第1巻-第9幕- 店の在り方と流れる日常
「今の言葉聞くと一牙って経営者の思考してるよね」
「そ、そうか?」
そんな経営思考の発言なんかしてないように思えるのだが。旬のものを美味しく食べるには管理だって大変ということを言っただけのはず。
「ってことはやっぱこの店継ぐんだ」
「当たり前だろ。俺はこの店が大好きだから、後世に残していきたいって思ってる。お前だってこの店が無くなるのは嫌だろ?」
「そりゃあね。この店無くなっちゃったら、私の存在意義って何? ってなるもん」
「そこまでか……?」
「そこまで」
予想以上に柊茄はこの店に依存しているようだ。それが店的には有難かったりするのだが、幼馴染の立場からすると不安でしかない。
「あれだな。一牙と柊茄が結婚して一緒にこの店を継いでいけばいいんじゃねぇの?」
いつの間にか泣き止んでいた曇妬が、屈託の無い笑顔で爆弾発言を投下した。
「「はぁ!?」」
全く一緒のタイミングで二人の声が重なる。
その様子に店にいた客やアルバイト従業員が「何だ!?」と怪訝そうに一牙たちのテーブルを見た。
「ななな、何言ってんの? わわ私が、いい一牙と、いいいい一緒とかないから!」
「落ち着け柊茄」
明らかに動揺している柊茄。頭からパンクした煙が見えている……ように感じた。
「えー、店残したいなら一緒に継ぎゃあいいのに」
「だだだとしても、いい一牙と結婚とかないから!」
正直言って一牙もわざわざ柊茄を嫁に迎えてまで店を継ぎたくは無い。一人で継ぐのは大変なのは分かるが、今はそれを考える時期でもないだろう。
「もし俺が柊茄の立場だったら、一牙と結婚してたかもな」
「すまん素直に気持ち悪い」
反射的に早口で答えてしまった。でも今のは不可抗力の反射なのでノーカウント。
「ひっでぇな」
「元凶はお前だ」
ポスッと片手チョップでツッコミを入れておく。
「まぁでも一牙と一緒にこの店を継ぐ人っているんか?」
「それは端的にこの店が寂しいから誰も継ぎたくないだろーっていう考えか? もしそうだったらぶん殴るぞ」
「なな、なわけねーよ。ただ一牙を好きになる人がいるのかな……って」
「…………」
「ごめんなさい訂正しますというか撤回します」
「お前はもう何も喋るな」
完全に元に戻った曇妬の相手をするのは少し疲れる。
冷えた苺オレを体に流し込んでリフレッシュ。苺と牛乳の甘さが体に染み渡っていく。
「でも同じ経営者って考えると、櫻木さんと一牙って案外良かったりするんじゃない?」
「どういうことだよ」
「だって櫻木さんって櫻木財閥の令嬢じゃん? 経済のこと何でも知ってそうだし、もし一牙と櫻木さんがくっつけば、櫻木財閥の支援も加わって一石二鳥以上だと思うんだけど」
一牙は間髪入れずに否定した。
「それはないだろ」
「どうして?」
「まずここは喫茶店で向こうは財閥だ。経営の動きが全く違う。ここは店のことだけ考えていればいいが、向こうは市や国、世界と関係を築いているんだからな。規模が違いすぎる」
一牙は人差し指と中指を立てて二を表す。
「二つ目。俺はこの店を継ぐし、多分櫻木も財閥を継ぐだろ? 立場的に。一緒になることが不可能だ」
確か現櫻木財閥の社長は相当な歳のはずだ。櫻木が大学を卒業する頃には、社長の座を譲り渡しているだろう。
薬指も立てる。
「最後に三つ目。俺と櫻木は今日知り合ったというか会話すらしていない。まずは人間関係を築き始めることから始まるんだから無理だろ」
以上が一牙が考えた結果である。
「うーん……そう言われるとそうよね……。ちょっと考えてなかったわ」
「だな」
