第1巻-第10幕- 孤高の存在

「…………」

「…………」

 朝食を食べ進める食器の音が部屋に反響する。会話をしない二人の人物は愛想の無い表情でお互いに朝食を取っていた。

 そこはまるでどこかの城の食堂を思い浮かべるような広い部屋であり、中央には長いテーブルが白いテーブルクロスを敷かれて鎮座していた。等間隔に並べられた椅子と机の上の燭台。窓から差し込む朝日が机の中央を照らしていた。

 朝食を食べている二人は机の端に向き合うように座っており、周りにはメイドや執事姿の人物が目を閉じて立っている。一ミリも全く動かないその姿は生きている銅像のように見受けられる。

 二人の朝食はご飯、味噌汁、焼き魚と山菜の胡麻和え、壺漬けというどこかの定食屋みたいなものだった。

 魚を解して身を箸で摘まみ、ご飯と一緒に食べる櫻木麗歌。行儀良く三十回以上は噛み続けて飲み込む。ご飯の茶碗を置き、味噌汁の入った器を手にとって啜る。

 反対に麗歌の向こうに座っているのは男性。名を櫻木凜之介さくらぎりんのすけと言い、現櫻木財閥の社長である。

 お茶を飲み干し、側にいたメイドに茶を入れるよう言う。メイドは慌てる素振りを見せず、凜之介が飲み干したコップにお茶を注いでいく。凜之介の皿や器は全て空になっていた。

「それでどうだ。学校は」

 五十を過ぎてもまだ威厳のある低い声。凜之介はお茶で再び喉を潤してから麗歌に問いかけた。

 麗歌は箸を一旦置き、キリッと見据えた視線で答える。

「特に問題はありません」

「そうか。それならばよい。お前も櫻木財閥の次期当主なのだから、くれぐれも私の顔に泥を塗るような真似はするな」

「心得ております」

「して今日の麗歌の予定は」

「はっ」

 麗歌の後ろにいた執事姿の若い男性が、胸ポケットからメモを取り出す。

「麗歌お嬢様の本日の予定は学校へ。そしてご帰宅後、ご夕飯の時間を挟んで経済学の教授から経済学を二十一時まで学習されます。二十一時から二十三時までの間はダンスレッスン、二十三時から二十四時までの間は学校で学ばれた内容の復習となっています」

「良かろう。しっかりと務めを果たせ」

「はっ、承知しました」

 執事姿の男性は一礼して、一歩後ろへ下がる。

「して麗歌。新しい学年に上がったからといって気を抜いておるまいな」

「いえ」

「次期当主たるもの、常に頂上に君臨し続け、孤高の存在であれ。お前は他人とは違う。他人よりも地位が高い特別な存在であるのだ。いずれお前は世界を繋ぐ架け橋となる。くれぐれも忘れるな」

