 一牙は逃げ切れそうに無いと踏み、曇妬の脇腹を抓って白状した。

「あまりない。始業式の日の帰りにそれっぽい話はしたが、特に柊茄を恋愛の対象として見たことはない」

「ちぇー」

「そうですの」

「…………」

 期待外れのような答えを言ってしまったのか。曇妬と麗歌は少しつまらなさそうな表情をし、一牙の頭を混乱させる。

「何を期待してたんだよお前たちは……」

「い、いえ。何も……」

「あ、あっはは……」

 作り笑いや誤魔化し方が下手である。

 一牙はようやく飲めるコーヒーに手を伸ばし、少量口に含んだ。苦みが少しだけ強くなったような気がした。

「それにあれだけ仲が良いと周りから付き合ってるんじゃないかって勘違いされがちだからな。現に中学の時、影でそう言われてたらしいし。そうだろ?」

「えっ? あ……えっと……まぁ……言われてた」

 脇腹をさすっていた曇妬は、急に振られた一牙の話の内容について行けず、戸惑いながら曖昧な返事をする。

「ま、そういうこと。俺にとって柊茄は大切な幼馴染。それだけさ」

 一牙はケーキを切り分け、角型のチョコレートと一緒に食べた。

 幼馴染との関係を崩したくないというありがちな言い訳もあるが、そもそも一牙は柊茄を恋愛の対象として見ていないことの方が多い。ただ単純に話しやすい友人という位置づけに柊茄はいる。

 それだけにこの試食会に来ていないのには少し心配さを感じる。

 家の用事なので特にそれといって心配することは無いはずなのだが、朝の元気の無さを考慮すると不安にならざるを得ない。

 一つ取り残された白色の兜型ケーキを見た麗歌は、小さく呟く。

「それにしても、柊茄さん、心配ですわね」

「そうだよなー」

「ああ」

 みんな思っている感情は同じ。柊茄を心配する気遣いの心。

「なぁ一牙。柊茄があそこまで元気無いのって結構珍しくないか?」

「それは学校でも思ってた。というか気付いてたのか。寝不足じゃない元気の無さに」

「おうともよ」

 意外に見ているんだなと少しだけ感心する。自転車部で培った賜物なのだろうか。

「家の用事と言われても、柊茄の父親の命日はまだ先のはずだ」

「となると、法事以外での用事ってことになりますわね……」

「何なんだ?」

 三人とも首を捻って考えを絞り出す。

 だが、これといって三人の考えは出揃わなかった。

「ま、あまり深く考えないようにしとこうか。柊茄もあまり詮索されたくないだろうし」

「そうですわね」

「かもな」

 あまり手が進んでいない抹茶の兜型ケーキを切り分け、やや大きめに切った一部を大きく頬張る。口の中に広がった甘さをコーヒーを流し込んで中和させていく。

 何の用事なのだろう。店にも来られないほどの用事は今まで聞いたことがなかった。

 家族と旅行に行くのであれば、あと一週間程で来るGWに行けばいい。親戚が来ているのもしかりだ。わざわざGW前の平日に来ることはそうそう無いだろう。成績が少し悪いから一牙に隠れて塾に行っているのは考えにくい。今までだって一牙が柊茄たちの勉強を見てきたし、勉強会も店で行っている。塾に行かなければいけないほど柊茄の成績は落ちぶれていないはずだ。隣で呑気にケーキを食べている友人を除けば。

 ケーキを次々と食べながら考え事をしていると、麗歌がフォークを置き、残っている白色の兜型ケーキを示した。

「このケーキ、どうしますか?」

 柊茄の分の白色の兜型ケーキは誰も手を付けていない。柊茄が来るまで残しておきたい感があるのだが、ケーキは生物なので、早めに食べないと痛んでしまう。

「そうだな……。ちょっと待ってろ、ナイフ持ってくる」

 そう言って一牙は席を立ち、厨房からケーキを切る用の小型ナイフを取ってきた。

 ちょうど三等分になるように切り分け、それぞれのケーキが載っている皿に載せる。角型のチョコレートは曇妬と麗歌に一枚ずつあげた。

「柊茄には悪いけど、俺たちで食べようか」

「痛むといけないですしね」

「だな」

 一牙は切り分けた白色の兜型ケーキをフォークでまたさらに切り、切り分けた一つを突き刺して食べた。濃厚な生クリームの味が広がり、抹茶の兜型ケーキとは違った甘さがくちい一杯に広がる。

 麗歌の桃色のケーキ、曇妬の薄茶色のケーキ、自分の薄緑色のケーキとこの白色のケーキの四つを食べ比べてみたが、どれも美味しくて甘くてデザートには十分な一品である。

 ただ、白色のケーキは生クリーム単体の味しかしないので、飽きが来そうだ。追加でフルーツでもトッピングできれば流行りそうな予感がする。苺とチョコ、抹茶は味があるため飽きが来なさそうではあるが、やはりこれもフルーツのトッピングがあるとさらに引き立つのではないだろうか。抹茶は抹茶の粉末をフルーツ代わりに振りかければ美味しさが引き立ちそうである。

