第1巻-第19幕- 果たした約束

 翌日の放課後の如月喫茶。

 相変わらずという言い方には語弊があるのかもしれないが、客足は既に途絶えており、テーブルはがらんとして少し殺風景である。店内に流れる洋楽も盛り上がってサビに入ろうとするところなのに、逆に消沈してしまうようだ。

 だが、そんな殺風景で消沈させる雰囲気を中和しているのが窓側の一番テーブルに座っている学生三人組である。

「でさー、永センが——」

「なわけないでしょ。だって——」

「わ、私としては何とも……」

 柊茄、曇妬、麗歌の三人は櫻木喫茶を訪れていた。昨日の相談時と同じ場所に座り、客がいないことをいいことに曇妬は大声で、柊茄と麗歌は常識ある声量で談笑している。

 麗歌の曇り気がないのびのびとした晴れやかな表情が事の顛末が解決したことを、柊茄や曇妬にも知らせる。

「……ふっ」

 三人が楽しく談笑としている様子を一牙は頼まれたドリンクを作りながら見ていた。

 一牙にも麗歌の悩みの種が取れたことは理解できている。しかし、相談役としては依頼者である麗歌から直接解決したことを聞かなければ意味が無い。

 麗歌の言葉が相談役としての責務を下ろす審判なのだ。

 ダージリンの茶葉を湯で抽出し、ゆっくり綺麗にコポコポと注いでいく。洋風な白と緑でグラデーションされたティーカップに、紅茶の澄んだ茶色が照明を反射してキラリと光った。上品な香りも漂い、香りだけで酔いしれてしまいそうである。

 いつもなら茶葉をティーバッグに入れて提供するのだが、一牙が自分から抽出して注ぐのは一牙の気分次第である。これにはちょっとした一牙なりのサービス心も込められているのだ。

 合計で四つのティーカップに紅茶を注ぐと、小さなミルクピッチャーを一つ用意した。そこにミルクを注ぎ、一つのティーカップの受け皿に角砂糖を二つ乗せる。

 このミルクティーを作る工程の準備をしないと怒る常連客がいるからだ。

 少しだけ上品なお盆に四つのティーカップを乗せて、談笑している三人の元へ運ぶ。

「はい、おまちどおさま」

 静かにカタッとティーカップを置き、柊茄の前には角砂糖が乗ったティーカップとミルクピッチャーが置かれる。

「さんきゅ」

「あんがと」

「ありがとうございます」

 曇妬は取っ手を無造作に掴んでぐいっと紅茶を飲み、柊茄はミルクピッチャーからミルクを入れ、角砂糖も投入してミルクティーを作り出した。麗歌は色と香りを楽しんだ後、気品のある飲み方で紅茶を飲んだ。

 一牙はお盆をカウンターに置き、曇妬の横に座って紅茶を一口飲む。舞柚が入れるほどの美味しさはではなかったものの、少しだけ味は近づけたかなと思った。

 大きく息を吸って吐き、本題に入る。

「さて櫻木、昨日はどうなったんだ」

 聞くまでもないことは分かっている。

 一牙のその一言で柊茄と曇妬の二人は談笑モードから真剣モードに変わった。

「はい、最初はお父様から完全に否定されましたが、後にお母様が説得してくださったおかげで問題は解決致しました」

「……そうか」

「はい」

 分かっていた事実を再確認し、一牙たちは安堵する。

「よかったわね」

「だな」

「はい、皆さんのおかげです。ありがとうございました」

 麗歌は丁寧に頭を下げ、感謝の意を伝える。

「俺は何もしてない。櫻木が行動したから変わったんだ」

 と一牙は麗歌の感謝を受け流して謙遜した。

 その一牙の謙遜に三人は少しだけ笑い出す。

「そういうと思ったわよ」

「少しくらい受け取っとけよ」

「ふふっ」

 一牙の謙遜は今に始まったことじゃない。曇妬の自転車部でのいざこざの時も、近所の人々からの相談事でも感謝されては謙遜して受け流す。

 もはや特技の一つなのではないかと思われているほどだ。

「でも……」

 麗歌が少しだけ表情を曇らせた。

「結果的に私は自由の道を歩むことを許されましたが、私一人では掴めなかったと思います。あの場にお母様がいなければ、きっと私はお父様の威勢でこの道を歩むことができずにそのまま今までと同様に従っていたかもしれません」

