第2巻-第2幕- 珈琲の水面に浮かぶ餌

「そういえばだけど、一牙君の周りで最近詐欺にあったって人いないかい?」

「詐欺……ですか?」

 特にそれといって聞いていない。一牙の両親どころか曇妬や柊茄、麗歌からも身の回りで詐欺に遭ったという話は耳にしていない。

「いないですけど……何かあったんですか?」

「ほら、最近オレオレ詐欺や結婚詐欺とかで逮捕された人多いでしょ? だから大丈夫かなって」

「ああ……」

 ここ数日、テレビの報道で詐欺に関するニュースが多くなっている。岸越が言ったように全国で詐欺が連発しているらしいのだ。三日前はオレオレ詐欺によって八十代の女性から三百万円騙し取った首謀者の男とその仲間の合計五人が逮捕され、二日前には結婚詐欺によって三十代の女性から百五十万円騙し取った男の二人組が逮捕されている。

 金にがめつい犯行だなと思いつつ、テレビで報道されている詐欺の対処法について頭に入れていた。今の自分には関係がないと思っているが、いつどこで詐欺に遭うか分からないため、知識は入れておくことに越したことはない。

 岸越は急にぐいっと一牙の顔に自分の顔を近づけて、誰にも聞かれないような小声で囁いた。

「本庁から連絡があったんだけど、結婚詐欺で捕まった二人は実は四人組っていうのが分かって、今も全国に逃亡してるらしいんだ。それっぽい手配書はあるんだけど、信憑性が低くて公開できなくてね。水無月市に潜伏しているとの噂っぽいから、念のため警戒しておいて欲しいんだ」

「は、はぁ……。というかその話テレビで報道されてないですよね? 俺に話して大丈夫なんですか?」

「大丈夫だって。一牙君は重要事項や機密事項は頑なに話さない子だって分かってるから」

「…………」

 信頼されていると解釈して良いのか、それとも口が堅いって小馬鹿にされているのか。信頼してくれている分にはとてもありがたいことではある。

「分かりました。一応俺の方でも警戒しておきます。何かあったらご連絡しますね」

「ありがとう。それじゃあね」

「ありがとうございました」

 岸越さんは手を振りながら店を後にし、国道方面に向かって歩いて行った。

 一牙は飛び出ているレジをガシャッと閉じる。

(詐欺か……父さんは多分大丈夫だし、母さんは物理でどうにかしちゃいそうだな……。明日柊茄と曇妬にも警戒するよう呼びかけておかないと)

 カランカラン。

「い、いらっしゃいませ」

 レジで考え事をしていた一牙の脳を現実世界へ引き戻すとベルの音色。お客が来店したのだと脳が切り替え始め、応対をする。

 やってきたのは男性。年齢は三十代くらいだろうか。黒色のTシャツに上着、少しパツパツなジーンズと黒い手提げ鞄という格好だ。身長は一七〇くらいで、髪は目にかかるくらいまでやや長く、ワックスで固められている。厳しそうな顔つきから何かのスポーツの監督のような第一印象を受けた。

「お一人様ですか?」

「ああ」

 無愛想な表情でやや苛ついているような声で男性は言った。

「では、空いている席へどうぞ」

 一牙は店内の空いている席へ男性を案内した。といっても、店内を指しただけなのだが。

 現在、五番テーブルと六番テーブル、十番テーブルがそれぞれ埋まっている。五番テーブルには甘々のミルクティーを飲んでいる青年、六番テーブルのお客はトイレに行っているらしく、荷物と読みかけの新聞がテーブル上に残っている。十番テーブルにはアフタヌーンティーを啜りながら老眼鏡で週刊誌を読んでいるお婆さんがいる。三番テーブルは岸越が先ほど帰ったため、まだ散らかっている。

 男性は鋭い目つきで店内を見渡し、空いている席を決めて歩く。

 男性はドスッと手提げ鞄を無造作に椅子に置き、深く腰掛ける。男性が座った場所はさっき一牙が拭いた一番テーブルだった。しかも男性が座った場所はいつも柊茄が座っている場所なのである。

「…………」

 別に場所がどうのこうのと言うことはしない。そこが柊茄の席だと決まってないからだ。

 それに空いている席へどうぞと言ったのは一牙である。座った男性を責める理由にはならない。

 柊茄は今日は来ないだろうし、もし来たとしても大体同じ雰囲気の二番テーブルに通せば良いと考えた。

 スイングドアからカウンターに戻った一牙はコップに水を入れ、お絞りと伝票とコップをお盆の上に置き、一番テーブルに向かう。

「失礼します」

 静かにコップとお絞りを置き、お盆をカウンターに置いて伝票を持つ。

「ご注文はお決まりですか?」

 男性は案内した時と同じく、苛つきが混じった声で注文を言う。

「コーヒー一つ。ブラックで」

「銘柄の指定はありますか?」

「ちっ、んなもんは知らん。何でもいい」

 小さく放たれた舌打ちを一牙は聞き逃さなかった。それでも表情を一切変えず、接客を続ける。

「では、ブレンドでよろしかったですか?」

「それでいい」

「はい。ホットかアイス、どちらにしますか?」

「アイス」

「かしこまりました。……他にはありますか?」

「コーヒーだけでいい」

「はい。では少々お待ち下さい」

「ふん」

 一牙は走り書きで書いた伝票を持ってカウンターへ戻る。

 高圧的な態度の人が苦手というわけではないが、あまり接客していていい気分にはなれない。少し自分が萎縮してしまうところがあるからかもしれないが。

 それでもこの店には明るく優しい来客が多いため、高圧的な態度のお客は珍しいのだ。

 まだ店で働きたての麗歌には任せられないなと思いつつ、コーヒーの準備をする。

「さてと……」

 アイスコーヒー用のガラスコップとコーヒーを抽出するサーバーに大量の氷を入れ、二つとも冷やしておく。そしてドリップポットと呼ばれるポットの中に、給湯器からお湯を注げば、コーヒー抽出の準備は完了。