 一牙としての試食会のまとめを二人に向かって言うと、麗歌はなるほどと言いそうに首を縦に何回も振り、曇妬は「分かるー」と同情してくれた。

「流石一牙さんですわね。私はこのままでもいいと思っていましたが、そのように言われると少し考えを改めて食べたいと思いましたわ」

「俺は美味ければ何でも良いぞ」

「お前はいつもそう言ってるだろうが」

 はははっと笑いながら試食会はあっという間にお開きの時間となった。

 午後五時を告げる壁掛け時計の閉店音が店内に鳴り響く。

 一牙は空いた皿を重ね、一番上にフォークとナイフを載せた。

「あ、一牙さん。手伝いますわ」

「いいって。今日は店員じゃなく客なんだから」

「で、ですが……」

 俯きどこか悲しそうな雰囲気の麗歌。一牙は小さな罪悪感を覚え、麗歌に仕事を分け与える。

「じ、じゃあカップの片付けだけお願いしていいか?」

「はい! 分かりました」

 悲しそうな雰囲気が一転し、一気にぱあっ明るくなった。麗歌は生き生きとしたように空になったコーヒーカップと、サイダーがあったガラスのコップを下げる。

 一牙は水が張ってあるシンクの中に皿を投入し、台拭きを持ってきてテーブルを拭き始めた。麗歌も下げたコーヒーカップとコップをシンクの中に投入して一番テーブルに戻ってくる。

 綺麗に片付いた一番テーブル。曇妬と麗歌は置いていた荷物を持ち、店から出ようとする。

 とその時——

 ——カランカラン。

 閉店時間を過ぎた店内に、客が入ってきた事を告げる鐘の音。ドアがギイィと開く。

 一牙は「今日は閉店しました」と言おうとしたが、入ってきた人を見て、言うのを止めた。

 高身長の焦茶色のロングヘアーの女性は、肩に米袋を三袋ほど抱えていた。如月喫茶のエプロンを着用しており、重そうな米袋が戦場で勝利してきた主婦を醸し出している。よく見れば米袋の上には紫っぽい豆が入った袋が載っている。

「ただいま!」

「お、おう。お帰り。母さん」

 如月喫茶デザート担当で一牙の母である如月舞柚は、米袋の重さを知らないようにすたすたと厨房の方へ歩いて行った。厨房に入るとドサッという重い音がしたことから、あの米袋をどこかに置いたことが分かる。

 そして厨房からひょっこりと顔を出し、満面の笑顔を一牙に向かって言い放った。

「一牙、今日は赤飯よ!」

「何で!?」

 意味の分からない赤飯の登場に一牙は無意識にツッコんだ。

「あ、麗歌ちゃん。赤飯できるまで待っていてくれる? お裾分けしてあげるから」

「は、はい……。連絡を入れれば大丈夫だと思いますわ」

「それと曇妬君もね」

「俺もか!?」

 赤飯の大盤振る舞いである。さっき運んでいた米袋の量的に三十キロは優に超えているように感じた。

「じゃ、支度してくるから待ってて」

「…………」

 言い返す暇も無く舞柚はホールから厨房、そして厨房から姿を消した。一体何の赤飯なのかよく分からないまま一牙たちは赤飯でできるまで大人しく待つことにした。

「もしもし、お父様ですか? 今如月喫茶にいるのですが——」

「あ、母ちゃんか? 俺だけどよ、何か一牙の母ちゃんが——」

 二人とも遅くなることを家の人に伝える。

 一牙は二人が連絡を取っている間に、店の片付けをし始めた。外に出ている看板を店の中に入れ、オープンクローズプレートを『Close』にする。お湯で濡らした台拭きで机とカウンターを拭き、割り箸とかき混ぜ棒を補充。ティーバッグ入れにあるお客が使ったティーバッグを回収してゴミ箱へ。観葉植物に水を与え、洗ったコーヒーカップ類を元の場所に戻す。

 麗歌の助けも借りず、十五分ほどでこの作業を終わらせた。麗歌と曇妬は一番テーブルで赤飯ができるのを待つ。

「麦茶でも飲むか?」

「いただきますわ」

「サンキュー」

 一牙は厨房の冷蔵庫からよく冷えた麦茶を取り出し、小さめのガラスコップに注いで二人に渡した。

 よく冷えた麦茶は片付けで少し火照った体を適温に冷やしていく。一番テーブルに座ると、一牙はほっとリラックスした。

「それにしても何で赤飯なのでしょう?」

 麗歌が一牙も思っていた疑問をぶつける。

「俺にも分からん。母さんの中で今日は赤飯になるほどの何かの記念日なのか?」

「結婚記念日じゃねぇの?」

「いや、父さんと母さんの結婚記念日は来月のはずだ。今日じゃない」

「んじゃ何だろな?」

 今までこの四月終わりの時期に赤飯が出たことは一牙の記憶上にない。もしそうだとしたら如月家では伝統みたいなものになっており、一牙も覚えているはずだ。

 そもそもの前提が違うのかもしれない。赤飯といえば卒業式や就職時等の縁起が良い時に食べられるものだ。カロリーは高くなるが、銅やタンパク質といった栄養価が通常の白飯に比べて高い。そのため、縁起が良い時でなくても赤飯は食べられることがある。

