第1巻-第2幕- 入学式準備と二年三組

 水無月市は人口約二十万人。政令指定都市ではないが、それなりに大きめの市である。デパートや大型の水無月駅、大学病院や看護施設といった施設があり、生活するには不自由しない。開発も進み、マンションも増え、市は観光名所を作りたいと考えている。

 水無月市は大きく分けると二つに分かれ、都市部と農村部がある。都市部は南東に位置し、農村部は北西に位置する。農村部までは水無月駅から電車に乗って約十五分で行ける。長閑な田園風景が広がっており、スーパーの野菜コーナーには農村部の野菜が並べられている。

 私立水無月高等学校は如月喫茶から徒歩二十分ほどの距離にある。自転車に乗って時短すればいいのだが、徒歩なのは単に一牙のこだわりだ。

 住宅街を抜け、広い国道の横断歩道で立ち止まる。通勤途中のサラリーマンや一牙と同じように学校へ向かっている生徒が続々と集まってくる。信号整理によって車の通りが止まると、横断歩道の信号が変わって人々が渡り出す。一牙は人とぶつからないようになるべく隅の方を歩いて横断歩道を渡った。

 そのまま国道に沿って歩くと目的地の私立水無月高等学校に到着する。校門には『二〇三〇年度私立水無月高等学校入学式』と書かれた看板が立てかけられていた。去年はここで写真を撮って貰ったことを思い出し、校門をくぐる。

 校門は桜の雨によって彩られていた。校門から左右の壁際には桜の木が並んでおり、生徒たちを歓迎しているようだ。

「おはよー」

「おっはー。久しぶり!」

「お前生きていやがったのか」

「お前こそ」

 一牙の他にも自転車に乗った生徒や徒歩の生徒が校門をくぐっている。一牙は桜に見とれつつ、入学式会場である体育館へ足を向けた。

 私立水無月高等学校は生徒たちの教室や教師たちの職員室がある本校舎と、理科室や家庭科室といった特別教室がある別校舎、主に文化系部活動で使われている部活棟の三つがある。本校舎から別校舎、部活棟には連絡橋が延びているが、別校舎から部活棟の間には連絡橋がない。つまり本校舎が真ん中にあり、その左右委に別校舎と部活棟があるのだ。部活棟からは体育館へ繋がる通路がある。そのため本校舎から体育館まで移動するには、部活棟を経由して行かなければならない。

 他にも剣道部や柔道部が使っている格技場、創立記念で建てられた文化棟、部活や体育用具が仕舞ってある体育倉庫、人工芝と砂の二つのグラウンドといった感じに他の施設も充実している。

 体育館には既に数人の生徒が集まっており、複数の教師の指示に従って入学式の準備をしていた。一牙は鞄を邪魔にならないところに置くと、久しぶりに会う教師に「おはようございます」と挨拶をして指示を貰う。

 カーペットを敷き、パイプ椅子を並べ、横断幕に文字を並べる。横断幕が上がると一牙たち学級委員の準備係の仕事は終わる。後は生徒会や教師たちの仕事である。

 そろそろクラス発表がある時間帯だ。そわそわしている訳ではないが、どこのクラスに割り振られ、誰と一緒になるのか気になる。

 壇上から降りようとすると一人の男性が壇上に上がってきた。サッパリとした短めの髪で、高身長の若い男性だ。引き締まったスーツ姿は今日の入学式を意気込んでいるように見える。

 一牙はその男性に見覚えがあった。

 声をかけようとすると、一足早く男性の方から一牙に声をかけられる。

「おはよう、一牙君。準備ありがとうね」

「お、おはようございます。染崎さん」

 そう、この男性こそ私立水無月高等学校の校長、染崎士紋そめざきしもんである。一目見たら普通の教師と思われがちであり、一牙も一年生の頃は何度か間違えたことがある。

「一牙君は今年から二年生だったね」

「はい」

「また、とは言わないけど、一年生の時みたいに手伝ってくれると嬉しいな」

「ほとんど私用でしたけどね」

 一牙は一年生の頃学級委員だったため、クラスや学校の行事のために何度か雑用を手伝わされている。時折、染崎は如月喫茶で一牙だけに仕事を頼んでいることもある。校長としてどうなのかと思っているが、もう慣れてしまったためあまり考えないようにした。

「あ、そういえば父さんから伝言です」

「隆善の奴から?」

「『近々店に来いよ』って言ってました」

 伝言を染崎に言うと、染崎はふふっと笑った。

「そうかアイツ寂しいんだな? 最近行ってないから無理もないかぁ」

「いや、寂しくないと思うんですが……」

「分かった。アイツの期待に応えないとなぁ。よし、今月中のどっかに行ってやるって伝えてくれないかな?」

「分かりました」

 一瞬、伝えずにサプライズとしようかなと思った一牙だったが、伝言は伝言なのでその考えは振り払った。

 一牙は染崎に「失礼します」と言って壇上から降り、鞄を背負って体育館を後にした。無だった体育館に大量のパイプ椅子が並んでいる風景に、少し感動を覚えた。


「えっと……」

「あ、二組だ」

「やった! 今年も一緒だね!」

「うーわアイツと一緒かよ……最悪……」

「やーいざまぁ味噌カツ定食~」

 本校舎の二年生専用昇降口前にはたくさんの生徒が張り出された名簿を見ており、まるでスーパーのバーゲンセールのように見えた。入学式準備が終わってある程度人はいなくなっていただろうと考えていたが、爪が甘かったようだ。