 ペーパーフィルターを折り、サーバーの上にドリッパーを乗せ、ドリッパーの中に折ったペーパーフィルターを乗せる。ペーパーフィルターの中にブレンドした挽き豆を入れ、ドリップポットに入っているお湯を少しだけ注ぐ。今回はアイスなので、挽き豆の量は少し多めに。

 するとコーヒー豆がお湯と混じりながら泡を発生しつつ、少しずつ膨らんでいく。数秒ほど待つと膨らみは収まり、サーバーの中にぽたぽたとコーヒーの雫が落ちていくのが確認できた。

 これはコーヒーの『蒸らし』と言い、コーヒー豆に含まれているガスが放出されることでお湯と馴染みやすくなり、お湯の通り道ができて美味しさが引き出されるのだ。コーヒー豆が膨らむのはこのガスが発生しているからである。

 この蒸らしの工程がなくてもコーヒーは淹れられるのだが、蒸らしの工程を挟むことでより美味しいコーヒーを提供できる。

 蒸らしの工程でお湯がぽたぽたと落ちてきたらコーヒーの抽出の開始である。

 ドリップポットのお湯を「の」の字を描くようにコーヒー豆に当てながら注ぐ。ある程度入れたら一旦止め、二十秒ほど経ってからもう一度お湯を注いでいく。この時入れるお湯は、先ほど入れたお湯の量の半分くらいにしておくのがポイントということを押さえて入れる。

 抽出作業を三回ほど繰り返すとサーバーの中には苦みが漂うコーヒーが出来ていた。少し待ち、抽出したコーヒーが少し冷えてから、氷が入っている冷えたコップに注ぐ。マドラーで少しだけかき混ぜると、氷がコップに当たってからからと涼しげな音を奏でた。

「わぁ……美味しそうですわね」

 とそこに洗い物が終わった麗歌が、からからと鳴るコップを見ながら覗いていた。

「まぁ……な」

 一牙にとっては当たり前のことなのに妙に照れ恥ずかしくなったので、有耶無耶に返事した。

 アイスコーヒーは氷で冷やすことが前提なので、氷によって味が薄くなってしまう。なので、挽き豆の量を少し多めにして濃く抽出することにより、ちょうどいい味のアイスコーヒーになるのだ。

 ストローの包装紙を破ってストローを取り出し、コップに入れる。お盆の上に乗せ、スイングドアから一番テーブルへ。

「失礼します。ブレンドのブラックコーヒーです。ごゆっくりどうぞ」

 軽く礼をしてカウンターへ少し足早に戻る。

 男性はストローを取り外し、コップの縁に口を付けてそのまま飲んだ。苦そうな表情を一切せず、頬杖をついてスマホを弄っている。時折店内を眺めるように首を回している姿も見られた。

「あれ、あの席は柊茄さんの……」

「少し違和感か?」

「え、ええ……」

 一牙も少しだけ違和感を覚えているのは確かである。

 いつもこのカウンター席から見ている光景にはほとんど柊茄があの席に座っていた。今では曇妬もその光景の一部になりつつあるが、いつもの光景とは離れているため違和感があるように思えるのだろう。

 人の中にある印象というのは第一印象と、連続して同じことが起こる中で別のことがあった時の二つの印象が大きく取り上げられるだろう。前者は大きければ大きいほど人の心の中に深く刻まれるが、後者は時間をかけて少しずつ蓄積されていく。

 ここにあった木が今日にはなくなっている、あの人の髪型が変わっているというのはよくある話だ。結局のところ一牙も麗歌もこれと同じ違和感を今抱いているというわけだ。

「まぁ今日だけの辛抱だ」

「そうですわね」

「気分転換になるかどうか分からんが、コーヒーでも飲むか? ブレンドになるけど」

「いいんですか?」

「ああ。ガムシロとか砂糖とか欲しかったら自分で入れてくれ」

 一牙は先ほど入れたコーヒーのペーパーフィルターを捨てると、新しいペーパーフィルターを取り出してブレンドの挽き豆を入れた。

「まず、コーヒーの淹れ方だが——」

「つまり、それが——」

 そして麗歌に軽く淹れ方を説明しながら、二人はお客が帰っていくまで少しゆっくりとするのだった。


 一番テーブルに座った男性はスマホの画面に映っている対話アプリの内容を見ていた。

(ここがあの女のガキが毎日来てるっつー店って訳ね。あのガキが入り浸りすんのもわかんなくない話だな。コーヒーも結構美味ぇし、値段もいいからな)

 過去の対話履歴をスクロールし、対話内容と店の内容を把握する。

(さて、ちまちまやんのもアイツも飽きてきただろうし、ちょっとだけ勝負かけるか)

 静かに暗躍する悪意の兆しが男性の脳裏に立ちこめる。

 口に含んだコーヒーの苦みが広がり、苦みが邪念へと変貌して思考を回転させる。

(ま、あの女ももうすぐ用済みだ。二週間くらいで消えれば問題ねぇ)

 ぽっ、と画面に新たな会話が生まれ、男性は文字をスワイプして打つ。

(あの女のガキは……ま、どうでもいいか。邪魔にはならなさそうだしな)

 適当な会話を送信し、既読のマークが会話の横に表示される。

 対話相手の名前は『森宮暮撫もりみやくれな』とあった。

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