第1巻-第4幕- 染崎校長のお話
体育館は入学式の準備がされていたこともあり、パイプ椅子が並んである。一牙たちのクラスは指定された場所の席に座ることになっている。席順は特に関係なく、指定された席以外のところに座らなければ良い。
教室を最後に出たため、一牙と柊茄と曇妬の三人は最後尾の席に座った。
やがて他のクラスの生徒も集まって、始業式は予定通りの十五分後に始まった。
開式の辞を教頭が述べ、国歌を斉唱する。次は校長の話だ。
染崎が壇上に上がり、礼をする。一牙たちもそれに倣って座る。
「えー、今日から新しい生活が始まりますね。進級したことにより、三年生は最高学年としての自覚を、二年生は後輩の手本となれるようにこれからの一年を有意義に過ごしていきましょう――」
話が始まると聞く気が無い人は隣の生徒と話したり、舟を漕ぎ出したりしている。それどころか隠れて携帯を弄っている生徒も見かけた。教師は別の席の方に座っているため、注意することが出来ない。一牙も動くことすら出来ないので注意しに行くことができない。
正義ぶっている訳ではないが、礼節をわきまえて欲しい。
それは隣に座っている曇妬も例外ではなかった。
涎を垂らし、一牙に持たれながら寝ている。
「くがー、くかー」
「ったくコイツ……」
殴り起こそうかと思ったが、ある言葉が染崎から発せられ、一牙はそっちに意識を持って行かれる。
「――ということですが、ちょっとつまらなかったですね。では話題をちょっと変えて、私が行きつけの喫茶店の話でもしましょうか」
「――!」
染崎行きつけの喫茶店は如月喫茶のことである。一牙は何を言うのか少し興味を持った。
ちらっと横を見ると、柊茄がにやにやしながら一牙を見ていた。一牙は無視を決めて、染崎の話に耳を傾ける。
「その喫茶店の名前は如月喫茶と言いまして、私の高校時代の友人が経営している店なんです。定番のものからアレンジの効いたものまで色々あり、静かな雰囲気があって非常に落ち着く雰囲気の店です。業務の合間にちょっと休みたいなと思ったら、駅前の喫茶店ではなく、こっちの喫茶店に行きますね」
一牙は染崎の話を聞いていて少し嬉しくなった。最近来ていなかったとは言え、このように店のことを思ってくれる人がいることが何より嬉しい。
「私は甘いものが好物でして、生クリームがたっぷり乗ったホットケーキとダージリンをよく頼みます」
「へぇー、染崎校長ってそれ頼んでたんだ」
横で柊茄が新しいことを知れたみたいに納得していた。
「料理も美味しいのですが、私が行きつける理由は店員さんと話すことです。ちょっと辛いことや逃げ出したいことなどをその店員さんに話して、心をちょっとスッキリさせます。言い方は悪いですが、店員さんに私の愚痴を聞いて貰っているのです。ですが、その店員さんは嫌な顔せず私の話を聞いてくださり、尚且つ助言までしてくれるのです」
一牙は顔が今赤くなってきていると感じた。同時に体温も徐々に上がっているようだ。
何を隠そう染崎が言っている店員は一牙のことなのである。隆善もその場にいることがあるが、染崎はほとんど一牙に相談している。一牙も大人の世界はあまり分からないが、その場で思いついたことを話している。それが染崎の心の助けになっていたとは今日の今日まで思ってもいなかった。
「皆さんも辛いことなどがあったら、抱え込まずに友達や家族に相談してみましょう。友達にも家族にも言いづらいことがあったら私たち教師やカウンセラーの人、そしてこの店の店員さんに相談してみてはどうでしょう。きっと皆さんの心の助けになってくれるはずです。愚痴は絶えず吐けますが、悩み事は吐くことは難しいです。が、遠慮なく悩み事を吐くことによって皆さんは救われるはずです。勇気を出して相談してみて下さい。私からは以上です」
染崎の話が終わり、始業式が幕を閉じた。
体育館から教室に戻った一牙は、席に座ると染崎の話を思い返していた。
自分はカウンセラーでも何でも無いただの学生。染崎や近所のおばさんの話を聞く相手だとばかり思っていた。だけど違った。染崎や近所のおばさんも一牙を心のよりどころとして話をしてくれている。自分は聞いているだけで相手の心を洗い、助言を入れることで救済しているのだ。
改めて自分の存在が、周りの人の助けになっているということを認識させられる。
「やっぱ一牙は凄いわよね」
手洗いから戻ってきた柊茄がハンカチで自分の手を拭きながら言ってきた。
「店で働いて、成績も優秀で、みんなの心の救ってる。ちょっと嫉妬しちゃうなー」
「店は好きで手伝ってるだけだし、話相手も俺が勝手に聞いてるだけだ。むしろ自分勝手って言われた方がいい」
「そうやって謙虚になるところがさらに嫉妬するポイントよ。そうよね曇妬」
「んだんだ。その才能一つくらい分けやがれコンチクショー!」
曇妬が一牙の頭をめちゃくちゃに掻き乱し、髪の毛がボサボサになる。
「鬱陶しい! 離れろバカ!」
一牙は力任せに曇妬を剥がして、髪の毛を整えた。
永嶋が入ってきて簡単なSHRをすると、今日はもう終わり。放課後となる。
生徒たちは鞄を背負って教室を出て行く。一牙たちもその波に乗って教室を出た。
教室の施錠は帰りの時は担任の先生が閉めることとなっているため、学級委員の仕事では無い。
下駄箱で靴を履き替えて校門を出る。校内を歩いていると先生が忙しなく動いていたため、入学式の準備などが大詰めになっているのだろう。協力したい気持ちがあったが、返って邪魔者になりそうなので帰ることにした。
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