 一牙は生徒が少し減るまで待ち、減ってから名簿を確認する。『如月』という苗字なので一桁か十番台のどこかに名前があるはずだ。

 一組……ない。

 二組……ない。

 三組……あった。しっかり『如月一牙』と書かれている。出席番号は十だ。

 念のため四組の名簿も見るが、一牙の名前はなかった。

 三組十番の靴箱を開け、他の誰かの靴が入っていないことを確認すると、自分の靴を入れる。そして鞄の中から一年生の時に使っていた上履きを取り出して履く。春休み中に足が成長したのか、上履きはやや窮屈だった。そろそろ替え時かもしれない。

 多くの生徒がごった返している階段を上る。

「あ、先輩、おはようございます」

「おはよう」

「おいアホ、そっち一年教室だぞ」

「やっべ。普通に間違えてたわ」

 本校者の構造は一階に職員室や校長室、二階に一年生、三階に二年生、四階に三年生の教室がある。去年までなら二階までで十分だったのだが、今年はもう一階上がらないといけない。面倒だなと思う半分、間違えて一年生の教室に行かないようにしないとと思う。

 三階に着き、三組のプレートがある教室に入る。今年からここが自分のクラスだ。

 教室はフローリング製。床はワックスでピカピカになっていた。席は全部で四十の六列。窓際と廊下側の二列は六席で、中の四列は七席という並びである。

 机は従来のスチール製。足はフローリングを傷つけないように縦長の長方形に広がっており、接地面にはゴム製の滑り止めが付けられている。椅子も同じようになっており、座席は樹脂のような物質でできている。

 教室内には大勢の生徒が座っていたり、話したりしていた。黒板には『好きな場所に座ってください』と書かれていたので、後ろから二番目、廊下側から三列目の席に座る。近くに鞄や他の物が置いてなかったためここにした。

「ふぅー」

 鞄を下ろし、一息入れる。座ると同時に入学式準備の疲れが襲ってきて、一牙はそのまま机に突っ伏した。

「おはよー」

「おはー。ってここ?」

「うん。そうだよ」

「なぁあの子めっちゃ可愛くね?」

「分かる~。俺狙うわ」

「は? あの子と釣り合うのは俺だボケ!」

 突っ伏しながら周りの様子を窺う。数人、前のクラスの生徒がいたが、ほとんどが知らない生徒ばかりだ。辛うじて全国大会出場を果たした生徒の顔は覚えていたが、名前までは覚えていなかった。

 しばらくは前のクラスの連中と絡んで、それから徐々に知らない生徒と打ち解けていこうと今後の方針を練る。

「でさー」

「へぇー」

 男子生徒と女子生徒の声が聞こえてきた。ここのクラスの生徒のようである。

 誰だろうと振り返る。そこには見知った顔があった。

「よー、一牙。今年も同じクラスみてーだな」

 茶髪で制服を着崩している男子生徒が一牙に声をかけた。そして一牙の後ろの席に着き、持っていた鞄をドサッと無造作に置く。どこにでもいそうな顔つきをしており「にっ」と口元を開いて白い歯を見せてきた。

「またお前と同じクラスなのか。心が雲のようにどんよりだわ」

「うっわひど。てか俺の名前から雰囲気下げるのやめろ」

「はいはい、悪かった」

 男子生徒の名前は六輪曇妬。一年生の時からの友人である。そして弓夏の息子だ。特に何をしているわけでもない帰宅部の自由奔放人。成績は下で運動神経はそこそこ。何だかんだ中学の時からクラス替えをしてもずっと一緒だったりする。

「相変わらず仲良しねアンタたち」

 そう言いながら一牙の右隣の席に女子生徒が座った。鞄を机の横のフックに掛けて、一牙たちの話に介入する。

 黒と緑が混じったショートヘアは、前髪を葉の髪留めで留めている。水無月高校指定の制服に付いているリボンを掛け合わせると、何だか子供っぽく見える。身長は一牙と同じくらいのはずなのだが。

「何か失礼なこと考えてない?」

「いや、考えてないけど」

「あっそ。ま、今年からは私もここのクラスだからよろしく」

柊茄しゅうなもか……」

「ちょっと一牙、何か文句あんの?」

「いや別に」

 女子生徒の名前は森宮柊茄。一牙の幼馴染であり、如月喫茶の常連である。如月喫茶のメニューは全部覚えており、制覇もしている。もちろん、裏メニューまで。

 柊茄は去年、一牙たちとは別のクラスだった。だが、学校より如月喫茶の方で出会うことが多く、曇妬ともいつの間にか打ち解けていた。

「あ、そういえば今日からだっけ? 桜の花びらパンケーキ」

「まぁな。来るんだろ?」

「当たり前じゃん。この季節になるとあれは食べないといけないのよねー。苺クリームの甘さとパンケーキのふわふわが混ざるのがたまらないのよ。そして時折くる新鮮な苺のみずみずしくも甘いあの食感もいいのよね」

 柊茄がしみじみと言う。

 桜の花びらパンケーキは如月喫茶の四月限定メニューである。桜の花びらを模したパンケーキに苺のクリームを塗って、カットした苺を挟んだものだ。桜の咲いている時期しか行わないため、四月限定というよりは、四月内の二週間限定メニューになっている。

「へぇー、そんなに美味いのか」

「曇妬も食べる?」

「何円?」

「税込み五百三十円」

「乗った」

 と、このように柊茄はメニューの値段まで覚えている。一牙も覚えてはいるが、咄嗟に聞かれたらすぐに出てくる自信がない。

「というわけだから、学校が終わったら行くわ。どーせ学校が終わったらいつものように店の手伝いでもする気なんでしょ?」

「…………」

 完全に見透かされている。常連と幼馴染を掛け合わせた彼女は斯くも恐ろしい。

「それとミルクティーね。準備しておいてよ」

「はいはい」

 一牙が柊茄の言葉を適当にあしらうと、クラス内がざわめきだした。

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