第1巻-第14幕- 己を見つめて見つめ直して
櫻木が如月喫茶に来店してから数日。あの日以来、櫻木はちょくちょく如月喫茶に来るようになり、カウンセラーの人を探していた。一牙も毎回別の言い訳を考えてカウンセラーの人がいないことを櫻木に告げているのだが、そろそろ言い訳のネタが尽きそうである。言い訳のネタは先生によく叱られている曇妬と相談して考えていたりする。よくもまぁこんなに大量の言い訳ができるなと別の意味で一牙は曇妬を尊敬した。櫻木に聞かれないよう、普段なら誰も立ち入ることのない屋上で話すことがほとんどだ。
いい加減隠し通すのも難しくなってきている。そろそろ染崎が話していたカウンセラーのことは自分でしたと暴露するのもアリなのではと思えてきた。
とこのようなことを昼休みの屋上で曇妬と相談していると——
「ま、いいんじゃねぇの?」
と凄まじくいい加減な答えが返ってきた。曇妬は食べかけのコンビニおにぎりをほいっと口の中に投げ入れて、包装紙をくしゃくしゃと手で握り潰す。
「何だよ、そのいい加減さ……」
「だってよ、櫻木さんだって一牙に少し心を開いているように見えんだ。学級委員の仕事とかでよく話してるだろ?」
「それはそうかもだけど」
曇妬の言う通り、進級当初に比べて櫻木は一牙とよく話すようになっている。主に学級委員としての仕事内容なのだが、如月喫茶では少しだけ他愛ない話もするようになっていた。
心を開いているのは一牙だけでなく、曇妬と柊茄も同じようなことが言える。
柊茄は積極的に櫻木と話しており、櫻木も最初の方こそは嫌気が差したような表情をしていたが、今では普通に話している。如月喫茶でも曇妬がいない時は曇妬の席に座って、何かを話しているようだ。任せなさいと胸を張って言っていたことはどうやら「積極的に話しまくる」ことだったらしい。
曇妬も話そうとしているが、進級当初に言い放ったあの言葉を少し気にしているのか、そんなに長く話そうとしない。しかし、話せているのは事実なので、嫌な人と思われていながらも内心は許しているのかもしれない。
しかし心を許しているのは一牙たち三人だけのようで、他のクラスメイトと話している姿は見かけない。英語会話の授業で、隣の人とコミュニケーションを取りましょうという時はやや嫌々ながらも話している。それでもクラスメイトからは「近寄りがたいお嬢様」という印象が植え込まれているようだ。
「何だかんだ話せるようになってきたんだし、自分の正体くらいバーンっと言えばいいんじゃねぇの?」
「うーん……」
「んだよ、心配性だな」
「お気楽なお前とは違うんだよ」
やや怒り気味で一牙は吐いた。
「まぁでも櫻木さんも一牙がカウンセラーじゃないかって薄々感づいているかもしんねぇぞ」
「どういうことだよ」
「ほら、店の周りの人……えっと何て言ったっけ?」
「近所の人か?」
「そうそれ! 近所の人が店に来た時、お前いつも話してるだろ?」
「近所付き合いは大事だからな」
「で、たまに悩みとか聞いてるだろ?」
「そりゃあ……まぁ……」
一牙から聞いているのではなく、大体は向こうから話してくるのだが。
「お前は近所の人と話しているから知らねぇかもしんねぇけど、その時、櫻木さんお前の方を見てんだよ」
「本当か?」
「本当本当。疑うなら柊茄にも聞いてみろよ」
櫻木が自分を見ていた……。何をしているのかと疑問に思って見ているのなら分かるが、カウンセラーかと疑って見られているとは思ってもいなかった。
でも曇妬の言い分もあながち間違っていないのかもしれない。櫻木と他愛ない話をしている時でも「あの人と何を話していたのか」と聞いてくることがある。この時点で櫻木は一牙を疑っていたのだ。
「一応聞いてみる」
「それがいいと思うわ」
蒼穹に流れる雲を眺めた。上空には乱気流が吹き荒れているのだろうか、雲の動く速度がいつもより速い。