「…………」

「だからこれは私の力ではなくお母様の力があったからこその結果なのだと思います。まだ私の力は弱いまま——」

「そうでもないさ」

 麗歌の言葉を遮って飛んできた一牙の一言。

 話ながら俯いていた麗歌ははっと一牙の方を見た。

「俺は見ていないから分からないが、お前の母親の力があったから今の結果になったのは理解できた。だが、そのような結果になったきっかけの行動は誰が取ったんだ? 櫻木の父親か? 母親か? 違うだろ。変わりたいって意志を強く持った櫻木自身だよ。少なくとも新学期が始まった頃と比べてお前の力は少し上昇したはずさ」

「そ、そうでしょうか……」

「俺はそう思っただけだ。子供が親に反抗するのは躊躇うことかもしれない。お前の父親みたいな威厳がある親なら尚更さ。だけど櫻木は反抗した。自由の道を歩むことを認めさせて貰うために。それだけで十分な力を櫻木は持ったって証拠さ」

 誰かに自分の意志を伝えるのは難しいことなのかもしれない。決めた意志に反対されたり流されたり無視されたりしてしまう否定的見解が、無意識のうちに人は思い込んでしまうものだ。それによって人は自分の意志を主張することができなくなってしまう。

 昨日の麗歌との話合いの時に「怖いから」という言葉で麗歌は自分の意志を伝えるのは無理だと言った。

 それは父親が怖い、否定されるかもしれないと無意識のうちに考えてしまっているから伝えるのは無理と思い込んでいるのだ。

 被害妄想も甚だしいとよく聞く。自分の意志を否定されることばかりを考えるなら、実際に動いてみればいいだけの話だ。それで被害妄想で思っていたこと通りならば致し方がないのだが、逆に被害妄想通りにならなければ新たな世界が見えてくるはずだ。

 被害妄想をするなとは言わない。無意識のうちに考えてしまうから仕方ないのだ。だが、その無意識に打ち勝って主張を伝えることができれば、自分の意志を伝える力がついたことの証明になる。

「さらにいうとお前の母親はお前の意志を肯定してくれたんだろ? つまり櫻木が話さなければ、櫻木の母親はお前の自由への意志なんか知らないはずだ」

「…………」

「思いは口に、言葉に出さないと意味が無いだろ? 自分の思いを伝えることが一番大事なんだからさ」

 否定されてもいい。伝わらなければ相手は何も分からないし、自分だって伝えたくても伝えられないもどかしさを煩うことなる。

「櫻木は俺たちに思いを相談した。そして自分の父親、母親にもぶつけた。それでいいんだよ。櫻木の意志はしっかりと伝わったんだからさ」

「そう……ですわね」

 櫻木は納得したように安堵の息を吐いて紅茶を啜った。

 これにて麗歌の依頼は完全達成となる。

 一牙の心のどこかではRPGのクエスト達成時に鳴るファンファーレが流れていた。

「ま、俺の感じたただの思想なんだけどな。別に鵜呑みにしなくてもいい。ちょっとだけ言いたかっただけだから」

 と後付けを言ったところで一牙も紅茶を飲んだ。

「ところ一牙さんって本当はおいくつなのですの?」

「ぶっ!」

 麗歌のあまりにも突拍子な質問に一牙は面食らった。動揺した時に紅茶がカップから少し零れ、エプロンの隅を浸す。

「な、何だ急に……」

「少し気になっただけです。ここまで様々なことを悟っているということはさぞかし人生経験が豊富なように感じたので」

「…………」

 何とも言えない空気が一牙を包んだ。

 確かに一牙は近所の人々や染崎の話を聞いてアドバイスをしている隠れたカウンセラーだ。アドバイスをするということは人生経験をかなり積んでいないと説得力のあるアドバイスにならない。