「まだ高校二年生が始まったばっかだ。俺も経済を学ぶために大学にいくつもりだし、店を継ぐとかはかなり先の話になる。今は高校生活だけ考えてればいいと思う」
店を継ぐとか財閥を継ぐとか難しい話は今はまだ関係ない。いずれ関係する大きな障害となるが、高校生という未熟な時期で考えることではないだろう。
一生に一度しか無い高校生活。将来のことを考えるのは大事だが、まずは目先のことを考えて生活していけばいい。
「それもそうね。無理して考えることじゃなかったわ」
「まぁ一牙が店を継いだとしても、俺は常連として遊びに来てやるからな!」
「喫茶店は遊びに来るところじゃない」
「まぁまぁ、そんな細かいところ気にすんなって」
背中をポンポンと叩いてくるのが酔っ払いの絡み方のそれである。自分の将来よりも曇妬の将来の方が不安に思えてきた一牙だった。
一牙は空になった皿を持って席を立つ。
「あれ? もう仕事に戻るの?」
「ああ」
「もっとゆっくりすればいいのに。今日の入学式の準備だって大変だったんでしょ?」
「お前は俺の親か。まぁ、そこまで大変って程じゃなかったから大丈夫だ」
「そう? それならいいけど」
ミルクティーを飲み干す柊茄を横目に一牙は厨房へ。
注文も何も入ってなく、洗い物もしていない厨房を静寂が包んでいる。隆善は冷蔵庫の横にある椅子に座って寛いでいた。片手には苺オレが入ったコップを持っており、半分くらい残っている。
「ごちそうさま」
蛇口を捻り、皿とコップ、ナイフとフォークを水に浸して汚れを取る。
「どうだった?」
「うん、美味しかった」
「だろ? お前にも店を継ぐ時に教えてやるよ」
ぐいっとコップに入っていた苺オレを飲み干す。そのコップを一牙に渡し「ついでに洗っておいてくれ」と頼む。
一牙は黙って受け取り、洗い始めた。
「さって、明日の仕込みでもしようかね」
隆善は腕をまくって冷蔵庫から野菜を取り出した。それを慣れた手つきで洗い、皮を剥いて切っていく。
カランカランと店のベルが鳴り、アルバイト従業員が「ありがとうございました」と言っている。どうやら誰か帰ったようだ。
厨房からは柊茄と曇妬の姿がまだ見える。あの二人は閉店まで居座ることが多い。
数分後、アルバイト従業員が帰った客の食器類を持ってきて、一牙はそれを手作業で洗っていく。
「鷲田君、もう上がっていいよ。お客さん、そんなにいないだろ?」
「じゃあさっきのお客さんが帰ったテーブルを拭いたら上がります」
浮き足だったように台拭きを持っていくアルバイト従業員の鷲田。一分程度で台拭きは終わり、エプロンを脱ぎながら「お疲れ様でした」と言って厨房を通り過ぎていく。
ちょうど一牙も食器類を全て洗い終わり、濡れた手をタオルで拭く。四月とはいえ、まだまだ冷たい水は一牙の手をキンキンに冷やしていた。
「んじゃ一牙、あとはよろしく」
「はいはい」
アルバイト従業員は閉店まで働くことはほとんどない。店の後片付けなどは全部一牙が担当している。苦に思ったことは一度も無い。
「すいません、お勘定いいですか?」
ホールに戻った一牙に颯爽とかけられた一声。一牙は「はい、ただいま」と言ってスライドドアを引いてレジに向かった。
お客が持ってきた伝票を見ながらレジに商品を打ち込んでいく。
「キリマンジャロ二点にAランチセット。合計で一一五〇円です」
無言でカルトンに二千円を置くお客。一牙は本当に二千円かどうか確かめてからレジを操作する。
「二千円お預かりします」
ピッピッピッガッシャーン。
表示されたお釣りの金額を見て小銭を掌に乗せていく。