「俺も俺なりに思いついたことやってみたけど、あんま効果無かったしなぁ」
「どっちかというと嫌われたんだろ」
「な、なわけねーだろ!」
立ち上がって腕を横に振って否定する曇妬。
「じゃあ何して嫌われたんだ」
「だから嫌われてねーって。俺は俺なりに櫻木さんと話そうとしたり、何かしようとしたりしたんだよ」
「結局のところは話そうとしてただけだろ」
「まぁ……そうだな」
「お前も柊茄と同じ策だったってわけね」
「じゃあ他に何があるんだよ。見ず知らずの人と打ち解けようとするんなら話するくらいしか無くね?」
「…………」
一牙は反論できなかった。正論だったからである。話以外にもスポーツやレクリエーションなどで打ち解けられる場合もあるが、大体の場合は会話だ。会話で知らない部分を知って、その人のことをよく知らなければいけない。
だから柊茄も櫻木のことを良く知ろうとするために積極的に櫻木に話しかけていたのかもしれない。
曇妬も話そうと努力していたのだ。
二人に共通する点。それは自分から櫻木に近づこうとしていたのだ。
その点一牙はどうだ。学級委員の仕事のことしか学校で話すことはなく、店で話す他愛ない話のほとんどは櫻木が切り出している。一牙は仕事をしているため、自分から話を切り出すことはあまりしない。現に柊茄や曇妬と話す場合も向こうから切り出してくることが多いのだ。櫻木が話の本題を出していると言うことは、櫻木は一牙のことを知ろうとして話かけているのではないだろうか。
櫻木は一牙に近づこうとしていたのではないだろうか。
逆に自分は櫻木からを遠ざかろうとしていたのではないだろうか。
自分から助けようとしていたのに、いつの間にか自分から逃げていたのだ。
「だろ?」
「そうだな。お前の言う通りなのかもしれん」
「ま、話のタイミングはそっちが決めりゃあいいだろ。俺が決めることじゃないしな」
「珍しくいいことばっか言ってるな」
「俺だってたまにはいいこと言うわ!」
「はいはい、悪かった悪かった」
バカげている様に見えて案外内心は色々考えているのかもしれない。六輪曇妬という人間はこういうものなのかと改めて認識させられた一牙であった。
「あ、そうだ一牙。今の内に今日の注文しといていいか?」
「別にいいぞ」
「えっと……んじゃ、オレンジソーダにピザトーストでよろしく!」
「チーズの追加はするか?」
「え? できんの? メニューに書いてなかったけど」
「常連特別サービスさ。チーズの追加料金は五十円」
「じゃあ追加でー」
「承りました」
一牙はいつも制服に忍ばせている注文用の手帳と取り出して、曇妬の注文をメモし始めた。
メモし終わると手帳をパタンと閉じて制服の内ポケットに入れる。
「おし、教室戻るか」
「おっけー」
さっきまで食べていた昼食のゴミを手に持って、二人は屋上を後にした。
一牙は今日、櫻木が店に来たら真実を伝えようと心に決めた。
同時刻、柊茄と櫻木は中庭で昼食を取っていた。中庭の木々の周りには、工作が好きな先生が趣味で作ったというベンチが置かれており、生徒たちの憩いの場となっている。二人もそのベンチに腰掛けていた。
柊茄の方は母親が作った弁当で、櫻木は購買で売っているレタスサンドイッチだった。
櫻木は丁寧に包装を取り、小さな口でサンドイッチに齧り付く。レタスのみずみずしさはまだ残っており、マヨネーズが味の決め手となっているようだ。
隣の柊茄の弁当は緑が多めのヘルシーな弁当だ。カロリーは放課後に如月喫茶で摂取するため、昼は少なめなのだ。
柊名が薄緑色のはんぺんを口に含むと、櫻木が話しかけてきた。
「あ、あの……森宮さん……」
「ん? なーに櫻木さん」
柊茄は咀嚼しているはんぺんをすぐに飲み込んだ。
「私ってカウンセラーの人に避けられているのでしょうか?」
「どういうこと?」
「最近そう思えるようになってきたのです。私が店に行くと今日は休みだったり、昼出勤だったり、ちょうど帰ったりと。まるでカウンセラーの人が私を避けているような気がして……」
