第1巻-第11幕- テスト後の一時
どうやら今日から部活が本格的に再開しているらしく、野球部とサッカー部の合同のランニング声や、吹奏楽部のトランペットやトロンボーンの音色が聞こえてくる。
部活に入っていない一牙にとっては関係の無い話である。
一牙と柊茄、自転車を押している曇妬の三人組は歩道を横一列に並び帰路についていた。向かう先は全員一緒、如月喫茶である。
「そういやお前、永センに呼び出されてなかったな」
「あっ、そういや!」
「机に無造作に置いてあったら流石に怒り出すかと思ってたけど、そうでもなかったみたいだな」
「よかったー。これで俺の寿命があと一年延びたぜー」
叱られて寿命が縮むなら、この世の人間の寿命はかなり短いだろと突っ込む一牙。
「おっと、信号変わってんじゃん」
大通りの交差点の信号が赤に変わる。進行方向の信号も赤に変わり、一牙たちは信号が変わるまで暫く待つ。周りには下校中と思わしき中学生や小学生の集団がいる。
「そういやあの綺麗な人、今日もいるかなぁ?」
「お前が見たっていう白いワンピースの人か?」
「そうそれ」
「いないんじゃない? 連日で様子見に来るなんてことはしないはずよ」
「そうかぁ? 俺としちゃ昨日は緊張して入れなかったから、今日は勇気振り絞って入ってみましたっていう展開を期待してんだけど」
「どこのラブコメよそれ」
一牙は曇妬の意見の方に賛成している。緊張したのか、様子を見に来たのか、どういう理由で来ていたのか分からないが、少なくとも如月喫茶に興味を持っていることは確かだ。たとえ今日来なかったとしても明日、明後日に来たりすることもあるだろう。
一応帰ってから、隆善やアルバイト従業員に聞いてみようと思った。
「えー? ないか?」
「ないわよ」
「一牙はどう思う?」
「どうって言われてもな……。まぁ昼ぐらいには来てたんじゃないか? 昼時なら店も賑やかになってるだろうし、入りやすいと思う」
咄嗟に考えた言い訳に関しては理に適っていると思った。思うだけでなく、実際にそうであって欲しいと一牙は考えた。
「だろ?」
「うーん……あり得なくはないけど……」
「別にそこまで深く考えなくても良いんじゃないか? 俺たちが関わるわけじゃないんだし」
「……それもそうかも」
「俺関わりたいんだけど」
唇を少し尖らせながら曇妬が拗ねたように言った。
「面倒なことに巻き込まれそうだからやめてくれ」
「えーっ。一牙って俺の味方じゃねーのかよ」
「時と場合による」
「ぶーっ」
隣に小学生がいるのにその発言はどうなのか。
一牙の疑惑は見事的中し、小学生の一人が曇妬の方を指さして笑っていた。これには一牙と柊茄も空笑いを浮かべざるを得ない。当の笑われている本人は何のことか理解できていなかった。
短気な大人みたいに「コラー! ガキども!」と叱らないだけ曇妬の温厚な性格が出ているのはいいことだ。ただ、せめて叱らずとも曇妬自身が笑いの種であることを自覚して欲しいと思った一牙であった。
カッコー、カッコー——
「お、変わった」
信号が青に変わり、東西南北の方向を示す信号の音が鳴る。一牙たちは渡る中学生や小学生を邪魔しないように少し早足で駆け抜けた。
「で、今日も花びらパンケーキか?」
「うーん……それもいいんだけど……うーん……どうしよ。どっちにしようかなぁ」
「抹茶気分の方が高そうだな」
「あ、分かった?」
「抹茶ラテと小豆抹茶パフェだろ。用意しておく」
「よっろしーく」
「何で分かったんだ?」
特にそれといった言葉の交わし合いもしていないのに、理解した一牙を曇妬は感心していた。
「何となくか? 長い年月こうやって一緒にいると何となく分かるようになってきたんだよ」
「そう。以心伝心ってやつ?」
「……素直にすげぇな。やっぱ一緒に店継いだら?」
「「それはない!」」
重なる一牙と柊茄の否定。曇妬はその勢いに少し圧倒された。
「お、おう……なんつーか。その……すまん」
「分かればいい」
「……俺、何で謝ってんだろ?」
一人聞こえない声量で自問した曇妬であった。
その後、今日のテストの内容を思い出しながら答え合わせをしたり、昨日見たテレビ番組の話をしながら三人は国道から住宅街へ移る。
近所のご老人たちが世間話をしており、一牙たちを見かけると「こんにちは」と挨拶をしてくる。一牙たちも「こんにちは」と挨拶を交わして如月喫茶へと向かっていく。
「それじゃ、カバン置いたらすぐ行くね」
如月喫茶前で柊茄と別れる。苦笑いを浮かべるほどの猛ダッシュで帰って行った柊茄を見て、早めに用意しておかなければと考えた一牙であった。
「んじゃ先に座っててくれ」
「りょーかー」
一牙は学校帰りでも店の入り口から入らない。ちゃんと裏口の家に繋がる玄関から入っている。
鞄を置いて制服を脱ぎ、如月喫茶のエプロンを着用して厨房へ。
厨房には隆善と舞柚が椅子に座って、仲良く新聞を読んでいた。
「ただいま」
「おう、お帰り」
「おかえり」
「あ、母さん。小豆抹茶パフェ一つ。柊茄の分」
「はいはい。分かったわ。曇妬君は?」
「今から聞いてくる」