「八五〇円のお返しです。ありがとうございました。またお越し下さいませ」
レシートと一緒にお釣りの小銭をお客に手渡す。お客も「ありがとう」と言って店を出て行った。
二千円のお札を中に入れてレジを閉じる。
残りのお客はコーヒーを飲んでいるスーツ姿の男性と柊茄と曇妬の三人である。スーツ姿の男性はコーヒーを飲みながら腕時計で時間を気にし始めている。もうそろそろあの人も帰る頃合いだろうと予想する。
如月喫茶の営業時間は午前七時半から午後五時までで、定休日は火曜日。
まだ五時まで時間はあるが、時間を気にしているところを見ると、この近くで営業をするところなのだろう。どこの会社の人なのか分からないが、お疲れ様ですと一牙は心の中で労った。
多分あのスーツ姿の男性はもう注文はしてこないだろうと勝手に結論づけ、一牙はカウンターに戻って紅茶の茶葉やコーヒー豆の整理をする。足りないものは後で補充しようとメモに書き残しておき、整理できるものは優先的に整理していく。
コーヒー豆をブレンドし、茶葉の重さを量ってティーバッグに入れていく。こういった小さな仕事がお客を満足して喜ばせる第一歩に繋がるのだ。
こうして時折柊茄たちと話ながら作業すること数十分。スーツ姿の男性がお勘定を頼んできたので応対する。
「合計で七五〇円です」
差し出される千円。
「千円お預かりします」
ピッピッピッガッシャーン。
「二五〇円のお返しです。ありがとうございました。またお越し下さいませ」
カランカラン。
こうして店に残ったお客は柊茄と曇妬の二人だけになった。
「結構早いわね。この時間に私たち以外のお客が帰っちゃうなんて」
「そういう日もあるさ。まだいるのか?」
「うん、もうちょっと」
「同じく」
「まぁいいけど、明日課題テストあるから勉強しとけよ」
「あーっ!!」
大声で叫び出す曇妬。何事かと驚いた一牙であり、店内に客がいなくてほっとした一牙でもあった。
「やべぇよテストじゃん明日」
「店内で騒ぐなバカ」
今度は片手チョップではなく、平手で曇妬の頭をバシッと叩く。
「そっか、テストかぁ……」
「柊茄は大丈夫だろ?」
「まぁ……赤点ライン以上は出してるからいいけど、最近勉強してないから不安だなーって」
「え? この課題テスト赤点とかあんの? 補習とかあんの?」
「知らん」
この世の終わりみたいな闇のオーラを身に纏っている曇妬は「はは……」と不気味な笑いを浮かべながらコーラに映った自分の顔を見ていた。
「泣いたり喜んだり絶望したりって忙しいなお前」
「まぁ期末じゃないんだし補習は無いんじゃない? 先生たちも春は忙しいって聞くし」
「誰情報だよ」
「永セン」
「…………」
教師が生徒にそんなこと教えてていいのかと懸念を抱いた一牙。でも先生たちが忙しないのは中学の時も同じだったので、何となく永嶋先生の言いたいことは分かる。
「一牙ぁ。明日テスト前に何か教えてくれぇ……」
「私も!」
「別にいいけどよ……」
「やたー! サンクス!」
曇妬を覆っていた闇のオーラはいずこかへ吹き飛んだ。
「教えるのはいいが、ちゃんと勉強してこいよ」
「うっす!」
立ち上がって敬礼する曇妬。本当に分かってるのかコイツと思った一牙であった。
「あら、みんないらっしゃい」
厨房から大きな袋を持った女性が突然姿を現した。如月喫茶と刺繍を施したエプロンを着用していながらもちょっぴりラフなサンダルを履いている。すらっとした高身長の体格に似合わない程の重そうな袋の群団が主婦を醸し出す。さらっとしたロングヘアーは、手入れに手を抜いていないことが窺える。
この女性こそデザート係担当であり一牙の母、如月舞柚である。