「…………」
柊茄は黙って聞くことしかできなかった。自分も一牙のことを隠し通している共犯者なのである。櫻木の気持ちは理解できるが、自分から明確な助言をすることは難しい。
限界が近づいてきていると思った。
「私のタイミングが悪いのかもしれません。カウンセラーの人だって都合というものがありますわ。カウンセラーの人の都合を踏みにじってまで、話したいとは思いません」
「…………」
「傲慢だと言うのは承知の上です。見ず知らずの人に私のことを話してアドバイスを貰おうだのと勝手が良すぎます。ですが、私はカウンセラーの人にどうしても話したいのです。これがきっと最後なのかもしれないのですから」
柊茄は櫻木の表情を見た。
それはまだカウンセラーの人と話せていない悲しさと、最後かもしれないと言い切った覚悟の表情が入り交じっていた。
「森宮さん、私はどうしたらいいのでしょうか?」
櫻木がどんな思いを持っているのか柊茄は知らない。別に自分から知りたい等と思わない。他人の思想に入るのは厳禁だ。
だが、そんな柊茄には言いたいことが一つあった。
自分の弁当箱を側に置いて、一呼吸置いて話し始める。
「櫻木さん。私はあなたがカウンセラーの人に何を話したいのかは知らない。確かにタイミングが悪いのかもしれないわ。だけどね、一つだけあなたに言いたいことがあるの」
柊茄は櫻木の方を向いた。視線は目。目と目を合わせて。
「カウンセラーの人じゃないとダメなの?」
「——えっ」
小さく漏れた櫻木の驚き。きょとんとした櫻木の視線は柊茄をずっと見つめていた。
「確かにカウンセラーの人は偉大よ。私やあなたが持ってる悩みとか全部聞き入れて受け止めてくれるもの。そうして答えを導き出してくれる。一番の最大の味方よ。でもね、一番の味方じゃないといけないの? 私はそうは思わないわ」
「——っ」
櫻木は胸が詰まるような錯覚を感じた。だが、その錯覚は何かを解いてくれそうな柔らかい感覚だった。
だけどまだその何かを解いてくれそうな答えには感じない。
「一番の味方は他にもいるはずなの。カウンセラーの人だって悩んだ時って、自分に相談して自分で解決するわけないでしょ。そういう人もいるかもしれないけど、大体の人って身近な誰かに相談すると思うの。身近な誰かって誰だと思う?」
「そ、それは……」
口ごもる櫻木。柊茄を見ていた視線はいつの間にか下に落ちていた。
「家族、友達、近所の人、知り合い、カウンセラーの人のような専門家っていうように相談相手はいっぱいいるのよ。何もカウンセラーの人に限定しなくてもいいの。自分の本音を話せる人、それが一番の味方だと私は思ってるわ」
「…………」
「櫻木さんにとって一番の味方はカウンセラーの人かもしれない。じゃあ二番目の味方は? 三番目の味方は? 味方は多ければ多いほどいいの。別に無理して見つけようとしなくてもいいわ。焦らずゆっくりと見つけていけばいいのよ」
パン。柊茄は両手で一回叩いた。
「はい、これで私の言いたいことは終わり」
柊茄は側に置いていた弁当箱を持って、昼食を再開した。隣の櫻木はサンドイッチを小さく食べていた。
柊茄の話がどこまで櫻木に届いたかは分からない。もしかすると別方向で嫌な気持ちにさせてしまったかもしれない。だけど柊茄は言いたかったのだ。
櫻木は全然食べ進んでいないサンドイッチをスカートの上に置いた。
「森宮さん……」
周りの昼休みを謳歌している生徒たちの喧騒で聞き逃してしまいそうなか細い声。
「なあに?」
だが、その声は柊茄の耳にしっかりと届いていた。
「森宮さんにとって一番の味方って誰なんですか?」
訴えかけるように櫻木はやや声を張り上げた。その声は悲痛を含みながら、あなたを形成しているものは何なのかと聞かれているようだった。
ここまで来て一牙の存在をまだ隠し通すか?