「はい」

「分かったのであれば箸を動かせ。時間に遅れるな」

「はい」

 凜之介は席を立ち、食堂から出て行く。その後ろを別の執事姿の男性がついていった。

 麗歌は言われた通り箸を動かして朝食を食べ進んでいく。

 さっきまで味のしていた朝食が、突然味がしなくなり美味しくなくなった。


 規定の時間に家を出て通学路を歩いて行く。

 車の通りが激しい時間帯の国道は常に大渋滞を起こしており、ドライバーの表情が険しい。麗歌は下を向きながら興味無さそうに国道の横断歩道を通り過ぎる。

 常に頂上に君臨し続け、孤高の存在であれ。

 凜之介がよく使う言葉である。麗歌も子供の頃から嫌と言うほど聞かされてきた。

 どういう意味かと聞くと凜之介は麗歌の頬をひっぱたいた。それ以来、麗歌はその言葉の意味を自分で模索し始め、理解することとなった。

 社長などの頂上の地位に立つ者は、常にその頂上に居座り続け、孤高で特別な存在でいろという意味だ。

 それは学校生活でも当てはまる。

 頂上とはクラス内、学校内の頂上のこと。生徒会長は三年生でしかなれないため現段階では学校内での頂上君臨は不可能。消去法的にクラス内の頂上となるしかない。

 クラス内の頂上とは何なのか。学級委員がそれに当たる。さらにテストの順位は学年内のことになる。

 麗歌は学年内とクラス内の頂上に今も尚君臨し続けているのだ。しっかりと凜之介の言ったことを守っている。

 そして孤高の存在。誰もが麗歌を財閥の令嬢として見ているため近づこうとしない。未分の違いを弁えているからだ。

 今も麗歌は一人。孤高の存在になっているのだ。

 今日だって一日テストなのだ。凜之介の言う通り気を抜いていると頂上を奪われる。気を引き締めて今日の学校を望もうと決めた。

 とある気になった話の内容を押さえつけて封印しながら水無月高校へ脚を運ぶ。


 ♢   ♢   ♢


 翌日、やや早めに学校に登校した一牙は机の上に参考書を広げ、テスト勉強をしていた。

 去年習った範囲なのだから出来て当たり前だ。ただ、当たり前と思い込みすぎていると足下を掬われてミスをしてしまう。自分は出来るし問題無いだろうという考え方ではなく、自分は出来るけどもう一度出来るかどうか確認してみようという姿勢が大事なのだ。

 もしかするとこれが成績上位に居座っている考え方なのかもしれない——

「まさか」

 というのは邪念だろう。一牙は雑念を振り払って参考書の問題に目を向けた。

 二次関数、正弦定理、余弦定理、相関係数など、一牙にとって不安な数学を主に勉強していく。参考書に書き込むと次見直す時に答えが分かってしまうので、適当な大学ノートに書く。後でこの大学ノートを見直すと何をしていたのか分からないかもしれないが、書いていたという記憶は脳に焼き付くので、こう言う問題をやっていたんだと思い出すことができる。

 黙々と勉強している姿は周りにも影響しやすく、一牙の姿を見ては自分もやっておかないと、去年の教科書を取り出して勉強し出す生徒が出始めた。

 この姿によって「コイツは真面目な奴だ」と印象づけられるかもしれないが、別にそれで構わない。元から真面目なのだし、そこに否定する理由など無い。

「やほー一牙おっはよー」

「よー一牙!」

 と七時五十分を過ぎたくらいから柊茄と曇妬の二人組がやってきた。一牙は「おはよう」とだけ言って勉強に戻る。

「ちょっと一牙? 俺に勉強教えてくれる約束だっただろ?」

「あ、ああ。そうだったな。この一問解いてからにしてくれ」

「早く解けよ」

 曇妬の言葉通り一牙は三十秒程度で問題を解き終わった。何の変哲も無い関数の直線と直線が交わった点を結んだ三角形の面積を求める問題だったので時間はかからなかった。

 一牙は参考書とノートを曇妬の机に置き、自分は椅子の向きを曇妬の方に向けて座る。柊茄も椅子を曇妬の方に向けて、話を聞く態勢を取っていた。

「で、お前は何を教えて欲しいんだ?」

「全部!」

「って言うなよ」

「ぶーっ」

「全部なんか教えれる時間ないだろ。あと二十分くらいで朝のSHR始まるんだからさ」

「じゃあ数学」

「私は後で理科教えて」

「はいよ」

 一牙は朝のSHRが始まるまでずっと曇妬と柊茄の勉強を見てやった。柊茄の方は問題なさそうだが、曇妬は問題大ありだった。

 簡単な集合問題や式の整理すらできなく、一から教えていたため一牙はエネルギーをかなり消費した。

 朝のSHRが終わり、永嶋先生が出て行く。生徒たちは鞄を廊下に出し始め、机の上にはシャーペンと消しゴムしかない。

 これはカンニングを防ぐための一種の方法だ。テストが始まる前には先生が机の中を確認し、カンニング用のものが無いか確かめる。もちろん、消しゴムはカバーを外すことが義務づけられている。

「ほらもう始まるぞ。勉強は終わりだ」

「ま、待ってくれ一牙!」

「十分やっただろ。後は思い出しながら解いてけ」

「一牙! 一牙ぁー!」

 曇妬を無視して廊下に出してあった鞄の中にノートと参考書を仕舞う。携帯の電源は鳴らないように切っておき、筆箱からシャーペンとカバーを取り外した消しゴムを取り出して席につく。