ホールに出ようとしたが、あることが頭を過ぎった。
さっき下校時に話していたワンピースの人のことだ。
「なぁ母さん。白いワンピースの人って来たか?」
「え? 来てないと思うけど……」
「父さんは?」
「さぁ? 見てねぇな。お前、その人に何か用なのか?」
「いや、別に。ただ……いや、何でも無い」
ホールへ出ると今日はがらんとしていた。アルバイト従業員ももう上がったようである。アルバイト従業員にも話を伺おうと思っていたが、これは明日聞いた方がよさそうだ。
現在の時刻は午後の四時付近。普通なら昨日と同じように三組くらいのお客がいるはずなのだが、今日は曇妬を除いてゼロだ。少し寂しい雰囲気が漂っている。
確実にお客がいるとは限らない。店というのはお客が来たいから来る所であるのだから。お客が少ない日だってある。
鞄を椅子の上においていつもの席に座っている曇妬は、まるで我が家のように寛いでおり、携帯を触っていた。机にはメニュー表が広げられており、さっきまでメニューを決めていた証だ。
「で、何にすんだ?」
「レモンフロートと……ハムサンド」
「ハムサンドはトーストにするか?」
「トーストで」
「おっけ。ちょっと待ってな」
一牙は曇妬から聞いたメニューを隆善と舞柚に伝える。
「ハムサンド一つ。トーストで。それと母さん、フロート用のアイス出しといて」
「ハムトーストだな? 任せとけ」
「分かったわ」
ハムサンドは隆善が作る。柊茄の小豆抹茶パフェは舞柚の出際の良さもあってもうすぐ完成しそうだ。時間的にもそろそろ柊茄は来そうなので、作り終わったタイミングで来店しそうだろう。
一牙はフロート用の冷えたガラスコップを取り出し、サーバーからレモンジュースを出す。六から七分目くらいまで入れると、大きな氷を表面が埋まるくらいまで入れた。その氷の上にバニラアイスを乗せ、スプーンをコップの中に入れるとレモンフロートが完成する。
「ほらよ」
「あんがと」
曇妬はレモンジュースを少しだけ飲むと、上に乗っているアイスを食べ始めた。
「一牙、パフェ出来たわよ」
「分かった」
カランカラン。
「やほー。来たわよ」
ナイスタイミングと言わざるを得ない柊茄の来店。いつもの席に座った柊茄の前に出来たばかりの小豆抹茶パフェを置く。さらに曇妬のレモンフロートを作りながら同時進行で作っていた抹茶ラテも出した。
「あれ? 何かいつもより抹茶アイスの量多くない?」
「まぁ……確かに」
柊茄に言われて、一牙もいつも見るパフェのアイスが少し多いように感じた。
「うふふ、ちょっとだけ私からのサービスよ」
「ありがとうございます!」
カウンターから舞柚が言った。なるほど、舞柚のサービスならアイスが少し多いのも納得がいく。
柊茄は抹茶アイスと小豆を一緒のスプーンに掬って口の中に入れた。
「うーん! 美味しい!」
まだアイスの時期である夏じゃないとは言え、パフェのアイスは何故か食べたくなる。きっと今年の夏もパフェ目当てで来るお客が増えればいいなと一牙は思った。
「そういや今日は全然人いないな」
「そういう日もあるさ」
「ふーん。てっきり俺はあの白いワンピースの人が来てるかなーって思ってたけど」
「さっき母さんたちに聞いたけど、来てないっぽいぞ」
「そっかー。じゃあ今日はもう来ないんだな」
「ほら言ったでしょ。連続で様子を見に来るなんて」
「うむぅ……」
曇妬は何故か納得がいっていないようである。
「きっと明日。明日こそは来るはず!」
「どういった根拠があって言ってるのよ」
「えっと……」
曇妬は口ごもって考えはじめた。が、出てきた答えは——
「な、何となくだ!」
「身も蓋もないわね」
「だな」
「んだよー」
いじけたようにアイスをちびちび食べる曇妬。一牙も曇妬の気持ちが分からなくもなかった。
「おーい一牙。できたぞ」
隆善に呼ばれて曇妬が注文したハムサンドを取りに行く。トースト仕立てのパンには綺麗な焦げの茶色が付いており、隙間から覗くレタスとハムが食欲を掻き立てる。
「ほら、ハムサンド」
「おっ、サンキュー」
食べやすい大きさに切りそろえてあるハムサンドを曇妬は一つ鷲づかみにして、大きな口で齧り付いた。ザクザクとパンの音色が聞こえてくる。
「おほー、うんめっ!」
十噛みくらいしてから飲み込むと、また次のハムサンドを手にとって齧る。
「アンタ、夕飯食べられなくなるわよ?」
「これは別腹」
「あっそ」
柊茄にも同じ事が言えると一牙は心の中で苦笑いを浮かべた。多少のサービスはあったものの、割と小豆抹茶パフェはボリュームがある。全部完食したとして夕飯は大丈夫なのだろうか。
と二人の夕飯の心配をしていると——
カランカラン。
「いらっしゃいませ」
来店の鐘の音。反射的に言う「いらっしゃいませ」の挨拶。早速来たお客を席に案内しようとするが、一牙は来店したお客を見て固まった。
「さ、櫻木!?」
来店したのは櫻木財閥の令嬢、櫻木麗歌本人だったのである。
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