第11話 椚 紫苑
只今ジープラングラーの車内。さっきまでの流れを見ていない人に簡単に説明するなら、知らない女性の会計を建て替えたら、お金を返したいので家についてきてくださいと車に乗せられました。
そして今、車内では大変気まずい空気が流れております。残念ながら伊織には知り合って間もない人とする会話のレパートリーは3つくらいしかない。
さて、このお通夜のような雰囲気をどうしようかと頭を悩ませていると、狛音の方から声を発した。
「九条さんは、何のお仕事をされているんですか?」
「今は普通の会社員ですよ。椎名さんは何のお仕事を?」
「えっ! わ、私も企業勤めです……。」
動揺していたが、聞いたのはまずかっただろうか。
というか、体格に似合わない車を運転している姿が、少しジワる。
「あ、あの……。」
「どうしました?」
狛音はチラチラと伊織の方を見ながら、恐る恐る問う。
「九条さんって、Vtuberってご存知ですか?」
「ええ。好きですよ。」
今の、Vtuberと言ったとき、伊織の中で何かが引っかかった。
具体的に何かと言われれば説明できないが、強いて言うならデジャヴだ。前にも同じことを話したような気がする……。
「九条さん?」
「え、は、はい!」
「見えてきましたよ。」
伊織は椎名の視線を追って、椎名と同じところを見る。
目の前には、割りと大きめのマンション。タワーマンション程ではないが、そこそこの高さがある普通のマンションだ。
椎名は車を駐車場に停めて、マンションのエントランスホールに入る。
そのままエレベーターで最上階に向かう。最上階に着くと、グーッと進んで一番端の部屋。
「ここです。どうぞ上がってください。」
「お邪魔します……。」
あまりジロジロ見ないように最低限の視界で部屋に入る。
部屋は綺麗で、しっかりと片付けられている。少なくとも普通に歩いて物が足にぶつからないくらいには。
「あ、ありました! 良かった……どこかに落としてたらどうしようかと……。」
「ありましたか。良かったです。」
「はい! すいません、今お金返します。」
狛音はすぐに財布から千円札を取り出して伊織に渡す。
実際の会計は1500円くらいだったが、ここは男伊織。黙って奢ることにした。
……というか、またしても気まずい。何か話すこと……。
「椎名さんは、ここで一人暮らしを?」
「はい。兄弟も彼氏もいませんし。九条さんは?」
「俺も一人です。」
「……。」
「……。」
……やばい! 本当に話す内容がなくなってきた! 仕事のこととか聞きたいけど、さっきなんか滅茶苦茶動揺してたから聞きづらい!
今、二人に聞こえているのは、エアコンの駆動音のみ。その音が二人の沈黙を更に引き立たせる。
何か切り出す話題がないかと、伊織は少しだけ部屋を見渡す。
何か趣味とか、せめて知ってるやつとか何かないか……。
そこで伊織は、オープンシェルフに飾ってある写真に目を向けた。写真に映っているのは三人。狛音と、恐らくは母親、そして、その隣りにいる人物を見て、伊織は目を疑った。
「椎名さん」
「は、はい!」
突然名前を呼ばれて驚愕していたが、今それに反応している余裕はない。
何故なら伊織は今、最優先に確認しなければならない事があった。
「あれって……。」
伊織は恐る恐る写真を指す。狛音は「ああ、あれですか。」と飾ってある写真を伊織のもとへ持ってきた。
「私の父と母です。……私、お父さんと喧嘩してて、やっと最近仲直りできたんです。」
「そ、そう、ですか……アハハ……。」
伊織の微妙な反応に、狛音は首を傾げる。
これは、多分、言わないほうがいいやつだな、うん。黙っておこう。
「ハンサムなお父様ですね。」
「……父は、最後まで私のやりたいことを認めようとはしてくれませんでした。」
伊織はさっきまでの動揺を誤魔化そうと部長を褒めると、狛音は過去を見つめるように遠い目をして呟くように言った。
「やりたいこと、ですか?」
待て、そういえば部長、確か自分の娘は企業専属のVtuberをしているとか言ってなかったか? そして、椎名さんに職業聞いたとき、企業勤めって言ってたような……。
というか、普通に聞き流してたけど、今思えばこの人今二十歳だよね。……あれ?
「椎名さんって、大学とか……。」
「あっ、今は大学二年生です!」
「企業勤めじゃなくて?」
「あ……いや、えっと~……。」
「椎名さん。」
「……はい。」
伊織は真っ直ぐ狛音の方を向いて、改めて尋ねる。
「企業名はなんですか?」
「……な、内緒にするって、約束してくれますか?」
「もちろん。」
「えっと……Virtual planning F……です。」
うん、まぁ、そんなところだろうとは思ってたよ。でもよりによってそんな最大手だったのか……。
確かに、このマンションは大学生が住むには家賃も高いし、そもそもこのマンションはファミリーで住むのがおすすめみたいなマンションだ。
「あの、アカウント名も言ったほうがいい、ですか?」
「いや、そこまではいいよ。知られるとまずいものもあるんだろ?」
めっちゃくちゃ知りたい気持ちを押し殺して、帰宅の準備をする。自分が何をしているか知られた以上、向こうもあまり長居はしてほしくないだろう。
ということで、伊織が席を立って、玄関に向かおうとすると後ろから、脳に焼き付いた声が聞こえてきた。
「こんしお~! 今日も椚紫苑の配信に来てくれてありがと~。」
伊織は首がもげるくらいのスピードで後ろを振り向いた。
ずっと気になっていたデジャヴの正体と、大学生でこんなファミリー向けマンションの最上階の最端に住んでいる理由。そして妙にゴツいジープラングラー。
全て解決した。
「椎名さんが……椚紫苑だったんですか?!」
「は、はい。Vtuberがお好きだと言っていたので、知ってくれてたら嬉しいな~と……。」
伊織の心臓は、破裂寸前。今、少しでも伊織を驚かそうものなら心破裂を起こしてそのまま永眠するだろう。そのくらいヤバい。
「あ、よかったら晩御飯、ここで食べていって下さい。九条さんともう少しVtuberについてお話したいので!」
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