「こんにちは」
「こ、こんにちは……」
柊茄はいつも接するように、曇妬はどこか緊張した面持ちで挨拶をした。
「あら? もうお客さんいないの? 早いわね」
「あの、桜の花びらパンケーキ美味しかったです!」
曇妬がやや震えながらパンケーキの感想を伝えた。
「うふふ、ありがとう。でもその言葉は私じゃなくて隆善さんに伝えてあげて。今日作ったのは私じゃないんだから」
「あ、そ……そうですね……」
あははと照れ笑いを浮かべる曇妬。
因みに何で曇妬が舞柚と話している時に緊張しているのかというと「だってお前の母ちゃんめっちゃ綺麗なんだもん! 緊張するだろうが!」とのことらしい。一牙はそれを聞いて、生まれて初めてそういう人がこの世にいるんだなと認識した。
家族ほど周りの目からどう見られているのか知らないものである。
「で、何キロあるんだよ、その袋」
舞柚が持っている袋の群団はどう考えてもかなり重そうな雰囲気を出している。
「あ、これ?」
ドスッ。
床に袋を下ろすと、擬音で無くても確かにそんな音が聞こえてきた。
「だいたい三十キロくらいかな?」
「…………」
舞柚の趣味はジム。定休日の火曜には行きつけのジムに行って体を鍛えており、体には見事な腹筋が出来ていたりしている。細い見た目とは違って実はかなりの肉体を持っているのだ。
一牙は少しだけ溜め息をついて袋の中を覗き込んだ。
袋の中には五キロの砂糖袋が三段詰まれていたり、今日の夕食であろう材料や大量の野菜、果物が入っていた。
全部合わせて三十キロは軽くオーバーしているだろうと一牙は推測する。
一牙は袋の中からティーバッグの入った箱とコーヒー豆の袋を持って、カウンターに回る。紅茶の場所に箱を置き、カウンターの下の間にコーヒー豆の袋を置く。
「表のものはこれだけか?」
「えっと表の袋は……はいこれ」
「ゲッ……」
舞柚が示したのはもう一回り大きな袋だった。袋の伸び具合から見ても七キロ以上はあるのが分かる。
中身は段ボールの箱がどっさり入っており、一番下には土の袋があった。
「とりあえずカウンターの下に置いておいて。今度私が何とかしておくから」
「何とかするくらいなら今買ってくるなよな……」
そう言いつつも一牙は重たい袋を両手で持ってカウンターの下に入れる。久しぶりに腰を使ったせいか、筋肉痛になりそうなくらいメリメリいった。
「ねぇ、柊茄ちゃん。今日の学校はどうだった?」
「一牙と同じクラスになりました。あと曇妬も」
「あらそうなの! ふふ、楽しくなりそうね」
「そうですね」
そうなればいいですけどねと内心でツッコミを入れる一牙。二人の会話が何故か不気味に思えてきた。
「それじゃ、ゆっくりしていってね」
と言って軽々と袋の群団を持ち去っていく舞柚。あの姿は家族から見ても常人ではないのでいつも驚かされる。
あとはこのまま閉店時間まで適当に柊茄や曇妬と話して、適当に仕事していようと考える。
住宅街の一角にある喫茶店なので、この時間帯的にお客が来る見込みは薄い。かといって閉店時間前に閉店するのはダメなことなので、しっかりと明日の営業に向けて準備しておかないといけないのだ。
「なぁ一牙。春休み中に起きたことなんだけどさ——」
「あのことじゃないだろうな?」
「何なに? どういう話?」
曇妬が話題を振って一牙が受け流す。そこに柊茄が加勢してさらに話の輪を膨らませていく。
何故だか今年の如月喫茶は去年以上に賑やかになりそうだと一牙は思った。
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