 だが一牙はこの春から私立水無月高等学校の二年生になった。

 そう、高校生である。まだ豊富に人生経験も積んでいないのに、大人に対して的確なアドバイスをしているのだ。

 麗歌が感じるのも無理はない。

 幼馴染なのに目をわくわくさせて見てくる柊茄に「お前楽しんでるだろ」と呆れの視線を送り、目を見開いている曇妬には軽いチョップを食らわせた。

「はぁ……」

 分かっていることを言うのも何だかバカバカしい。一牙は溜め息を吐いて言った。

「十七だよ。春休み中に十七になった」

 面白い返答を期待していたらしい柊茄はつまらなさそうに唇を尖らせ、曇妬はチョップを食らわせた額を押さえて柊茄と同じように唇を尖らせていた。

「そうなんですか」

 その反応はどうなんだと声に出さずにツッコんだ一牙であった。

 自分でも何でここまで人生を悟れているのかは理解できていない。一牙はきっと自分を取り巻く人間関係が知らず知らずの内に、心を大人へと成長させていったからだろうと結論づけた。

 カランカラン。

 と不意に鐘の音が鳴り、お客が入ってきたことを伝える。

「いらっしゃいませ」

 即座に席を立ち、お客を案内しようと開いた扉の前まで行く。

 そこには小学生と思しき女の子がビニール袋を携えて立っていた。

「いちがおにいちゃん、こんにちは」

「こんにちは」

 女の子は丁寧に挨拶をし、一牙も女の子の目線に合わせてしゃがんで挨拶をする。

「お使いか?」

「ううん、これ」

 と言って女の子はビニール袋を一牙に渡す。その中には色鮮やかな林檎が入っていた。

「あのね、ママがしんせきからいーっぱいもらったからおすそわけ。みんなでたべてね」

「おっ、ありがとな。後でいただくよ」

「うん。とてもあまいからおいしいよ」

「そりゃあ楽しみだな」

 一牙がにっこりと笑って女の子と話すと、女の子は「あっ」と言って一牙の様子を見ている三人の元へ向かった。

「お、おい」

 女の子は三人の内、麗歌の前に来ると、えへへと笑った。

「おねえちゃん、またあったね」

「あの時の……」

 その女の子は麗歌が道で泣いていた時に声をかけてくれた女の子だった。

「やくそくまもってくれた?」

 首を傾げて小指を差し出してくる女の子。

 麗歌は女の子の言っている約束が別れ際のことだと思い出す。

 女の子の目線になるようにしゃがみ、小指と小指を絡めた。

「約束はちゃんと守ったよ。お母さんとお父さんに私のことしっかり話したから」

「おとうさん、おかあさん、たすけてくれた?」

「うん、助けてくれたよ。だから私は今何も困ってないの」

「よかったねおねえちゃん」

「そうだね」

 女の子は麗歌と絡めた指を離すと扉の前まで駆け出した。

 カランカランと鳴ってドアが少しだけ開く。

「じゃあね、おねえちゃん、いちがおにいちゃん」

「じゃあね」

「気を付けて帰れよ」

「はーい」

 女の子は扉を閉めると、家の方向へ駆け出していった。

 女の子がガラスから見えなくなるまで見守ると、一牙は林檎の入ったビニール袋をカウンター席に置く。

 ころころと一つの林檎が転がってきた。一牙は落ちないように手で持つと、持った林檎を蛍光灯に翳した。

 きらっと林檎の表面が蛍光灯の光を反射して輝く。

「おっ、結構良い色してるな」

 それだけ見ると一牙は林檎を袋に戻さず、カウンターに置いた。

「如月さん、あの子は……」

「ああ、近所の子だよ。あの子の親戚が農家らしくて、たまにこうやって果物とか野菜とかお裾分けしてくれる。後で食うか?」

「え、ええ。いただきますわ」

「私も食べる!」

「俺も!」

「はいはい、後で切ってやるから待ってろ」

 一牙はまるで子供のようになった柊茄と曇妬を宥めた。

「にしても櫻木、あの子と何の約束をしたんだ?」

「えっ? そ、それは……」

 約束自体は思っていることを親に話してというものであり、実質一牙に相談したようなことではあるので別に問題はないのだが、何故か麗歌は言うのを躊躇った。泣いていた時にあの女の子と約束したというシチュエーションが浮かんできて少し恥ずかしくなったからだ。

「ち、小さな約束ですわ」

「そうか」

 あまり詳細を求めすぎるのもよくない。二人の間にある約束は二人にしか知らないのだから。

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