第1巻-第6幕- 如月喫茶の厨房にて
如月喫茶前に着くと柊茄は猛スピードで住宅地を駆けていった。そんなに急がなくても桜の花びらパンケーキは売り切れないんだけど、と一牙は苦笑しながら家に入る。
「ただいま」
おかえりと帰ってこない裏口から一牙は自分の部屋へ戻った。
如月家は店の上、二階にある。隆善の部屋、一牙の部屋、母親の
鞄をベッドに放り投げて、制服をロッカーにしまう。ネクタイを外し、制服と一緒に掛けると、その隣にある店の制服を着た。
『如月喫茶』と胸の部分に刺繍が施されており、落ち着いた白色と黒色のエプロンである。中学校の家庭科の授業で作ったものなのだが、意外と出来が良かったので今でも使っている。ネームプレートを安全ピンで付け、鏡で服と髪を整えた。
「よし」
そのまま階段を下って隆善がいる厨房へ。コック姿の隆善は伝票を見ながら、器用に右手と左手を交互に使って料理を作っていた。ジューッと肉の焼ける香ばしい匂いが厨房に漂っている。
隆善をじっと見ていると、腕が何本もある阿修羅のような錯覚を起こしてしまいそうな仕事ぶりである。
一分くらい待つと料理が出来たようで、皿に盛り付けて前に出す。出来た料理をホールの人が持って行く。
どうやら今の料理が厨房に来ていた最後のメニューだったようで、隆善は腰に手を当ててぐっと上体を反らした。
「くぅーっ」
上体を反らしている隆善は、いつの間にか厨房に来ていた一牙を見た。そしてそのまま反らしながら一牙と会話する。
「お、帰ってたか。おかえり」
「ただいま」
「そこにメシあるから食べてろ」
「ありがと」
愛想無い会話だと思われるだろうが、一牙と隆善にとってはいつものことだ。
櫻木財閥製のコールドテーブル冷凍庫の上に置いてあった昼食は炒飯だった。湯気がもくもくと立ち上っており、ついさっき作った証拠である。
一牙はスプーンを持ってくると「いただきます」と手を合わせて炒飯を頬張った。ごろっとした焼き豚にパラッってしているご飯、醤油がベースとなっており、味が絡まっていて美味しい。
七分くらいで食べ終えた一牙は「ごちそうさま」と言い、皿とスプーンを洗う。食器洗浄機は大量に洗い物がある時に使い、少量の場合は手洗いで済ませる。
タオルで手を拭き、消毒液を手にかけて厨房から店の方へ出ようとすると隆善に呼び止められた。
「一牙、学校はどうだった?」
「担任は永嶋先生、曇妬と柊茄と一緒のクラスになった」
「へぇー、よかったじゃねぇか。楽しい一年になりそうだな」
「そうかも」
とここで一牙は、隆善に頼まれていた染崎の言葉を思い出した。
「あ、父さん。染崎さんだけど」
「お、そうだった。で、アイツは何て言ってた?」
「寂しいんだなって笑いながら『今月中のどこかに行ってやる』って言ってた」
「へぇー、面白いこと言ってくれるじゃねぇか……」
隆善のこめかみがピキピキと動いている。これは怒っているのではなく、面白がっているのだ。普通の人が見たら間違えそうである。
「アイツが頼んだホットケーキやダージリンにワサビ入れてやろうか……」
隆善は染崎のいつものメニューをちゃんと把握している。厨房が見えるカウンター席に座っている染崎も、隆善がどのようにホットケーキを作って、どのようにダージリンを入れているのか知っている。飲み物は一牙がほとんど担当しているのだが、知り合いの常連の場合は別だ。
「やめた方がいいと思うけどなぁ」
「まさか、マジで実行するつもりはねぇよ」
「父さんならやりかねないんだよ……」
心配する一牙だったが、そういえばもう一つ言うことがあったのを思い出した。
「そういえば染崎さんが始業式にこの店のこと話してたよ」
「はぁっ!?」
隆善は目を白黒させながら大声で言った。ホール担当のアルバイト従業員が何事かと思って厨房の様子を見に来たが、一牙は「何でも無いです」と言ってその場を誤魔化した。
さっき料理を運んでいたってことは店に客がいるはず。迷惑ではなかっただろうか。
「おいおい、アイツマジで言ったのか……」
「まさか父さん……」
朝の会話が蘇ってくる。
「冗談半分に連絡してやったんだよ。『始業式に店のこと話してくれ』って」
「その文面だけだと、冗談だって通じないと思う」
「そうか……『できれば』って付けた方がよかったか?」
「いや、そういうことじゃない」
準備の時に染崎は隆善のことを話していなかったため、一牙が教室に向かって始業式に来るまでの間の出来事なのだろう。一牙自身もまさか始業式で店のことを話すとは思ってなかったし、朝の会話がフラグになっていたとは気付かない。
「ま、いっか。これで店のこと知った人が来てくれたらこっちも商売してる甲斐があるってもんだ。そういう意味ではよかったかもな」
「怪我の功名?」
「そう、それ!」
それでも一牙も染崎が話してくれたことは、客入りに繋がるのではと考えていた。
如月喫茶はまあまあの売り上げを出しており、繁盛している。住宅地の一角にあるため、来ないかと思われがちだが意外と来る。昼は住宅地にある小さな企業の分社の従業員やご近所の人、夕方は柊茄みたいな学生が来ることが多い。
また、ネットでの口コミもかなり評価が高く、『静かな雰囲気で凄くくつろげた』『この料理、すっごく美味しい』といった感想が書かれている。土日はネットの評判を見て来る人がいるほどだ。
染崎の言葉があの場にいた学生たちに響いたのであれば嬉しいのだが、辺鄙な住宅地の喫茶店に来るほど学生たちは暇じゃないはずだ。一牙も学校内でどう宣伝しようか考えているのだが、案が浮かばずに困っている。
「俺の方も店に興味がある人がいたら誘ってみるよ」
「頼んだぜ一牙」
「でも、染崎さんの話、みーんな興味なさそうに聞いてたから来ないと思うけど」
校長の話というだけで大抵の学生は興味を失うものだ。真剣に聞くのは教師と、大学受験の面接のためと思っている受験生くらいだろう。
とここで一牙は今気付いた疑問を隆善に飛ばす。
「父さん、母さんはどこ行ったの?」
そう。隆善と一緒に厨房を担当しているはずの舞柚の姿がなかったのだ。
「母さんか? 今買い出しに行ってる。さっき出てったばっかだからしばらくは帰ってこないぞ」
「ふーん」
買い出しなら仕方ない。パンケーキのようなデザート系は主に舞柚が担当しているため、柊茄のために準備してもらおうと思っていたのだ。
特に桜の花びらの形にパンケーキを焼く技術は舞柚くらいしかいない。そもそもこのメニューを開発したのは舞柚である。
「柊茄ちゃんか?」
「まぁ……」
「桜の花びらだろ?」
「…………」
舞柚のことを聞いただけなのに、柊茄のことだとすぐに隆善に見透かされてしまう。常連兼幼馴染の柊茄のことは隆善たちにもお見通しなのだ。
「母さんの綺麗さには及ばないが、俺も作れるぞ。ちょっと不格好だけどな」
どうやら隆善も作れるらしい。不格好と言っているが、柊茄は多分あまり形に関しては気にしないだろう。
「じゃあ父さんお願い。多分もうすぐ来ると思う」
「おう、任せとけ」
「あ、あと曇妬の分も」
隆善は親指を立てて袖をまくると、慣れた手つきで作業をし始めた。一牙は柊茄を待つためにホールへ出た。
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