 しかし舞柚の反応的にその可能性は限りなくゼロに近く、何か縁起が良いことがあったから赤飯にしたという可能性の方が高い。

「なぁ一牙。折角作って貰ってるところ悪いんだけど、俺って実のところをいうとあんま赤飯って好きじゃないんだよ。そもそも小豆がちょっとだけ苦手っつーか……」

「胡麻塩をかけてもか?」

「それかけても俺はあんま好きじゃない。小学校の給食とかよく残してたし、中学の時はお前にあげてただろ?」

 中学の時、一牙と曇妬は同じ班になったことがある。その時に曇妬は一牙の茶碗に自分の分の赤飯を全部明け渡したことがあった。

「小豆が嫌いということはお饅頭も食べられないのですか?」

「いや、小豆自体が嫌いって訳じゃねーんだ。漉し餡は食べれるけど、粒餡はちょっと苦手っつーか……」

「ちょっと勿体ないように感じますわね。私は美味しいと思いますが」

「よく言われる……」

 がっくりと肩を落とす曇妬。一牙も麗歌と同意見なのだが、人には向き不向きがあるのだから何も言えない。

 それから他愛ない雑談をして赤飯ができるまで時間を潰した。

 ——そして約四十分が経過する。

「一牙、パック持ってきて」

 厨房からそんな声が聞こえてきたので、ようやく赤飯ができたことを一牙たちに知らせる。

 一牙は小声で「はいはい」と言いながら席を立ち、カウンターに置いてある大きめのパックを二つ取り出して、如月家と厨房の境界にいる舞柚にパックを渡した。

「二つじゃないわよ。三つ」

「あの二人の分じゃないのか?」

「柊茄ちゃんの分」

「あー、はいはい」

 一牙はもう一度カウンターに戻り、同じサイズをパックを取り出して舞柚に渡した。

 パックのみだと持ち帰りにくいだろうと判断した一牙は、パックを入れるビニール袋を用意する。簡易的ではあるが、黒胡麻と塩をブレンドした一牙特製の胡麻塩を小さめの袋に入れておき、パックを入れる袋に入れておいた。

「はい、一牙。入れといて」

 少し経つと、パックがはち切れんばかりに詰め込まれた赤飯がご登場する。ほかほかした水蒸気が、出来たての赤飯であることを認知させる。

 一牙はパックをホチキスで閉じると、袋の中にパックを入れ、パックの上に一牙特製の胡麻塩袋を乗せて縛った。縛り終えた袋は舞柚が手に持って曇妬と麗歌に渡す。

「早く家に帰って温かいうちに食べてね」

「ありがとうございます」

「あんがと!」

「いえいえ」

 少し照れながら手を振る舞柚。一牙は柊茄の分を縛りながら気になっていたことを問いかけた。

「で、赤飯の理由は何? あんだけ浮かれてたんだから、何かいいことでもあったのか?」

「あら、そこまで浮かれてたかしら?」

「端から見たらどう見ても浮かれてる」


「なんとね、柊茄ちゃんのお母さんが結婚するそうなのよ!」


「えっ?」

「本当ですか!?」

「マジ!?」

 一牙、麗歌、曇妬の順に、柊茄の母親が結婚する報告に驚く。

「正確には再婚なんだけどね」

「いやそりゃそうだろ。柊茄っていう子供がいるんだからさ」

 結婚という縁起のいいことに赤飯が出てこないことはまずない。だから舞柚はうきうきした様子で赤飯にしたのだろう。心なしか柊茄の分のパックに入っている赤飯が、曇妬と麗歌の分より多く感じたと思い出す。

 にしても自分たちの身近な人が結婚するという感覚は初めてである。おめでとうございますと一言でも言いに行きたい気分だ。

「一牙、ちょっと悪いんだけどそれ、柊茄ちゃん家に届けに行ってくれない? キッチンの片付けしたいから」

「祝いの言葉言ってこないのか?」

「大丈夫、柊茄ちゃんのお母さんから直接聞いたんだもん。もう言っちゃった」

「さいですか」

 このまま柊茄の分の赤飯をここに放りっぱなしにするのも気分が悪い。温かいうちに食べてもらいたいものだ。それに、柊茄にもおめでとうと言っておきたい気分でもある。

「……分かった。行ってくる」

「よろしくー」

「それじゃ、エプロンだけ洗濯機に入れておいて」

 一牙はエプロンを脱ぎ、舞柚に渡した。

「じゃ、お願いね」

「はいはい」

 一牙はそれだけ言うと、柊茄の分の赤飯が入って袋を手に取って店を出た。

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