 右隣の鞄は柊茄のものであり、柊茄も勉強した部分を最後の足掻きのように見ていた。

「よし、覚えた。昨日のパンケーキの糖分もまだ頭の中にあるしいけるいける」

 確かにクリームには大量の砂糖を使っているが、翌日まで残っているものなのか疑問に思った。

 左隣の鞄はやけに高級そうな鞄だなと思ったが、その所有者は横を見れば一目瞭然だった。

 櫻木のものだったのである。

 櫻木自身も最後の見直しと言わんばかりにノートを真剣な表情で見つめていた。その目には上位入賞を目指しているかのような使命感が伺える。

 学年一位たる王者であれど、見直しは常に欠かせないものなのかと一牙は心のどこかで納得していた。

「……なんですの?」

 どうやら櫻木の方をずっと見ていたようで、櫻木が怪訝そうな表情で一牙を睨んでいた。

「べ、別に何も……」

「そう。でしたら私の勉強の邪魔だけはしないでください」

 嫌われたな。一牙はそう確信した。

 櫻木の了承も無しにずっと見ていたら不思議に思われてもおかしくない。最近は見ているだけでセクハラだと訴えられる世の中になっているのだ。

 やがて授業開始前の予鈴が鳴り、中年の男性教師がテスト用紙を持って教室に入ってくる。

 各自隣の人とカンニングができるものがないか確認し合い、最後に先生が全員の机を見て回る。

 特に問題は無かったらしく、普通にテストが始まった。

 中年の男性教師がテスト用紙を配り、生徒は後ろに回していく。

 キーンコーンカーンコーン……。

「始め」

 授業開始の本鈴が鳴り響き、中年の男性教師の合図と一緒に、シャーペンを持ってテスト用紙を裏返して問題を解いていく。

 一限は数学のテスト。一年生で習った範囲がてんこ盛りであり、さっき勉強していた問題ばかりである。面白いほどシャーペンが進み、数式を解いていく。気付いた頃には二十分くらいで全ての問題が解き終わっており、見直しする時間も大量にできた。

 さりげなく横目で柊茄を見ると、特に苦戦している様子は見当たらない。消しゴムを使う回数が多いように感じたが、消しゴムの使用回数は人それぞれだ。

 反して曇妬は真後ろにいるのでどういう状況なのか掴めない。だが背後から伝わる謎の視線は曇妬のものだとはっきり分かり、苦戦していることが分かる。小さな声で「うーっ」と聞こえることから、かなり苦戦しているようだ。

 だがいくら唸ってもどうすることもできない。カンニングに協力しただけで犯罪なのだ。

 あとは頑張れと左手の親指を立てて一牙は見直しをする。

 指数間違い無し、符号ミス無し、計算ミス無し……。

(よし、これでいいだろう)

 何回も見直ししたし、計算も何度もやり直した。知らないところでミスがあるかもしれないが、満点に近い点数を取ることができるだろう。

 キーンコーンカーンコーン……。

 テスト終了のチャイムが鳴り響く。

「よーし、後ろから前に渡せ」

 中年の男性教師の一言で、後ろの生徒が前の生徒にテスト用紙を渡していく。

 無言で肩に乗っけてきた曇妬のテスト用紙を取って、前の生徒にぎこちない言い方で渡す。

「で、出来たのか?」

「んなわけーねーじゃん」

「堂々と言うな」

 時間が少なかったとは言え、基礎の基礎は教えたつもりだ。さっき渡された曇妬のテスト用紙を見てもほとんど白紙だったように見えた。

 そんなことを考えていても埒があかない。テストは今日一日で五教科もあるのだ。しっかりと気を引き締めて望まないと、悪いスタートで新学期が始まってしまう。

 二限に国語、三限に英語のテストを行って、普段の授業日程より早い昼休み。その後四限に理科、五限に社会のテストを行って今日の学校は終了となる。

「はーい、それじゃあテスト前の方に渡して」

 三十路を過ぎた女性教師がパンパンと寝ている人を起こすかのように手を叩いて、テスト用紙を回すよう言う。寝ていたのは曇妬だけでなく柊茄もそうだった。見直しが終わって前の方を見ていると櫻木も舟を漕いでいたように見えたからだ。

 いつまで経っても後ろからテスト用紙が回ってこないので、一牙は曇妬の頭をチョップし、涎が染みついたテストを「うへぇ」と思いながら重ねて前の生徒に渡した。

「ふぁー、よく寝た」

「よく寝たじゃねぇだろ。お前ほとんど白紙だったぞ」

「だって分かんねぇんだもーん」

「お前よく進級できたな」

 毎回曇妬のために補習を行ってくれる先生に一牙は感謝した。補習を受けて欠点を解消しないと進級は出来ない。曇妬が進級できたのは、進級させようと補習を行ってくれた先生の尽力に過ぎない。

「SHR始めるぞ」

 永嶋が入ってきて帰りのSHRが始まる。とは言っても昨日と同じように特にそれといった連絡事項はなかった。明日の授業日程、体育の集合場所、その他役員決めを行うといった連絡をしてSHRは終わった。

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