この悲痛の疑問を無視して嘘を信じ込ませるのか?
否。そんなことをするのは森宮柊茄という人間ではない。
素直に言えばいいのだ。
それが櫻木を救済する手助けになるかもしれないのだから。
「私? うーんと……私にとっての一番の味方はママかな。学校であったこと、店であったことはいつも話してるの。ママってそういう話を聞くの好きだから。だけど、ママと同じくらいに頼ってる人もいるの。もしかするとママより一番の味方かもしれないかな」
「その人は誰なんですか?」
「一牙よ。如月一牙。困ったことはママもそうだけど一牙にもよく話すかな」
そうだ。これでいい。一牙もまだ隠し通す気なのかもしれないが、もうそろそろ諦めた方がいいと思う。共犯者の一人は黙って白旗を振った。
「如月さん……ですか」
「そ、一牙。幼馴染だからっていうのもあるかもしれないけど、話しやすいのよ」
「確かに如月さんはよく話しかけてくれますわ」
「櫻木さんも店で見たことあるでしょ? 一牙がよく店に来ているお客と話しているところ」
「はい」
「ああやって分け隔て無く接しているところから、私も一牙に相談することが多くなったの。仕方ないなって言いながらもちゃんと話は聞いてくれるしね」
「そう……ですか」
櫻木は小さく呟いてサンドイッチを食べ始めた。柊茄もこれでよかったと思いながら箸を動かしていく。
(もしかして私の探しているカウンセラーの人って……)
今まで見て来た光景と、今の柊茄の話を合わせるとある一人の人物像が浮かび上がってきた。それでもまだ確信には至らない。
「それに、櫻木さんの悩みがもしカウンセラーの人に相談できなかったら、私や一牙たちでよければ相談に乗るわよ」
「えっ……。でも……」
「何言ってるのよ。もう友達でしょ。辛いことがあるんなら苦しまずに吐いた方がいいわよ。抱え込むのってすんごい辛いんだから。でも辛かったら頼ってよね。私は櫻木さんの一番の味方になりたいんだから」
「——っ!」
今の柊茄の言葉に櫻木は背中に電流が走ったような感覚を覚えた。そして、心の奥底に掛けられていた自分を縛り付ける鎖が解き放たれたような気がしたのだ。
これがあの時泣いていた答えだったのかもしれない。
そうか。私は欲しかったのだ。
味方が。
「あ、でも無理しなくていいのよ。別に話したくないなら話したくないでいいんだし」
「……ふふっ」
初めて会ってから見たことない櫻木が笑顔を見せた。それが柊茄を少し戸惑わせた。
「あ、えっと……」
「そうですわね。私は意識していませんでしたが、もう友達という関係になっていたのですね。分かりましたわ。何かあったら相談に乗ってくださいな」
「……ふふっ。何なりとお嬢様」
柊茄は弁当箱を置いて立ち上がる。そしてスカートを摘まんで脚をクロスさせて頭を下げた。それはまるでメイドの仕草のように。
「我が家のメイドはそんなことしませんわよ」
「そうなの? てかやっぱいるんだメイドって……」
「森宮さんは将来メイドご希望で?」
「いやいや、そんなことはないわよ。ただテレビで見たからやってみたかっただけ」
「そうでしたの。最近のメイドは面白いですわね」
「そ、そうね……」
若干顔を引きつらせながら他愛ない談話をして二人は昼休みを謳歌していった。
答えの見つかった櫻木は決心した。
孤高の存在はもう止めだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます