第1巻-第5幕- 察する気持ち
時刻は十二時十五分。太陽も真上に上がっており、春の陽気が暖かい。少し暑いと感じる人もいるだろう。
住宅地へ向かう国道の歩道には水無月高校の生徒の数は少なかった。ほとんどの生徒は逆側にある駅の方に向かって行ったのだろう。電車で帰る人もいれば、駅前の店で昼を済ませる人もいる。
「じゃ、また後でな。提出物持って行かないといけねぇから、ちょっと遅れるわ」
信号を渡って曇妬と別れる。曇妬は自転車通学であり、さっきまでは自転車を押して一牙たちと一緒に歩いていた。
一牙と柊茄は住宅地へ続く国道の歩道を横になって歩く。端から見たらカップルの様に見えるのかもしれないが、二人の思考の中にそんな考えは無かった。
コッコッとコンクリートと靴が交互に触れ合う音が響き合い、ブゥンと横の国道を車が走り去って行く。頭上の電線では、鳥が追いかけ回して遊んでいる風景が見られた。
そんな特色も無いいつもの帰り道。曇妬と別れてから開口一番、柊茄がある話題を切り出した。
「ねぇ一牙。学級委員、櫻木さんと一緒で大丈夫?」
隣を歩く柊茄の表情は少し重かった。一牙は少し考えてから質問の答えを言う。
「大丈夫……とは言い切れないな」
「やっぱり」
柊茄も同じことを思っていたようだ。
実は一牙も心のどこかで、櫻木に学級委員は務まらないのではと思っていた。
だが、心配するほど学級委員の仕事は苦しくない。毎日の授業の挨拶や移動教室時の教室の施錠、学校行事の準備や運営、各委員会の補佐というような内容である。一人では流石に厳しいかもしれないが、二人もいる。二人で仕事を分担することによって、苦無く効率よく仕事が出来る。
「私、何か櫻木さん、無理して学級委員に立候補したように見えたんだ。挙げた手、ちょっと震えてたし」
「それに周りの連中も嫌そうな表情してたもんな。嫌な人に付いていくほど苦痛なものは無い。それを感じ取ったのかもしれないな」
自分から関わるなと言ったのに、自分から関わろうとする学級委員を選択した。矛盾が生じているのである。矛盾によって揺れる心はいつか破滅する。
「もしかしてだけど、櫻木さんって誰かに強要されて学級委員になったのかな?」
「だろうな。俺もそう思ってた」
「でも誰に?」
「流石にそこまで分からないが……多分親だろうな」
「親ってことは財閥の社長?」
「ああ」
あり得ない話では無い。子に理想のキャリアを積ませることによって、自分の座を譲り、さらに向上した財閥や企業を作る。それが櫻木の親の狙いなのだろう。
「お前、櫻木の自己紹介覚えてるか?」
「え? うーん。ちょっとは……」
この様子はあまり覚えて無さそうだ。かく言う一牙も、柊茄や曇妬の自己紹介の内容を覚えていない。ちょっと考えれば思い出せそうではあるが。
「そこで櫻木は『財閥の次期当主』って言ってた。無理矢理言葉を出したかのように、言いたくないけど言わざるを得なかったかのように」
「えっ!? それって……」
柊茄が困惑の表情で一牙を見つめる。
「恐らく櫻木は――」
とここまで来て一牙の口が止まる。続けて言おうとした言葉を一牙は飲み込んだ。
これは……言ってもいいものなのだろうか。今までの内容は言っていい内容だったのだろうか。
勝手な自問自答を瞬時に頭の中で繰り広げ、一牙は口を閉じた。
「どうしたのよ。恐らく櫻木さんは?」
「……いや、やめとく。勝手に櫻木の気持ちを覗くのは悪趣味だ。本人から聞いた方がいいかもしれない」
数時間前に初めて出会った財閥の令嬢。彼女の言葉や行動から察した根も葉もない勝手な推測。それを言葉にするのはあまりにも無責任だ。本当かどうか分からないのだし、その推測を前提にして動くのは櫻木に申し訳ない。失礼極まりないのだ。
「何となく一牙の言いたいことは分かったけど、確かにそれは本人から聞いた方がいいわね」
「だから今話した内容はちょっと忘れよう。櫻木のためにも」
「分かったわ。じゃあ話題変えましょ」
理解してくれる友人がいることは助かる。それが幼馴染なら尚更だ。
柊茄も何となくとは言っていたが、おおよその予想は付いたのだろう。だから話題転換でこの話の内容を忘れようとしている。
一牙は心の中で柊茄に「ありがとう」と告げると、柊茄の話を聞く。
「一牙って彼女作らないの?」
「ぶっ!」
突拍子も無い質問に一牙は泡を食った。
「な、何だよ突然……」
「だって学校終わったらすぐ店の手伝いしてさ。青春のメインでもある部活にも入らないなんて損してそうだなーって思って」
確かに一牙は部活に所属していない。強制的に部活に入れとは言われていないため、入らなくてもいいのが水無月高校の部活である。
ただ一牙に部活は合わないのだ。というよりも入ろうと思う部活もなく、立ち上げようとする気もない。
「お、俺は店で接客してる方が性に合っているというか……」
「どーせそんなことだろうと思ったわよ。気になる女の子とかいない訳?」
「き、急にそんなこと言われてもな……考えたことないし……」
「案外、一牙より曇妬の方が青春を謳歌してそうね」
「あっそ」
一牙は素っ気ない返事をして歩く速度を速くした。柊茄もその速度にしっかりとついてくる。
「というかそういうお前こそ彼氏作らないのかよ」
「えっ? わ、私!? うわっ!」
戸惑いを隠せない柊茄は何も無い道路でこけそうになる。が、歩道に設けられているレールに手を付けてギリギリ転ばなかった。
「ったく、大丈夫かよ」
「うん。平気」
「さっきの続きだけど、お前だって部活も入ってないし、ほとんどの時間も店で過ごしてるだろ?」
柊茄も一牙と同じように部活に入っていない。加えて常連の柊茄は放課後や土日、ほぼ毎日のように店に来ては一牙と駄弁って帰っていく。とても薔薇色の生活を夢見る女子高生の行動だとは思えない。
一牙の想像が幼稚なだけなのかもしれないし、余計な世話かもしれない。ただ、幼馴染という関係上、多少は気になるものである。
「わ、私は……えっと……何か……そういう気分じゃないの」
「どういうことだよ」
「気になる男子はいるよ? そりゃあ私だって思春期迎えた女子高生だもん。色恋の一つや二つ、気になりだしても不思議じゃないでしょ?」
一牙は黙って首を縦に振る。
「だけど……その……恋というか『好き』まではいかないの。あの人格好いい、あの人凄いって思ってる今が楽しいって言うか……」
柊茄の言葉が小さくなっていく。よく見ると柊茄の顔が赤く染まっていた。
これ以上言わせると頭から湯気が出そうである。
「って何言わせるのよ!」
「お前が言い出したんだろ!?」
突然声を荒げた柊茄に一牙は大声でツッコミを入れる。幸いにも周りに人はいなかったので誤解が生まれる心配は無かった。
「ま、まあそういうこと。私は今のままがいいの」
「俺だって今の方がいいさ。無理に変えようとしたら何かを見失いそうだ」
「……そうね」
無理して変わる必要はない。今のままがいいと思うならそれが一番いいのだ。変わりたいと思った時に動き出せばいい。
「じゃあ私は恋に悩む乙女のキューピッドにでもなろうかなー」
「恋愛経験無いのにか?」
ゲシッ!
「いって!」
柊茄は笑ってない笑顔で一牙の靴を踏んづけた。
「何すんだよ」
「べっつに。鈍感な一牙には純粋な乙女の気持ち何か分からないですよーだ」
べーっと舌を出して一牙を煽る。一牙は少しだけ溜め息を付いた。柊茄の相手をするのはちょっとだけ疲れるが、この光景が一番楽しいと一牙は感じている。
「そうだ。もし仮に私が一牙の彼女になったとしたら?」
何かを企んでいそうな子供っぽい表情で柊茄が聞いてきた。
「な、何だよ。またいきなり……」
「いいから答えて!」
「そう言われてもな……。よく分からないけど、多分今と変わらないんじゃないか? 普通にこのように帰って、普通に店で駄弁る。変わりない日常を送っていくと俺は思うぞ」
「ふーん。そっか」
味気ない返答をして柊茄は一牙の前に出た。
「一牙も何か困ったことあったら私に相談しなさいよ! みんなの心のよりどころは一牙なのかもしれないけど、一牙のよりどころは私なんだからね!」
ビシッと指を一牙の方に向けて、柊茄は凜々しく立つ。
一牙はフッと笑うと、立っている柊茄の横を通り過ぎる。
「なら、俺が困ったら相談に乗ってくれよ。キューピッドさんよ」
「任せなさい!」
ドンと胸に手を当てて、柊茄は一牙と一緒に住宅地へ入っていく。
とその時一牙は思っていた。
(何か告白っぽい台詞だったけど、柊茄は自覚あるのか……)
と。
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